唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

1981年の「祭り」/嘘をつく者。

 いやあ、偶然(唐沢俊一風に言えば「西手新九郎」。モトネタは徳川夢声)ってあるものだなあ。「裏モノ日記」11月18日より。

そこを出て、コマ劇場脇のショット・バーへ。
ここも前から入りたかったのだが、チャンスがなかった。
常連さんばかりで敷居が高そうということもあり。
親切に隅の席を空けてくれて、1時間ばかり三人で馬鹿話。
常連さんの鉄板焼き屋さんのご主人からタコ飯差し入れ。
お礼言って、帰ろうとしたらお客さんに声をかけられる。
「『ぴあ』のガンダム論争のころからのファンです」
と。うわっ、それはちょっと古過ぎと驚く。

 なんと当ブログが「ガンダム論争」の検証を始めたその日の「裏モノ日記」でも「ガンダム論争」の話題が。しかし、この「お客さん」は「ガンダム論争」を本当に読んでいるのかなあ?あれでファンになるとはどうも…。よければ、うちのブログでもう一度読み直してほしいが。
 なお、唐沢俊一スレッド@2ちゃんねる一般書籍板では、この「お客さん」が自分(kensyouhan)なんじゃないか?と言われていたが、それはさすがに面白すぎるw 唐沢俊一とは東大で話をしているんだけど、唐沢は「人の名前や顔を覚えることが病的に苦手」らしいから、話しかけても大丈夫かもしれないけどね。


 では、本題。『ぴあ』1981年7月3日号から8月28日号まで、読者投稿欄「YouとPia」には連続して『ガンダム』に関係した投稿が掲載される。いよいよ本格的な「ガンダム論争」が始まったわけだ。今回紹介するのは、7月3日号に掲載された「鴨打大輔」氏と「駒場のおちこぼれ」氏の投稿、そして7月17日号に掲載された「稲垣実」氏と「西荻くぼの「ジュリー」」氏の投稿である。唐沢俊一の過去を検証するとともに、1981年当時のアニメファンが何を考え、それをどのように表現していたかも見ていきたい。

 まず、鴨打氏の投稿である。鴨打氏は唐沢俊一が『機動戦士ガンダム』のTVシリーズを見ていないんじゃないか?と疑問を投げかけている。もっともな疑問である。唐沢青年の投稿には『ガンダム』のどこが問題なのか具体的な指摘がないんだから。見なくても言えるレベルの指摘しかないのだ(実はこれは今でも変わっていないのだが)。そのうえで、『ガンダム』がちゃんとテーマを理解できる多くのファンたちによって支持されているだけではなく、「吾妻ひでお江口寿史小山田いく・柴田昌宏・竹宮恵子和田慎二宮下あきら」といった漫画家や朝日新聞のライター、米沢嘉博氏といった人々が『ガンダム』を支持していることを指摘している。挙げられた漫画家の名前が時代を偲ばせる。…っていうか、宮下あきらは『ガンダム』を観ているの?ちょっとびっくり。なお、唐沢俊一が「ガンダム論争」を総括した『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』(『別冊宝島・投稿する人々』所収)でイラストを描いているのは吾妻ひでおである(『投稿する人々』が出た1998年10月に吾妻ひでおアルコール中毒の治療をしていたようだが)。
 この鴨打氏の指摘について唐沢俊一は『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』でこのように書いている。

(前略)僕がガンダムの悪口を言っているのはガンダムのTV版四十三話を通して見ていないからだと、と決めつけ、
吾妻ひでお江口寿史小山田いく・柴田昌宏・竹宮恵子和田慎二宮下あきら
と有名マンガ家の名を挙げて、彼らまで褒めているものをあなたはダメな作品と言い切れるのか、と権威づけでオドし(後略)

しかし、唐沢青年だって「YouとPia」への2回目の投稿で「子供向け映画の傑作を思いつくままあげて」いたけど(この投稿については11月19日の記事で細かく検証した)、あれだって「権威づけでオドし」てたんじゃないか?人のことが言えた義理ではない。
 鴨打氏の投稿に話を戻す。鴨打氏は続けてこのように書いている。

