唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

わが征くはガセの大海。

『唐沢俊一検証本VOL.1』、通販受付中です。タコシェの店頭でも販売中です。
・『映画秘宝』11月号で『唐沢俊一検証本VOL.1』が紹介されました!


 『パチスロ必勝ガイドNEO』12月号に掲載されている唐沢俊一『エンサイスロペディア』第31回は銀河英雄伝説を取り上げている。

 銀河英雄伝説』は、日本SF界でもっとも権威ある“星雲賞”を受賞している、れっきとしたSF小説なのだが、これを疑問視する声も多くある作品である。
 普通、SFと言えば、そこに何らかのSF的なアイデアがあり、それが中核となってストーリィが構成されている。例えば『機動戦士ガンダム』であれば、ミノフスキー粒子というアイデア。『スターウォーズ』であれば、フォースのアイデア。『ブレードランナー』であれば、レプリカントというアイデア。これら、現実に存在しない、理論や物が“ある”という設定が、そのストーリィを現実から大きく飛翔させ、SF小説SF映画を楽しむ醍醐味となっている。
 ところが、『銀河英雄伝説』は、時代設定こそはるか未来の宇宙空間であり、宇宙艦隊同士の戦いがくりひろげられるが、話の中核に、大きなSF的設定がおかれているわけではない。時代を過去に移し変えればそのまま歴史小説として通用するような、言葉を変えれば「ごく一般的な」ストーリィ仕立ての中に、国家の興亡と、それにまつわる人物たちの戦いのエピソードが記されている作品である。

 『銀英伝』がSFというより歴史ロマンとしての色が濃い小説であるということはよく言われているが(「疑問視する声も多くある」のかは疑問)、それにしても唐沢俊一の言っていることは奇妙である。
 唐沢のいう「SF的なアイデア」というのはいわゆる「ガジェット」のことだろう。つまり、物語を盛り上げるための「小道具」のことなのだが、それなら『銀英伝』にだって「ガジェット」は登場している。唐沢だって「宇宙艦隊」と書いているし、ワープやブラックホールも出てくるのだ。アーレ・ハイネセンの「宇宙船」だって立派にSFしていると思うのだが。
 あと、『ガンダム』がミノフスキー粒子を中心にストーリーが構成されているってどういうことだ。ミノフスキー粒子モビルスーツ同士の戦闘を成り立たせるための「ガジェット」だろう(『銀英伝』にも「ゼッフル粒子」というのが出てくる)。『スター・ウォーズ』だってフォースを中心に成り立った話なのかどうか首を捻ってしまう。「ガジェット」と「ストーリーの中心となるアイディア」は別個のものではないのだろうか。なお、『ぴあ』じゃない方の「ガンダム論争」は高千穂遥が「『ガンダム』はSFじゃない」という趣旨の発言をしたことが切っ掛けで起こっている(『検証本』VOL.3で『ぴあ』の「ガンダム論争」を取り上げるときにこちらも紹介する予定)。

 逆に言えば、『銀河英雄伝説』の人気の秘密は、そこにあると言えるのかも知れない。SF小説が、70年代末に大きなブームになったものの、現在必ずしも大きな市場を持っていないのは、この“中核となるSF的アイデア”が次第にマニアックになり、オタク的な知識を持つ一部のファンにしか理解できなくなり、また、マニア的なファンが、そういうアイデアを理解できる自分たちをエリートと位置づけ、新参のファンたちを差別しはじめたことによる。当時、アニメやSFX映画ブームの影響による作品がSF小説界にも多く登場したが、そういう作品には、決まって古参のSFマニアから
「これは本当のSFではない」
 という批判がなされたものだ。新しい読者が、そういう閉鎖的な世界を“ウザい”と思い始めたのである。そして、そういううるさい古参ファンのいない分野に、新しい“SFぽい作品”を求めていた。

 このあたりは『ガンダム論争』での唐沢俊一の言い分と読み比べると面白い。たとえば。

テーマのある作品(例えばゴジラ)が即ち優れた作品である、と思い込んでいるから、TVアニメなんかにもそれを求めるようになる。そこで商売上手なのが、陳腐な作品を愛だの戦争だのといった重そうなコトバでデコレーションし「ヤマト」だ「ガンダム」だといって売りつける。見る方はそんなテーマなど理解できるアタマもないのだが、何となく「ガンダムにおけるテーマは…」などと口走れば理知的に見えそうなので争ってファンを自称する様になる。もっともいくら愛のなんのとワメいたってファン以外の人間からみれば阿呆としか見えないから、ファン同士徒党を組んで、お互いに「このメカの魅力は…」「SF的設定が…」とバカのエール交換をやるようになる。そうして自己満足にひたっているうちに、ふと周りを見渡すと、いつの間にか自分達が多数派になっていることに気がつく。そうすると、こういう連中はグレン隊と同じで、今度は少数派の非SFファンたちをイジメにかかり、「ゴジラ」だの「ガンダム」だのの悪口をいう人間をよってたかってぶちのめす(後略)

