唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

ゴーイング・アンダーグラウンド。

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 今回は唐沢俊一が過去に書いた児童ポルノ規制についての文章を紹介したい。問題の文章は、『フィギュア王』№51に掲載されている『唐沢俊一のおんなのこってなんでできてる?』第49回「地下にもぐれ!」である。…しかし、何度見ても気色悪いタイトルだなあ(マザーグースがモトネタなんだろうけど)。なお、この文章はおよそ8年前(2002年)に書かれているということに留意していただきたい。

 児童ポルノ法案、またの名をロリ規制法案について、なにやら抗議集会とかネット論議とかがさかんなようだ。私などのところにもコメントを求めてくるところがある。一応、言論の自由という建前から反対は表明するものの、そのたびに、彼ら反対派は本気でこれを言うておるのかね? と、私など、いささか疑問なんである。
 彼ら反対派もまさか、いたいけな少年少女を裸にムイて未成熟な部分を鑑賞すること(もしくはその状況を絵や活字にして表現すること)がお天道さまに誇れることだとは決して思うてはおるまい。要は私と同じく表現の自由を守れ、という論理で責めているんだろうが、表現の自由と児童の性的虐待防止とはそもそも立脚点を異にする論であるわけで、これで本気で国民全体のコンセンサスを取れると信じていたらかなりマヌケである。表現の完全な自由を、というなら差別発言をする自由、誹謗中傷をする自由を守らねばなるまい。それだけの覚悟を決めて抗議しているのかしらん。

 まず、ここで唐沢俊一が述べていることが、8年後に『社会派くんがゆく!』青少年健全育成条例について語っていることとほとんど同じということに気づく。

唐沢 表現の自由を標榜するなら、すべての表現の自由も認めないといけない。たとえば、ロリを肯定するならば、障害者を抹殺するような小説とか、身分差別を肯定するような漫画を書くことも肯定しないといけないわけ。そこネグって性描写だけ認めろって言い分は、オレは甘いと思う。ロリはロリ規制に反対するばかりじゃいけない。全ての表現規制に反対しないといけない。そこらへん、甘いというか腰の据わっていない反規制派が多いので、どうにも歯がゆいんだなあ。

 しかし、児童ポルノ規制にしろ青少年健全育成条例にしろ「表現の完全な自由」を求めている反対派がどれくらいいるのだろうか。それに、わいせつな表現と差別発言や誹謗中傷といった別個の問題をいっしょくたにしてしまうのは感心しない。そもそも、表現の自由はいついかなる場合においても保障されるわけではなく、一定の制約を受けることがある、というのが一般的な解釈である。…そういった前提を「ネグって」あれこれ論じているのはいかがなものか。
 また、「表現の自由と児童の性的虐待防止とはそもそも立脚点を異にする論」というのはむしろ規制を推進する側に対して言うべきことだろう。

 アカデミズム界の過激派、カミール・パーリア女史はかつて未成年ポルノOK論を吐いてアメリカじゅうを震撼させた。彼女の理論によると、性的欲望というものは人間が生まれたときからすでにあるものであり、未成熟な少年少女にも当然ある。だから、成年未成年にかかわらず、彼や彼女がそれを自ら望むなら、ポルノ写真を撮られることも問題ない。それを妨げることの方が性的なゆがみを生じさせる、というのである。
 ここまで過激な論理を、日本のロリ擁護者は吐けるかな?

 カミール・パーリアの話は『社会派くんがゆく!』にも出てくる。

唐沢 そういう特殊な連中を例として出しちゃいけない(笑)。一時期、カミール・パーリアっていう「子供にも性欲があるんだから、子供のセックスも認めろ」みたい過激な主張をしていたアメリカの女流社会学者もいたけど。

 まあ、「過激な論理」だから凄いというわけでもないと思うけどね。パーリアの「未成年ポルノOK論」も「自己決定権」を徹底すれば当然そういう結論に成り得るのだから、ある程度勉強していればそんなに驚く話でもないような気もする。勉強してない人にとっては話は別なんだろうけど。

 これは以前、誰だったかが教えてくれた一行知識にあったが、われわれ人間の脳は“錯誤の帰属”という現象を起こす。不倫に人が燃えるのは、“見つかったらどうしよう”と思う罪悪感の不安による心拍数の増加や血圧の上昇が、自分の脳に“愛による興奮”と誤認されるためなのだ。
 誤認か錯誤か知らないが、とにもかくにも、われわれがそれにより大いなる快楽を享受できるのは事実である。ロリコンに、ショタコンに、SMに、スカトロに、われわれが熱中するのは、それが“いけないことだから”という理由が大きい。中学生のころ、コッソリ便所で吸ったタバコのおいしさを記憶している人は多いだろう。あれが大人になって吸うタバコより数層倍もうまいのは、それが禁じられたことだからなのだ。

 「錯誤の帰属」については「トンデモない一行知識の世界」を参照。で、ここで出てきたロリコンはいけないこと/禁じられたことだから気持ちいいのだ」という理屈で最後まで進んでいくのである。

