唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

1981年の「祭り」/めぐりあい新宿編。

 『ぴあ』1981年2月27日号の読者投稿欄「YouとPia」で唐沢俊一が『機動戦士ガンダム』を批判したことによって、「ガンダム論争」はますます激化していくこととなる。とはいえ、『ガンダム』ファンから唐沢への反論がすぐに寄せられたわけではない。むしろ、唐沢俊一が『ガンダム』と同じく批判している『ゴジラ』を主題とした投稿が「YouとPia」に掲載され、唐沢もこれに反論したため、「ガンダム論争」というよりは「SF論争」の様相を呈していたと言っていい。唐沢俊一も『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』(『別冊宝島・投稿する人々』所収)でこのように書いている。

それまでの四月十日号(三月二十七日発売)、五月二十二日号(五月八日発売)、六月十九日号(六月五日発売)の三号にわたって、日本SF映画に希望はある、いやない論争が続いた。僕は少なくとも、これに参加したことで、その後の『さよならジュピター』、そして平成版『ゴジラ』の出来に、日本で三十七番目くらいには、
「だから、言わないこっちゃない」
と叫ぶ権利があると思っている。

と書いている。前にも書いたが『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』の「ぴあ」の号の表示は間違っている。「SF論争」が繰り広げられたのは、3月27日号、5月8日号、6月5日号である。それでは、唐沢俊一が本当に「日本で三十七番目くらいに」叫ぶ権利があるかどうかを見ていこう。


 まず、『ぴあ』3月27日号の「YouとPia」に「鈴木則道」氏の「2/27号唐沢さんへ…日本のSF映画界はこれからです」というタイトルの投稿が掲載された。

 2/27号の唐沢さんの意見は確かに一理あるように思います。確かに大人のギャグ、イマジネーション、ユーモアがあるSF的ドラマ、或いはアニメーションはありません。しかし、その原因が「ゴジラ」にある、というような考えは少々飛躍しすぎているように思えるのです。あなたはよく「ゴジラ」、日本のSFファンをいじめるのにアメリカの映画、アニメーションを引っ張り出してきますね。それはそれでいいのですが、それを使用するならば日米の状況の差というものを考えていただきたいものです。アメリカ(欧州でも)では、SFは20世紀初頭にすでに出ていたのです(もちろんその前にもありましたが、それはSFというよりも発明冒険談のようなものです)。そして普通の文学とは別のジャンルを形成したい(原文ママ)のです。しかし、日本に本当のSFというのが輸入されてきたのは戦後です。40年以上の差というものを考えて書いておられるのなら結構です。しかし、どうもそのようには思えない。

 現在、「スター・ウォーズ」的な番組を日本で制作するのは無理でしょう。それは先程も述べた通り、アメリカ人と日本人との感覚、またはSFの歴史の差です。中年のおじさんはあまり「スター・ウォーズ」を見ませんでした。しかし、アメリカでは違います。アメリカのおじさん達が若い頃、それはジョン・カーターフラッシュ・ゴードン、バックロジャース、カーティス・ニュートンが大活躍をしていたのです。あなたが日本のSF的映画またはアニメに文句を言いたいのは分かります。しかしそれが実現するにはもう少し経たねばなりません。日本のSF作品の水準が次第に高くなっています。スペースオペラも復活しました。もう少しです。

…どうだろう。実に見事な文章ではないだろうか。いや、唐沢俊一の文章しか読んでいないと、当時のSFファンはよっぽどレベルが低いのかと考えてしまいそうなので。もちろんそんなことはなかったのだね。
 鈴木氏が主に指摘しているのは、唐沢俊一が海外の作品を持ち出して『ゴジラ』などを批判しているのは、日本と欧米の状況の違いを考えていないのでおかしいということである。そのうえで、「唐沢俊一のいう「大人の映画」はアメリカ人の感覚で作られているのでそれをそのまま日本に持ち込むのは無理がある」、「日本にも『ウルトラQ』という『アウターリミッツ』に比肩しうる番組があった」、「唐沢俊一の考える、ゴジラ→ヤマト→SFファンという系図は必ずしも正しくない」、「SFの中にもスラプスティックニューウェーブといった様々なジャンルがあるので、深刻なテーマの作品しかないかのように言うのはおかしい」、などといった批判を浴びせている。おおむね肯ける意見である。それだけでなく、非常に礼儀正しい文章で前向きな姿勢で書かれているため、無駄に攻撃的などこかの誰かさんの文章と違って非常に読みやすい。このあたりは見習うべきだったね。いや、今からでも遅くないぞ。
 さて、鈴木氏に対する唐沢俊一の反論は『ぴあ』5月7日号の「YouとPia」に「「ゴジラ」以来のSFアニメ史に新たな見解を!」というタイトルで掲載された。…しかし、これは変なタイトルである。ゴジラ』は「SFアニメ」じゃないだろう。唐沢がつけたのか『ぴあ』編集部がつけたのかはわからないが。なお、今回紹介する唐沢俊一の投稿の内容は『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』ではまったく紹介されていない。この号も大宅文庫のバックナンバーが欠落しているんだろうか。まあ、内容を見たら紹介したくなくなる気持ちも分かるが…。以下全文を紹介していく。

