モラルの葬式。
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●4月7日11時からTBS系列で放映された『ひるおび!』内のコーナー「常識クイズ どっちがホント!?」に唐沢俊一が解説役として出演していた。続投決定おめでとうございます。
●『週刊新潮』4月16日号に掲載されている「東京情報」第113回より。同誌P.106。
私は25年くらい前にやっていた外国人を集めて日本について討論するNHKの番組を思い出した。一度“知っている日本人の名前を挙げる”という企画があったが、そこで圧倒的に多かったのがブルース・リーである。司会の鈴木健二アナウンサーは「ブルース・リーは日本人ではありません!」と声をからしていたが、その頃より少しはマシになったのだろうか?
『唐沢俊一のキッチュの花園』(メディアワークス)P.70より。
十数年前、NHKで『日本はアメリカにどれくらい理解されているか』という番組があった。アメリカの一般市民たちを集めて、磯村“ちょっとキザですが”尚徳氏が、
「あなたの知っている日本人の名前を挙げてください」
と質問したのだが、そこで真っ先に、多くの人から挙がった名前がブルース・リーだった。それが何度も何度も出てくるので、磯村氏がとうとうカンシャクを起こし、
「ブルース・リーは日本人ではありません!!」
と怒鳴るように言ったのがオモシロかった。
たぶん同じ話なのだが、鈴木健二と磯村尚徳を間違えるか? という疑問はある。ちなみに、唐沢俊一は上に引用したコラムで少林寺拳法に関してミスをしているが(2012年2月16日の記事を参照)。「東京情報」の方は新聞通信調査会が行った調査の説明をしているだけで味も素っ気もなさすぎる内容だった。
ついでに書いておくと、現在発売中の『週刊新潮』5月7日・14日合併号に掲載されているダンプ松本の記事で唐沢俊一が名前を出してコメントしているが、別段面白くもなかったので省略。
●コミケットスペシャル6で頒布された同人誌『改造人間の系譜』に唐沢俊一が「潮健児という役者」という文章を書いている(P.3〜13)。この同人誌は5月5日に開催されるコミティアでも頒布されるようだ。唐沢の文章はタイトルそのまま潮健児との思い出を書いたもので、特に目新しい情報はなかったが、興味深い点が2つばかりあった。なお、唐沢が編集および構成を担当した潮の自伝『星を喰った男』に関しては2008年12月26日の記事を参照されたい。
ひとつはP.4のこのくだり。
一九八八年(昭和最後の年)のことだ。
当時私は伯父の経営する芸能プロで仕事をしていて、地方での演芸会のプロデュースなどをやっていた。もちろん、本業はモノカキで、この仕事はアルバイトのつもりでいた。立川流の連中などと交友関係も出来て、いい仕事ではあったが、ぼちぼちと文筆関係の仕事も増えてきており、そろそろ筆一本で立っていく潮時かな、などと思っていた。
「昭和最後の年」へのツッコミはしないでおくが、1988年に唐沢俊一の仕事がどれほどあったのか? というと正直疑問である。唐沢俊一の名前が本格的に表に出てきたのは1989年の唐沢兄弟商会(当時)のマンガ『東方見物録』であり、初の単著である『ようこそ、カラサワ薬局へ』が出たのは1990年になってからである(しかも次の単著を出すまで3年かかっている)。まあ、名前の出ない仕事をしていたんだ、と言われればそれまでだが。2011年2月27日の記事も参照されたい。
もうひとつはP.6のこのくだり。
仮面ライダー放映当時、私は中学二年生である。背伸びをして大人向けのものに食指を伸ばしたくなる年齢であり、テレビでも映画でも、大人向けのものを選んで見るようになっていた時期だった。ライダーが初期の怪奇アクションものから純粋ヒーローものに方針を変え、少年ライダー隊というような設定が作られ、あきらかに子供向け作品にシフトしてきてから、追いかけて見ているのが気恥ずかしくなっていた。(後略)
