唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

1981年の「祭り」/濃い人たち。

 『ぴあ』1981年7月31日号の読者投稿欄「YouとPia」では唐沢俊一と「横山喜昭」氏が「ガンダム論争」に参加している。まずは横山氏の投稿から見ていく。
 横山氏は「「ガンダム」の論争、くだらないです」と断じたうえで、『機動戦士ガンダム』は失敗作だけれども、将来につながる作品であるとしている。アニメは子供のためだけのものでなく「アニメの好きな人達みんなのもの」として、アニメファンが積極的に発言していくことでいつかは立派な文化として認められるようになるだろう、と論じている。横山氏は『ガンダム』が失敗作であることは富野監督自身も認めている、と書いているが、富野監督が自分の作品を批判していることはあまり真に受けない方がいいと思う。誰かが言っていたが、富野監督は「自分の作品に対してツンデレ」らしいから。
…面白いのは、横山氏に限らず「ガンダム論争」に参加しているアニメファンとSFファンはみんな(唐沢俊一も含めて)「アニメはどうあるべきか?」ということを必ず書いていることだ。自分なんかにしてみれば「それはともかく作品について論じて欲しい」と思うのだけど、1981年当時のアニメファンというのは一人一人がアニメというジャンルを背負っているかのような気負いがあって、真剣さの質が現在のファンとはまるで異なるように思えて興味深い。

 それでは「ガンダム論争」における唐沢俊一の最後の投稿を紹介する。今回の投稿で唐沢俊一は7月3日号の「YouとPia」に投稿していた『ガンダム』ファンである「鴨打大輔」氏と「駒場の落ちこぼれ」氏に対して反論しているのだが、そのいきさつについて唐沢俊一は『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』(『別冊宝島・投稿する人々』所収)で次のように書いている。

 それはともかく、このとき、すでに僕はこの論争を終結させる方向へ持っていこうとしていた。しょせん、いくら言い合ったって、まだ見ぬ未来に対し結論を出すことなどできはしない。
「まあ、いろいろ厳しいことも言ったけど、これもひとえに、まだ見ぬ未来の怪獣映画の出来が心配だったから。期待していますよ、これからのSF映像作家さんたち」
 とでも言ってシメれば、なにほどのこともなく終わったのだ。しかし、僕がその言葉を書く間もなく、ガンダムファンからの
ガンダムをけなすな!」
コールが巻き起こる。しかも二通同時掲載だ。

 「まだ見ぬ未来に対し結論を出すことなどできはしない」と思っているならどうして投稿したのかわからない。唐沢青年の文章は「厳しいこと」でなくてただの難癖だし。しかし、「「ガンダムをけなすな!」コール」というのはおかしい。鴨打氏は唐沢青年に対して「見た上でけなすなり何なりして下さい」「見た上でどこが悪いのか具体的に述べて下さい」とお願いしているのだ。「けなすな!」なんて言っていない。唐沢の書き方だと、熱狂的な『ガンダム』ファンに絡まれたかのように読み取れてしまうし、そのように読ませようとする作為があったのでは?と疑いたくなってしまう。それによくわからないのだが、どうして6月5日号の「YouとPia」で唐沢青年に反論していた「福島康浩」氏に反論しないで『ガンダム』ファンに噛み付くんだ?福島氏に「唐沢さん、住所も近いし、一度会ってじっくりと話しませんか」と言われてショックだったのだろうか(福島氏の投稿については11月20日の記事を参照)。それから、鴨打氏は唐沢青年に対して反論しているが、駒場の落ちこぼれ」氏は福島氏に対して反論したのであって、唐沢俊一には反論していない。反論された相手に反撃しないで、何か言われたわけでもない相手にわざわざ噛み付いているのだからよくわからない。単純に考えれば、福島氏と論戦をすると危なそうなので(直接会いに来られるかも知れないし)、組みしやすい『ガンダム』ファンの2人に反論したということなのだろう。そのように考えていたフシがあることは『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』で鴨打氏についてこのように書いていることからもわかる。

