唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

地球はウルトラマンの星。

 「パチスロ必勝ガイドNEO」4月号掲載の『エンサイスロペディア』第23回で、唐沢俊一は『ウルトラマン』を取り上げている。

 ウルトラマンの凄さは、1966年の第一作の映像やストーリーに、全く古さが感じられないことだ。誕生から40年以上経って色あせないドラマというのもちょっとないが、それは、見ている者を興奮させるための基本パターンが、全てこの作品にはつまっているからだろう。
 怪奇現象の現出、謎の探索、怪獣登場と破壊、ウルトラマンの登場、陥るピンチ、そして必殺技での逆転と勝利。いくら時代が変化しようと人間が物語を面白がるパターンは、変わりはしないのである。

 『ウルトラマン』が古くなっていないというのは「週刊昭和」に書いた文章と同じだが(詳しくは3月17日の記事を参照)、しかし「基本パターン」を踏まえながらも色あせてしまったドラマはいくらでもあると思うけれど。

 とはいえ、ウルトラマンが最初に登場したとき、子供たちの熱狂とは裏腹に、オトナたちの評判は決して高くなかった。前作『ウルトラQ』が、怪獣や宇宙人の侵略に対して、人類が知恵を絞って戦うというストーリーだったのに、新作では、銀色の仮面をかぶったような、宇宙人が登場する。怪獣を倒せる武器を持たない人類は、ただ、自分たちにもその正体がわからない謎の宇宙人に、自分たちの生命と安全を託し、見守っていることしか出来ない。

…唐沢の書き方だと『ウルトラQ』の方が評価されていたかのようだが。1966年当時は「オトナ」が子供番組を真剣に観て批評することがなかっただけなのではないか?

 評論家の中には、このストーリーの中でのウルトランを在日アメリカ軍に見立てて、アメリカの核兵器の傘の下で平和を守られている日本の現状を肯定しようとする卑屈なドラマである、と『ウルトラマン』を酷評した人もいた。ウルトラの生みの親とも言うべき脚本家の金城哲夫は、沖縄出身で、まだ当時アメリカのものであった故郷・沖縄の現状も知っていたから、その点で深く悩んだという。実際、ウルトラマンの登場は、当時アメリカへ特撮番組を売ろうとしていたテレビ局側が、アメリカのバイヤーの希望により注文を出したというから、この見立てが必ずしも不当なものだったわけでもないのではないか、と思う。

 唐沢が言っているのは、佐藤健志ウルトラマンの夢と挫折」のことだろう。しかし、ウルトラマン在日米軍科学特捜隊自衛隊、とする見立てはそんなに珍しくは無い。『映画宝島・怪獣学・入門』(JICC出版局)では佐藤のほか、呉智英も同じようなことを書いている。『怪獣学・入門』P.37より。

 異者(エイリアン)の侵略に対して、とりあえず地球防衛軍で対処する。そして、力が及ばない時に、それがほとんどいつもなのだが、ウルトラマンが登場する。地球防衛軍は“ウルトラマンの傘”の下にあるのだ。思えば、防衛軍の隊員が♪胸につけてるマークは流星、というのも、星条旗の星の一つを連想させるし、ウルトラセブンという名前もアメリカ第七艦隊を想起させる。

ウルトラマンエースの戦力は第七艦隊と同等らしいけど。しかし、唐沢が言うのは誤りで、佐藤は『ウルトラマン』は日本の現状を指摘した優れた作品であると評価しているのである。『怪獣学・入門』P.61より。

 初期ウルトラマン・シリーズのこのような内容を見れば、なぜ私がこの作品に「九〇年代に通じるメッセージ」があると考えているのか、それは理由をあらためて説明する必要はないであろう。金城は作品の中で、現在の日本がその対外政策において直面している問題をみごとに先取りしてみせたのだ。

これは「酷評」ではないだろう。ただし、佐藤の論考は魅力的ではあるが問題点も多いものであることは確かだが(簡単に言えば現実の政治に即して解釈しすぎ)。佐藤の論考で取り上げられている『小さな英雄』ではイデ隊員が「ウルトラマンがいれば科学特捜隊は必要ないんじゃないか?」と考えてしまうし、「ウルトラマンにばかり頼っていていいのか?」ということは『ウルトラ』シリーズの中でもしばしば問題にされている(たとえば『ウルトラマンタロウ』と『ウルトラマン80』の最終回)。また、『ウルトラマンメビウス』第30話『約束の炎』では、リュウさんがミライくんに「どうしてウルトラマンは地球を守るんだ?」と質問している。だから、『ウルトラ』シリーズのファンがそういった点を気にするのはむしろ当然のことで、ウルトラマン在日米軍という解釈もそれらの疑問について考えることによって出てきたものなのかもしれない。あと、「アメリカのバイヤー」の希望があったから「アメリカの核兵器の傘の下で平和を守られている日本の現状を肯定しようとする」ドラマにしたというのは疑問。アメリカ人は「アメリカの核兵器の傘の下で平和を守られている日本」を見て喜ぶだろうか?(それだったら『故郷は地球』のような話をやるだろうか?とも思う)

