唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

ライズ・オブ・コブラ。

 アニメ版のコブラコマンダーがカッコよかった気が。『ザ・グリード』はTVでやっているたびに見てしまう。


 『パチスロ必勝ガイドNEO』9月号掲載の『唐沢俊一のエンサイスロペディア』第28回では寺沢武一コブラが取り上げられている。唐沢は『コブラ』が『スター・ウォーズ』に影響を受けていると書いている。

 公開を待つ間、日本には、本物のスター・ウォーズが見られないならせめて似たものでも、という渇望から来るSFブームが巻き起った(原文ママ)。マンガ界にもその影響は多大で、大御所の手塚治虫が『未来人カオス』、石ノ森章太郎が『ザ・スターボウ』などという露骨にその影響を受けた作品を発表した。『コブラ』もそういった、“スターウォーズかぶれ”作品の中のひとつに過ぎないものとしてとらえられていた。キャラクターの描写は露骨なアメコミタッチの模倣だったし、登場するメカ類は、過去のSF映画やテレビに出てきたもののデザインをちょっとアレンジしたものばかりだった(海賊ギルドの殺し屋・ターベージの頭部のデザインなど、露骨にスターウォーズのストームトルーパーの模倣であった)。

 唐沢俊一は『社会派くんがゆく!』でも「『未来人カオス』は『スター・ウォーズ』のパクリ」説を唱えていたが…、そんなに似ているかなあ。『ザ・スターボウ』もそれほど似ているとは。で、スターボーといえばやはり(?)『ハートブレイク太陽族』である。


今見るとちょっとカッコいい。

 閑話休題。それにしても、ターベージってストームトルーパーに似ているか? マスクをつければ似ているというのなら、「唐沢俊一検証blog」のマスコットである「P子」だってストームトルーパー似になってしまう。『コブラ』と過去の作品の影響について説明するなら『バーバレラ』を例に出した方がわかりやすいような(ロイヤル三姉妹のひとり「ジェーン」はジェーン・フォンダがモデルだろう)。

 その後、唐沢俊一は『未来人カオス』や『ザ・スターボウ』が忘れられているのに『コブラ』が何故いまだに人気があるのかについて考察している。…しかし、息をするように手塚の悪口を言うね。

 それは、寺沢武一が、SFという設定を、気負わずに、また大層なものという先入観にもとらわれずに、主人公の活躍と女性キャラたちの魅力を破天荒に活かすための“背景”として割り切れる、初めての世代であったからではないか。

「破天荒に活かす」ってどういう意味なんだ。このくだりだけではわかりにくいのでさらに引用してみる。

 SFの歴史が浅い日本では、昭和30年代に入って初めて、SF小説は定着した。福島正実星新一など日本SFの第一世代は、日本にそれを定着させるにあたって、“SFはインテリの読み物”というイメージ戦略を行った。アメリカでは大衆の娯楽読み物であったSFは、日本ではエリート読書人のための、ややお硬い作品として普及した。
 その戦略が誤っていたとは言わない。しかし、SFとはそういうものだと教え込まれていたために、アメリカSFの主流のひとつだったスペース・オペラなどが、日本では質の悪い作品、として傍流に置かれるといった現象が起こった。日本のSF界は、純粋大衆娯楽のスペース・オペラ映画である『スター・ウォーズ』を、どう評価していいかわからなかったのが正直なところだったと言っていい。SF評論家の石川喬司氏などが、テレビでトンチンカンな解説をしているのを見て、まだ高校生であった私も“わかってないな”と感じたものである。