年齢的に、この人は僕より一つ二つ、下くらいか。だが、僕は残念ながら、同年代の癖に、はるかにひねくれて育ってしまっていたのである。

年下だからってナメたわけだね。それに唐沢の文章からは「ひねくれている俺カッコいい」というムードも漂っているような…。では、「「ガンダム」絶対支持派にたびたびもの申す」と題された唐沢俊一の投稿を、以下全文紹介していく。なお、唐沢俊一は『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』の中で、今回の投稿について

TV版ガンダムの、動画と呼ぶのもためらわれるような動きの極端にない場面を指摘して、“こういうのを優れたアニメとはどうしても呼べない”ことを再度指摘した

とまとめているが、それが適切であるかどうか見ていただきたい。

 …えー7/3号のお二方、僕の言う“日本SF・アニメファンの深刻好き(2/27)”のカッコウなサンプルになっていただいて、ありがとうございました。

…不思議で仕方ないのだが、どうして唐沢青年はこのような無礼な文章しか書けないんだろうか?いや、論争の相手が無礼な態度をとったのならそれにあわせることは有り得る(自分だって喧嘩腰や皮肉交じりのコメントをされたらそれにあわせることはある)。しかし、「ガンダム論争」で唐沢青年に意見を述べてきた人々はみんな礼儀正しい文章を書いていた。なのに一人だけ論争の相手も一般の読者も不快にさせるような文章を書いているのだからわけがわからない。文章のスタイルからして「ガンダム論争」で明らかに一人だけ浮いているのである

まず誤解なきよう申し上げておきますが、僕は「ガンダム」を、再放映と友人の撮ったビデオなどあわせてほぼ全話、見ております(本放映のときは、第一話のハナ15分だけでメゲて見るのをやめました。それだけでもう、製作者のコンタンがみえてしまいましたので)はっきり言って、アレを通して見るというのは、かなりの苦痛でありました。作品そのものより、ワキで“な、ここ、このシーン、泣けてくるよ、ホント”とたえまなくワメく友人に辟易いたしました。まず、驚かされたのは、この作品の絵の動かないことにであります。なにしろ画面上の人物のうち一人がしゃべっていると、その間、他のキャラクターは一切の動きをピタリ中断させて、そのしゃべり終わるのを行儀よく待っているのだからおそれいります。アニメファンとして、こんなのぞきからくり程度の動きしかしない作品を良いアニメとはとても申せません。いくら戦斗シーンや宇宙船のメカ描写に凝ってもこういうとこで手をぬいては何にもなりません。低予算とか、時間不足とか言いわけはいろいろあるだろうけど、もともとアニメとは金と時間がやたらにかかるものであるのです。そういうギャップに縛られて不本意な出来になってしまったものならそれを代表作とか、自信作とか称さないでいただきたい。もし、最初から承知で手を抜いてるのであれば―お話しにもなりません。いや、恐ろしいのはそういうTVアニメの動きに慣れてしまって不思議に思わないファンの方かな?

 1981年に2ちゃんねるがあれば唐沢青年はさぞかし幸せだったろうなと思う。アニメの第1回を見ただけで「オワタ」と騒いだり、すぐに「作画崩壊」と騒いだりする2ちゃんねらーに実にそっくりだ。要するにその程度でしかないのである。「早すぎた2ちゃんねらー」と呼ぶべきか。しかし、「ガンダム大地に立つ!」のAパートを見ただけで「製作者のコンタン」が読めてしまうとは、さすが現在でも「オタク界の大物」をやっているだけはあるね。どんな「コンタン」なのか説明して欲しいものだが。そういえば、『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』の中で『大怪獣バラン』について、

あまりに退屈な作品なので、いつも上映開始から五分くらいで眠ってしまい、

と書いているが、開始5分だと退屈かどうかもわからないと思う。同じように無意味なハッタリをきかせているあたり、唐沢俊一1981年からまるで成長していないということがうかがえる。それにしても、唐沢青年は鴨打氏の「見た上でどこが悪いのか具体的に述べて下さい」というお願いにちゃんと答えていない。「なにしろ画面上の人物のうち一人がしゃべっていると」うんぬんは、『ガンダム』だけでなくアニメ作品全般に言えることだろう。そんなことは『ガンダム』を見ていなくたって言える。自分はガノタじゃないけど、空中換装のシーンを使いまわしてたことくらいはすぐに思い浮かぶ。本編をちゃんと見ていれば誰だってそれくらいのことは言えるはずなのだ。つまり、ガンダム』のTVシリーズを見もせずに適当なことを言ったのか、見はしたものの問題点を指摘する能力がなかったか、いずれかということになる。どちらにしてもかなり悲惨なことである。にもかかわらず、『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』で「動画と呼ぶのもためらわれるような動きの極端にない場面を指摘して」と書いているのは虚偽に等しい。「“こういうのを指摘とはどうしても呼べない”ことを指摘」しておくよ。