 3/27号鈴木さん、僕はどうしてもあなたや他の方々の様に楽観的になることができません。確かに僕の意見は「ゴジラ」などについては少々否定的すぎると思われるかもしれませんが、(これにはまあ怪獣マニアなる人種に対する私怨もいささか混じってはいますが)まだるっこしい「あえて苦言を呈スル」などという言い方ではどうにも満足できないのです。

 やっぱり。「怪獣マニア」に不愉快な目に遭わされたせいで『ゴジラ』を叩いていたんだ(このことに対する考察は前回の記事を参照)。まあ、東京に来て「アニドウ」に入っていたんだから、特撮ファンのサークルにも入ろうとしたはずだもんね。たぶん、そこでヘコまされたんだろうなあ。もしかすると北海道にいた頃の話かも知れないけど。いずれにしても「あいつらが持ち上げているんだから気に食わない!」という考え方を22歳の若さでするようになっているのは大いに問題があると思う。

『ひょっとして日本の怪獣映画が「ゴジラ」を出発点としてのはマチガイだったのではあるまいか?』と、もう一度考察してみたかったのです。いきがかり上、アニメやSFまで話がひろがり(何しろこの三つは密接に関連しているので)少々論理的にムジュンが出てきてつつかれたりしましたけれど、要は簡単にして明瞭、くわえて憂鬱なこの一言につきます。鈴木さんのおっしゃる40年の差は確かに考慮に値しましょうけど、すくなくてもアチラのSF映画の原点たる作品は(フラッシュ・ゴードンであるかバック・ロジャースであるのか、それとも他の何かか知らんが)もっと無邪気な楽しいものであったことはまちがいありますまい。

 さすがに唐沢俊一も鈴木氏に痛いところを衝かれたことは認めている。おかしいのは「フラッシュ・ゴードンであるかバック・ロジャースであるのか」というところで、唐沢青年が鈴木氏がSFの古典を挙げて説明したことに動揺しているのが見て取れる。自分も作品を列挙して相手をビビらせようとしたけど、逆に同じ手をやられてしまったわけだ。自分が一番物を知っていると思っている人間ほどこういうことをされると動揺するような気がする(自分の知識を誇示するのは論争における初歩的なテクニックなんだけどね)。それにしても「もっと無邪気な楽しいものであったことはまちがいありますまい」って、具体的な根拠も無しにイメージだけで語ってたのか?軽薄だなあ。若者らしいといえばそうだけど。

さらに、系統的には「ゴジラ」に近い「キングコング」において、これは明らかになります。子供の頃TVで見た「キングコング」。あの映画で探検隊の一人が恐竜にとって食われるシーンのコワさは、今だに鮮烈によみがえってきます。そしてラストシーンの直後に、「もういっぺんはじめからみてみたい!」と思ったことも。ゴジラも確かに恐かったけれど、子供心に何となく暗くてイヤなイメージを抱かせるものがありました。僕が日本人であるということは別にしても、どうしてもゴジラには現実的な生臭さがあるのです。巨大なゴリラがエンパイヤ・ステートビルをヨジ登っていく、あの一種シュールな面白さは、ゴジラにはありませんでした。(だから後年改めて見た時すなおに映画の中に入っていけなかったんだね。)

…えーと、今まで逐一検証してきましたが、はっきり言ってかなりバカバカしくなってきました。だって、唐沢青年は具体的な根拠も無しにイメージだけで語っているんだもの。「そりゃあ、君はそう思っているのかもしれないけどね…」と困ってしまう。「批評」のつもりで「感想」になってしまっているのは大学生としては問題だろう(もちろん最初から「感想」を書くつもりならかまわない)。レポートや論文をちゃんと書けたのか心配になる。それにしても、当時の唐沢青年の「日本ダメ!海外最高!」モードはなかなか重症だったようだ。いつ治ったんだろう?

