唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

久しぶりだなオタアミさん・後篇。

 『唐沢俊一検証本VOL.1』、通販受付中です。タコシェの店頭でも販売しています。


 岡田斗司夫唐沢俊一眠田直オタクアミーゴス』(ソフトバンク)の内容紹介の続き。
 まずは唐沢俊一の発言の中から気になるものをピックアップしていく。P.82〜83より。

だからといって、昔の石上三登志とか森卓也とかそういう評論家が、今だに(原文ママ)「人形アニメの怪獣の方が良い」とか言ってるのは、あれはあれで大人げないと思うんだ。小学館の「日本大百科」で「ゴジラ」って引くと、森卓也が「ぬいぐるみで撮影している幼稚なものなのだが、しかし最近はこれを幼児体験で見て、トラウマになっている若い連中が神格化して祭り上げている」とかいうような悪口書いているんだよ。

昔の大伴昌司とか、そういう人達ってのは、ハリーハウゼンとか、向こうの特撮は凄いけど、日本のはチャチなんだって延々言ってて、ゴジラを誉めなくちゃいけない原稿でも「円谷さんも、本当は人形アニメを作りたかったに違いない。だからこの後のゴジラも円谷さんが生きていたら、きっとダイナメーションで作っただろう」とか書いてんの。作んないって!(笑)

 これで「ガンダム論争」の謎が解けた。当時の唐沢俊一石上三登志森卓也の影響を受けて怪獣の着ぐるみを否定していたのだ(詳しくは2008年11月20日の記事を参照)。

しかも、「ゴジラ」の一応の成功がその後の怪獣映画を執拗なまでにヌイグルミ操演に固執させる結果を招きます。ヌイグルミ方式はどうしても怪獣の形態のバラエティに限界があり、しかも人形アニメ等の手のかかる特撮にくらべ比較的量産がきくため、いきおい似たようなキャラクターの安易な乱造につながっていく。脚本家だって、毎回頭をひねって凝ったストーリーなど考えられないし、ギャラだって安いから、いいかげんに書きなぐる。それだけだといかにも安っぽくみえていけないから、時折思い出したかのように平和だの愛だのといったテーマをちらばして(原文ママカッコウをつける。

 意見を変えるのは悪いことじゃないが、どうして真逆になったのか説明して欲しいところだ。オタアミの他の2人が「日本の怪獣映画はしょうもないからいいんだ」という論調だから影響を受けたのだろうか。
 なお、『日本大百科全書』での『ゴジラ』の項目(筆者は森卓也)より唐沢が言及していた部分を一部抜粋する。『日本大百科全書』(小学館)第9巻P.309より。

香山滋の原作よりも、水爆実験という社会的背景を強調したこともあって、描写は深刻で重苦しく、破壊されるミニアチュア(原文ママ)が重量感に欠けること、縫いぐるみ方式ゆえの怪獣の体形や操作上の難点などを指摘する批評が目だった(原文ママ)が、その後、この作品をいわば幼児体験として成長した世代から圧倒的な支持を受けることになる。

 森卓也は『ゴジラ』公開当時の批評を取り上げているのであって、「悪口」を書いているわけではないのでは?


 P.124で唐沢俊一は「武内直子は石マニアである」という話をしているのだが、

これはウチのアシスタントの伊藤君っていう、石マニアの奴から聞いた話。

と言っている。『オタクアミーゴス』の単行本が出たのは1997年3月。
(追記:この部分の話が大いに問題があることについて、コメント欄で伊藤剛さんが解説されているので、参照していただきたい)


 唐沢俊一が『オタクアミーゴス』の中でメインで紹介しているのは、「昔のホラー漫画」「変なアメコミ」『アクメくん』(中野貴雄監督作品)『ファイティングマン』(韓国の特撮)「唐沢ビデオコレクション」である。この中の「唐沢ビデオコレクション」に少しひっかかってしまった。つまり、箸にも棒にもかからないダメな映画を紹介しているのだが、これが『エド・ウッドとサイテー映画の世界』(洋泉社)収録の「デルモンテ平山のクズビデオ150選」に似ているのだ。紹介されているラインナップも『殺人豚』『どろどろアンドロイド娘』など一部重複しているし。なお、デルモンテ平山というのは平山夢明氏の別名である。
 唐沢は『古本マニア雑学ノート』(幻冬舎文庫)の中で『エド・ウッドとサイテー映画の世界』を買ったことを書いているし、『オタクアミーゴス』P.150でも次のように発言している。