 明治のアンちゃんたちは、活動写真を観に行って、娘手踊りの記録映画などを観て、そのスソからチラリと白い足がのぞくのに大興奮。館内が口笛と歓声に満ちたという。彼らの血圧の上昇度、心拍数の増大度は、こんにちの我々がAVを観た場合などと比べ物になるまい。慣れることは不幸なことである。少なくとも今回の規制法案で、ロリやショタの楽しみは倍増した。それは確かなことである。楽しみは、それを享受するために努力し、犠牲を払う者のためにのみ、存在するべきである。ましてロリショタは日本国民全員に与えられるべき権利ではないことは確かなのだ。それは選ばれた快楽のエリートたちのみのものであるべきだ。

 「ロリショタ=快楽のエリート」論は唐沢俊一岡田斗司夫が好む「オタク=エリート」論と似ていて興味深い。しかし、日本国民全員が「ロリショタ」になるわけがないし、「快楽のエリート」という存在を生み出すことに何かしら意義はあるのだろうか。「規制されてよかった!」という発想はポジティブすぎて価値が顚倒しているよ。

“気持ちいいこと”は、たいがいしてはいけないことである。ルストマーダーから女湯ののぞき見、ジャンクフードの食いまくりにいたるまで。してはいけない、という理性の禁止を無視するところで、一層その快感は増大する。ジェフリー・ダーマーや肉屋のフリッツ、佐川一政まで、快楽殺人者が英雄視されるのは、彼らが理性の奴隷たるわれわれ凡人にできないことを行った人々だからである。

 そこにシビれる! あこがれるゥ」みたいだな。『スーパーサイズ・ミー』のモーガン・スパーロックは別に気持ち良さそうではなかったけどね。なお、「ルストマーダー」は“Lust Murder”=「快楽殺人」のこと。
 …ただ、唐沢本人も「一層その快感は増大する」と書いている通り、禁止によって快感を得る、ということはあくまで補助的な要素にすぎないのではないか。女湯ののぞき見にしろジャンクフードのドカ食いにしろ快楽殺人にしろ「理性の禁止を無視する」ことがメインではないのだ。それはロリコンでも同じことだ。にもかかわらず、それがメインであるかのように書いているから話が妙なことになっていく。

 戦後、共産党が合法化されて、これで日本は一気に共産化するか、と思われたが、あにはからんや、その後共産主義は衰退の一途をたどった。青年たちは、それが違法なことだから、という理由で共産主義運動に身を投じていたのである。それが許可されてしまったら、彼らはすでに英雄、自由のための殉教者ではなくなる。すなわち、魅力がなくなったのである。

 …えーと、日本の政治運動の歴史を多少知っていれば、こんなことは書けないと思うんだけど。唐沢俊一安保闘争をどのように考えているんだろう。あと「民青」についてどう考えているのか。おそらく唐沢俊一は「運動」というものをナルシシズムを満たすための手段として捉えているからそういう風に考えるのでは?と推測。

 すでに記憶からも薄れているが、ポケモン同人誌事件のときも、やおい同人誌事件のときも、やおい同人誌に対しての賛否がかまびすしかったが、その合法非合法はさておいて、忘れてならないのは、人がやおい同人誌を作る快感がドコにあるのか、ということだろう。いくら
「あれは違法行為です。逮捕されますよ。裁判になれば負けますよ!」
 と識者もしくは識者ぶりたがり屋が説教したところでそもそも、やおい同人誌を作っている人々は、アレが正しいことだからと信じて作っているわけではないのだから、この指摘自体がマヌケなのである。
 問題は、ああいうやおいという創作形態のものを作ってしまう、作ることで快感を感じてしまう、人間の心理の方なのである。
 やおいをサンプリング文化として評論している文章をどこやらで見かけた。この論旨がどれだけポピュラーなのか知らないが、ものの本質がまったくわかっていない。著作権云々が問題なのではない。©が取れても取れなくても、とにかく、やおいの作者にとって、マンガの作者にとって、マンガの主人公たちにホモらせる、その社会規範からの踏み外しこそが快楽なのだ。許されざることをすることが快感なのだ。

 「識者ぶりたがり屋」にはどこかの誰かを連想して思わず笑ってしまった。
 しかし、他人の話を「ものの本質がまったくわかっていない」と言っている割りには唐沢俊一も結構ハズした話をしている。まず、二次創作をやる側は「社会規範からの踏み外し」などは考えていない。山本弘会長だって『生徒会の一存』の同人誌をそんなつもりで作ってはいないだろうし、唐沢俊一だって『宇宙戦艦ヤマト』の二次創作をそんなつもりで書いたわけじゃないだろう。『トンデモ一行知識の逆襲』(ちくま文庫)P.162〜163より。

高校のとき、お決まりでみんなが古代進と森雪のセックス話をてんでに
作って夜の作業に供していたとき、私の作ったストーリィの巧みさに全
クラスが驚嘆(カトリックの男子校だった)し、ひとりが、
「カラサワ、お前、作家になれや」
と薦めた。私のコンニチの道を決めたのは、この一言、古代進と森雪の
セックス話だったかも知れぬ。