 この部分は『エンサイスロペディア』の「古参のファンが新参のファンを差別する」という部分と対応しているのではないか。では、唐沢俊一はこの30年間一貫して古参のファンの閉鎖的な態度を批判してきたのか?と思いきや。

最近SFは多彩になってきた−いわれて書店のSFコーナーの棚をみてみれば、何のことはない、スペオペだのヒロイックファンタジーだの、それこそアチラ作品のイミテートばかりではありませんか。ミーハーの親方みたいな連中によって書かれたダーティペアとか何とかサーガとかの作品群が、内容的に優れたものとはとても思えません。

 この部分は完全に古参のSFファンの言い分だろう。札幌のアニソン・サークルでもSFの知識をひけらかして主導権を握ったらしいし(詳しくは2008年9月2日の記事を参照)。まあ、「ガンダム論争」を何度読んでも唐沢が何を言いたいのか、どのような立場なのかよくわからないのだけど。なお、引用した唐沢の発言については2008年11月20日の記事を参照。
 それに「SFぽい作品」ってなんなんだろう。結局、『銀英伝』はSFじゃないってことなんだろうか。

 こむずかしいSF設定などなくていいから、宇宙空間を舞台に、何の理屈もいらないオモシロイ作品が読みたい。作者の田中芳樹はこういう新しい読者のニーズに応え、ヤン・ウェンリーラインハルト・フォン・ローエングラムという対照的な二人の主人公の人間ドラマを中心にした、ある意味で『三国志』と『ローマ帝国衰亡史』の世界を『ベルサイユのばら』風に描くという手法をとって、それまでどちらかというと男性読者オンリーの世界だった宇宙SFの世界に女性の熱狂的な読者を引きずり込み、単行本の総刊行部数1500万部というヒットになったのである。

 ちょ、ちょっと待って〜。
 …ベ、『ベルばら』? なんで『ベルばら』なんだ? 女の子に人気があるから? いや、うちの中学は男子校だったんだけど、普通に『銀英伝』流行ってたよ?(アニメも小説も) イゼルローン要塞って聞いたら今でも血が騒ぐんだけど。…まあ、今回の『エンサイスロペディア』、『銀河英雄伝説』を扱っているにもかかわらず「イゼルローン要塞」とか「ロイエンタール」とか「フェザーン」とか、おなじみのワードが全く出てこないので絶望的な気持ちにさせられるんだけど。100%読んでませんね。もしかすると『ベルばら』も読んでないのでは。あと、『銀英伝』は「何の理屈もいらないオモシロイ作品」なのか疑問。『エンサイスロペディア』では毎回「こまけぇことはいいんだよ!」とばかりに「理屈抜きで楽しめる」ことが強調されているけど、パチスロファンをよっぽどバカだと思っているのかなあ。さらに付け加えると、『銀英伝』以前の『ヤマト』や『ガンダム』といった「宇宙SF」にも女性ファンはいたのだが。

 かつて、一般大衆向けの、波乱万丈なストーリィの歴史もの小説のことを“稗史小説”と読んだ(原文ママ)。『八犬伝』や『椿説弓張月』などは稗史小説の傑作であるが、『銀河英雄伝説』は、まさに現代の稗史小説の代表作と言っていいだろう。稗史だから、時には前後のストーリィに矛盾も生ずる。作者もそういう矛盾を認めながら、別に気にもとめず書き続けているのがいかにも稗史小説らしい。

 だったら矛盾点を指摘してもらいたいところだ。読んでいなければ指摘することも出来ないのだけど。


 ひとつ疑問に感じるのはスペースオペラという言葉がまったく出てこないことである。「SFにはスペースオペラというジャンルがあって『銀河英雄伝説』もそれに含まれる」と書けば、『銀英伝』がSF色の薄いことも簡単に説明がついたと思うのだが。唐沢俊一はかつてSFファンだったはずなのだが…。正直、唐沢めがけてトールハンマーを発射したい気分。


ガセの歴史が、また1ページ…。

銀河英雄伝説外伝 わが征くは星の大海 [DVD]

銀河英雄伝説外伝 わが征くは星の大海 [DVD]

銀河英雄伝説 1 黎明編 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説 1 黎明編 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説 Blu-ray BOX1

銀河英雄伝説 Blu-ray BOX1