唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

ヨーコミッチーに逸れすぎだ。

 唐沢俊一ソルボンヌK子『昭和ニッポン怪人伝』(大和書房)、今回は第11章「オノ・ヨーコ美智子皇后」について紹介する。


…え?


 どうしてこの2人が並ぶのかちょっとビックリしてしまう。高度経済成長期を象徴する人物として皇后さまを挙げるのはいいとしても、オノ・ヨーコと比較できるのかと。たとえば、吉永小百合と比較するのだったらまだ納得できる。…まあ、吉永小百合をチョイスしたとしてもロクなことにはなっていなかっただろうけど。唐沢俊一は日活の映画を観ていないみたいだからね(なお、唐沢が日活の作品を観ていないというのは『昭和ニッポン怪人伝』の別の章を読んでいてもわかるので、そのことは別の記事で説明する)。
 で、唐沢は皇后さまとオノ・ヨーコを比較するのにちょっとしたアクロバティックな仕掛けを発動させている。…ひらたくいえばただのこじつけだけど。つまり、2人には「三島由紀夫」という共通点があるというのだ。では早速見ていこう。
 最初に、三島由紀夫オノ・ヨーコ学習院の先輩・後輩であるとする(8歳違いなので学生時代に交流はなかったはずだが)。そして三島がヨーコのことを嫌っていたとして、次のように書いている。P.205より。

 なぜ、三島がオノをそこまで嫌ったのか、詳しくはわからない。男性に献身し、その死に当たってはそれに準ずる(原文ママ)日本的な女性のあり方(三島の作品『憂国』における武山麗子のような)をよしとしていた三島が、夫を3度も変え、2度目と3度目は外人、しかも3度目のジョン・レノンとの結婚は略奪婚であったというオノの生き方を肯定するわけはないだろうということはわかる気がするが、一方で三島は、60年代には『平凡パンチ』誌などにたびたび登場しては、若者文化に敏感なアンテナを広げていた。8つ年下のヨーコの生き方を嫌うなら、当時の若者文化への理解など、できっこないのではないか。

 「準ずる」は「殉ずる」か?しかし、「若者文化」に理解を示すのと若者の生き方に理解を示すのは別の問題である。唐沢俊一は若いオタク向けの文化と若いオタクの生き方に理解を示していないから、ある意味一貫しているのかも知れないが。…そういう人がオタク文化について語るのはどうかと思うけれど。

 続いて、唐沢は三島がヨーコの家柄や裕福さについてコンプレックスを持っていたとして、次のように書いている。P.206より。

 三島が秘かに彼女の血筋をうらやんでいたとしても不思議はない。さらには、同じ上流階級の娘として、きちんと“上流階級の責任”を果たしている、ある女性と、三島はオノを無意識のうちに比較していたのではないだろうか。そして、その女性、現在では自分の手の届かないところに行ってしまった女性を、三島は秘かに恋していたのではないか。
 その女性とは、美智子妃殿下(当時)、かつての正田美智子である。

 ゾクゾクするようなこじつけ方である。仮定に仮定を重ねているのがたまらない。これで全編にわたって説明できると思っているのが凄いな。
 そして、三島由紀夫と正田美智子がお見合いしていたという話(真偽は不明)をするのだが、事実関係に誤りがある。P.206〜207より。

日清製粉社長・正田英三郎の長女であり、祖父の貞一郎は日清製粉創業者、兄の巌(日本銀行監事)はライオン首相として親しまれた元首相・浜口雄幸の娘と結婚している。

 正田巌は浜口雄幸孫娘と結婚している。

 いくら唐沢でも、三島由紀夫という一点だけで2人について文章を書くのは無理があるとさすがに気づいたのだろう。別の共通点も挙げている。P.208より。

 生き方も考え方も全く異なる2人であるが、その距離は案外、近い。
 生まれたのはヨーコの方が1年早い、1933(昭和8)年。つまり、のちに美智子さまの夫となる今上陛下とヨーコは同い年になる。このとし、ヨーロッパではナチスが政権をとり、翌年にはヒンデンブルグ大統領の死によって、ヒトラーが完全にドイツの政権を握ることになる。
 美智子さまが生まれた1934(昭和9)年、日本は1922(大正11年)(原文ママ)に締結されたワシントン海軍軍縮条約の破棄を通告、世界は戦争に向け、一歩一歩、その足を進めていた。
 ヨーコも、美智子さまも、その一生を通じ“平和”を訴え続けている。それは、多感な少女時代に、戦争への足音を聞き、実際の戦争の悲惨さをその目で見ているからだろう。

 「皇后さまとオノ・ヨーコは1歳違い」ということをここまで膨らませることに感心してしまう。1933年と34年に生まれた女性は平和を訴えるってことかい?そんなもん人によるとしか言いようがないだろうが。…しかし、20年近くプロでやっているライターがここまで内容が空疎な水増しされた文章を書いていることには驚くしかない。

