唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

Ain't No Mounting High Enough.

「山本弘のリハビリ日記」を読んでいたら気になる記述があった。山本氏の著書からの孫引きになってしまうが、著者本人がした引用なので間違いのないものだろう。

 2016年4月、熊本で大きな地震が起きた直後、「熊本の朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだぞ」というデマが流した奴がいた。それも1人や2人ではなく、ものすごくたくさん! 8月の広島の土砂災害でも「広島の被災地で在日韓国人が火事場泥棒開始」というデマが拡散した(広島県警が正式に否定)。関東大震災から80年以上経った今も、デマを流してあわよくばまた大虐殺を起こしてやろうと狙っている者が大勢いるのだ。

 ここで「?」となった。「大虐殺を起こしてやろう」? 「大虐殺をしてやろう」じゃなくて?
 いや、特定の人々を「大虐殺」しようと企む悪(としか言いようがない)の集団がいるというならまだ理解できる。しかし、「起こしてやろう」というのは他人まかせでまわりくどい。それに、デマに煽られて「大虐殺」をしてしまうくらい今の日本国民の民度は低いと山本氏はお思いなのだろうか。もしくは、「自分なら煽られたらそれくらいやりかねない」と山本氏は自己分析されているのか。
 もしかすると、流言蜚語に乗じて大虐殺の実行を目論む集団あるいは個人の存在を山本氏は実際に把握されているのかもしれないが、それなら今すぐにでも警察に通報すべきで、ネットや著書を通じて批判するなどあまりにも悠長すぎる。逆に集団の存在を把握しないままこのような話をしているのであれば、それはいわゆる陰謀論で、トンデモの一典型になってしまう。右でも左でも政治的な立ち位置を問わず、仮想敵を設定して論を進めていくのは知的衰弱の表れでしかない、と自分は考えている。「どこかで悪いことを企み実行している連中がいる」と考えて、話を分かりやすくしたいという願望に屈してしまっているのだ。


※ 上記の太字部分を一部修正しました(1月17日)


 一言で言ってしまえば、山本氏はデマを流す理由を見誤っている。もっとも、日記の中で山本氏が「善意」でデマを流す人がいる、と書いているのは当たっている。昨年9月に発生した北海道の地震では「もうすぐ余震が来る」というデマがネット上で流れたが、あれだってデマを流した人は早めの避難を呼びかけるつもりでやったのであって悪気があったわけではないはずだ(いつどこに地震が来るか分かればどんなにかよかったか…)。
 外国人がよからぬことを企んでいる、といったデマを流す、あるいは外国人に対して差別的な言動を取る人たちの多くは本気でやっているわけではなく、「ネタ」として消費しているだけ、というのが本当のところだろう。そう言っている人たちが本気で外国人排斥に動いていたら、もっと大変なことになっているはずだ。あくまで口だけの、何ら真剣味の伴わない行為なのだ。
 一例を挙げてみると、百田尚樹氏がTwitterで、

はっきり言います!
韓国という国はクズ中のクズです!
もちろん国民も!

と呟いた後で、韓国人の母親を持つ人から反論されて、

誤解しないで貰いたいのですが、私の韓国非難のツイートは、レーダー照射に関する私自身のツイートに対して追加したものです。
軍も政府もメディアも一丸となって嘘をつき、逆ギレする様を見て、それらを支える韓国国民もクズと言ったのです。
一般論として、人種差別をしたわけではありません!

