唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

1981年の「祭り」/その行動はない。

 読者投稿欄「YouとPia」でいわゆる「ガンダム論争」が盛り上がったことは『ぴあ』本誌にも影響を与え、1981年8月14日号、8月28日号の2回に分けて「YouとAnimation」という特集が組まれることとなった。ただ、『ぴあ』はもともと劇場版『機動戦士ガンダム』に着目していたようで、以前にも「ガンダム裁判」なる紹介記事が連載されていたことも記憶しておく必要はある。
 まず、8月14日号では、今までの「ガンダム論争」(「YouとAnimation」では「アニメ論争」とされている)のまとめをしたうえで、プライヴェート・アニメーションを自主制作している若きクリエイターたちを取り上げて、小出正志氏・アニメーション80・グループえびせんへのインタビューと、藤幡正樹・森雅章(現・森まさあき)両氏の対談を掲載している。唐沢俊一は「YouとAnimation」について『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』(『別冊宝島・投稿する人々』所収)でこのように書いている。

そこにまた登場するのが、パート1では「アニメーション80」代表世話人小出正志、「グループえびせん」代表片山雅博といった、いわば実験アニメ製作の面々である。彼らにしろ、ガンダムをどう思いますかと訊かれるのは迷惑な話だったろう。片山雅博はいまだにこの件を持ち出しては僕をからかうし、アニドウ代表のなみきたかしは、『ぴあ』からの電話に唐沢という名前が出た途端に、
「ああ、あの男はうるさいですから相手にしないほうがいいです」
と電話を切ったという。

 自分の考えは唐沢とは違って、『ぴあ』はいい特集を組んだと思う。単に「ガンダム論争」にとどまらず、アニメの現状を深く掘り下げようとしたから、プロだけでなく自主制作をしているクリエイターに話を聞きに行ったのだろう。別に唐沢のために特集を組んだわけじゃないんだから。というか「迷惑な話」っていったい誰のせいで迷惑になっていると思っているんだ。それにしても、なみき氏の対応をそのまま書いている唐沢の心境がよくわからない。「うるさいと思われている俺カッコいい」とでも思っているんだろうか。なみき氏も苦労なさったのだろうな(アニドウについても一度調べてみようか)。
 特集の内容を説明していくと、小出氏は『ガンダム』について

TVで何回か見てるけど、それと全く変らず(原文ママ)、ただツギハギにした映画を見に行く気はしない

とあまり興味がない様子。小出氏が代表であるアニメーション80のインタビューでも「かなり冷めた視点からの発言が目立った」と記事にはある。
 次にグループえびせんへのインタビューにはこのようにある。

あるメンバーは話題の新作の徹夜の列に加わったこともあると教えてくれた。“ただ好きだから、という具合に見に行くこともある。自分の中のミーハー的な部分を大切にしたいと思う。”会見した8人の中からブームを嫌悪する様子はまるでなく、むしろ、数多くの作品に触れるチャンスを喜んでいる。そもそも、“いつの時代にもブームはあったのだし、今アニメーションにその御鉢が回ってきただけじゃないか。”といった分析まで飛びだした。“結局、色々あっていいんじゃないか。ましてこれしかないといった思い込みにはついていけない。”だから、数々の旧作と並んで、「ガンダム」を始めとする話題のTVアニメの存在も大いに彼らの認めるところとなる。「ガンダム」の魅力は、統一された世界観にあり、明確な製作意図を持って設定、演出されているところが革新的であるそうだ。しかし、製作者が商品としてテーマを推しつけることで、自らその可能性を否定していることに危惧を感じているのだとも言う。

 すばらしい。四半世紀前のインタビューだが拍手を送りたくなる。唐沢青年はこの記事を読んでもなんとも思わなかったのかな?自分の偏狭な精神を否定されているんだけど。実際問題、唐沢俊一には他人の言う事が理解できないんじゃないか?と疑わしくなってしまう。
 次に藤幡・森両氏の対談より。