しかも、「ゴジラ」の一応の成功がその後の怪獣映画を執拗なまでにヌイグルミ操演に固執させる結果を招きます。ヌイグルミ方式はどうしても怪獣の形態のバラエティに限界があり、しかも人形アニメ等の手のかかる特撮にくらべ比較的量産がきくため、いきおい似たようなキャラクターの安易な乱造につながっていく。脚本家だって、毎回頭をひねって凝ったストーリーなど考えられないし、ギャラだって安いから、いいかげんに書きなぐる。それだけだといかにも安っぽくみえていけないから、時折思い出したかのように平和だの愛だのといったテーマをちらばして(原文ママカッコウをつける。

 この文章は『ゴジラ』よりはむしろ『ウルトラマン』を批判しているよね?怪獣映画なら「乱造」とまではいかないもの。…あのー、唐沢俊一が東大で『ウルトラマン』について「毎週クオリティの高い特撮番組を作っていたんだから凄い!」という風に褒めているのを自分は直接耳にしているんだけど。一体いつから意見を変えたのか是非ともお聞かせ願いたいところだ。しかし、「脚本家だって、毎回頭をひねって凝ったストーリーなど考えられないし、ギャラだって安いから、いいかげんに書きなぐる」って、金城哲夫佐々木守に申し訳ないと思ってほしい(もちろん山田正弘、上原正三といった他の脚本家にも)。それにちゃんとした知識もないのにギャラのことなんか気にするなよ。

そういうので育った怪獣ファン達が、やがてアニメファン、SFファンになっていく。テーマのある作品(例えばゴジラ)が即ち優れた作品である、と思い込んでいるから、TVアニメなんかにもそれを求めるようになる。そこで商売上手なのが、陳腐な作品を愛だの戦争だのといった重そうなコトバでデコレーションし「ヤマト」だ「ガンダム」だといって売りつける

 はい、問題発言きました。前回の投稿で「かといって『ヤマト』はあまりにオソマツでほめるのがためらわれる」とあったとき、自分はフォローしたけど、二度目となるともうフォローできない。…しかし、この文章を書くほんの4年前まで唐沢俊一は『ヤマト』のファンサークルに所属していたわけだよね?それがどうして『ヤマト』のことを「あまりにオソマツ」「陳腐な作品」と言うんだ?まるで理解できません。

見る方はそんなテーマなど理解できるアタマもないのだが、何となく「ガンダムにおけるテーマは…」などと口走れば理知的に見えそうなので争ってファンを自称する様になる。もっともいくら愛のなんのとワメいたってファン以外の人間からみれば阿呆としか見えないから、ファン同士徒党を組んで、お互いに「このメカの魅力は…」「SF的設定が…」とバカのエール交換をやるようになる。そうして自己満足にひたっているうちに、ふと周りを見渡すと、いつの間にか自分達が多数派になっていることに気がつく。そうすると、こういう連中はグレン隊と同じで、今度は少数派の非SFファンたちをイジメにかかり、「ゴジラ」だの「ガンダム」だのの悪口をいう人間をよってたかってぶちのめす…僕のやり方で今のブーム(狂暴的と形容詞をつけたい)のルーツをたどれば、このようにやはり「ゴジラ」にその諸悪の根元(原文ママ)があることになるのです。

 痛たたたたたたっ!!痛いよ!痛すぎるって!…なんでこんなひねくれた見方をするのかわからない。『ゴジラ』でも『ヤマト』でも『ガンダム』でも、作品が面白いからファンになるのであって「理知的に見えそう」だからファンになるって有り得ないだろう。そもそも理知的に見られたいならアニメや特撮なんて見ないよ。あと、自分は当時の状況を知らないんだけど、『ゴジラ』や『ガンダム』のファンが「非SFファン」をリンチにかけるようなことがあったのだろうか?そんな話聞いたこともないんだが。唐沢俊一なら「アニドウ」あたりで袋叩きにされたこともあるかも知れないが。しかし、唐沢俊一って「非SFファン」なのか?立ち位置がよくわからないよ。それから、『ゴジラ』が諸悪の根源というのもさっぱりわからない。唐沢俊一の論法をまとめてみると…、
ゴジラ』が成功する→『ゴジラ』のような着ぐるみを使った特撮が粗製乱造される→ストーリーを思いつけない脚本家はテーマでごまかそうとする→SFファンは「テーマのある作品」がいいと思い込む→いつの間にか多数派になっていたSFファンによって非SFファンがぶちのめされる
…本気でこういう流れだと信じてたとしたら問題がありすぎるな。そもそも『ゴジラ』が成功したのがいけないってのがムチャクチャだけど。