こういうサイテー映画って、オレが買っとかないと、この世から消えて無くなっちゃいそうな気がするし(笑)

「サイテー映画」だもんなあ。ただ、『オタクアミーゴス』巻末の「OTAKUブックガイド」で『エド・ウッドとサイテー映画の世界』『底抜け超大作』が紹介されているから、『映画秘宝』のノリをパクったというわけではないのかなあ。
 しかし、もうひとつひっかかるのは、唐沢俊一がダメな映画マニアを名乗っているのに『映画秘宝』と関係が薄いところである。オタアミのほかの2人で言えば、眠田直山本弘会長の連載のイラストを担当していたし、岡田斗司夫も一度だけ『スターシップ・トゥルーパーズ』についてインタビューを受けていたのだが、唐沢俊一はおそらく一度も登場していないはずである。それどころか、むしろ『秘宝』に批判的ですらあって、かつて『日本オタク大賞』で「『映画秘宝』が「男泣き」と言っているのが嫌だ」と岡田と二人して言っていたくらいである。まあ、『秘宝』と何らかの問題があるのかもしれないが、それにしても本当にダメな映画のマニアなのであれば、映画関連の仕事をやればいいと思うけどなあ。そういえば、唐沢が最近昔の変なマンガを扱わなくなっているのも何か理由があるのだろうか。


 P.168ではオタアミの3人が「ヤマトの思い出」を語っている。

眠田 唐沢さんは予備校時代に「ヤマト」のファン活動やってたんですって?


唐沢 認めたくない若さゆえのあやまちなんだけど(笑)。でも、あのころ自分たちで思った以上に、中央では注目されてたのね。西崎プロデューサーが札幌に市場調査にきたとき、わざわざわれわれをホテルに呼んでくれて。まあ、わたしはみんなの尻についていっただけなんだけど。

 やっぱり、唐沢俊一はサークルの中心ではなかったようだ。しかし、「わたしはみんなの尻についていっただけ」なのに「『ヤマト』ブームは自分たちが起こした」かのように語るのって一体どういうことなんだろう。

岡田 「ヤマト」のファンで、西崎さんを呼んだのは唐沢さんトコが初めてだったんでしょう。それって、最初の映画化の時の話ですか?


唐沢 いや、映画よりかなり前。テレビシリーズが終わって、札幌のテレビ局に再放送嘆願書が山と集まったんですよ。東京とか大阪だと、ある程度そういうのがたまらないと再放送できないじゃないですか。その点、地方局の方が反応が早い。


岡田 ヤマトのエンディング曲「真っ赤なスカーフ」のリクエストをラジオ局に出そうっていう運動もありましたね。


唐沢 当時札幌のラジオ局の深夜放送で「アタックヤング」というのがあって、そこに「なつまん」というコーナーがあった。「懐かしのマンガ・アニメ」。我々のグループが古いソノシートとかレコード、どんどん貸して流させていたんですよ。俺の一オシは「ハカイダーのうた」だったんだけど(笑)。やはり一番人気は「真っ赤なスカーフ」で、なぜかというと、再放送ワクでは副主題歌がかからない、CMでカットされちゃう。これであれを聞きたい、という欲求不満が一気に爆発した。今にいたるヤマトムーブメントは、あのかからなかった「真っ赤な…」が大もとなのね(笑)。それで、レコード会社とかにも、とにかく札幌で何かが起こっているらしいって事がわかって、西崎さんが来ることになった。「ヤマトファンの皆さんの熱い声が聞きたい!」とか言って。

 岡田斗司夫は「札幌のファンが西崎義展を呼んだ」と言っているが、唐沢俊一の発言によれば「西崎義展が札幌に市場調査に来た際にファンに話を聞きに来た」ということになるので、少し食い違っている。岡田斗司夫も当時のことは知っているんだろうけど。『ヤマト』ブームについてはわからないことが多いから、あらためて調べてみる必要があるなあ。


 『オタクアミーゴス』P.175には「笑えるオタクネタ大募集!」とある。

 まだまだ今回紹介しきれなかったネタもいっぱいあるので、この本の評判が良ければ、続けて第2弾、第3弾の刊行も考えているぞ。

 実際に第2弾である『オタクアミーゴスの逆襲』(楽工社)が出るのは、12年後の2009年のことである。まあ、出版社の問題とかいろいろあったのだとは思う。
 しかし、実際のところ、第1弾の方がいい本であるように思う。単純に考えても、ゲストが多数参加している第1弾の方が読んでいてお得な感じがあるのだ。ちなみに、ゲストとして参加しているのは以下の人々。