藤幡 人間には恐竜に対するロマンティシズムとか、あるいはメカニズムへの憧れといった二面性があると思うけど、ガンダムはこの点をしっかり押さえて作られているのね。これはロマンですよ。だけど、豊富なイマジネーションを必要とするロマンの抽象性を理解するのは、非常に難しい。だから、ガンダムはそこに「ドラマ性」を持ち込んで、子供が感情移入しやすいようにしているわけ。これは大変うまいプロモーションの仕方だと思う。まあ、それだけのことだけど。

―読者の論点は、“アニメのテーマ”にもあるが…。
藤幡 アニメのテーマというから話がわからなくなる。マクラレンのアニメと吉岡実の詩を同列に語ることは可能だけど、コマ撮り=アニメみたいな技法的なことだけでテーマ性をくくっても仕方ないと思うね。
 テーマって、ドラマのテーマのことでしょう。愛が地球を救ったりするという。アニメはドラマに関わってくると途端に面白くなくなる。

 唐沢青年はこの話を理解できたんだろうか。森氏にしろ前出の小出氏にしろ自分のやっているアニメと『ガンダム』が別物であると割り切っているからいいんだけど、唐沢青年は別に「テーマを考えるよりいかに絵を動かすかを考える方が大事だ」と言ってるわけでもないしなあ。もし絵を動かすのが大事だと本当に思っているのなら、『ガンダム』の作画についてもうちょっとマトモなことを言えるはずだもの。どうも作画にも関心がないような感じなんだよね。そもそも「YouとAnimation」で登場した若手クリエイターは誰も唐沢青年みたいに『ガンダム』を躍起になって否定していたりはしないんだから、いよいよ唐沢青年の行動はわからなくなってくる。いったい何がしたいのか。

 
 続く『ぴあ』8月28日号でも特集「YouとAnimation」PART2が組まれている。今回は、プロのクリエイターが登場して「アニメ論争」について語っている。登場しているのは、手塚治虫大塚康生富野喜幸(現・由悠季)・松本零士森康二の5人。…なんという豪華メンバー!だが、唐沢俊一は『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』でこのように書いている。

 僕は、この『ぴあ』の措置に、いくぶんの冷笑を浴びせていた。そんな、ハッキリと解答できるアニメ回答者がいれば、もともと論争などというものは起きていないはずである。ことは、“日本において、本当に優れたアニメとは何であるのか”という本質論なのだ。

 ははははは(冷笑)。本質どころか表面にも届いていない文章を書き連ねていた人間が何を言ってるんだろう。わざわざアニメ界の大物にまで話を聞きに行ってくれているんだから『ぴあ』に感謝すべきだろう。唐沢俊一は本当に『ぴあ』に対して失礼なので、次回、最終回の記事できっちり批判することにする。そして、インタビューを受けた方々がみなさんちゃんと答えておられることにも敬意を表するべきだろう。
 とりあえずは、唐沢俊一にはそんなに関係ない人の発言から見ていこう。まずは大塚康生氏。唐沢俊一は、大塚氏が「ケバケバしいリアリティのないロボットはやりたくない」と言っているとして「僕の意思に賛同してくれている」と喜んでいるが、どうもそんなに単純なものではなさそうだ。

 自分のやりたいものも、別に一つの傾向を決めてる訳ではないんですよ。ロボットものでも、ギャグでも、こわいものでもやってみたいと思っています。ただその機会がないのと、仮にロボットものをやるにしても、初めからオモチャ志向のケバケバしいリアリティのないロボットは、やりたいとは思えません。やっぱり本当にいるんじゃないか…と思わせるような動かし方をしてみたいですね。

…何度目になるかわからないが、どうしてちゃんと引用できないんだ?大塚氏は別に『ガンダム』を批判してるわけじゃないのに。あと、こんなことも言っている。

 動かないアニメはつまらないという意見があるようですが、紙芝居だって子供達は喜びますね。止メばっかりの映画でも上手に作れば、紙芝居よりずっと面白いはずだと思います。だけど僕は動かさないと気がすまない方で、止メを駆使して面白く作る自信はありません。

大塚氏は全体にわたって前向きで、「僕達作り手にとっても、いろいろと言ってくれた方がいい励みになります」とファンにメッセージを送っている。今読んでもとても面白いインタビューだ。
 次は森康二氏。唐沢俊一は森氏が「ガンダムには悪いけど、血が通っているのかどうかわからない」として、大塚氏と同じく自分に賛同してくれていると喜んでいる。でも、森氏のコメントの引用もやっぱりおかしい。

