唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

1981年の「祭り」/逆襲のショータイム(完結編)。

 前回までで『ぴあ』における「ガンダム論争」について説明を終えたので、最終回は個人的な意見をまとめてみようと思う。厖大な事実を説明するのに必死で少し混乱した頭を整理する意味もある。なお、後日ガンダム論争」についてまとめた表を作成しておくつもりである。まとめwikiの経歴は『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』をベースにしているのだが、それがまるで信頼できないことがわかってしまったし

 それでは今回気になったポイントを挙げてみる。
・『ぴあ』の「ガンダム論争」は大してレベルが高くなかった。
 唐沢俊一は『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』(『別冊宝島・投稿する人々』所収)の中で、自身が参加した「ガンダム論争」についてこのように書いている。

 しかし、僕はこの論争だけでなく、この時期から後にさまざまな場面(シーン)で行われていたオタク論争は、それまでの、革命ノスタルジー色に染められていた六、七〇年代的論争にとどめを刺したものた(原文ママ)と思っている。それはイデオロギーに引きずらない(今回のものにはまだ、戦争反対などといったそのシッポが見られるが)、ある意味で日本の批評シーンで初めての、純粋な作品論争なのである。
 オタクという人種が出て、初めて日本に、思想という余計なものを脇に置いての作品論争―面白いかつまらないか―が発生したのだ。

 持ち上げること持ち上げること。しかし、他のオタク論争のことは知らないが、「ガンダム論争」については残念ながらそのレベルまで達していないと思う。というか「ガンダム論争」はある種の「イデオロギー」に支配されていると思う。以前も書いたが「ガンダム論争」に投稿した人はすべて「アニメ(SF・特撮)とはどうあるべきか?」ということに必ず触れているのだ。それまで「政治」や「平和」について語られていた言葉が「アニメ」を語るためにそのままあてはめられたかのように思える。「純粋な作品論争」に辿りつく前に「アニメとはどうあるべきか?」というイデオロギー論争になってしまったのが、『ぴあ』における「ガンダム論争」ではないだろうか。『ヤマト』や『ガンダム』への批評もいまいち具体的ではないのだ。その原因としては、まず論争の舞台となったのが『ぴあ』というメジャーな情報誌であったこと。メジャーな雑誌で論争になれば目立ちはするのだろうが、ウスくなってしまうのもしょうがないのだろう。もうひとつは論争の中心人物が唐沢俊一であったことだ。唐沢俊一スレッド@2ちゃんねる一般書籍板で、「「ガンダム論争」を見て80年代のアニメファンがあんなものだと思わないでほしい」という書き込みも見かけたが、「ガンダム論争」に参加していたアニメファンはちゃんとした知識のある人が大半だったと思う。ただ、唐沢俊一が参加していたせいで議論が進まなかったわけなのだが。どんなに知識のある人でも無知で聞く耳を持たない輩とまともにコミュニケーションをとれるわけがないのだ。ある程度の能力がなければ「論争」をすることはできないし、「論争」をするためには実は相手方とある程度の共通認識を持っていなくてはいけないのだ。しかし、「ガンダム論争」の場合、唐沢青年は共通認識を破壊するような言動ばかり取っていて、「論争」をどのような形で決着させたいのかわからないのだ。だから「早すぎた荒らし」なのだと思うわけだが。先日、このブログを本にするという思いつき(ブログ開始時から決めていたのだが)をチョロッと漏らしたら多くの反響を頂いたが(開始して4ヶ月余りなのにありがたいことである)、「ガンダム論争」をまとめる場合は『月刊OUT』の方の「ガンダム論争」もチェックしようかと思っている。オタク史から見るとあちらの方が主流だろうし。なお、「ガンダム論争」が『ぴあ』というメジャーな雑誌で行われたことに意義があるという意見もあるかもしれないが、今回『ぴあ』のバックナンバーを調べたところ、「ガンダム論争」以前から『機動戦士ガンダム』の記事がチラホラ見られるので、「ガンダム論争」が無くても『ぴあ』がアニメファンに目をつけたのは時間の問題だったと思う。

