唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

007はつらいよ/柴又より愛をこめて

 ダニエラ・ビアンキのチョーカーが忘れられませんが何か。

 
 唐沢俊一ソルボンヌK子『昭和ニッポン怪人伝』(大和書房)、今回は第5章「007と寅さん」と取り上げる。
…「オノ・ヨーコ美智子皇后」ほどではないにしても、これも疑問のあるテーマである。だって、『007』って洋画だもの。「昭和」とタイトルについている本で取り上げるべきかというと…うーん。まあ、唐沢俊一の得意分野(ショーン・コネリー時代以外も大丈夫か?)なので取り上げることにしたのかなあ。『昭和ニッポン怪人伝』P.92〜93より。

 そして、なぜ、“殺しの許可証”を持ったスパイが美女と共に世界征服をたくらむ悪の組織と戦う、というような荒唐無稽なストーリーの初期数作が、ここまで世界中の人気をさらったかという要因が、この映画がスパイ映画であり、アクション映画でありつつ、もう1つ、“観光映画”という側面を持っていたためだと思うのである。

(前略)007シリーズもまた、スパイ映画でありつつ、優れた観光映画であった。第1作『007 ドクター・ノオ』の舞台は南国ジャマイカである。第2作『007 ロシアより愛をこめて』ではトルコのイスタンブールの寺院などをたっぷり見せたあと、オリエント急行で旅をし、最後はヴェネツィアのゴンドラの中で終わる。第3作『007 ゴールドフィンガー』ではオープニングがメキシコで、一転舞台はマイアミビーチになり、さらにスイス、そしてクライマックスのケンタッキーの金倉庫シーンを経て、最後は南海の小島で終わる。
 1作ごとにロケ地が多く、派手になっていくのがわかるだろう。

 人によっては『ロシアより愛をこめて』のイスタンブールロケの方が豪華だったと思うかもしれないのだから、シリーズが進むに連れて制作費が上がっていったことを示せばいいと思うのだが(100万ドル→200万ドル→300万ドル)。フォート・ノックスを「金倉庫」と書くのもどうかと思う(「金塊貯蔵庫」かな?)。そして、既にピンときた方もおられるかもしれないが、今回のコラムは「観光映画」というキーワードでひたすら押していくのである。

 次に『007は二度死ぬ』を解説するくだり。P.95より。

 銀座から両国までドア一枚でつながっていたり、瀬戸内海に阿蘇山があったりというデタラメな地理描写だったが、これは実は観光映画のひとつの特徴で、多くの名所を一度に見せるため、地理的なつながりを縮めてしまうのである。

 『007は二度死ぬ』で登場する火山は阿蘇山ではなく霧島山新燃岳。ロケは鹿児島で行われている。あと、「両国」というのはボンドが相撲見物したこと(佐田の山が出てくる)を指しているのだろうが、当時は蔵前国技館だろう。
 『007は二度死ぬ』の後、『007』シリーズが日本で人気が低迷していったとして、次のように書いている。P.96より。

 すでに70年代に入り、海外旅行もかなり日本国内に浸透してきた。すでに海外のエキゾチズム(原文ママ)は、日本人の目を引くものではなくなっていたのだ。海外旅行ガイド映画というものそのものが、そもそも必要なくなっていたのである。

 ジェームス・ボンドが「何処で活躍するか」なんてそんなに気になることなんだろうか?「あそこが舞台なら観ない」とか考えるかなあ?まあ、「007=観光映画」説をとる唐沢俊一としてはそのような展開にならざるを得ないのかもしれないけれど。あと、P.95に「不評を喫し」とあるけど不評は「買う」ものだろう。

P.96より。

 その代わりに、この年にムーブメントを起こしたのは何か。それは前年の1970(昭和45)年に日本国有鉄道国鉄。のちのJR)が始めた、国内旅行キャンペーン「ディスカバー・ジャパン(日本発見)」であった。
 それまでの7年間、海外にばかり目を向けていた日本人に、自分の故国である日本を見つめ直し、その魅力を発見しよう、と呼びかけたのである。