未来少年コナン」などは、TVで評判がよくて、劇場用にしてみたら編集の仕方が悪かったんでしょうか。あまりブームにはならなかったようですね。でもあの作品は、血が通った人間そのものがでてる、動いている気がします。「ガンダム」には悪いけれど、ああいう血が通っているのかどうかわからない映画に比べたら、「コナン」やディズニーのアニメーションなどは、触ると暖かい感じがしますよね。アニメをやっていると、何とかして心を入れる、そういう感じで創ってますから。ディズニーがいつまでも残るように、サンリオが作っている映画の方が残っていくでしょうね、きっと。

さすがは『長靴をはいた猫』『どうぶつ宝島』の森康二らしいというか(森氏のインタビューは全体的に強い理想主義に貫かれていて、読んでいると少しせつなくなってしまう)。しかし、これはアニメーターとしての発言であって、一ファンにすぎない唐沢青年が「自分の考えと同じだ」と喜ぶのは、少し能天気なんじゃないか?それにしても、ちゃんと正確に引用しろよ
 さて、次は手塚治虫である。少し事情を知っている人は「もう?」と驚かれたかもしれない。実は唐沢俊一の初期の持ちネタのひとつに、ガンダム論争」で手塚治虫に叱責された、というのがあるのだ。たとえば、唐沢商会『脳天気教養図鑑』(幻冬舎文庫)ではこんな具合である。P.70〜71より。

そんな神様ではあったが私が学生のころ某情報誌に日本のTVアニメを批評した文章を投稿したときいろいろアニメ作家の方から反論がきて大塚康生氏や富野喜幸氏にまじって
手塚治虫もかなり激越に私の意見を詰られ「人の創ったものをファンが批判する権利などない」といった意味のことまで書かれていた。
私の感想としては「おっさん何を言い出すんじゃ」というようなものだったが
俊一「大好きなアニメーションのことけなされると(原文ママ)もう頭に血がのぼっちゃったんだろうな…と今は思う」
俊一「しかしまあ手塚治虫にそういうふうに反論されたってのは記念にしていいかもしれない」
なをき「かもね」

別の場所でも同じように「手塚治虫に批判された」と書いているらしい。では、本当にそうなのかチェックしてみよう。

 劇場用アニメは、殆ど見ています。TVもなるべく見るようにしているんですが、ロボットやらなんやら、区別が、もうつかないほどですね。しかし、今よくやるTV版の作り直し、「キャプテン」とか「ガンダム」とか…ああいうのだけは見ません。意味ないですよ。だいたい、今の日本の劇場・TVアニメーションは海外では少しも通用していない。あちらで上映されることがあっても、殆ど製作者名もなにも出てこないし、あちこちカットされてしまう。“作品”として扱われていませんね。なぜなら日本の場合、確かに技術的には高い筈ですが、なんといっても動きが悪い。玩具は売れるのかもしれないが、どうも動きがチャチだという評価は免れない。それにアニメーションの特質という点で考えれば、日本のそれは、やっぱり独特なんだろうね。要するに、アニメと劇画がごっちゃになっていて、ただかっこ良さだけで見せようとする。他方、見る側では、TVアニメで育ってきた今の人達が、アニメに何を求めているかというと、物語性であって、決して“動き”そのものじゃない。
 だけど、アニメーションの良さというのは、ストーリーやテーマなんかよりも、まずそれが動くことだと思っている。これはやはり製作者の視点だからといえばそうだが、だからこそどうやっておもしろく動かせるかということを、創る側はもっと考えるべきなんだ。そういう意味で劇場用アニメが増々、TVアニメの焼き直しみたいなものばかりにされちゃうような土壌がまず問題にされるべきじゃないか。どうしてもストーリー中心になってしまうから、テーマが重いだとか、深刻すぎる、などという批判も出て来てしまうんだろう。確かに僕自身も日本のアニメーションにはユーモアが足りないと思う。そうしたことを含めて、もっともっと、製作者の姿勢が追求(原文ママ)されていかなければならないのだろう。