手塚治虫唐沢俊一の批判をしていなかった。
 これがわかっただけでも今回の検証をやってよかったとつくづく思う。どうも唐沢の言うことを真に受けて「漫画の神様ともあろうものが」と思ってしまった人が多いようなのだ(当時の『ぴあ』を調べるのは難しいから仕方が無いが)。誤解を晴らすことが出来たとしたら親子二代の手塚ファンとしては嬉しい限りだ。まあ、「それにアニメのマニアと言われる人達が、YouとPiaなどの場を借りて、自分の意見をやけに押し付けようとしている」という部分を唐沢青年への批判と読むことも可能だが、手塚の意見は一般の「アニメのマニア」への苦言であって「唐沢俊一」個人に対するものではないと読むのが自然だろう。唐沢の言い草だと、手塚治虫と堂々と渡り合ったかのようだもの。…しかし、新たな疑問も出てきた。

・唐沢の手塚治虫批判は誤解していたせいか?悪意によるものか?
 これがわからない。一応、以前の記事の中では「誤解していたせい」ということにしている(詳しくは11月23日の記事を参照)。その根拠は『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』で、「手塚氏の発言について自分は思い違いをしていた」という意味の言い訳を長々としていることである。やる必要の無い言い訳をわざわざしている点から、本気で勘違いしていたのではないか?と記事を書いたときは思っていたのだ。しかし、よく考えてみるとどうもおかしい。まず、単に誤解だったにしては悪質なのだ。唐沢は手塚治虫の発言について「「人の創ったものをファンが批判する権利などない」といった意味」だと思っていたという。漫画家が「自分の作品をファンは批判するな」と言ったらファンは当然怒るはずだ。手塚治虫がそんな風にファンを侮辱する言葉を吐いていたと発言することこそが、手塚治虫を貶めるためには最も効果的な手だといえる。だから、悪意もなしにそんな風に誤解するのだろうか?と思ってしまうのだ(松本零士の発言の読み方にも似たようなものを感じる)。次に、どうして富野由悠季に説教されたことについて触れないのか?ということである。富野監督にクレームをつけられたことだって、オタクとしてみれば立派な勲章であるといっていい。なのにどうしてスルーするのか。手塚治虫の場合と違ってこっちはちゃんとした事実なのに。これも邪推すると、富野監督に説教されたというのは一般ピープルに対してウケが悪いからということではないか。富野監督のことはオタクなら誰でも知っているだろうがそうじゃない人にとっては「『ガンダム』の監督」という説明がつかなければわからない。一方、手塚治虫は誰でも知っている人だから当然ウケもいい。そんなエラい人と学生時代に論争したんですよ、と捏造したんじゃないか?と疑ってしまうのだ。…ただ、誤解か悪意かを確認する方法はある。『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』が出た1998年10月以降唐沢俊一が以前と同じように手塚を批判していれば悪意による批判ということになる。個人的にはそのような文章を見つけたくは無いのだが。もうこれ以上幻滅したくないので。つまり、誤解だった場合には、批判を受け止められないほど精神が脆弱(唐沢用語だと「危弱」。詳しくは11月5日の記事を参照)ということだし、悪意だった場合には人間として最低ということである。

・1981年より1998年の唐沢俊一の方が悪質である。
 ここも重要。「ガンダム論争」で荒らしまがいのことをしただけならそこまで批判を浴びせる必要は無かったかもしれない。ただ、唐沢俊一は17年後に自ら「ガンダム論争」について、

名のみ有名なその論争のその経過を、論争の張本人である筆者自身から、ちょっと詳細にドキュメントしてみたい。

と言いながら、だいぶ自分に都合のいいように改変しているのである。「YouとAnimation」に登場した大物達の発言は富野監督を除いて改竄されているし(こういうあたりがまさにチキン)、礼儀正しくお願いしてきた『ガンダム』ファンのことをおかしなファンであるかのように書いている。それに自分の投稿の紹介の仕方もかなりひどい。1回目は「この号のみ大宅文庫のバックナンバーが欠落していて」ということで「投稿の大意を記憶を辿ってざっと書いて」みたものの案の定不正確だし、唯一(!)本文が引用されている2回目の投稿でも自分に不利な部分はカットされているうえに引用の仕方も不適切なものである(詳しくは11月19日の記事を参照)。そして、3回目は完全にスルー。4回目については

TV版ガンダムの、動画と呼ぶのもためらわれるような動きの極端にない場面を指摘して、“こういうのを優れたアニメとはどうしても呼べない”ことを再度指摘した

としてあるが、投稿の中で具体的な指摘は見られない。こういうのを詳細なドキュメントとは言わないよ。
 さらに、唐沢俊一はまるで反省していないと思われても仕方の無い文章を『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』で書いている。

