唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

I Don't Like The 道楽.

(But The 道楽 Like Me)



岡田斗司夫がニコ生でいろいろとぶっちゃけていたらしい(ニコニコニュース)。いずれやる予定の岡田斗司夫検証ではゼネプロ・ガイナックス時代の岡田についてどのように触れるべきか悩んでいるのだが、この流れだと岡田本人がどんどんぶっちゃけてくれそうなので、しばらく様子見することにする。実際のところ、この話もどこまで信じていいのかわからないしね。
 

 岡田検証では基本的に岡田の著書の中身を考えることにしていているのだが、岡田の言説に説得力が生まれたのはゼネプロ・ガイナックス時代の功績が背景にあることを考えると、自分のような素人の手に余ることとはいえ「オタク史」の掘り起こしもある程度やらねばならないだろう。唐沢俊一検証でも「『宇宙戦艦ヤマト』のブームは札幌から起こった」「学生の頃、手塚治虫に名指しで批判された」などといった唐沢自身が語っていた「伝説」を確かめる作業をやったことだし。



●というわけで、唐沢俊一が「学生の頃、手塚治虫に名指しで批判された」というかつての持ちネタを披露しているのを新たに発見したので、今回はそれを紹介する。


 フィギュア王』№11(1998年3月発行)で組まれた「手塚治虫キャラクターワールド」という特集の中で、唐沢俊一『神様の道楽』という短い文章を寄稿している。同誌P.30より。

「……およしよ手塚アニメはさア、お『ジャンピング』になる」
 以前、SF大会で落語『火炎太鼓』のパロディをやった。古アニメ屋の話で、オチが上記のようなものである。元ネタがどういうのかは落語全集ででも調べてもらうことにして、このマニアックなオチ(作は友人の片山雅博だが)さすがはSF大会、大ウケだった。もって、手塚アニメが一般にどう受け止められているか、わかろうというものだ。
 手塚治虫さんにとって、アニメは完全にお旦那芸の、道楽だった。手塚プロの社員たちは、マンガで社の業績が上向いてきたころに、手塚さんがアニメに手をのばしはじめると、病気がまた出た、と溜息をついたそうだ。現実に、アニメをやり出すと会社が赤字になり、それを埋めるためにマンガを描く、の繰り返しだったという。
 人間、本業への口出しは素直に受け止めても、道楽への干渉は嫌うものである。僕自身、学生のころ、テレビアニメについて批判的な文章を書いて発表していたら、手塚さんから
「人が一生懸命作っているものにファンが口を出す権利などない!」
 と、名指しでののしられたことがある。別に手塚さんの作品をけなしたわけではないのだけれど。
 そのときはさすがに腹がたったが、今になってみると、それは“神様”手塚治虫の、唯一のかわいらしさだったのかな、とも思う。どこかに人間、そういうところがあった方がいい。この年齢になって、そう思えてきた。道楽だったからこそ、手塚さんも全体の感性度(原文ママ)より、遊びを優先した作品ばかり作っていたのではないか。
 今の世知辛い世の中では、そんなぜいたくな気分でアニメを作れる人物など、他にいやしない。視聴率がどう、LDボックスの売り上げがこう……と、計算ばかりしている。
 “神様のお道楽”を少し、見習いたいものだ。


 手塚治虫唐沢俊一を名指しで批判した事実はない2008年11月23日の記事を参照)。『神様の道楽』から8カ月後に発表された『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』(別冊宝島ムック『投稿する人々』収録)を書くために当時の『ぴあ』のバックナンバーを調べた唐沢もそれに気づいて慌てたようだが。何故「名指しでののしられた」と思い込んだんだろ。


 しかし、今回の文章で問題なのは手塚治虫は道楽でアニメを作っていた」という考え方である。手塚治虫のアニメへの取り組みについては、津堅信之『アニメ作家としての手塚治虫』(NTT出版)で詳しく考察されているが、手塚が『鉄腕アトム』をテレビアニメ化したことによって日本のアニメが現在に至るまで多大な影響を受けているのは間違いないところで(まつもとあつし氏による津堅氏へのインタビューも参照)、もし仮に手塚のアニメーション製作が「道楽」だったとしても「旦那芸」とはとても呼べないスケールの大きなものだったと言える。
 それから、唐沢は『ジャンピング』を揶揄するようなことを言っているが、『ジャンピング』はザグレブアニメーション映画祭でグランプリを獲得していて、他に『おんぼろフィルム』も広島国際アニメーションフェスティバルでグランプリを獲得している。『ジャンピング』と『おんぼろフィルム』の2作品はアヌシー国際アニメーション映画祭が選出した「短編アニメベスト100」にも選出されているので、高く評価されていると言っていいのではないか。「SF大会」でウケたことで「一般にどう受け止められているか」と判断するのはいささか偏っている気もする。



 あと、これはよく知られていることだが、手塚治虫は「道楽」ではなく「本業」にこそムキになる人だよなあ。『本日も異常ナシ―魔夜峰央のまどろみ日記』(秋田書店)に出てくる話だが、あるパーティーで魔夜先生が手塚先生にあいさつしたところ、そばにいた人が『パタリロ!』をホメたとたんに手塚先生が魔夜先生をにらみつけたという(手塚先生は『パタリロ!』を読んでいなかった模様)。この手の大人げないエピソードを聞くたびに、手塚先生への好感度が自分の中でかえって上がってしまうのがつくづく謎。唐沢俊一に対してもそうありたい。
 …もしかすると、「手塚治虫は才能のある若手にジェラシーを燃やしていた」という話がよく知られていたから、唐沢青年が名指しで批判されたという話もありそうなことだと思われたのかもしれない。まあ、漫画の神様に対してここまで上から目線な文章を書ける唐沢俊一も一種の才能の持ち主であることは間違いないとは思う。



首なし警官が怖い。


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メカニカル・アニマルズ

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アニメ作家としての手塚治虫―その軌跡と本質

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