 手塚先生飛ばしてるなあwと可笑しくなってしまった。本当に責任感が強い人だな(手塚治虫が日本のアニメーションで果たしてきた役割をあわせて考えると別の意味で面白そうだが)。どうしてテーマ偏重になったのかも考えているんだから、唐沢俊一は少しは感謝すべきだろう。さて、いよいよ問題の箇所である。

見る側にはあれこれ要求したくはないんだけど、例えばSF大会なんか開かれても半分は「ヤマト」「ガンダム」ファンで、SFなんて全く読んでいないという人が多い。そうしたものをSFとみなしたとしても、SFにかっこ良さだけを求める風潮は、どこかおかしい。それにアニメのマニアと言われる人達が、YouとPiaなどの場を借りて、自分の意見をやけに押し付けようとしている。だいたいマニアってどうしてあんなに圧力をかけたがるのか、アニメーションの場合、特にそんな気がするけど、そういうのは意味がないね。

…どうだろう?上の手塚治虫の発言を唐沢俊一が書いているように「人の創ったものをファンが批判する権利などない」といった意味だと読み取れるだろうか?「意見をむやみに押し付けられても困る」くらいの意味しかないと思うのだが。さらに、締めの発言まで読むと手塚治虫の真意はちゃんとわかる。

ともかく、プロの作り手は、今のアニメーションで満足していてはいけないよね。そして、観客サイドも、色々な見方が出来て、もっと、様々な議論が出てくるといいね。

手塚治虫はファンが意見を語ることを歓迎しているのだ。だから、唐沢俊一が「手塚に人の創ったものをファンが批判する権利などないと言われた」と言っているのは明らかに誤解である。唐沢も『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』を書く際に『ぴあ』のバックナンバーを調べて誤解していたことに気づいたのだろう。このように弁解している。

(前略)手塚氏に至っては、
「見る側にあれこれ要求したくはないが、マニアというのはどうしてあんなに圧力をかけたがるのか。こういう場を借りて、自分の意見を押し付けようとしている」
と、ファンの側を批判するような発言をしている(僕は「神様」などと呼ばれている人物の、あまりに非論理的なこの発言に仰天するあまり、もっと激語で批判されたと思い込んでいたが、今回十数年ぶりに読み返すと、それなりに手塚さんも当時のアニメ界の状況に困惑した感想を抱いていたことが分かる。要は、この“状況”を作った元の人物として「あなたの言うこともわかるが……」という苦衷の発言だったのだろう)。

事情を知らない人が読んだら、何をゴニョゴニョと長ったらしく言いわけしているのか奇妙でしかないだろうが、つまり「手塚治虫に批判された!」とさんざん騒いでいたのに、実はそんなに大したことを言われていなかったと気づいて慌てているのである。しかも、勘違いしたのは手塚治虫のせいであるかのように言っている。「非論理的」ってそうか?「ガンダム論争」の唐沢青年の方がよっぽどヒドいよ。あと、「あなたの言うこともわかるが……」なんて手塚治虫は言ってないだろう。なんで唐沢青年に理解を示したかのように書いているんだ。…不思議なのは、唐沢俊一がどうしてそんな勘違いをしたのか?ということである。もしかすると、自分を大きく見せかけるために「手塚治虫に批判された」という嘘をついた可能性も有るが、長々と言いわけしている辺り、どうも本気で勘違いしていたように思える。…うーん、読解力がなかったのか、頭に血が上っていたのか。…それからここでひとつお願いしておきますが、唐沢俊一が「手塚治虫に批判された」と書いていた(語っていた)のをご存知の方は、当ブログまでコメントでお知らせください。『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』が出た1998年10月以降にそのような発言をしていれば、明らかにウソをついていることになるんだけど、まさかそんなはずはないよね。
…それにしても、どうして唐沢俊一手塚治虫についてあんなにこだわったのかわからない。実は松本零士の方がファンに対してもっと厳しい言葉を浴びせているのに、そっちをスルーしていたのは何故なんだろうか。