 思えば、ガンダムの不幸は、西崎義展に躍らされた原文ママ「ヤマト」ブームとの酷似、さらには、俗悪高千穂遥(この点は貴方に賛成)を筆頭に、アニメ誌や一部ファンの馬鹿騒ぎにあると思います。

おそらく、鴨打氏は高千穂遥氏が『月刊OUT』1981年2月号で「『ガンダム』はSFではない」と発言したことを念頭に置いていたのだと思う。これに対して唐沢俊一は『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』でこう書いている。

高千穂遥が気を悪くするといけないので書いておくが、僕が彼の悪口を言った、というのはこの人のカン違いである

それでは、唐沢俊一の「YouとPia」への3回目の投稿から問題の箇所を見てみよう。

ミーハーの親方みたいな連中によって書かれたダーティペアとか何とかサーガとかの作品群が、内容的に優れたものとはとても思えません。

言ってるじゃん!高千穂遥のことを「ミーハーの親方」って言ってるじゃん!…うわあ、こいつ嘘つきだ。鴨打氏が勘違いしたことにしようとしたよ。なんだろうな、高千穂氏の悪口を言ったことがバレるとマズいと思ったのかな?事情はわからないけど。…いや、20歳近く年長の人のことを「こいつ」呼ばわりするのは自分でもどうかと思うけど、こんなに堂々とウソをついていたのがショックだったので、つい。
 再び鴨打氏の投稿に話を戻す。鴨打氏は『ガンダム』を見もしないで批判するのは『ガンダム』だけでなくアニメというジャンルのためにもならないとして唐沢青年に対してこのように呼びかけている。

だから、とにかく見て下さい。「ガンダム」は、もともとTV用ですからTVの全43話を見て下さい。ご一報下されば、私の所でご覧にいれます。見た上でけなすなり何なりして下さい。しかし、そんな風にはならないはずです。自信をもって言えます。それだけの魅力をもったものなのです。あなたが責任をもってあの文を書いたなら、知りもしない、見もしないで、推測だけでものを言うのは無責任だと思います。見た上でどこが悪いのか具体的に述べて下さい。それが本筋というものです。本当に頭を下げてお願いする次第です。

ガンダム』に対する並々ならぬ思いが伝わってくる文章である。鴨打氏の住所の欄に下宿先まで明記されているあたり、本気で唐沢青年からの連絡を待っていたことがうかがえる。唐沢俊一も『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』でこのように書いている。

 だが、この人には僕はそれほどの嫌悪感は感じなかった。とにかく、ボクはガンダムが好きなんだ、悪口を言ってほしくないんだ、という理屈を超えた愛情がほとばしる文章だったからだ。

…って他人に向かって「嫌悪感」を振りまくかのような文章を書いていた張本人が言うことか。「理屈を超えた愛情」ってまるで自分に理があるかのように書いているけど、唐沢青年の『ガンダム』に対する「理屈を超えた反感」がどこから来ていたのか知りたいものだ。で、鴨打氏の「見た上でどこが悪いのか具体的に述べて下さい」というお願いに唐沢青年がどのように答えているかは…次回の記事をお楽しみに(まあ、みなさん想像がつくと思うけど)。

 次に鴨打氏と同じく7月3日号の「YouとPia」に掲載された「駒場の落ちこぼれ」氏の投稿である。実はこの投稿は、唐沢青年への反論ではなく6月5日号の「YouとPia」に掲載された「福島康浩」氏への反論である(福島氏も『ガンダム』を批判している)。「駒場の落ちこぼれ」氏は、

 その観点から「ヤマト」を含むそれ以前の戦争アニメと「ガンダム」を比較して見ると、まず第一に、「ガンダム」が、人間と人間の戦いを扱っていることに気がつくでしょう。従来のアニメは、善悪二元論で貫かれており、さらに悪玉は、人間とはかけはなれた化物ではありました。これでは(原文ママ)、テレビを全編見ていただくと、すぐわかるでしょうが、「ガンダム」では、善玉、悪玉両方の側から、戦争で、愛する者を失った悲しみがくり返しくり返し描かれています。