 次に、「社会規範からの踏み外し」云々が仮に正しかったとしても、それは「やおい」に限らず男性向けの二次創作にもあてはまる。たとえば「放課後ティータイムのメンバーがエロい目に!」とかね。他に「ひだまり荘のみんながエロい目に!」「芸術科アートデザインクラスのみんなが(以下略)」、…『きらら』系の作品をそういう風に見ちゃダメだとわかっているんだけど。いずれにしても、「やおい」に限定する意味はないってことだ。あと、「やおい」でもオリジナルの同人誌については唐沢理論だと説明がつかない

 どんなに国が悪法で取り締まろうと、弾圧を加えようと、人間のエロ本能は決して滅びない。それは私が保証する(笑)。取り締まりが激しくなればなるほど、エロ本を見る喜びは増大するだろう。ましてや、製造・販売する喜びたるや。コミケ等でやおいやエロの同人誌を売るのは、それが黙認されてはいるが犯罪には違いない、という綱渡りのドキドキ感を味わいたいがためである。人は完全な管理下では生きていけない生物なのだ。

 …そ、そうかなあ。コミケに参加する喜びというのはそういうものなのだろうか。自分はそういう気持ちは全くなかったんだけど、コミケの常連の皆さんはいかがでしょうか。しかし、唐沢が本気でそう信じているなら、今回の都条例にも賛成すべきだろう。規制が強まれば、ますますコミケに参加する楽しみが増えるわけだからね。児童ポルノ規制の時は「言論の自由という建前から反対は表明する」とか妙に腰の据わらないことを言っていたわけだけど、より立場を明確にしておくことをお勧めしたい。徳川セックス禁止令が出ようとエロ本能は滅びなかったけどさあ。

 今回の規制に反対している人々を見ると、その点進歩ねえなあ、という感じがつくづくする。学生運動からの流れなどが多いようだが、そういうノスタルジックな抵抗、抵抗することに酔っているような行動にどれだけミがあるか。私は疑問に思うのである。
 国家の法律に正々堂々と抗議するということは、国家の法律制度を逆サイドから認めているのと同じである。法律など無視しろ、今の国家そのものを否定しろ。それこそが真のアナーキズムだ。
 規制されたら、地下へもぐれ。法の目をかいくぐって、美少女同人誌を発行し続けろ。その快楽、危険と隣り合わせの快感度の高さは、何物にも変えがたいだろう。そして、日本国をアザ笑え。法律のもとでショボショボと暮らす平凡人どもを見下すがいい。それが、ロリという性のアナーキストにのみ許された特権なのである。

 ノスタルジックな運動のありかたを批判する文章が「地下」へのノスタルジックな憧れで占められているというのは皮肉でしかない。ロリコンという独特な性的嗜好を「性のアナーキスト」とか持ち上げているのもどうだろう。「進歩ねえなあ」というのはこっちのセリフだよ。「夢見るアリスチャン」ってやつ? それに唐沢俊一は「運動」をバカにしているが、今回の都条例の問題にしても「運動」は効果をあげている。「運動」をクサすのなら、もう少し現実的なアイディアを示してほしいものだと思う。「地下へもぐれ」と言われても困る。
 まあ、はっきり言って無責任なアジテーションでしかない。唐沢俊一がいざという時に「地下」にもぐって活動を続けるような人なら説得力もまだあるんだけど。…もしかすると、『熱写ボーイ』で連載しているのが「地下」での活動にあたるのかもしれない。あの雑誌を買う時は、書店の18禁コーナーに行かなきゃいけないんだよなあ。俺も地下活動してるってこと?
 ついでに書いておくと、この「地下にもぐれ!」の回のソルボンヌK子のイラストでは、「ロリ規制しろ!!」というタイトルで、赤ん坊が犬と一緒に飛行機のコンテナに入れられている様子が描かれている。「快適な空の旅」のために「赤ん坊の機内持ち込み」も規制しよう、ということなのだろうが、ユーモアとして笑えるかどうかは微妙(唐沢夫妻には子供がいないことを思い出した)。


 …8年前の文章と『社会派くんがゆく!』を比較して、あまりに変わり映えがしないことに驚いた。アメリカでの谷沢の様子を見たときの安西先生のような心境。もしかすると結論ありきで論じているから変わり映えしない内容になってしまうのかもしれない。そういう態度で社会問題を論じて意味があるのかなあ。
 それから、表現の規制についての唐沢俊一の議論はあまり意味がないと思う。規制を推進する側にとっても反対する側にとっても役に立たないものだし、かといって新たな見方を提供しているわけでもない。「何も言うな」とまでは思わないけれど、「やりたければどうぞ」と堤義明みたいに思ってしまった(もちろん森祇晶唐沢俊一と比べ物にならないくらい偉い人だけど)。あと、唐沢俊一P&Gをくりかえすのは「いけないこと」をあえてやることで快感を味わいたいからかもしれないと思った。…もしその通りだとすれば、かなりのヘンタイだな。



三ツ矢サイダー。これと『アゲハ』は一応歌える。

Going Underground

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SLAM DUNK 完全版 7 (ジャンプコミックス デラックス)

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