 僕がよくアメリカのSFやアニメを持ち出すのは、むこうの作品にある、一種のおおらかさに憧れているためかもしれません。日本のSF、アニメ界には、どうも一昔前冷遇されていた頃のコンプレックスから来る陰湿な、排他的攻撃的性格があるようです。

 いや、それは唐沢俊一のことだろう。前の段落での『ゴジラ』と『ガンダム』への批判は「排他的攻撃的性格」の持ち主じゃないとできないヒドさだもの。

もちろんそういう傾向の作品だけをして、日本SFの全てであるというのではありませんが、鈴木さん、あなたのいわゆる「日本」SFの主流は、小説、映画、アニメ等において、やはりその多くはこのような流れの中にあるように思えます。最近SFは多彩になってきた−いわれて書店のSFコーナーの棚をみてみれば、何のことはない、スペオペだのヒロイックファンタジーだの、それこそアチラ作品のイミテートばかりではありませんか。ミーハーの親方みたいな連中によって書かれたダーティペアとか何とかサーガとかの作品群が、内容的に優れたものとはとても思えません。

 うわあ。今度は『ダーティペア』批判か。何とかサーガは『グインサーガ』のことかな?本当にどうしていちいち敵を増やすかな。「内容的に優れたものとはとても思えません」ってちゃんと読んでから言ってるんだろうか?しかし、唐沢青年の理想とするSFがどんなものなのか見当もつかないのは困るな。日本人はスペースオペラもヒロイックファンタジーも書いちゃいけないみたいだし。ちなみに、ここでの『ダーティペア』批判は後々面白い展開になるので覚えておいて欲しい。

ブームというのは人間をメクラ(原文ママ)にするものです。ここ数年のブームにのっかって、SFファン、アニメファン(プロ作家たちまでも)少しハシャギすぎているのではありませんか。現在まで自分たちが歩んできた道ははたして正しかったのか、見通してみる勇気も必要なのではありませんか。
 少し前にNHKの番組でSFブームを取りあげたとき、ゲストとして出てきた石川喬司氏は「クローン人間というの知ってますか」などと大ハシャギしていらっしゃいましたが、わきで「ホウ」などと感心したような声をさしていたNHKのアナウンサーのその目は、サルまわしのサルを見る目つきでありました。SFファンの皆さん、SF作家の皆さん、そろそろ世間があなた方にまき返しをくわしてきますよ。常識的な世間ほどコワイものはないのですよ。今のままでハシャイでいて本当にいいんですか?どう思いますか、皆様、本当に。

 なんでそんなに煽るんだ。そのうち世間がSFを弾圧するとでも言うつもりなのか。「少しハシャギすぎているのではありませんか」って実に嫌らしい文章を書くなあ。でも、結局のところは、SFアニメなどが盛り上がっているのが気に食わないだけなんだろうけどね。後年の『エヴァ』批判と同じで、流行しているものはとりあえず叩くという。

唐沢俊一の1回目と2回目の投稿は、間違いだらけの知識に基づいた独善的な論理のオンパレードで読むのがキツかったが、今回の投稿は別格である。当時の唐沢俊一のすさんだ精神状態がもろに出ているかのようで読んでいるこちらまで暗黒面に落ちそうになってくる。そりゃあ、唐沢俊一が『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』で紹介しなかったのもわかるというものだ(ただし自分で「ガンダム論争」を取りあげている以上は触れなくてはいけないと思うが)。読むのがつらくなってしまったので、唐沢の投稿が掲載されている「YouとPia」の下段を見ると、「ぴあFILMFESTIVAL1981」の上映作品のリストが載っていて、監督の欄に松岡錠司黒沢清手塚真飯田譲治緒方明、といった、後に邦画を背負って立つ監督たちの名前がズラッと並んでいたので「おお」と感動してしまった。…そんな風に脱線したくなるほどキツい文章だったということで。


 この唐沢の投稿に対して、『ぴあ』6月5日号の「YouとPia」に「福島康浩」氏の「怪獣映画とSFアニメを結びつけることは不可能」というタイトルの反論が寄せられた。