として、『ガンダム』が「戦争映画」として優れていると主張している。細かい点に疑問がないわけではないが、この考え方は今でも『ガンダム』に対する平均的な理解として通用すると思う(『アメトーーク』のガンダム芸人の回で品川さんあたりが同じようなことを言っていたような気がする)。この「駒場の落ちこぼれ」氏の投稿について、唐沢俊一は『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』で次のように書いている。

駒場の落ちこぼれ」というからには東大生だろうか。これはガンダムが、戦争の悲惨さを描いており、これまでの好戦的なアニメと違って、見ている子どもたちの心に戦争の悲惨さを植えつけられるから優れているのだ、という平凡な論旨。さすがに落ちこぼれるだけのことはある、と読んで感心した。

痛たたたたっ!!1998年当時の唐沢俊一が痛いっ!…いや、「駒場」だからって東大生とは限らないじゃん。駒場には他にも学校はあるんだから。たとえば、駒場東邦高校の生徒かもしれない。…というか、もし東大生だったとしても何か問題があるのか?「平凡な論旨」すら書けない「青学の落ちこぼれ」に言われたくないよ(それに引用はしていないが「駒場の落ちこぼれ」氏は『ガンダム』のワンシーンを挙げて具体的な指摘もしている)。そもそも、福島氏への反論になんで唐沢俊一が噛み付くんだ?唐沢青年と福島氏って立ち位置が全然違うと思うんだけど。まあ、後の東浩紀氏への批判とも共通するものを感じるな。ハッキリ指摘するのはかわいそうだからやめるけど。アニメや特撮について語るのに学歴なんて関係ないと思うけどなあ。

 続く『ぴあ』7月17日号にも、『ガンダム』をテーマにした投稿が2つ掲載されている。まずは「稲垣実」氏の投稿を紹介する。この人は唐沢青年の意見に賛同していて、

僕は作品がテーマをもつこと自体は決して間違ったことではないと思います。ただ、今のブームのように安易にテーマで作品を飾ろうとすることに腹が立つのです。

として、『宇宙戦艦ヤマト』の「我々がしなければならなかったことは戦うことじゃない。 愛しあうことだった」という古代進のセリフばかりが『ヤマト』のテーマであるかのように取りあげられていることに憤っている。

アニメーションファンの方はファンの方で、今まで冷遇されていたアニメーションが「ヤマト」のヒットで日の目を見たもんで、待ってましたとばかりに自分は前からアニメーションのファンだったと言って、知識を自慢したがる。それでいながら、(映画「ヤマト」ヒット以後の)作品のテーマが理解できていないのでは、はずかしいから製作者の意見をうのみにして、しったかぶって作品を批評する。しかしアニメーションに興味のない人から見ればどうでもいいことなので、大して相手にしてもらえない。それでは、物足りないのでファン同士集まって満足いくまで知識をぶちまける。

一見、稲垣氏と唐沢青年の意見は似ているかのようだが、よく読んでみると結構違う。唐沢青年は「何となく「ガンダムにおけるテーマは…」などと口走れば理知的に見えそうなので争ってファンを自称する様になる」と書いていたが、稲垣氏はファン同士が知識を披露しあううちにテーマについて語り合うようになると書いているし、唐沢のようにファンが「悪口をいう人間をよってたかってぶちのめす」とも書いていない。稲垣氏の分析のほうがずっと筋が通っているのだ。それに稲垣氏は『ヤマト』などを批判しながらも、自分が好きな作品として『銀河鉄道999』『ルパン三世カリオストロの城』を挙げている。

アニメーションとはもっと明るく楽しいものであると僕は思う。それなのに、今のアニメーションは、戦争だとかやけに難かしい原文ママものをテーマにもちたがっているのではないだろうか。もしかしたら、唐沢さんの意見もここから出ているのではありませんか。

…そうならいいんだけど、どうも唐沢青年は「売れているものが気に食わない」ということをモチベーションに動いているみたいだからなあ(それに唐沢が『999』と『カリ城』をどう評価しているか…)。本題から少し外れるけど、稲垣氏が『ヤマト』などのテレビシリーズの再編集版が映画になるなどアニメ映画の粗製乱造を批判する文章の中で