上の文章を読んで、「唐沢さんは『仮面ライダー』という作品自体にはそれほど思い入れがないんじゃないかなあ」と思ってしまった。以前の記事を書いた時にも感じたことなので、なんとなく納得。「いつその作品に接するか」というのは大事なポイントで、中学生がライダーにのめりこめない、というのは有り得ることかもしれない。自分なんかは幼稚園でスカイライダー直撃、小学校でBLACK直撃なのでそれ以前の昭和ライダーも全然アリなだったりする。だから、ライダーにのめりこめなかったとしてもそれはしょうがないのかもしれないが、平成ライダーをクサすために昭和ライダーを持ち上げるのはやめてほしい。
●岡田斗司夫『僕らの新しい道徳』(朝日新聞出版)P.38〜39で岡田がこんな発言をしていた。
(前略)僕にも、友達が炎上した経験というのはあります。友人の唐沢俊一さんが、一時期ネットでめちゃくちゃ叩かれていたんです。彼を叩くためのサイトがあるくらい。
そういったサイトの文章を読んでいてどう思ったかというと、言っていることは正しいのかわからないですけども、殺人も犯していない人がここまで叩かれるのは何でだよという気持ちでいっぱいになりましたね。
…ということは、岡田さんも当ブログを読んでくれていたのだろうか。別に唐沢俊一を叩くためにブログをやっているわけではないけれど。唐沢俊一がどうして炎上したのかちゃんと説明していないのと「言っていることは正しいのかわからないですけども」などと判断を避けているのがズルいといえばズルいけれど、岡田が唐沢どころではなく炎上してしまった今となっては「そこで炎上についてちゃんと分析しておけば…」という思いが湧いてこないでもない。上の発言からすると、今自分が叩かれているのは理不尽だと感じていたりして。とうとう『週刊文春』にも取り上げられちゃったなあ。
それから、東浩紀との対談では『涼宮ハルヒの憂鬱』についてこんな発言もしていた。同書P.244〜245より。
東 岡田さんは『ハルヒ』はどうですか
岡田 読んでもいないし観てもいません。申し訳ないですが、あんな頭の悪い美少女アニメは観ません。僕にとっては、表紙にあんな絵が載っている時点でもうジャンクです。
東 ええっ(笑)。『ハルヒ』は古いSF読みからしてもけっこうよくできている作品ですよ。
岡田 『ハルヒ』がSFかどうかでなく、おもしろいかどうかの問題です。おもしろそうではないから読んでいないだけで、SFであれば読むというような読み方はしたくありません。「結構、よくできている」程度のものに触れている時間がないんです。本当におもしろいものだったら、もっと普通の人も観ているし、読んでいるでしょう。 『エヴァ』もアニメファンに向かって作られた作品ですが、一般世界に飛び出てきましたよね。『ハルヒ』はSFとしてもアニメとしてもそこまでの脱出速度を持っていないから、飛び出て来ないんですよ。
念のために付け加えておくと、岡田はその後『ハルヒ』のアニメ版をチェックしてそれなりに評価している。
この発言についての第一印象は「どうしてそんなにイライラしているんだ」である。少し前に岡田が『Gのレコンギスタ』の1話を酷評したときにも感じたことだが、彼にとってはもはやアニメを観る行為そのものが苦痛でしかないのかもしれない。加えてこれだけ批判していた『ハルヒ』を後になって結局観てしまっているあたり、流行った作品をチェックしなければならないという使命感あるいは虚栄心が岡田の中では残っているのが感じられて、そのおかげで余計に苦痛が増しているという気の毒な状態に陥ってしまっているのではないだろうか。オタクからすっぱりとリタイアしちゃった方が彼にとってはしあわせだと思う。あと、のいぢ絵だけで『ハルヒ』を否定するのもすごいなあ。同じ理屈で『トップをねらえ!』を観ずに否定できることに岡田が気づいているのかどうか。余談だが、原田曜平『ヤンキー経済』(幻冬舎新書)の中でマイルドヤンキーが好きなアニメのひとつとして『ハルヒ』が挙げられていて、岡田の考えとは違って『ハルヒ』はオタク以外の「一般世界に飛び出て」いるのではないか? と思われる。ちなみにオタクとヤンキーの関係については後日あらためて論じる予定。岡田斗司夫も登場するよ!