P.209より。

 正田美智子が皇太子明仁と婚約、というニュースが日本中を駆けめぐった1958(昭和33)年は、安保条約の改定の交渉が、日米間で始まった年でもある。当時の首相は佐藤栄作の兄である岸信介。彼は戦時中の東条内閣の閣僚であり、そのイメージから、彼の政策は日本を再び戦争に巻き込むものだ、と安保反対の声が日本中を席巻した。
 そのような殺伐とした時代の空気を一挙にやわらげる効果を生んだのが、皇太子ご成婚のニュースである。日本国民があれほどこのニュースに熱狂したのも、その時代の暗雲を、この結婚が払ってくれるのでは、という期待を込めてのことだった。

 いわゆる安保闘争が盛り上がるのは1959年に入ってからなので、唐沢の記述には問題がある。というか、「ミッチー・ブーム」が盛り上がったのは、皇族が民間人と結婚したことが既に衝撃的だったわけだし、テニスを通じた出会いなど話題性があったことなどを説明して、一連のブームがいかに日本人に影響を与えたかとか、いくらでも書けると思うけどなあ。資料だってたくさんあるのに。

P.210〜211より。

 今から考えると実に奇妙な話だが、1960年という年は、一方で革命の声が全国を席巻しつつ、一方で皇太子誕生の祝賀パレードが開かれ、銀座や渋谷の街頭に、日の丸の小旗を振った群衆が「親王さま誕生万歳」を叫びながら行進していたのである。

 あれだけの盛り上がりを見せた反対運動が結局功を奏さなかったのは、その暴力的行為を民主主義の危機とみた新聞各社が協定を結び、議会政治を守れという共通社告を掲載したことで、国民の支持が離れたからだ、と言われる。しかし、その裏に、親王誕生という大きなニュースで、皇太子夫妻の平和な家庭の姿がマスコミを通じて次々報道され、国民の心の中に、争いに対する嫌悪感が芽生えていたためではなかったか。

 「奇妙な話」をするのなら、岸信介の「私には声なき声が聞こえる」発言も取り上げないと。後楽園球場は今日も満員だというやつ。まさか知らないってことは…。あと「皇太子誕生」じゃなくて「親王誕生」の方がいいだろう。徳仁親王は現在の皇太子だけれども。それにしたって、安保闘争日本中で行われていたかのような書き方はいささかオーバーである。歴史を知らない人は、昔はある物一色で染められていたと考えがちだからなあ。戦前=暗い、みたいな。自分なんかも後世の人に「バブルの時にいい思いしたんでしょ」とか思われたとしたら困るな。

 さて、唐沢俊一は、これに続いてビートルズ来日の時の熱狂ぶりについて4ページにわたって書いているのだが…、えーと、日本公演の時点でジョン・レノンとヨーコは出会ってもいないんだから、この章の趣旨と関係ないと思うんだけど。そんなことを長々と説明されても。それから、三島由紀夫ビートルズに違和感を表明したと書いているが、三島がビートルズ日本公演を見た感想を読んで思わず噴き出してしまった。

私は何でも、味わってから、批評するという気持ちを失うまいと思っている。文壇では、「読まない書評」というヘンなものがあり、においだけ嗅いで、あれはダメだとか傑作だとかいう風潮があるのを、私はかねて苦々しく思っている。

唐沢俊一岡田斗司夫は心して聞くように。三島は「私にはビートルズのよさもわるさも何もわからない」としか書いてないから、違和感でもないと思うけど。しかし、この『ビートルズ見物記』は面白い。三島はこういう軽い文章が上手いんだよね。

 そして、本論と関係の無いビートルズ日本公演について4ページにわたって書いた後で、三島の自決について書いてこの章は終わる。その締め方が実に凄いのでよーく読んで欲しい。P.215より。

 しかし、その血涙したたるがごとき檄にも、自衛隊は、そして国民の誰もが、動こうとはしなかった。語りかけをあきらめ、疲れ果てた表情で割腹のため屋内に戻る三島の脳裏の中に、あの、ビートルズ来日のときの熱狂がよぎりはしなかったか。
「熱狂も、結局は何事も起こしはしない」
という、自分も認めた不条理の中で死んでいく三島の、最後の瞬間に、かつて自分と見合いをし、今、自分がそのために命を絶つ皇室に嫁した、美智子妃殿下の顔は浮かばなかったろうか。そして、ビートルズのリーダーと結婚したということで国際的な有名人となったかつての後輩、オノ・ヨーコの顔は……。

 「と学会」はこれに突っ込まなきゃダメだろう。なんなんだ、このこじつけっぷりは。…だからさあ、最初から「オノ・ヨーコ美智子皇后」というテーマにしなきゃよかったんだって。無理のあるテーマにするから、締めでムチャクチャなまとめ方をしなきゃいけなくなるんだよ。それに三島と皇后さまが見合いをしたかどうかは真偽の程がわからないし、「脳裏の中」って何?


 以上です。いやあ、凄かった。こじつけの連続、本論と関係の無い文章が4ページ続くなど、別の意味で読んでいて飽きない文章だった。こんなのがあと6章もあるんだぜ?信じられる?


天皇陛下 皇后美智子さま ご結婚50年のあゆみ

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ただの私 (講談社文庫)

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昭和ニッポン怪人伝

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不道徳教育講座 (角川文庫)

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