唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

反面教師にはなれたけど。

 藤岡真さんがブログを開設されました。リンク集に追加しておきました。


 「裏モノ日記」10月13日より。

コントやってて思うのは、例えばモンティ・パイソンで言えば、
私はキャラはジョン・クリーズなんだが演技はどっちかというと
テリー・ジョーンズ系なんだよな。
状況にアタフタする芝居が好きなのだ。

 唐沢俊一は『モンティ・パイソン』の出演者ではなく、モンティ・パイソン』の中でネタにされる人だと思う。他人の発言をつなぎあわせて一見もっともらしいが実はデタラメな内容に改変してしまう「ミスター・コピー&ペースト」とか。“Dead Parrot”ばりに盗用を否定するライターとか(あ、これは実話か)。

 しかし、50歳を過ぎてそんなに「自分のキャラ」が気になるものなのかなあ。「自分はこういうキャラだから」って主張するのは10代の頃で済ませておこうよ。田中裕二の「ウーチャカ」が笑えるのはそれが若いころの話だからなのであって。それに、本当に「キャラ」があるなら普通にしていても滲み出てきてしまうもので、検証している立場から言わせてもらうと唐沢俊一は明らかに「天然ボケ」である。あれだけのガセビアを計算してやらかすのは不可能だもの。少なくともジョン・クリーズには全然似てない
 あと、この日の日記では青野武にインタビューしているけど、少し前大塚周夫にインタビューしているところを見ると、どうも声優のインタビュー本でも出しそうな感じだ。…声優さんの話には興味があるけど、唐沢がインタビュアーというのはなあ。明らかにマイナスだと思う。


 では本題。唐沢俊一の学歴に怪しい部分がある、という話は以前何回かにわたって取り上げたが、結論を出すまでにはいたらなかった。その後も時々気になってはいたのだが、「唐沢が大学時代の話を書いている」という情報をメールで頂いたので、久々に取り上げてみる。あ、そうだ、久々にヒドいメールアドレスを書いておこう。プロフィール欄にあるんだけど気付かない人もいるかもしれないし。
karasawagasepakuri@yahoo.co.jp


「唐沢俊一のオタクな散歩道」第49回より。

 昔から、学校が嫌いであった。
 勉強自体は好きなのである。参考書などを買ってきて、自分でものを調べるのは大変に好きだったのだが、学校で教わる勉強は、どんな先生の授業でも大嫌いだった。
“ヒトにものを教わる”ということが嫌いであったのだと思う。偉いのは学問の内容そのものであり、先生などというのは、それをこちらに伝達するだけの役割でしかないのに、どうして無批判に、先生を尊敬したり言うことをきいたりしないといけないのだ、と、小学生のときから思っていた。かなりアナーキーなガキだったのである、私は。
 それでも、中学・高校くらいまではなんとか、努力して、素直に教えを乞おうという姿勢はとっていた。高校に入学したあたりで、こちらもオトナの仲間入りをする年齢になってきて、教師という人間の嫌らしさや弱さ、情けなさというものが嫌でも目に入ってくるようになる。大学に入るとさらなり、である。ほとんど講義には出ず、
「もっと人生に役にたつ勉強をしなくては」
 と、映画館に通いつめたり、古書店めぐりをしたり、寄席で落語を聞きまくったりしていた。この選択は正しかった、と思う。事実、今、私が仕事をしてメシを食っていられるのは、みんな、この自主勉強で覚えたこと、体験したことによって、である。学校の勉強は何ひとつとして今の私に役にたっていない、ということは断言できる。教育というのは、あまりに能率が悪いシステムなのだ。殊に文科系など、なにもあんなに大勢が、せっせと通う必要はないように思うのである。……と、ここまで書いて、自分が大学時代、教育学部であったことを思い出した。なんでそんなに教育をバカにしていた人間が教育学部を目指したのか、よくわからない。

 「ああ、ガセビアを量産しているのもまともに引用することができないのもそのせいか」と思うばかりだ。独学って危ないなあ。このブログの読者に学生さんがどれだけいらっしゃるかわからないが、学校にはちゃんと通って勉強した方がいいよ。ついでに書いておくと、教師をバカにしていた人がなんで「文筆業サバイバル塾」なんかやるのかわからない。それどころか弟子まで取っていたっけ。そりゃ上手くいかないって。他人に教えを請うことのできない人間は他人に何かを教えることなどできないのだから。どうしてそんなに傲慢なんだろう。
 …おっと、今回問題にしたいのはそこじゃない。「自分が大学時代、教育学部であったことを思い出した」だ。
問題点その1:唐沢俊一のプロフィールで「教育学部」となっているものはない。
 そもそも、唐沢俊一のプロフィールには学歴が書かれていないものが少ないのだが、学歴が書かれているものでも青山学院大学文学部卒業」となっている。…「文学部」と「教育学部」を間違えるか? それに「教育学部」に入ったってことは教員免許を取ろうとしていたのか?と思うが、唐沢がそんな話をしているのを聞いたことがないし。唐沢俊一のマネージャーは早稲田の教育学部出身のようだが。 