 しかし、実際にウルトラマンを見ていた子供たちは、そんな暗喩などものともせず、ひたすらにウルトラマンのカッコ良さにしびれていた。そんな、社会的な後付けの批判などがいかにばかばかしいものかを子供たちの方がむしろ知っていた。誰でも、小さく力がないときは、ガキ大将にいじめられているとき、先生や親が助けに来てくれて、ホッとすることがあるものだ。子供たちは、そのときの感覚を知っている。エンタテインメント・ヒーローものの基本は、オトナたちに、その子供時代の記憶をよみがえらせることだ。歌舞伎十八番の中にだって、悪人に善男善女がとらわれて、殺されようとするときにヒーローが現れて悪人を蹴散らす、というだけの『暫(しばらく)』がある。戦後の子供たちは主人公がピンチになると、どこからともなく“ワッハッハッハ”という笑い声と共に現れるヒーロー、黄金バットを紙芝居で楽しみにしていたのだ。もし、ウルトラマンアメリカ軍だというのなら、暫のヒーロー鎌倉権五郎だってアメリカ軍ということになってしまう。

…あれ?これって「怪獣は子どものため」論じゃないか。「ぴあ」での「ガンダム論争」で唐沢が批判していた「DSC−桜井」氏と同じになってしまう(詳しくは2008年11月19日の記事を参照)。…いや、それだったらいっそのこと「大人になったら子供向け番組は一切見るな」くらい言ってくれた方がいいよ。大人は自分の好きなものについてきちんと考えて語ろうとするものですよ(まあ「萌え〜」と喜んでいてもいいけどw)。自分はティーンエイジャーの頃に『怪獣学・入門』を読んで「怪獣についてこれほど深く考えることが出来るのか」と感激したもんなあ。結局のところ、『ウルトラマン』が考察されることを気に入らないから子供をタテにして批判しているだけ、という気がする。
 それから、ヒーロー物を好きになるのに「ガキ大将にいじめられて」いる経験は必要はないだろう。ガキ大将だってヒーロー物を好きなはずである。子供は「強くてカッコいいもの」が好き、それだけである。そういえば、「東映やくざ映画は当時の挫折した学生たちに受け入れられた」というよく言われている話をうちの父親に話したら「そんなことはない。学生運動なんかしたこともない金持ちの友だちも健さんの映画を喜んで観ていたよ」と言われたな。高倉健がカッコいいからやくざ映画を観ていただけという人も多かったのだろうか。
 ついでに付け加えておけば、昭和の『ウルトラ』シリーズには「他人の力に頼らずに最後まで頑張れ」という子供たちへのメッセージが共通して存在しているのではないだろうか。頑張り抜いて初めてウルトラマンが助けに来てくれるのである。子供を助けるだけではなく励ましてもいるのだ(なお『ウルトラマン80』第37話ではウルトラマンのことを「人事を尽くして天命を待つ」と表現している。ある意味本質を衝いていると言えるだろうか?)。
 あと、ウルトラマンアメリカ軍という見立てには前にも書いたようにそれなりの根拠があるのであって、ウルトラマンアメリカ軍という見立てがあるからと言って、正義の味方=アメリカ軍という見立てがただちに成り立つわけではない。…しかし、ここの部分、『暫』がはさまっているせいで文章の流れがちょっとヘン。

 妙な理屈をつけずにウルトラマンと怪獣のカッコ良さを楽しむのが、こういう娯楽特撮ヒーローものの何よりの正しい楽しみ方である。パチスロだって、ひょっとして政治学者などに言わせると、思想的に変な意味合いをつけられてしまうかもしれない。楽しみに理屈での評論は不要なものだ、と声を大にして言おうではないか。

 じゃあ、唐沢俊一は特撮について今後一切「理屈での評論」をしないように。「『ゴジラ』は御霊信仰の映画」とか言ってたのは何だったんだ(詳しくは2008年11月6日の記事を参照)。「週刊昭和」では「ウルトラマンと怪獣のカッコ良さ」には全く触れていないし。それに、好きなことに理屈をつけることによってより楽しくなるものである。自分なんか特撮だけでなくマンガや格闘技やお笑いにも理屈をつけちゃうからなあ(ウザくてすみません)。だが、「理屈での評論」をしている側は別に難しいことをしているつもりはないのだ。唐沢俊一が難しいと思うのは勝手だけど。あと、「理屈をつける」のと「わかりやすく伝える」というのは両立する。唐沢も「難しい」とイチャモンをつける前に自分の文章をもっとわかりやすくしてはどうか。わざわざ古めかした書き方をする必要はあるのだろうか?ともあれ、相手の書いていることがおかしいと思ったのなら反論すればいいのであって、論じること自体を否定しようとするのは間違っている。…しかし、パチスロ雑誌でこんなことを書いてどうするんだ? 
 それに、唐沢俊一だって、この回の冒頭でパチスロに「変な意味合い」をつけているような気が。

 思えばウルトラマンパチスロは相性がいい組み合わせなのかもしれない。ここぞというタイミングでしか登場しないウルトラマンは、ボーナスへの期待感を表現するのにぴったりだし、怪獣との格闘シーンはまさしく連続演出の趣がある。そして、ボーナス消化ゲーム数もウルトラマンの変身時間にも限度があり、その限度の中で怪獣を倒せるかを競うわけである。怪獣ものとパチスロという、どちらも娯楽の王道を行くもの同士に、エンタテインメント演出の共通性が見えているのは非常に興味深い。

…そんなものなんだろうか。


…どうやら「特撮やアニメを難しく論じるな!」というのが唐沢俊一の最近のトレンドらしい。別のところでもそのようなことを発言しているので後日取り上げてみるつもりだ。

※追記 一部追記しました。

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