 論争については、こうでなければいけないというのが前面に出てくると、やりようがなくなると思います。こうでなければ、と云う人は、御自分でお創り下さい。そういう不満から次の作品が生まれる訳ですから。つまり、ある一つの方向とかジャンルについて不満が出るのは当然なんです。ただそれを別の傾向の人間に強制するのは非常に酷です。いろんなタイプのアニメーションがあっていいと思う。“本当の漫画”だとか、“漫画とは”とかいう論議がなされる時、それは一つの意見の強制、押しつけになりがちなんですよね。

それから、いろんな論議がある時に、ある部分を欠席裁判にするのは良くないですよ。ひとつのマスターベイションと思えばいいけど、やっぱり公の誌面に出る時はねえ。欠席裁判を受ける方はたまらない。作り手の側にも生活がかかっているなど、様々な事情が絡み合ってるということを見落してしまう訳ですよね。単純に理屈通りに割り切れないこともあるということをわかって欲しい。それほど気楽な世界じゃない。それこそ漫画を描いている方がなんぼ気楽かしれん。本当、こういうアニメ論議っていうのは恐ろしくなるよね。

かなり思い切ったことを言っているが、松本氏にはそれだけの発言をする権利はあると思う。だって、唐沢青年は『宇宙戦艦ヤマト』について「陳腐な作品」と言ってるし(かつて『ヤマト』のファンサークルにいたはずなのに)、他の投稿でも批判されているのだ。観客が作品を批評する権利があるなら、作り手にもそれに反論する権利はあるはずなのだ。で、唐沢俊一が『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』で松本氏の発言にどのように反応していたかというと、

「言っていることはわかるけど、アニメを作るのは本当に大変なんだ。文句言うなら自分で造ってからにしてほしい」
という意見で(まぁ、大学生に言うのも大人げないと思うが)(後略)

へえ。作り手に逆に批判されたら「大人げない」って言うのか。自分はそれまでさんざん「大人げない」批判をしていたくせに。本当に恥知らずだな。自分の発言に責任を取れないなら投稿なんかしなければよかったのに。「大学生」ならもう責任を取るべきだよ。なんだ、あんなに激しい論調だったのに、その程度の覚悟だったのか。凄いなあ。
…さて、ラストは「ガンダム論争」の影の中心人物とでも呼ぶべき富野監督である。「富野節」が炸裂しているので全文紹介してみよう。タイトルは「絵空事の中にだって世界はあるんだよ

 一見情報化社会だと言われながら、一般活字媒体が提供している素材というのは、所詮物言(原文ママ)の羅列でしかなく、何を基準にして取捨選択していいのかという事が全く見えないように見受けられる。だから極端な意見というのは、他人の意見として聞く場合には決して悪いことじゃないと思います。わかりいいからです。私見なんていうのは、独断と偏見という風なまやかしの言葉で飾るんじゃなくて、当然持って然るべきものじゃないかと。むしろ、状況論は半分以上は事実でこれは中庸なことなんである、っていう示し方をすることの方がよほど危険だと思う。しかし、初めから自分の偏見とか独断で、他の論調を排斥する行為はして欲しくない。
 「ガンダム」がSFかどうかという事について、単純に言いますと、あまりSFだと思ってないんです。なぜ「ガンダム」をああいう風に演出したのかというと、自分自身が欲求不満におちいらずに見る為にはどうしたら良いか?そこで思いついたのが、人型の兵器なんだ。そういう様な理屈づけによって「ガンダム」の足場ができるんです。足場がきちんとできてないと、ドラマってのは成立しない。SFに限らず、ドラマ創りは基本的にそうなんです。今まであったロボットものの一番いけない所は、立脚する世界観というのを作っていない事です。世界観がなければ、絶対に人型のロボットなんてあんなナンセンスなもの動くわけがない。だからアニメーションという視点からも、あれは絵空事だったという風に思える訳です。その為に、ファンタジックなものとか、幼児向けのやさしいものが簡単に描けると思っている人達が多いように思います。ところが、表現素材にリアリティーがないものですから、それをアニメーションを媒体にして表現していかなくちゃいけない時には、描くべき世界をすっかり組んでおかないと破綻をきたす。アニメーションをいじるということは、一般的な実写やライブ作品に比べてよほど時間と労力を使うものだから、自分達の描くべき世界を洞察しきれない作家達には創ってもらいたくない、ということです。
 ブームという事については、そういう渦中に入ってしまうってことに大変危機感を持っていますので、基本的にはそういうものを切り捨てるようにしています。しかし、ひとつの創り手の集団、特にアニメーションの場合には集団でしか創り手になれない訳ですから、それが世に認知される為にはこういうブームはあってよかった訳です。また、自分自身の主張というものを、作品を通して発表できる機会を獲得しえたことも、ありがたいことだと思います。