 この時期、アニメ同人誌などでこの論争を取り上げていたものもいくつかあったし、某アニメ雑誌では、「アニメ論争を見る」という特集を設けて、各アニメ雑誌の投稿欄における代表的論争を取り上げて論じていた。唯一、“非”アニメ誌でインタビューされていたのが『ぴあ』で、インタビュアーが「『ぴあ』の論争はほかのアニメ誌より文章の質が高いと思います」と言ってくれていたのはうれしかった。ただし、当時の編集長の増渕氏が、
「あれは唐沢という人が最初にゴジラガンダムの比較論を投書してきて、“ゴジラはいいがガンダムはダメ”ということになっちゃって」
と、すごいいい加減な要約をしていた(笑)のがイヤハヤであった。

 「文章の質」が誉められるということは内容は…という話になりそうだし、唐沢青年の文章が誉められていたかどうかわからない。「“あんな連中が誉めてんのね、どうも信用できねえ”などと言いかねませんぜ」という文章が質が高いとは思えないが。あと、「すごいいい加減な要約」をされたのは、それくらいわかりにくかったってことじゃないの?本当は「ゴジラはダメだがガンダムもダメ」だもんね。じゃあ、何がいいの?って思っちゃうよ。それ以前に増渕(幹男)編集長の発言が改竄されている可能性も大きいが。

増渕氏は、本当にこのオタク論争に嫌気がさしていたらしい。
「論争があると、投書の数は増えるが、一般の読者のお便りを載せるスペースがなくなりますからね」
と、暗にそろそろ打ち止めにしたい、という意見を漏らしていた。このときの増渕氏に限らず、だいたい、『ぴあ』誌の編集長には優柔不断な人物が就任するように思う。

 わけがわからない。増渕氏は何も間違ったことを言ってない。雑誌の編集長として普通の対応だろう。それを「優柔不断」と言うわ、『ぴあ』の編集長について言いがかりをつけるわ。
…自分もかつてあるラジオ番組に投稿していたので、この文章には考えさせられるものがあった。何の気なしに書いて思いつきで送った文章を「面白い」と言われたとき、自分の中にあったモヤモヤしたものがはじめて形になったような気がしたものだ。以来、投稿にのめりこむようになってしまった。もちろん、楽しい思いだけじゃなくて、自信のあるネタをボツにされて悔しい思いもしたけど、それは自分のせいであって、紹介してくれるだけでありがたいと思っていた。ハガキが読まれたおかげでいくらかマシな人間になれたと今でも思っているのだ。…それだけに唐沢俊一の言い草が理解できない。あんな未熟極まりない投稿を載せてくれた(おそらく熱意を感じたのだろう)雑誌に感謝もせずに罵るとは何様のつもりなのか。『ぴあ』に掲載された意見を唐沢が自分の力だけで他人に伝えることがはたしてできただろうか。最近、唐沢俊一は自分のことを「はぐれもの」だと言っていたが(詳しくは11月9日の記事を参照)、本気で自分ひとりの力だけで成り上がってきたと思っているんじゃないか?と恐ろしくなってきた。そして、アニメ界の実力者の言葉も唐沢には届いていないようだ。

 とにかく、この二号連続の見開き特集を最後に、『ぴあ』誌はアニメ論争をいっさい、載せなくなった。僕の中でも、気の抜けたようになってしまい、この特集に関する意見もとりたてて投稿しなかった。まあ、一読者の立場で言えば、自分の投稿がきっかけで、これだけの大家たちに意見を述べさせたのだ。以て満足すべきだろう。

 だから、唐沢ひとりの力で「大家たち」に意見を述べさせることなんかできないはずだよね?どうして『ぴあ』に感謝しないの?それにも増して「大家たち」と自分が対等であるかのような物の言い方である。あっちは全然唐沢の事なんか相手にしていないと言うのに。彼らにしてみれば的外れの批判を浴びることなんか日常茶飯事なのでいちいち気にも留めていなかったはずだ。逆に唐沢が彼らの言葉から何も学ばなかったのが不思議である。最近だとすぐに「ハタと膝を打つ」というのにね。「大家たち」の言葉を真摯に受け止めたのであれば唐沢にとって「ガンダム論争」にはまだ意味もあったろうに。しかし、その後本当に投稿しなかったのだろうか?手塚治虫の発言に動揺したところをみると、反論を送っていそうなのだが。この人は自分から余計なウソをつく人だし。

いまは、その論争の、たぶん日本における最初期のものに自分が加わっていたという事実のみを、いささかの自慢と、
「認めたくないものだな、若さゆえのあやまちというやつは」
という、『機動戦士ガンダム』のシャア少佐のセリフの引用とともに、記録に留めておくものである。