 「それまでの7年間」というのは、『007』シリーズの第1作が公開されて以降の7年間ということだが、1964年に海外旅行が解禁されたものの、一般の人間が簡単に海外に行けるものではなく、「海外にばかり目を向け」ることもできなかったのだ。そして、「ディスカバー・ジャパン」とは、それまで主流だった「国内における団体旅行」に代わって「国内における個人旅行」を促進することを目的としたキャンペーンだったのである。…唐沢は当時中学に上がるか上がらないかの年齢だったんだから覚えておいてもよさそうなものだが。なんで当時生まれてなかった自分が説明しなくちゃいけないのか。
 
 で、この後、例によってウィキペディアを下敷きにしつつ男はつらいよ』の説明に入る。P.98より。

 日本各地の懐かしい風景がこの映画の売りであり、つまりこれはディスカバー・ジャパン版007、つまり観光映画なのである。

 「ディスカバー・ジャパン版007」って何が何だか…。ディスカバー・ジャパンのコンセプトも理解してなかったのになあ。とにかく『007』も『男はつらいよ』も「観光映画」にしたくてしょうがないようなのだが、唐沢俊一は根本的な部分でミスをやらかしているので、説得力が感じられない。P.96およびP.98より。

 日本中を旅して商売をする、あるテキ屋の半生(実際、最終回では沖縄でハブに噛まれて死んでしまう)を描いたこのテレビドラマの主人公は、渥美清演じる車寅次郎。

 最後の作品となった『男はつらいよ寅次郎紅の花』では奄美大島渥美清の死後の1997(平成9年)年(原文ママ)に、1980年の第25作『男はつらいよ寅次郎ハイビスカスの花』を再編集した特別編では沖縄に行っている。テレビ版の寅さんの最後は沖縄だったが、映画でも沖縄への旅が最後となった寅さんシリーズだった。

 テレビ版の『男はつらいよ』最終回で、寅さんは奄美大島でハブに噛まれて死んでしまう。だから、『寅次郎紅の花』で寅さんが奄美大島に行っていることで『男はつらいよ』は結果的にシリーズとして上手くまとまったかたちになっている、とも言えるのである(しかも、リリーも出ているし)。『寅次郎ハイビスカスの花特別編』を入れるとかえって蛇足になってしまうのだ。…もしかして、唐沢は沖縄にしかハブがいないと思っていたのだろうか?テレビ版放映当時の沖縄はアメリカの統治下だったことを考えればおかしいと思うはずなのだが。

P.99より。

 寅さんと007、どちらも映画の中の長寿シリーズとして有名だが、内容的には全く異なったものとして認識されているだろう。しかし、実は観光という要素をキーワードとすると、極めて構造的に近しい作品であることがわかる。つまりそれは、旅先にこそ人生がある、という男たちの映画なのである。

 「旅先にこそ人生がある」と言われても何のことやら。もっとシンプルに見てみると、車寅次郎とジェームス・ボンドはともに「さまよい続ける男」という意味ではよく似たヒーローである。観客の方も、世界を股にかけて戦うボンドを、見知らぬ土地でマドンナに恋してしまう寅さんを見たくて映画館に行くわけで、舞台となった場所がどんな場所であるか、ということにさほど意味を置いていないのではないか。だから、唐沢が『男はつらいよ』と『007』を「観光映画」であるとする解釈にはいささか無理があるものと思わざるを得ない。

P.99より。

 それまでの日本人は、生まれた土地というものをほとんど離れないで暮らした。
 江戸っ子の旅というと、せいぜい富士参りくらいが関の山。御府内を一生、一歩も出ることなく、また、それを自慢にしていた江戸っ子も多かった。

 伊勢参りはどうなる?
 