近頃の邦画ロードショー欄を見ていると、「フリテンくん」や「夏への扉」などという作品が出ていたが、近頃何でもアニメーション映画にすればよいという風潮があるようだ。

とあったのには驚いた。『フリテンくん』って映画になっていたのか!…稲垣氏の気持ちが少しわかるようなw ちなみに、稲垣氏は投稿当時16歳である。稲垣氏が16歳にしてはしっかりしていると言うべきか、唐沢俊一が22歳にしてはダメすぎるのか。

 次に紹介するのは、稲垣氏と同じく7月17日号の「YouとPia」に掲載された「西荻くぼの「ジュリー」」氏の投稿である。「ジュリー」氏は、日本のSFやアニメは欧米のSFを下敷きにしているものが多いと主張する。

例えば「ゴジラ」はアメリカ映画「原子怪獣あらわる」の翻案ですし、「ガンダム」はハインラインの傑作「宇宙の戦士」のアニメ化です。

唐沢青年がスルーしていた『原子怪獣現わる』をちゃんと取りあげている。ただ、「翻案」というのは少し違うし、「「宇宙の戦士」のアニメ化」というのは唐沢青年と同じく間違っている(当時はそういう風に理解されていたんだろうか?)。まあ、オタクにとってモトネタ探しをするのは呼吸するのと同じなのは今も昔も変わらないということか。

しかし、「ヤマト」や「ガンダム」の企画自体は、完全に幼児向けのもので、別に文句をつける筋合いではなかったのが、何故か大人のファンが増えてきて、可笑しくなってきたんですね。何を隠そう僕だって「ヤマト」はTVの頃からよく見ていましたが、それはヤマトのデザインがカッコいいからで、決して内容が素晴らしいからではありません。

漢字の出てくる本が読めない年齢ならとりあえず、「ガンダム」に全部を求めるのもいいですが、そうでなければ、先にあげたSF小説を読んでみたらどうでしょう。二、三冊も読めば、SFアニメのストーリーなんてたちまち百本くらいできてしまいますよ。そうすれば、極度に貧しい企画力で、一秒6コマくらいの汚ない(原文ママ)下手クソな絵で、設定はアチラのSFのツギハギで、人類の愛がどうの、未来がどうのって言ってるのって、もの悲しくなってくるんじゃないでしょうか。

…四半世紀を経過してからわざわざ突っ込むのもなんだが(本人も忘れてしまっているだろうが)、この「西荻くぼの「ジュリー」」という人はイヤな人だなあw 面白いのは、SFアニメをけなしているくせに『ヤマト』はしっかりチェックしているし、「一秒6コマ」などとアニメにも詳しそうなところ。素直じゃないなあ。好きなら好きっ!って言わなきゃダメだよ。「ガンダム論争」の序盤で「子供向け」についていろいろ論じていたことでもわかるけれど、当時のSFファンにとって、大人になってアニメや特撮を見ていることをどう考えるべきかが、かなり大きな問題だったようだ。そして、「テーマ」について論じられているのも同じことだろう。「アニメや特撮でもこれだけのテーマが込められていて、ファン以外の世間一般でも通用する、大人の鑑賞に耐える作品があるんだ!」という考え方があって、それをどう捉えるかが問題になっていたのではないだろうか。今ではいい大人がアニメや特撮を見ているのは珍しくなくなったようだけど(自分もそうです)、かつてのSFファンやアニメファンはマジメに悩んでいたんだなあ、と少し考えてしまう(唐沢青年も大人になろうとして必死だったのだろう)。もちろん、今のオタクだっていつかこの問題にぶち当たる可能性は大いにあるんだから油断してはいけないのだけど。


…今回は「オタク史検証blog」になってしまったw 唐沢青年の投稿を楽しみにしていた人には申し訳ない。でも、唐沢俊一のウソも暴いているから別にいいんじゃない?と自己弁護。「オタク史検証blog」はやってて楽しかったので、機会があればいずれまたやってみたいと思います。


…遂に「ガンダム論争」における唐沢俊一の最後の投稿となった。唐沢はいかなる理由で『機動戦士ガンダム』を批判しているのか、その全貌が明かされる。そして、事態は新たな局面を迎えようとしていた…。
                                         (つづく)

投稿する人々―いま投稿欄は、こんな「スゴイこと」になっている! (別冊宝島 (406))

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