次に耐えられないのは、あのセリフです。無節操なまでに気取ったりニヤケたり悲愴ぶったり、ドサ回りで新劇を見てるような気分になるね、ああいうのをシャレていると、本気で思っているんでしょうか。これは少女マンガの、それも二流どころの感覚ですね。あのダースベーダーもどきの鉄カブトかぶってるキャラクターのセリフ回しなど、聞くだけで顔が赤らみます。よくまあ、ああ気障ったらしいセリフをイケしゃあしゃあと……あ、だからシャアってのか。

 面白くない。
というか、岡田斗司夫に謝れ。岡田氏は『哭きの竜』の収録に池田秀一氏が来た時にわざわざ頼んでシャアのセリフを吹き込んでもらったことがあるんだから(たしか「坊やだからさ」だったはず)。完全に公私混同だけど。しかし、シャアのセリフがダメならアニメや特撮のセリフってほとんどアウトになるような気がする。…だから、唐沢青年がどんな作品を理想にしていたのかさっぱりわからないんだってば。

 テーマとなっている戦争賛否についてはあまり申しますまい。言うと長くなりますし、また形をあらためてどこかに発表する機会もあるでしょう。ただ、戦争というものを、アニメではじめてリアルに取り上げて云々……とはしゃいでいる製作者やファンをみていると、みんなが戦争ゴッコで“バーン、おまえは死んだ”とやっている時に割って入ってきて“戦争とはそんなものじゃないんだ、悲惨なものなんだ、君もだめだよ、人を殺したあとは悩まなきゃ”などと一人わめいているひねこびたガキを連想させます。

 『ガンダム』に戦争への「賛」ってあるかなあ?唐沢青年の『ガンダム』に対する反感ばかりが伝わってくる文章だが、「テーマのあるアニメ」が嫌いということなんだろうか。

子供達がガンダムを見てとまどうとしたら、それはストーリーがむつかしいからではなく、彼等が期待しているメカの戦斗シーンに入るまでの能書きの長たらしいことでしょう。プラモデル屋でガンダムのキャラクター人形を手に“こっちがカッコいい”“こっちの方が強い”と言いあってる子供達を見ると、あなた方のおっしゃる“子供達に戦争の悲惨さをうえつける”作品の意図なるものが成功しているとはとても思えません。あなた方が口パクの会話シーンに感激している間、彼らはアクビでもしているのでしょう。また、そうなるのも仕方のないようなチャチなつくりのストーリーです。

 「“子供達に戦争の悲惨さをうえつける”」云々というのは「駒場の落ちこぼれ」氏への批判だが、唐沢青年は自分が批判していたはずの「DSC―桜井」氏と同じように子供の視点から『ガンダム』を批判してしまっている(桜井氏の投稿については11月19日の記事を参照)。結局、批判する側にとって「子供」というのは便利な存在なわけだ。「おまえたちが何を言おうとアニメの本来のターゲットである子供にはウケていない」と言えば議論を封じてしまうことが出来るからね。他人にやられるのは許さないけど自分がやる分にはかまわないというダブルスタンダードには恐れ入る(さすがは後のと学会メンバー)。その批判の中身もかなりおかしい。「子供達がガンダムを見てとまどうとしたら」というのは仮定に過ぎないし、「ガンダムのキャラクター人形」というのもよくわからない。ガンプラだけでなく人形(ソフビみたいな?)も発売されていたのだろうか。そもそも『ガンダム』を批判していてプラモにも興味の無い唐沢俊一がどうしてプラモデル屋に行ってるのかが謎だが。…本当に「“こっちがカッコいい”“こっちの方が強い”と言いあってる子供達」を見たのか?「彼らはアクビでもしているのでしょう」もやっぱり仮定。そして、『ガンダム』のストーリーのどこが「チャチ」なのか指摘できていない。根拠のある批判が皆無に等しいというのが恐ろしいな。

