唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

ビター追討サンバ。

この番組は、ポニーキャニオン、ブルボン、ポッカコーポレーション角川書店グループ、白泉社ワニマガジン社メガネスーパー、BVD、以上各社の協賛で、東京・有楽町のニッポン放送をキーステーションに全国32局ネットでお送りします。




 一番よく聴いていた1990年代初頭ヴァージョンをうろおぼえで書いてみたが、この提供読みだけでもさまざまな記憶がよみがえってくる。




 
 何度も書いているように当ブログでの唐沢俊一検証はもうまもなく終了する予定なのだが、その後で唐沢問題に関する資料を作成しようと思っている。とりあえず、年譜とブックガイドは作るつもりでいるが、このブログで公開するか本にまとめるかは未定。分量がどれくらいになるかにもよる。
 で、この間ふと思い立って、資料作りの一環として「裏モノ日記」の「追討」のリストをまとめることにした。そのきっかけとなったのは、2004年7月28日分中島らもの「追討」をたまたま目にしたことである。

新聞で中島らも死去の報。昨日ネットで緊急情報が走ったし、夜のニュースでもやっていたが何か実感がなかった。あまりにこういう死が似合いすぎる人だったので、逆にフィクションくさく感じてしまったのかもしれない。また、私の中で最も強烈にイメージされていた中島らもは、学生時代、『ぴあ』で読んでいた『啓蒙かまぼこ新聞』の4コマの人、なので、それ以降の作家・中島らもと、イメージがつながらないままでいた せいかもしれない。

 なぜイメージがつながらなかったかというと、いわゆる全国進出を果たした後のこの人の発言や行動などのすべてが、私には演劇的に感じられていたからだ。和製ハードボイルド映画の主人公みたいに、そこに実体感がなかった。いや、なかったからこそまことにカッコよかったのではあるが。演劇畑の人によくあるタイプで、作り上げられた虚像を自分で見事に演じてしまっていたのではないか、そんな感じがした。しかし、例の逮捕以来(これも、ファンにとっては全く意外ではなかったであろう、とその逮捕のとき日記には書いた)、その彼の演技には、どこか実体との齟齬感がつきまといはじめた。空回りというか、痛々しさがそこかしこに見え隠れしはじめた。それでも必死で、周囲に彼は“いかにも「らしい」中島らも”像をサービスしていたのではなかったか。大阪人の、ひとつの典型的なパターンのように思える。70・80になり、老衰してなお、中島らもであり続けるこの人を、ファンとして見てみたかった気もするが、今は何か、やっとそういう演技から解放されたのだな、よかったな、 という、不思議な安堵感すらただよう。そんな死であった。黙祷。

 ごらんの通り、故人の死を悼んでいるようでいてその実貶めている、という典型的な「追討」である。もうひとつわかりやすいのは、唐沢俊一が自らのイメージを中島らも投影していることである。唐沢は「鬼畜」を「あえて」やっていると語っていたこともあるが、同じように中島らももまた「演じている」と考えたのだろう。村崎百郎も「鬼畜」を演じていたのだというから(2010年8月2日の記事を参照)。一般の追悼文にも言えることだが、故人の死を悼む文章は書き手の姿を浮き彫りにしてしまう、実はたいへん怖いものなのに、唐沢は大して思い入れのない人の死にまで実に無造作に触れてしまっている。
 中島らも村崎百郎が演技をしていたのかどうか自分には知る由もない。ただ、たとえ演技をしていたのだとしても、彼らは自らの役柄を演じきった、という気がしていて、そう思うと敬意らしきものが胸に湧いてくる。それにしても、唐沢の2人の死に関するコメントを見ていると、何やら「演技」に対してマイナスのイメージを持っているように思えてしまう。劇作家なのになあ。



 なお、現時点で確認できる唐沢俊一による最初の追討は、唐沢商会『脳天気教養図鑑』(幻冬舎文庫)での手塚治虫の「追討」である(2008年11月23日の記事を参照)。例の「『ぴあ』の投稿欄で手塚に名指しで批判された」という誤りもこの「追討」で最初に出てきたものである。



 さて、唐沢俊一の最新の「追討」は、レイ・ハリーハウゼンに対するものである。実は今回の文章よりも20年前に『SPA!』で書いていたコラムの方がハリーハウゼンに対してずっと失礼なことを書いている(2011年1月26日の記事を参照)。

人の評価というものは、引退の時期をあやまっただけで、実に顕著に変化するものである。たとえば、あの『ジュラシック・パーク』に登場する恐竜たちへの感動と興奮を、すでに二十数年前にボクらに与えてくれた特撮師レイ・ハリーハウゼン

 彼は映画『シンドバッド七回目の航海』や『恐竜100万年』の中で、見事に巨竜やガイコツ兵士たちを動かし、一時は多くの専門家をして特撮の巨人とあがめられていた彼の師匠オブライエンをも凌いだといわれたが、その秘密主義的な撮影方法が災いし、新しいエッセンスを注入できず、『シンドバッド虎の目大冒険』を最後に精彩をなくし、ついに見るに見かねた弟子たちによって、無理やり引退を強要されてしまったと聞く。