と返事している(Twitter)。…いや、それで「誤解するな」と言うのは無理だよ、とか、作家なのに言葉軽いなあ、とか何重にも呆れる。百田氏が「韓国国民はクズ」と本気で考えていたとしたら、「あなたのお母さんもクズです」と反論してきた人に返事しなければいけないはずなのだが、弁解しているところをみるとよく考えもせずに発言していたのが見て取れる。百田氏はつくづく隙の多い人なのだが、そういう隙の多さを改めるどころか逆に自らのチャームポイントのように考えているようにも思われる(こういう人を相手にした検証は難しい、というのは『日本国紀』騒動を見てもわかる)。困った人である。
 百田氏をはじめ、この手の発言をしている人の本気度はきわめて疑わしい。だからといって、自分はその手の発言およびデマは大したことはない、と言いたいわけではなく、それはそれで悪質だと言いたい。同級生をからかっているうちに、その子が泣いたり怒ったりしたら、「冗談なんだから本気になるなよ」とヘラヘラ笑ってごまかすようなタチの悪さ、とでも言うべきだろうか。まあ、この問題に限らず、政治や社会についてSNSで過激な発言をする人は大勢いるけど、自分の発言が実現したらどうなるのか考えて発言しているのか、というときわめて怪しいところだし、ある問題について調べて考えていくとおのずと口は重くなっていくものだし、自分と関わりのある問題であれば尚更口は重くなる。よく知らないからこそ好きなことを言える、というのは確実にあるし、逆に言えば、好きなことを言うためにあえて知ろうともしない、ということすらあるのではないか。
 山本氏に話を戻すと、氏には「デマを流す少数の悪質な人間」より「デマに流されない大多数の普通の人間」を信じた方がいい、と言っておきたい。何より思い詰めるのは身体に毒である。


・本題。みなさんは、何気なく本を読んでいたら自分のことが書かれていて驚いた、という経験がおありでしょうか? 自分はあります。2016年11月に発行されたロマン優光『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』(コア新書)で、唐沢俊一氏に言及した部分があるので、まずそこを引用してみる。同書P.175〜176より。

 そういえば、唐沢さんが数々の盗作・盗用疑惑で追及されていた時期があるじゃないですか。それは自業自得なんですが、中には追及するのは微妙なのではないかというケースもあったんですよね。先人の書いた雑学本やエピソード集みたいなやつからネタをもらってくるというのは、昔は色んな人がやっていたことなんですよね。そこは時代による感覚の違いみたいなもので。
 唐沢さんの場合、この著作権意識が発達した現代において、同時代の人、しかもアマチュアの人相手にそれをやってしまったことが大問題で絶対に悪いのですが、あまりにも細かい所や過去すぎること、グレーゾーンの中でも白寄りのあたりまで追及されたのは、さすがに気の毒かなとは思いました。状況証拠だけで黒だと決めつけることは、検証と言う場では許されないとは思うのですが、そういうレベルのこともありましたしね。

 「ああ、なんか言われてるなあ」というのが最初に読んだ感想。つまり、ロマン氏は、唐沢氏を検証している人は細かいところまで追及しすぎなんじゃないの? と疑問を呈しているようなのだが、それはその通りだと思う。今になってみれば、自分でも些末な点を取り上げたこともあったかもしれない、と思うことはある。ただし、それにはそれなりの理由もあって、あえて重箱の隅までつつくような真似をしたのは、あくまで検証を厳密なものにしたかったからで、つまり隙のある検証よりは細かすぎる検証を選んだのだ。だから、「細かすぎる」というお叱りについては甘んじて受けるしかない。それに、「グレーゾーン」の事柄を取り上げたこともあったと思うが、その際には間違いだとか盗用だとか直ちに決めつけることはせずに、留保付きで取り上げるようにしたつもりだが、もしも配慮を欠いて決めつけたことがあったとすれば、それは自分としても望ましいことではなく修正しておきたいので、お気づきになられた人がいれば、どうか具体的に指摘してほしい。
 ここまでは唐沢検証一般についての指摘だと思っている。別に自分だけが検証をやっていたわけでもないので、もしかすると他の方への指摘だったのかもしれない。だが、これに続くくだりは明らかに自分を指している。同書P.176〜177より。

