唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

唐沢俊一検証雑感・その1

タコシェで既刊『唐沢俊一検証本VOL.1』『唐沢俊一検証本VOL.2』『トンデモない「昭和ニッポン怪人伝」の世界』『唐沢俊一検証本VOL.3』『唐沢俊一検証本VOL.0』「唐沢俊一検証本VOL.4」の通販を受け付けています。タコシェの店頭でも販売しています。
・初めての方は「唐沢俊一まとめwiki」「唐沢俊一P&G博覧会」をごらんになることをおすすめします。
・当ブログにコメントされる場合には誹謗中傷および個人を特定しうる情報の掲載はおやめください。守られない場合には厳正に対処する可能性があります。
・1970年代後半に札幌でアニメ関係のサークルに入って活動されていた方、唐沢俊一に関する情報をご存知の方は下のメールアドレスまでご連絡をお願いします。
karasawagasepakuri@yahoo.co.jp


浅羽通明氏にはオタク・サブカル関連の論考が多く、来たる岡田斗司夫検証の際には氏の著書を参考にすることもあるかもしれない。岡田の方でも著書の中で浅羽氏の名前を何度か出したことがあるから、気になる存在だったようにも感じられる。唐沢俊一が浅羽氏について言及したことはたぶんない。
 さて、1990年発行の『ニセ学生マニュアル 死闘篇』徳間書店)をチェックしていたら、ブレイク前の宮台真司の講義が紹介されていたりして面白かったのだが、P.190〜191では五十嵐一筑波大助教授(当時)の講義が紹介されていて、冒頭には次のようにある。

 結局、何も起こらなかったラシュディー『悪魔の詩』上下(サイマル)を訳した人。


 このくだりを読んだ時、たかみーが南をポンした時の憧ちゃんみたいに変な声が出てしまった。五十嵐助教授が何者かによって殺害されたのは『死闘篇』が発行された翌年の7月だからやむを得ないこととはいえ。最近の浅羽氏の活動で言えば、『ナショナリズム』文庫版あとがきでのネトウヨへの論評も実にすばら!だった。『阿知賀編』5巻をあわあわのイラスト目当てで文教堂で買ったよ、と特に意味もなくカミングアウト。





●今回からしばらく、これまでの唐沢俊一問題の検証を通じて自分なりに感じたことを書きつけていくことにする。なお、通常の文章とは一人称が異なるなど若干書き方を変えているが、単なる気分の問題なのであまり気にしなくてもいい。今回は唐沢俊一問題を検証する動機」について書く。


 

 ぼくが唐沢俊一氏にまつわる諸問題を調べるようになった詳しい経緯については『唐沢俊一検証本VOL.2』の中にまとめてあるので興味のある方はそちらを参照してほしいが、それでも「何故唐沢氏について調べるのか?」と気にされている人は多いようで、その旨を訊かれたことも一度ならずあった。そういうこともあって、「楽しいから面白いから検証している」と事あるごとに書くようにしていた。実際その通りだし、それ以外の理由といえば「ささやかな正義感」があるくらいだろうか。唐沢氏を調べることによって現実的な利益が生じたことはほとんどないので、別に欲得ずくでやっているわけでもない。
 正直な話、何故そこまで動機を気にする人が多いのかよくわからなかった。動機はどうあれ検証した結果が正しければそれでいい、ぼくにはそうとしか思えなかったのだ。善意にもとづく誤った検証よりも悪意にもとづく正しい検証の方がいいはずではないか。



 しかし、最近になってようやく気づいた。つまり、ぼくが唐沢氏を検証している動機を気にしていた方々は、ただ単に「唐沢俊一検証blog」を不気味に思っていたのだと。何の利害関係も無しにひとりの人間を長々と調べ続ける情熱がどこから来るのかわからずに戸惑っていたのだ。



 それに気づいたきっかけは『レッドマン』である。『レッドマン』というのは1972年に放送されていた特撮番組で、月曜から土曜まで毎朝5分間放映されるという放送形式をとっていたという。1970年代にはそのような短篇スタイルの特撮番組がいくつも作られていたのだが、短篇だけあってあまり複雑なストーリーにはできない。これもやはり70年代に作られた短篇特撮である『行け! ゴッドマン』では、怪獣が人々を襲っているという一応の前振りがあった後、ゴッドマンと怪獣の戦いが実に延々と続くというきわめてシンプルな構成になっていて、以前CSで再放送を観たときにはあまりのゆるさに感動すら覚えたものだった。
 ところが、『レッドマン』にはそのような前振りすらない。最初からレッドマンがいきなり怪獣と戦っていたり、呑気に歩いているだけの怪獣にレッドマンが襲い掛かったりする。つまり、番組を見るだけでは「何故レッドマンは怪獣と戦うのか?」、その理由がわからないので、どことなく不気味な感じがするのだ。一度そう思うと、レッドマンの端正なマスクも、円谷怪獣のゆるすぎる造形(特にガラモン)も、怪獣を崖から突き落としたりする殺伐とした戦法も、巨大感のまるでない撮影も、すべてがすべて不気味に感じられてくる。「レッドマンはなんだかこわい」と思ったのはぼくだけではないようで、一部では「赤い通り魔」とも呼ばれているそうである。


 『レッドマン』は2013年5月現在、チャンネルNECOで再放送中だが、ある日それを観終わった後にハッと気がついた。「ああ、ぼくはレッドマンだったんだ」と。野原を呑気に歩いていた唐沢俊一を見つけ、「検証ファイト!」と叫ぶなり襲い掛かり、必殺武器の検証ナイフや検証アローで痛めつけていた……、そういう意味ではなく、動機をしっかり伝えないまま突飛な行動をとる者は傍から見ると不気味に感じられてしまう、ということである。「楽しいから面白いから検証している」というのはぼくの偽らざる本音だが、それに納得できない人もいることは自分なりに弁えなければいけないのかもしれない。
 ついでに書いておくと、レッドマンには怪獣を退治しているというよりも「処理」「駆除」をしているという趣きがあって、唐沢氏のミスを事務的に指摘することの多い「唐沢俊一検証blog」の管理人としてはこの点でも共感してしまわないでもない。



 次回は「“唐沢俊一検証blog”の活動に伴う影響について」を考える予定。



悪魔の詩 上

悪魔の詩 上