 前半がものすごい悪文。というか、荒らし行為を自慢に思えるんだ。そして、シャアのセリフを間違えている。

あのダースベーダーもどきの鉄カブトかぶってるキャラクターのセリフ回しなど、聞くだけで顔が赤らみます。よくまあ、ああ気障ったらしいセリフをイケしゃあしゃあと……あ、だからシャアってのか。

とか言ってるんだから引用しなきゃいいのに。それではみなさんご一緒に。
「認めたくないものだな、自分自身の、若さゆえのあやまちというものを」
唐沢俊一は金輪際『ガンダム』に触れるの禁止。そのほうが唐沢も他のみんなも幸せだよ。


唐沢俊一の評価はどのように変化しているのか?
 これがものすごく気になる。まず、一定しているのは『ヤマト』と『ガンダム』。『ヤマト』の場合はファンサークルに所属していて札幌からブームに火をつけたというウソをついていたが、実際のところ、唐沢は『ヤマト』を具体的に評価したことがないので、実は『ヤマト』を好きではないのだろう。そして「ガンダム論争」をチェックしたところ、『ヤマト』を「陳腐な作品」と呼んでいることがバレてしまった。『ゴジラ』の場合はある部分は変わらずある部分は変わっている。『ぴあ』への投稿では『ゴジラ』のストーリーを理解できていないことを自ら暴露するかのように脚本を批判していたが、それから四半世紀経過した今年の9月に発売された『唐沢俊一のトンデモ事件簿』(三才ブックス)でも同じように『ゴジラ』の脚本を否定しているので、頭の中身が変わっていないことが分かる(詳しくは11月6日の記事を参照)。ただし、現在の唐沢はゴジラ』の関係者とつきあいがあるので、『ゴジラ』を批判するとさしつかえがあると考えたらしく、「『ゴジラ』はストーリーに問題はあるが御霊信仰を描いているので日本人に受け入れられた」という珍論を展開するようになっている。…わからないのは『ウルトラマン』である。「ガンダム論争」で唐沢青年は『ウルトラマン』『ウルトラセブン』を批判しているが(当時の彼にとって着ぐるみ特撮は絶対悪だったようだ)、こないだは『ウルトラマン』をテーマにした東大の授業に招かれ、来年朝日新聞社から発行される『週刊昭和』でも『ウルトラマン』を担当している。…いったいいつ評価を変えたんだ?実は、評価を変えることは悪いことではない。良いと思っていた作品の粗が目に付くようになったり、逆に悪いと思っていた作品の美点が目に付いたら、評価を改めるのが誠実というものであろう。しかし、評価を変えるにしても、なぜ変えたのか説明してくれないと困る。ましてや、今の唐沢は「子供の頃からずっと『ウルトラマン』が好きだった」という風に振舞っているんだから。


…今回で「ガンダム論争」の記事を終えることが出来てほっとしている(ただ、今後いくつか補足を入れていくことになるだろうと思う)。唐沢俊一の検証についてひとつの山場を越えた気分である。当時の『ぴあ』をよく見つけて調べてきた、と思われるかもしれないが、手間をかければできることなので自分がやらなくてもいずれ誰かがやったことだと思う。唐沢俊一がいくら過去を捏造しようとしても無駄なのだ。メビウスの輪から抜け出すことはできないのである。こうやって「ガンダム論争」での唐沢俊一の投稿をネット上で見られるようにしたことで、唐沢が「ガンダム論争」について語ってもウソはすぐバレてしまうし、『ヤマト』のファンサークルの話もアニドウの話もすべて疑いの眼で見られるようになってしまうだろう。ハッタリもほどほどにしておいたらいい。
 唐沢俊一の『ぴあ』への投稿を読んで「過去の自分を思い出す」というコメントをしていた方が何人か居られた。自分も同じである(だから投稿していたことなんか語ってしまった)。結局のところ、もっとも手ごわい敵というのは他人ではなく過去の自分なのではないか?という気がする。過去の未熟な自分をいかにして受け入れ乗り越えていくか、これはおたくに限らず全ての人にとっての問題なのかもしれない。唐沢俊一はそれを怠ったために過去の自分から逆襲されてしまっている。唐沢には見栄を張らず誠実に過去のことを語ってほしいと思う。そうしなければ何も変わらないし、そうでなければいけない。
                                    (この項おわり)

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投稿する人々―いま投稿欄は、こんな「スゴイこと」になっている! (別冊宝島 (406))

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唐沢俊一のトンデモ事件簿

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