戦争批判というものは、力んで涙を流して訴えるよりも、さりげない中にその無意味さ、馬鹿馬鹿しさを心をこめて語る方がより強く胸をうつものです。司馬遼太郎の戦車隊経験のエッセーや山田風太郎の「戦中派不戦日記」などは、百本の戦争批判大作にまさるでしょう。そしてそれとても、子供達にはまだむつかしすぎるのです。彼等は、我々が猪木―ハンセン戦で手に汗にぎり、コールするのと同じ感覚で、ガッチャマンやグレンダイザーを見ています。それでいいと思うんですがねえ。

 司馬遼太郎だの山田風太郎だの「自分はアニメ以外のことも知っているんだ」とアピールしているね。全然ビックリしないけど(二人とも読書家なら当然読んでいる作家だもの)。しかし、唐沢青年は2月27日号の投稿で「子供が、本当に面白がって見るのは大人向けの作品なんですよ」と書いているんだから、ここで「子供達にはまだむつかしすぎるのです」と書くのはおかしくないか?それから『ガッチャマン』や『グレンダイザー』もそんなに単純な話ばかりじゃないと思う。…しかし、アニメには戦争を描けないと唐沢青年は思っていたのだろうか。だとしたら、アニメというジャンルの可能性をだいぶ低く見ていたことになるのだが。

 鴨打さん、あなたは僕や福島さんが“見もしないで”すばらしいアニメの芽を摘み取っている―とおっしゃいますが、逆に質問させていただきます。あなたはTVの巨大ロボット・アニメ以外にSFアニメをどれ程御覧になっていらっしゃいますか。「ナーダの大冒険」を「イエロー・サブマリン」を「ウィザース」を「ファンタスティック・プラネット」を「未来少年コナン」を「やぶにらみの暴君」を「わんぱく王子の大蛇退治」をあなた、御覧になりましたか。そして、これらを見終わった後にまだ“ガンダムはやはりすばらしい”とおっしゃることが出来るでしょうか。

 またか。というかこれしかないんだね。「僕はこれだけの作品を見てきたんだ!」とアピールするしか手がないわけだ。しかも、唐沢青年は鴨打氏が自分より年下であろうと見当をつけて知識を誇示しているのだからタチが悪い。アニメファンでもそれ以外のファンでも好きなジャンルの作品はたくさん見ていて当たり前なんだから、わざわざ自慢するほうがおかしい。唐沢青年も東京に来て「えっ、あれを観てないの?アニメ(特撮)ファンなら当然おさえてるはずなんだけどなあ」と面と向かって何度も言われたのかも知れないが。それに、唐沢青年が挙げている作品を全部見たって「ガンダムはやはりすばらしい」と言えると思う。何かを持ち上げるときに別の何かを貶すことしかできない(東大の講義で『ウルトラマン』を持ち上げるために『マグマ大使』を貶したように)唐沢俊一には無理かもしれないが。…でも、ひとつ安心したのは『未来少年コナン』はOKなんだね。それならなんとか辛うじて「オタク」と名乗れるかもしれない。

マスコミに(というより富野氏に)踊らされているのは実のところあなた方のような人々なのですよ。あなた方が提燈持って騒ぎやすいように、易いようにと彼らは御膳立てしているのです。有名人が誉めているからいい作品だ―名をあげるのは結構ですが(僕もよくやる事です)、どうせならもう少し権威のある方を引っぱってきてほしいもので、今どき竹宮某、和田某なぞを持ち出して来た日にゃ、気のきいたSFファンならかえって、“あんな連中が誉めてんのね、どうも信用できねえ”などと言いかねませんぜ。

 発想に合わせたのか言葉遣いも下品になってまいりました。なんというか、典型的な論争の負けパターンだよね。こういう人をネット上で何回目撃したことか。なお、「マスコミに(というより富野氏に)踊らされている」という部分は後々面白い展開になるので覚えておいてほしい。