 その後で、『坊つちゃん』の主人公が松山をバカにしているのは江戸幕府が土地に人々を縛りつけておく政策をしていたせいだと言っているのだが…。一般論としては、交通機関やマスメディアが発達してないためによその土地の事情を知らずに差別してしまうということ、もしくは『坊つちゃん』がそういう性格の人だったという話なのでは。唐沢俊一も北海道出身なのになぜか江戸っ子を気取っているのをよくからかわれているけど。

P.100より。

 その束縛が外れ、日本人が自由に住んでいる場所から旅をし、そして他の地方の文化に興味を持って眺め始めるのは、実は戦後も高度経済成長時代になってから、と言っていいほどなのである。

 柳田國男は1927年に行った『旅行の進歩および退歩』という講演(岩波文庫『青年と学問』所収)で、学生たちに旅行をすることをすすめているが、その中で自らも明治から大正にかけて各地を旅行した経験を語っている(田山花袋たちも一緒だったという)。また、日本国内でも修学旅行や団体旅行は高度経済成長期以前から行われていたのだから、唐沢が書いているよりも早く、日本人は他の地方の文化に興味を持っていたものと思われる。まあ、そう考えないと観客が『007』と『男はつらいよ』を「観光映画」として見ていたという説が崩れてしまうからなのだろうが…。

P.101より。

 1950年代の日本映画黄金時代に、最も人気があった映画は“股旅もの”である。無宿人と呼ばれる、定住するべき土地から離れた無宿人たちは、江戸時代におけるアウトローであり、かつては犯罪者であった旅人たちを、その時代の映画は明るいヒーローに描いた。

 50年代の映画は、海外旅行を封じられていた日本国民が、せめて日本国内を旅行しようと思い、その夢を、スクリーンの中で三度笠を手に旅をする渡世人たちに託した時代であったと言える。

 「無宿人と呼ばれる〜無宿人たちは」って一体どういうこと?そして、「キネマ旬報DB」で1950〜59年の日本映画の興行成績を調べたが、「股旅もの」が一番人気とは思えなかったのだが。『君の名は』『ひめゆりの塔』『明治天皇と日露大戦争』などが年間1位になっている(調べているとあまりにも面白くて検証そっちのけで楽しんでしまったw)。…ちゃんと調べたのかなあ?
 
P.101より。

 そして、そういう国内の移動時間を一気に短縮したのが、60年代初め、1964(昭和39)年に開業した“夢の超特急”こと東海道新幹線「ひかり」号だった。新幹線の開通時、文句を言っている文化人が多かったことが印象に残っている。

 「印象に残っている」って、唐沢俊一当時6歳なのに?よく覚えてるなあ。誰が何を言ったのか書いてくれればいいのに。

P.101〜102より。

 つまり、これで旅の面白さは失われた、各駅でさまざまな土地に立ち寄りつつ、その変化を楽しむのが旅であったのに、東京と大阪を3時間で結ぶなどという旅は、これはもはや旅ではなく、単なる“移動”に過ぎない、というのである。
 国内の旅が旅ではなくなるのなら、旅の面白さを海外に求めよう、としたのが60年代の海外旅行ブームであり、そのガイド役を務めたのが007シリーズだったのではないか。

 新幹線開通当初、「ひかり」は東京―大阪間を約4時間で運行していた(翌年から約3時間)。
 しかし、問題はもっと他にある。「これはもはや旅ではなく、単なる“移動”に過ぎない」「国内の旅が旅ではなくなる」って、ほんの2ページ前に「日本人が自由に住んでいる場所から旅をし、そして他の地方の文化に興味を持って眺め始めるのは、実は戦後も高度経済成長時代になってから」って書いていたのに。…日本の旅行の歴史ってあっという間に終了しちゃったんだなあ

P.102より。

 その証拠に、ボンドが日本へ遠征してきたのと入れ違いのように、同じ公開年である1967(昭和42)年、日本で人気シリーズとなっていたクレージーキャッツアメリカへと飛びだした。植木等ハナ肇ら主演の『クレージー黄金作戦』である。
 日本映画史上初のアメリカ本土ロケを敢行し、ラスベガスのメインストリートを封鎖して彼らが踊りまくるという、日本人の海外旅行熱を描いた作品であった。