問題点その2:唐沢が在学していた当時青山学院大学教育学部はなかった。
 「文学部教育学科」はあったが教育学部はなかったのだ(今年から「教育人間科学部」が新設された)。まあ、「文学部教育学科」だったというのが一番筋が通るが、それにしても学部と学科を間違えるか?と思う。あと、「文学部教育学科」だったとしたら夜間部(第二部教育学科)の可能性もある。

問題点その3:やっぱり卒業していないのでは。
 だって、本人が「ほとんど講義には出ず」って書いているんだから。そんなんで単位が取れたのだろうか。青学の単位認定はよほど緩いのだろうか。


 新たな学歴疑惑を示したところで「オタクの散歩道」から他の部分を。

 さて、そんな私であるが、酔狂にもそんな奴に、その大学に来て何か学生相手に話せ、というところがいくつもある。それも、東大とか、早稲田とか、日大芸術学部とかいった一流校である。私なんぞを呼んだところでタメになる話をするわけがないと、自分でそう思っているんだから他人はなおのことそう思うであろう、と考えていたらさにあらずで、ちょくちょく、頼まれるのである。
 もちろん、どこであろうとお仕事でさえあれば出かけていくことをポリシーにしているので、へいへいと出かけていって教壇に立つ。そこで、貸本マンガの話だとか、カニバリズムの話だとか、B級映画の話だとか、あるいは変態セックスの話などをするのだが、学生たちも、ふだんの先生方の授業には退屈していると見えて、よく聞いてくれるのである。
 あんなに人にものを習うことが嫌いであった人間が、今度は人にものを講義する立場になる、ということ自体笑止であるが、しかし嫌いであったからこそ、それと同じ教え方は絶対すまい、という思いはある。上記の講義内容は、いずれもタイトルだけ聞けばふざけているように思われるだろうが、かつての私同様、社会で実際に将来、役にたつ勉強をしたい、と思っていた学生には、非常に有益な講義であったと自分ながら思う。ちなみに、貸本マンガの話をしたときの講義は海拓舎という出版社から『B級学』という本にまとめられて、変態セックスの話をしたときの講義は講談社岡田斗司夫・著『東大オタク学講座』という本の中に収められて、それぞれ刊行されている。興味がある向きはご一読を。


 『東大オタク学講座』で唐沢が何を話したのかは「愛と誠の変態講座」を参照。一体何を話しているんだか…。エロ話だけでなくガセネタも披露しているし。

(前略)これまで自分で学生相手に講義して、学生が面白がってくれるのを見て、自分が満足したかというと、完全に満足したとは思えないでいたからである。自分があれだけ、嫌な授業を受けさせられたという思いは、一方で今の若い連中にも、同じ思いを味わわせてやらないとソンのような気がする、という意識も生みだしているのである。こういう教師に教えられて、生徒たちがさぞやキュウキュウ言って苦しむだろうと思うと、それだけで、学生時代のカタキが討てるような、痛快な気分になるのである。幾分、明後日の方角に向かったカタキウチだが、人間心理というのはそこらへん、複雑なのである。

 いや、実に単純だよ。学生時代に教師にしごかれた恨みを今になって学生相手に晴らしているだけだよ。
 そのくせ、奥さんのソルボンヌK子のヒドい講義について、

……しかし、もし、自分が大学で、こういう講義をして3秒で授業を終わらせる先生に当たったら、果たしてどうだったろう。逆に、そのソッケなさのせいでかえって内容に興味を持ち、熱心に授業を受けるようになっていたかも知れない。

とオベッカを使っているしなあ。

 同世代や下の世代の評論家の多くが大学の教壇に立つようになっているのに対し、唐沢俊一は何故大学で教えないのか?という疑問が時々唐沢俊一スレッド@2ちゃんねる一般書籍板で出るが、今回の「オタクの散歩道」を読む限り、教壇に立たなくて正解だと思った。読者はダメなライターを避けられるけど、学生はダメな教師から逃げられないからね。

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