 唐沢さんを追及していた人たちの一人が、私が昔書いた唐沢さんに関する雑文の中のネタと内容的にかぶることを書いていたことがありました。その人は、以前にその雑文の感想を書いていたことがあります。私がパクリではないかと指摘したところ、彼は「その文章のことは存在を忘れていたのでパクったわけではないし、語句が少し違うのでパクリとは言えない。」という弁明をしました。しかし、彼は唐沢さんに関しては、より状況が不明瞭な場合でもパクリ認定していたのですよね。
 いや、読んだものを忘れていて、何かの拍子に内容だけ思い出した場合、自分の中から出てきたことだと思ってしまうことは誰にだってあります。自分の中にある情報がどこから来たものなのか全て把握するのは不可能だからです。私だって、気づかないうちにやってしまっていると思います。だから、「意図的にパクったわけではない」という彼の弁明は嘘ではないと思います。ただ、唐沢さんに対してはより厳しい基準でパクリ認定を行っていた人の発言としてはどうかとも思います。彼の振りかざしていた基準でいうならば、彼は私の文章を間違いなく盗んだことになるのだから。
 私は、唐沢さんは職業上許されないことをしたと思いますし、全く好感は持っていません。ただ、追及する側にフェアな精神とバランス感覚がなければ、やり過ぎてしまうことで、自分たちの評判を下げるようなことになり、かえって相手を利することにもなりかねないのです。自分も、他人を批判してしまう時にはそういうところを気にかけてやっていきたいと思っていますが、できているかどうかは自信がないのです……。

 はい。これは自分のことですね。詳しくは過去記事を参照されたい。
 一言で言えば、ビックリした。そうとしか言えない。いや、だって、商業出版された本でわざわざ素人アマチュアブロガーのことを触れるなんてなかなかあるものじゃない。だから、驚いたその後で「ありがたいな」とも思ったし、その点ではロマン氏に感謝しています。
 ただ、文章の内容については首を捻らざるを得ない。まず、自分は「語句が少し違うのでパクリとは言えない」とは弁明していません。それは上でリンクを貼った過去記事を読んでもらえればわかるかと思う。でも、これってなんだろう。それこそロマン氏が記憶に頼って書いているのか、意地の悪い見方をすれば、自分を卑怯者に見せかけようとしているのか。何も知らない人が読めば、いかにもズルイ奴にしか思えないもの。
 ただ、それは細かいことだから別にいい。一番気になるのは「唐沢さんに関しては、より状況が不明瞭な場合でもパクリ認定していた」「唐沢さんに対してはより厳しい基準でパクリ認定を行っていた」。この部分。ここは読んでいて「え?」と目が点になってしまった。
 え? いつ? どこで? 一体どのケースで自分が唐沢さんに対して厳しいパクリ認定を行っていたのか、本気でわからない。上に書いたことの繰り返しになってしまうけれど、これに関しても具体的に指摘してほしい、と本気で思っている。もしそんなことがあったなら直さなくてはいけない。
 自分としては軽はずみにパクリ認定をしないように気をつけていたつもりだったので、この指摘は本当に意外だった。たとえば、ワンフレーズが同じだったくらいですぐに「パクリ」と認定するようなことはしないように心掛けていた。唐沢氏の文章とネタ元とされる文章を比較して、複数にわたって重複が見られるか、重複した部分の分量が長いか、または同じ箇所で同じ間違いをしている、とか、そういう件について取り上げてきたつもりだが(それこそ何度も比較対照表を作ったくらいだ)、そうでないケースもあったのだろうか。不安になる。…いや、もうブログの更新も終わるから言ってしまうけど、実は他にも怪しいケースはあったんですよ。「これってパクリなんじゃないの?」という。ただ、上にあげた基準から外れていたのでやめにしたわけで。「細かすぎる検証を選んだ」と言っておきながら矛盾しているけど、ライターにとって盗用の疑惑をかけられるのは重大なことだというのは自分でも理解しているつもりなので、その辺を考慮して自重したわけだ。そのあたり、自分に「フェアな精神とバランス感覚」があったかはみなさんに判断していただきたい。
 あと、唐沢氏に関しては青山学院大学を卒業したのか、という問題もあるけど、これに関しても自分は「卒業していない」と決めつけたことはないはずだし、いや、ガセにしろパクリにしろ、決めつけはしないように気をつけているつもりだったんだけど、そうでないこともあったのかなあ、と困惑している。長く続けてきたせいで記憶も曖昧だ。まあ、たまに過去の記事をチェックしているうちに唐沢氏に対して過度に感情的だったり攻撃的なくだりを見つけては、「なっちゃいないな、俺」と訂正することはあるので(その場合は断り書きをしたうえで直しています)、全く問題はないとは言い切れないのが情けないんだけど。別に唐沢さんが憎くてやっているわけじゃないし、悪口を言って気持ち良くなりたいからやっているわけでもないので、あくまで冷静にやるべきだし、感情的な文章を書けば後でつらくなるのは他でもない自分自身なのだ。
 ついでに書いておくと、さらにこの後で、