 5/8号の唐沢さん、僕の意見は極く根本的には貴方と同じ様なものですが、それを出発点とした考えには大分開きがあるようなので、一言いわせていただきます。
 まず非常に気にかかるのは、貴方が怪獣ファン=SFファンと決めつけているように思われる点です。確かにそういう人達もいるでしょう。しかしそうではない人達(僕や3/27号の鈴木さん…)は、貴方のように決めつけたような書き方をされると、非常に残念に思います。貴方の考えでは、「怪獣ファン」=「ゴジラ崇拝」=「(良くも悪くも)テーマのある作品崇拝」=「ヤマト・ガンダムファン」となるのでしょうか。それはとんでもない間違いです。なぜなら、全ての怪獣ファンが「ゴジラ崇拝者」であるわけではなく、また同じようにテーマを持った作品であっても、「ゴジラ」と「ヤマト・ガンダム」とでは作品の内容(重み)が違います。「ゴジラ」が生まれた昭和29年は、戦後の目ざましい経済復興の影で、米ソ冷戦による核戦争の恐怖の広がりつつあった年であった訳で、ああいう映画によって、間接的にでも核戦争の恐怖を訴えたのだ、と僕は思います。それに対し、「ヤマト・ガンダム」等、いわゆるSFアニメ群は、はっきり言って、「SF的メカによる単なる戦争映画」であり、SF映画の範囲にも入らず、ましてや内容もうすっぺらな、TVムービーの域を出ないものであると思います。ですから「ゴジラ」と「SFアニメ」を結びつけること自体が不可能であり、どちらについても納得、理解し、感動しているというような人は、ただSFブームという時流に流されているミーハーとしか思えません。
 また先にも触れた通り、「怪獣ファン」と貴方が呼ぶ人間が全て「ゴジラ」を崇拝しているわけではないのです。たとえば僕の場合、「ゴジラ」よりも「キングコング対ゴジラ」「海底軍艦」「キングコングの逆襲」等、正面きってテーマを述べるような野暮なマネをしていない、本物の「娯楽パノラマ映画」の方が好きなのです。これらは「スターウォーズ」「フラッシュゴードン」と同種の楽しさを持っている、と僕は思っています。そして、それ故に、貴方の意見と極めて根本に近い部分では同じである、と思うのです。

 福島氏の文章も「鈴木則道」氏と同じく大変しっかりしたものである。唐沢俊一の「『ゴジラ』が諸悪の根源」という主張が成り立たないことを丁寧に説明している。もうひとつ大事なのは、福島氏が自分が好きな作品についてきちんと語っていることだ。唐沢俊一の文章を読んでいると「この人はどんな作品なら満足するんだろうか?」って困惑させられるからなあ。しかし、鈴木氏も福島氏も当時のSFファンはちゃんとしていたんだなあ…というか、唐沢俊一がダメすぎたんだな。『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』で、鈴木氏と福島氏との応酬についてハッキリ書いていないところを見ると、唐沢自身もあまり上手くいったとは思っていないのではないだろうか。
 ついでに書いておくと、福島氏の文章はこのように締められている。

 唐沢さん、住所も近いし、一度会ってじっくりと話しませんか。

 「え?」と思って、福島氏と唐沢俊一の住所を確認してみると二人とも新宿区在住である。なるほど確かに近い。…というか、唐沢俊一は3回目の投稿から新しい住所になっているな。「東京ゴジラ団」に住所がバレちゃったから引っ越したんだろうか(冗談)。なお、福島氏と唐沢青年が実際に会ったかどうかは不明である。福島氏は唐沢に好意的だから(えらいなあ)会っておけばよかったと思うけど。ちなみに、唐沢俊一は福島氏に反論を書いていない。…どうもこの流れを見ていると、藤岡真さんが「DAICON7」で唐沢俊一に会いに行った時のことを思い出して可笑しくなってしまう(詳しくは8月26日の記事を参照)。自分も言っておこうかな。
「唐沢さん、住所も近いし、一度会ってじっくりと話しませんか。」
…まあ、電車で1時間もかからずに行けるから「近い」と思うけど。もちろん冬コミの後でもOKですよ。


…2人の「SFファン」との議論によって苦杯を舐めた唐沢俊一の前に新たな論敵「ガンダムファン」が現れる。戦いに臨む唐沢青年だったが果たして…?
                                          (つづく)

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