 ガンダムに関すると、どうしても感情的になるのは悪い癖であります。それというのもあの田舎クサイ、野暮ったらしいセンスを臆面もなく、“どうだシャレてるだろう”とさらけ出す恥知らずさに我慢出来ないせいであります。でんでんの漫談じゃあるまいしね。洋画を気取ったあのキャラクターの名前を英語で列記して最後…andGUNDAMなどとトメてるポスターがありますが“アタシ、映画大好き少女デース”などとはしゃいでいる女子高校生のセンスですね。こッ恥ずかしくて見ちゃいられない。「ガンダム」が圧倒的支持を受けているのは(貶す我々の方がむしろ少数派でしょう)ひとえに、この下衆な少女マンガ感覚で作られてあるがためであります。やれんなァ。しつこいまでにぴあの紙面を駄文で汚すのは本意ではありませんが、こと「ガンダム」に関しては別です。いささか蟷螂の斧の感はあれど、あくまで悪口を言い続けるつもりなので、ファンの皆様、あしからず。

…ひどすぎる。写している自分まで汚れてしまいそうだ。「田舎クサイ」って、唐沢青年は北海道から東京に出てきてまだ4年目なんじゃないの?都会の人間みたいに振舞うのは無理があるよ。「貶す我々」って誰のこと?唐沢青年に同調する人なんているの?福島氏も『ガンダム』を批判してるけど、立場が全然違うと思うんだが。それに「あくまで悪口を言い続けるつもりなので」ってウザすぎ。前の方で唐沢青年を「早すぎた2ちゃんねらー」と呼んだけど「早すぎた荒らし」に訂正する。…しかし、たった4回の投稿でここまでボロボロになるのは凄いな。まあ、四半世紀後でも「裏亭」さんは藤岡真さんと数回やりとりしただけで大変なことになってましたが(詳しくは8月28日の記事を参照)。

…以上で、「ガンダム論争」における唐沢俊一の4つの投稿をすべて紹介し終わった。写してツッコミを入れるのは本当にきつかったけど、読者の皆さんも大変きつかったと思う(マニアにはたまらなかったかも)。ご苦労様でした。


 「ガンダム論争」最後の投書は、『ぴあ』8月14日号の「YouとPia」に掲載された「ダイアスパーのアルビン少年」氏の文章である。「アルビン少年」氏は、7月17日号の「西荻くぼの「ジュリー」」氏が「『ガンダム』は『宇宙の戦士』のアニメ化」としているのは間違いで、パワードスーツをモビルスーツのヒントにしたにすぎないと指摘している。…なんだ、当時からちゃんとわかっている人はいたんだ。さらに「「ジュリー」」氏に対して、「「ジュリー」」氏の「日本の作品は海外のコピーばかりである」という考え方に疑問を投げかけている。「アルビン少年」氏は、テーマはストーリーの中に上手く組み込まれていれば問題はないが、『ヤマト』は映画化によってテーマを強調しすぎてしまったので『ガンダム』もそうならないようアニメファンはしっかり見るべきだと書いている。実にしっかりした文章である。ペンネームをアーサー・C・クラーク『都市と星』から取っているだけあって、なかなかのSFファンらしい。
…『ぴあ』誌上での「ガンダム論争」を一通り調べた感想としては、1981年のアニメファン・SFファンは熱意を持ちながらもしっかりと物を考えていたということである。「アニメはどうあるべきか?」という考え方にとらわれているというか、現在の視点から見れば違和感もあるのだけど、かつてのアニメファンたちが「アニメはどうあるべきか?」という議論を積み重ねてくれたおかげで、現在のアニメファンが「アニメはどうあるべきか?」と頭を悩ませなくてもよくなっているということはあるのかも知れない。そういう意味では「ガンダム論争」をやった意味は確かにあるのだろう。ただ、アンチ『ガンダム』ファンが唐沢俊一でなく、もっと実力のある人であればより意義深いものになっていたのだろうが。ともあれ「ガンダム論争」に参加した人々に敬意を表しておきたい。…だが、話はまだ終わっていないし、唐沢俊一への批判もまだこれからである


…「ガンダム論争」の盛り上がりは『ぴあ』に特集を組ませるまでに到った。1981年当時のアニメの現状が紹介され、そして「ガンダム論争」についてアニメの作り手たちが口を開いた。彼らの口からファンに対して語られた言葉とは…?
                                        (つづく)

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