 あと、唐沢さんのところはプロダクションの形をとっていたし、スタッフが資料集めとか編纂をしていたんだと思うんですよ。

 とあるが(P.177)、そうだったのだろうか。


 この本は発売直後に読んでいたのに、何故2年半も抛っておいたかというと、自分でも思いも寄らないことを言われたのでどう対応していいかわからなかった、ということもあるし、それと同時に思いも寄らないことなら別に反論しなくてもいいんじゃない? という怠け者・インサイド・ミーの囁きがあったせいもあるが、いずれにしても早めに反応した方が良かったのは確かなので、その点はロマン優光さんには申し訳なく思っている。
 ただ、この本は別の箇所で当事者から事実誤認の指摘を受けていたりする(Togetter)。「業界の人って大変だなあ」という感想しかないが、そもそもロマン氏がこの本の中で「映画秘宝まつり」の件にこだわっているのも正直よくわからない。町山智浩氏がイベントではしゃいだのだとしても、それはサービスの意味合いもあっただろうし(過去にはもっとすごいこともしていた覚えがある)、場の空気を読めずにはしゃいだおじさんが顰蹙を買う、というのは自分を含めた世間一般のおじさんたちが自戒すべき事柄であって、別にサブカル関係者に限った話ではない。ロマン氏は町山氏に思い入れがあるがゆえに「もっとちゃんとしてほしい」と思っているのだろうけど。
 個人的な話をすると、少し前に実家に戻った時に、父が「町山智浩は面白いな」と言い出したので驚いたことがある。サブカルにはまるで興味のない人なので、WOWOWか『週刊文春』で話を見聞きしたのだろう。それ以来、町山氏の本を父によくすすめるようになったし、「俺、町山さんに“文章が上手い”って言われたことあるよ」などと言ったりしている。父親にマウンティングするな、という話だが。それはさておき、つまり、父の事例は町山氏がサブカル以外の人にも届くような手堅い仕事をするようになったというひとつの証明でもあって、ロマン氏の「後進に道を譲らない」云々の指摘は少しずれているように自分には思われる。ロマン氏とは逆に、今の町山氏を「丸くなった」と不満に思っている人もいるだろうし、どっちにしても批判は避けられないのがつらいところだ。まあ、町山氏が連載を持っている『週刊文春』がサブカルで活躍した人を多く起用しているのも興味深いところではあるが(なにしろ桜玉吉氏までいる)。ちなみに、次回は実質最終回になるが、そんな(?)町山氏を取り上げる内容になる予定。もちろん唐沢氏も。
 『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』という本自体に関しては、ロマン氏の個人的な思いを吐露したエッセイに近い内容で、分かる部分もあればそうでない部分もある、という感想を個人的には持った(岡田あーみん氏に言及していたのは面白かった)。とはいえ、くりかえしになってしまうが、商業出版された本で自分のような素人アマチュアブロガーのことを触れてもらってありがたい、というのが一番の思いだ。


イントロだけで名曲だとわかる。



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