 つまり、「日本SFの第一世代」が切り捨てたスペース・オペラの魅力を後続の世代は理解していた、という話らしい。…だが、ここで疑問が。どうして後続の世代はスペース・オペラの魅力を理解していたのだろう? 答えは簡単で「日本SFの第一世代」の中にスペース・オペラを紹介した人物がいたからである。すなわち、野田昌宏である。唐沢俊一野田昌宏の著作を読んでいたおかげで札幌のアニソン・サークルで幅を利かせられたのだから(詳しくは2008年10月28日の記事を参照)野田昌宏の名前を出した方がよかったのではないか。それから、福島正実スペース・オペラについて個人的によく思っていなかったのは事実らしいのだが、野田昌宏『SF英雄群像』(ハヤカワ文庫)のあとがきでは、『SF英雄群像』の企画を立てたのは福島であると書かれている。また、同じく野田の『スペース・オペラの書き方』(ハヤカワ文庫)では、星新一が「キャプテン・フューチャー」シリーズの『太陽系七つの秘宝』を絶賛したエピソードが書かれている。加えて、「日本SFの第一世代」は豪傑揃いで必ずしも一枚岩にまとまっていなかったのでは?とも思う。あと、石上三登志は『スター・ウォーズ』を公開当時から高く評価しているけど、石上氏は「日本のSF界」の人ではないのだろうか(「フィール・ザ・フォース」によると手塚先生は『未知との遭遇』派だったようだけど)。さらに言えば、アメリカのSFでも「スペース・オペラ」はずっと主流だったのか疑問。ニューウェーブとかあったわけだし。それから、毎度のことだが、1958年生まれの唐沢俊一は『スター・ウォーズ』が公開された78年には20歳だったはずなのだが、なぜ「高校生」?なお、TV出演していた石川喬司に毒づいた話は「ガンダム論争」の中にも出てくる。
 ちなみに、唐沢俊一「裏モノ日記」2003年6月6日でこんなことを書いている。

(前略)ただし中学生くらいの私は、当時の潮流でSFとはスペキュレイティブ・フィクションなり、などと主張していた生意気盛りだったので、火星シリーズだのペルシダーシリーズだのを読んだのはだいぶ後のことになり、さしてハマらなかった。とはいえ早川で野田昌宏氏が訳していたキャプテン・フューチャーなどには大ハマりしていたのだから、別にスペオペが嫌いだったわけではない。やはり、最初の釘の打ち込みがズレてしまい、それが尾を引いたのだろう。ああいうものに熱中して夜も日もなく読みふける、というのは若い頃の読書の特権だろうから、ちとくやしくはある。もう一度『モンスター13号』あたりを読み返してみるか。

まあ、「スペキュレイティブ・フィクション」と「スペース・オペラ」を共に楽しんで読むことはできるかもしれないのだけど。

 そんな中、ほぼ唯一、その娯楽作品としての本質を見抜いていたのが寺沢武一だった。カッコよければ、面白ければ何でもアリ、の考えで、ひたすら主人公コブラと、その助手レディーの活躍を描いた。ここまでスカッとしたSFドラマの主人公はそれまでの日本のSFマンガにはいなかった、と言って過言でない。連載の発端で描かれているように、平凡なサラリーマンが、ある日突然、自分が宇宙一の海賊、コブラだということに目覚めるという、荒唐無稽だが、誰もが一度は妄想する夢を、一気にかなえてくれるのがこのマンガの魅力だった。

 寺沢武一以外誰も『スター・ウォーズ』の本質を理解できていなかったというのは凄い。「ほぼ唯一」というあたりに迷いが見えるけど。ついでに書いておくと、『コブラ』の第1話とフィリップ・K・ディック『追憶売ります』(『トータル・リコール』の原作)が似ていることはよく指摘されている。

 マンガもゲームも、そしてこのパチスロも、難しいことは一切考えずただ、熱中してのめりこむのが正しい取り組み方だろう。

 …『唐沢俊一のエンサイスロペディア』にはこの手の「難しいことを考えるな」という内容のメッセージがしばしば見られるのだが、それだったら「雑学」とか「トリビア」とか必要ないんじゃ?と思ってしまう。むしろ逆にパチスロからマニアックな知識や深い考えを見出すことが出来る、という風にした方がいいのではないか。まあ、キャプションでサイコガンについて下ネタを書いたりしているんだが…。

※追記 うさぎ林檎さんのご指摘に基づき追記しました。

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