 これに対して、ハリーハウゼンの師匠ウィリス・オブライエンは、映画『キングコング』という傑作だけを残して不遇な死を遂げたが、逆にハウゼンのような悲惨な晩年がなかったために、今もって特撮マンたちの目標とされ続け、“特撮の巨人”という名誉まで与えられているのである。

死ということで引退の旬をつかんだオブライエンと、散り際をつかみきれずに晩年、苦い酒を舐め続けたハリーハウゼン。この皮肉なる師弟関係は、何も特撮の世界だけの話ではない。探せばどこの世界どの時代にもちゃんと存在しているのだ。代表的なのが織田信長徳川家康。無論、信長がオブライエンで家康がハリーハウゼンである。他にもプロレスラーの力道山ジャイアント馬場。そして漫画家の手塚治虫石ノ森章太郎などもそんな間柄といえるだろう。

 気がついてほしいのは、オブライエンをはじめ力道山、そして手塚治虫など、歴史に名を残した人々のほとんどが、常に向上心を忘れず時には自身の生活をも犠牲にして、次々と新分野に挑戦していく狩猟型であり、それに対し馬場や石ノ森章太郎は、自らの足元から固めることをよしとし、挑戦よりも安定を求める農耕型の人間ということ。どれも農耕型が狩猟型に弟子入りし、才能を開花させ成功をおさめてはいるが、晩年はそんなかつての栄光にこだわりすぎて、引退の時期を逃しているのだ。

 

 この文章にはいくつもツッコミどころがあるが、それに関しては上記のエントリーを参照されたい。それにしても、「生前追討」というパターンもあるんだなあ、と。



 加えて、過去の文章と比較するとヘンなところがある。まずは今回の「追討」より。

あれは忘れもしない小学四年の夏休み。たまたまつけた昼間のテレビでやっていたのが『アルゴ探険隊の大冒険』。七つ首の毒蛇ヒュドラとイアソンの対決シーンだった。映画のタイトルもわからないままに、たちまちその見事な特撮技術に魅せられ、ブラウン管の前に吸いつけられてしまっていた。

当時の私はギリシア神話オタクだったから、それがアルゴノーツと金羊毛の物語だということはすぐわかったが、で、あればこのヒュドラを倒して黄金の羊を獲て映画は終わりか、ああ、もっと前から見てればよかったな、と思いながら見ていた。

・・・・・・ところがなんと、ヒュドラなんかはまだヒザ替わりであって、真打ちがその後に控えていたのにびっくり仰天。ラストの骸骨戦士たちとの決闘に、私は過呼吸になるほど興奮してしまった。そこれ(原文ママ)が私と、人形アニメーションの神様、レイ・ハリーハウゼンとの最初の出会いであった。

 次にフィギュア王』№115掲載の唐沢俊一のトンデモクロペディア』第28回2008年10月20日の記事を参照)より。

 上記のジェリー伊藤のセリフ、“奇跡は今でもアリマス”を体感したのが、映画『シンドバッド7回目の航海』を見たときであった。

 シンドバッドたちが悪魔の島に上陸したとたん、いきなりという感じで出現する一つ目巨人にも驚いたし、その一つ目巨人がラストでドラゴンと取っ組み合いの対決をみせるシーンでは、もう、マジに失禁するかと思えるくらい興奮した。人形アニメ技術の最高傑作と言われるこの映画を、夏休みの昼の映画劇場で初めてテレビで見たときの私の感想は、
 「世の中にこんなに面白い映画があっていいのだろうか」
 というものだった。


 シチュエーションが良く似ているなあ。『アルゴ探検隊の大冒険』では過呼吸『シンドバッド7回目の航海』では失禁、という違いはあるものの。ちなみに、この『フィギュア王』の文章が「裏モノ日記」2007年7月11日分をベースにしていることに今回気がついた。こんな具合だからいつまでたっても調べ終わらない。



 もうひとつ「追討」と『フィギュア王』の文章を比較する。最初に「追討」。

で、ハリーハウゼン自身にとっても、骸骨戦士がキャリアのピークで、その後の『黄金の航海』(1973)では女神カーリなどが楽しい限りだったが、『虎の目大冒険』(77)になると、ヒヒのアニメートなど、神業ではあるものの、見ているこちらをアッと言わせる突き抜けたイマジネーションにおいては大分劣ってしまっていたのが悲しかった。

 『フィギュア王』。

(前略)このシンバッドものは、後に『シンドバッド黄金の航海』、続々編『シンドバッド虎の目大冒険』と製作され、ハリーハウゼンの特撮技術は一作ごとに格段の進歩を見せたものの、シンバッド役者に(引用者註 カーウィン・)マシューズほどの人を得ず、あまりパッとしない出来に終っている。


 …まあ、5年以上経過していたら評価が変わるのも無理はないかもしれないが。


 
 ともあれ、「追討」文のリストはいずれ作成するので。失礼なのがこれ以上見つかりませんように。





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