さらにもうひとつ余談をしておくと、上に挙げた『僕らの新しい道徳』に収録されている岡田と東の対談では、東が提唱している「福島第一原発観光地化計画」に岡田が鋭く切り込んでいて、同書の中では個人的に一番面白い内容になっていた。それ以外にもなかなか興味深い部分のある本だったので、いずれあらためて紹介する機会があるかもしれない。
それにしても、「岡田斗司夫が“道徳”について語るなんて悪い冗談でしかない」とつい思ってしまう。だって、本のタイトルを見ただけで笑っちゃうもの。「評価経済」「いい人戦略」も完全に面白ワードと化してしまっている。
自分などは例の騒動に関係なく以前からの傍若無人な振る舞いを考えて「岡田さんには道徳なんて必要ないだろ」と思っていたのだが、どうも岡田の考える「道徳」は世間一般の「道徳」とは違うようだ。『僕らの新しい道徳』P.283より。
これまでの安定していた社会から、変動する社会へ。僕らはこの変化にうまく対応できていなくて、どんどんしんどくなっています。
どうしてしんどくなったのかを考えているうち、最近は見向きもされなくなっている道徳というツールが、意外に役立つのではないかと思いつきました。こんな便利なものが身近に転がっているのに、使わない手はないでしょう。(後略)
道徳を「ツール」「便利なもの」と捉えている時点でだいぶズレを感じざるを得ない。『僕らの新しい道徳』を読んでいても、岡田の考え方は「道徳」よりも「損得」の方に寄っているように感じられて、実際問題「損得」で考える方が従来の岡田のキャラクターからしても違和感はない。
じゃあ何故「道徳」なのかというと、マイケル・サンデルにカブれた影響と乱暴に考えてしまうこともできるが、かつて「教養」に憧れた時と同様に(2010年10月16日の記事を参照)自らの中にはない確からしいものを求める気持ちがあったのではないか、と個人的には考えてしまう。この邪推が当たっていたとしたら少し寂しい話だ。
『僕らの新しい道徳』というタイトルを目にしただけで笑ってしまう、と上で書いたが、もうひとつ気になるのは「僕ら」である。岡田の近著は『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』(PHP新書)というタイトルで、そもそも初の単著が『ぼくたちの洗脳社会』(朝日新聞社)というタイトルである。「ぼくら」「ぼくたち」というと一昔二昔前のサブカルチャーを思わせるフレーズだが、サブカル嫌いを公言している岡田がこれらのフレーズを多用しているのが少し不思議である。
そういえば、唐沢俊一は「われわれ」をよく使うが、「ぼくら」「ぼくたち」「われわれ」を主語にすると書き手/話し手の責任が軽減される効果があるような気がする。「いえいえ、このように考えているのは決して自分だけではないんですよ」みたいなエクスキューズというか。自分などはこれらのフレーズを目にすると胡散臭く感じてしまう。たとえば、上に引用した岡田の発言をもう一度引いてみるが、
これまでの安定していた社会から、変動する社会へ。僕らはこの変化にうまく対応できていなくて、どんどんしんどくなっています。
これには「いやいや、その“僕ら”に俺は入ってないから!」と思ってしまう。もし仮に岡田が現在生きづらさを感じていたとしてもそれは岡田個人の問題だろう。「個人の問題に過ぎない事柄を全体に拡大する」癖が岡田にはあると以前指摘したことがあるが、「ぼくら」「ぼくたち」の多用も同じようなものだし、それは「オタク第一世代」という概念にも言えることなのかもしれない。愛人騒動も「ぼくら」「ぼくたち」の問題にされたらある意味凄いけれど。
岡田斗司夫問題、正直「あんまり触れたくないなあ」と思っていたが、やってみたら面白くなってしまうから困る。早く唐沢問題も面白くなーれ。
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