ガンダム』を「あまりSFだと思ってないんです」と言い切っちゃったので笑った。みんなが「YouとPia」であんなに論じてたのに…。やっぱり味があるなあ。だが、続く発言を読んでちょっとビックリした。

 最後に、“富野にお前ら踊らされている”という言い方に関してだけは、正直クレームをつけたい。そういう関係の中で作品を創るほど、僕は余裕がないんですよね。自分の事を吐き出すだけで精一杯なんで、どんな年端のいかない子ひとり捕まえてでも、踊らせる為に、こんなものやっているって気分はありませんね。確かに、一つの論法としては認めるけれど、やっぱりキツイですよね。

 最初にこのくだりを読んだ時は笑いをこらえるのが大変だった。だって、これって唐沢青年の7月31日号の投稿への反論だよね?

マスコミに(というより富野氏に)踊らされているのは実のところあなた方のような人々なのですよ。あなた方が提燈持って騒ぎやすいように、易いようにと彼らは御膳立てしているのです。

という発言に対する反論。「わはははは!怒られてやんの!」って唐沢を指差して笑いたいなあw 
 しかし、不可解なのは富野監督に怒られた唐沢俊一が『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』でやたらと監督を持ち上げていることだ。

 そして、一番老獪だったのは、やはり当事者だった富野氏だった。彼は
「極端な意見というのは、他人の意見として聞く場合には決して悪いことじゃないと思います。わかりいいからです。私見なんていうのは、独断と偏見という風なまやかしの言葉で飾るんじゃなくて、当然持って然るべきものじゃないかと。むしろ、状況論は半分以上は事実でこれは中庸なことなんである、っていう示し方をすることの方がよほど危険だと思う。」
こちらの本当に言いたいことを先取りしてしまっている。このとき、心のどこかで「待てよ」と踏みとどまらねば、僕は大学卒業後、富野氏の門を叩いたかもしれない。

…いや、唐沢青年の「本当に言いたいこと」がそんなことだったとはとても思えないんだが。なんでそんなにヨイショするの?サンライズに入るだなんて、『ガンダム』が大嫌いなのにそんな心にもないことを言っちゃって。その行動はないよ(やや強引)。自分が唐沢青年の立場ならまず富野監督と松本零士に腹を立てると思う(自分の責任はさておき)。この2人には厳しく批判をされているから当然頭に来るはずだ。なのに、そんなに大したことを言ったわけでもない手塚治虫に真っ先に腹を立てるのかさっぱりわからない。…どうも、唐沢俊一という人は相当なチキンなんじゃないか?と思えてしまう。「唐沢さん、住所も近いし、一度会ってじっくりと話しませんか」と言われた「福島康浩」氏をスルーして、「「ガンダム」は、もともとTV用ですからTVの全43話を見て下さい」と唐沢青年に丁寧にお願いしていた「鴨打大輔」氏に反論したときのように(詳しくは11月22日の記事を参照)、相手に向かって来られると引いてしまうんじゃないか?そういう気がする。だから、富野監督に反論しなかったのではないか。そして、「手塚治虫にたしなめられた」という事実だけで、何を言われたのかしっかり受け止めることも出来ずに逆恨みしてしまったのではないか。こないだも藤岡真さんから逃げたしなあ(詳しくは8月26日の記事を参照)。冬コミにはちゃんと来てね


…というわけで持ちネタだった「手塚治虫に批判された」というのもほぼウソだということになりました。どこまでも恥ずかしい人だ…。以上で『ぴあ』誌上での「ガンダム論争」の記事は全て紹介し終わりました。長い間おつきあいしていただきありがとうございました。




……
まだだ!まだ終わらんよ!

というわけで、次回「ガンダム論争」のまとめと『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』の最終的な批判をやります。…すみません、どうしてもやりたかったんですw
                                           (つづく)

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