伊藤伸平開田裕治ソルボンヌK子竹熊健太郎立川談之助寺島令子中野貴雄山本弘

 …なかなかの豪華メンバーである。なお、山本会長は文章でなくマンガを寄稿している。それから、寺島令子「鼻づまりの家系のせいか、唐沢さんの声を聞くと心が安らぎます」と書いているのはどういうことなんだろう。それから、『オタクアミーゴスの逆襲』の問題点については5月1日から3回にわたって指摘している。


おまけ。
オタクアミーゴス』P.6〜7に載っている岡田斗司夫・濃ゆ〜〜い戦いの記録(抄)」が面白いのでさらに抄録してみる。

マチュア時代
1.1979年「第四回日本SFショー」を実行。本来SF大会をするはずだったのに、「業界の慣例」という奴に握りつぶされSFショーにさせられる。これより東京のSFファンダムに敵意を燃やす。
2.1981年「第20回日本SF大会DAICON3」を企画・実行。伝説のDAICON3オープニングアニメを制作。組織票を駆使して星雲賞を取り、古参SFファンに対して溜飲を下げる。
3.1982年、大阪にSF専門店「ゼネラル・プロダクツ」設立。「怪傑のーてんき」、「愛国戦隊大日本」制作。しかしソ連SFを信奉する年寄りSFファン団体「イスカーチェリ」より「右翼!!」と喧嘩をふっかけられる。SFイズム誌上で論破・粉砕してやった。
4.1983年「帰ってきたウルトラマン」制作。DAICON FILMの黄金期。同年、「第22回日本SF大会DAICON4」を企画・実行。SFファンの頂点に立つ(反論のある人はどうぞ)。(以下略)

ゼネプロ時代
1.1982年、「アメリカではガレージキットが大流行」という宇宙船・聖咲奇のアジ文章に騙され、知らず知らずのうちに世界初の商業ガレージキットを制作。おまけにワンダーフェスティバルワンフェス)を一瞬で思いつき、実行。後に飽きたので海洋堂に引き取ってもらう。ジェットビートル等のキット解説はパクられまくって、後に「ウルトラマン研究序説」を生むことになる。
2.1983年、総パーツ数1500を越える「メーサー殺獣光線車」ペーパーキット発売。買い求めた板野一郎が途中で「こんなもの!!」と叫びガソリンぶっかけて燃やした話は有名。日本では6人が完成させたことが確認済み。
(以下略)

ガイナックス時代。
1.1986年、「王立宇宙軍」制作。
宣伝担当の東宝東和と大喧嘩。放火未遂事件。「40分カットしろ」という命令に逆らい「フィルムを切るんだったら俺の腕を切れ」と訴え、119分58秒の尺で公開(契約では120分未満)。そのうち、この一件はどこかで書くので興行関係者は首を洗って待つこと。
2.1987年、理解者がないまま、たった一人で「トップをねらえ!」企画開始。設定、シナリオが上がって、やっと庵野秀明に監督を受けてもらう。
3.1988年、NHK総合の「ふしぎの海のナディア」制作。
東宝で昔、宮崎駿が書いた「80日間海底一周」の企画書を見せられ、「ヒロインの不思議な宝石」「宝石を追いかける三人組」等の設定を強要される。 
この企画は××××とシンクロしていたので最初から参加できなかった。××××後、監督交代。ガイナックスはこれ以後××××。
4.1988年、社内の猛反対を押し切り、電脳学園を初めとしてゲーム業界に参入。
(どれくらい反対されたかというと、武田康広がスキー骨折で入院している隙にこっそり制作した、というぐらいだ)
哭きの竜」「サイレントメビウス」「プリンセスメーカー」「SUPERバトルスキンパニック」「おたくのビデオ」等、制作。凄く儲かったが、儲かれば人の心は変わるものである。
 その後、××××、1992年にガイナックスを退社。
(以下略)

 伏せ字は原文通り。…波乱万丈だなあ。そのうえ、喧嘩を売るようなまとめ方だ。なお、『オタクアミーゴス』には、岡田斗司夫の自己紹介のための写真が3枚載っているが、そのうち2枚は東京大学をバックに撮られている。

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