 『クレージー黄金作戦』が公開された1967年当時の海外旅行者数は267538人、大雑把に言って現在の50分の1である。庶民にとって海外旅行はまだまだ手の届かない場所にあったのだ。それにクレージーキャッツは海外旅行が解禁される前に既に『香港クレージー作戦』で海外ロケを行っている。

P.102より。

その後、クレージー映画は次作の『クレージーの怪盗ジバコ』(1967年)、『クレージーメキシコ大作戦』(1968年)と、連続して海外ロケ作品が続くのである。

『クレージーの怪盗ジバコ』では海外ロケは行われていない。というか、京都・奈良の名所が出てくるのでどちらかと言うと「ディスカバー・ジャパン」的なのでは?…クレージーの映画を観てないのか。

P.102〜103より。

 しかし、私に言わせれば、植木(クレージー)主演の映画がベクトルを外に向けたドタバタ映画であり、渥美清の映画が、日本という国へ再び目を向けた静かな喜劇である、というのは、時代というものが、それぞれの要求をスクリーンの上に表出させただけの違いにしか過ぎないと思う。
 娯楽作品というのは、常に時代の子であるのだ。

 『男はつらいよ』が地方ロケを売りにしていたことを時代の要請であるかのようにしたいようだが、実際のところ、男はつらいよ』以前にも地方ロケを売りにしていたシリーズものの映画がいくつか存在している。たとえば、小林旭の『渡り鳥』シリーズ(『流れ者』シリーズも同様)、森繁久彌の『社長』シリーズである。あと、赤木圭一郎の『拳銃無頼帖』シリーズも2作目以降は地方が舞台だ。だから、『男はつらいよ』以前に唐沢言うところの「観光映画」は存在したわけだ。これらの映画も「ディスカバー・ジャパン」なのか?さらに付け加えると、地方ロケを行うと地元とタイアップすることで制作費に余裕を持たせることが出来るので、映画製作においてはよく使われていた手法なのである。昔の特撮番組で熱海とか鴨川シーワールドでロケしていたのと同じだ。
…自分は日活アクション映画のファンなので、「観光映画」とあるのを見てすぐに『渡り鳥』を連想したのだが、昔の映画ファンを自称する唐沢がどうしてそれに気づかないのか?と不思議に思った。で、考えてみた結果、唐沢俊一は日活の映画を見ていないのだ、と考えざるを得なくなってしまった(観ても覚えていない?)。『渡り鳥』の名前が出てこないこともさることながら、『昭和ニッポン怪人伝』に石原裕次郎が登場していないこともそのせいだと思うのだ。高度経済成長期を語るうえで裕次郎を外すというのはちょっと有り得ないのではないか?まあ、日活でも鈴木清順作品は見ているようだし、過去に「日活アクション座談会」とやらにも出たことがあるようだが。唐沢俊一はもう少し映画を観ておいた方がいいと思う。俺も検証ばっかしてないでもっと観ようっと。

P.103より。

 ボンド映画の現在のところの最新作『007 慰めの報酬』は、その前作『007 カジノ・ロワイヤル』(2006年)からの設定を引き継ぎ、ボンドを1968年生まれという設定にしてある。オーストリアやイタリアなど、今までのボンド映画と同じく世界各地でロケをしているが、観光映画としての性質は全くない。
 すでにして21世紀の人々は、ネットのビューなどでどこの映像でも見ることができるこの時代に、観光から興味を失っているのかもしれない。

 ジェームス・ボンドが毎作世界中を飛び回っていることには変わりが無いのに、どうして「観光映画」になったりそうでなかったりするのかわからない。結局「俺様基準」なのかと。っていうか、『カジノ・ロワイヤル』も『慰めの報酬』も観てないんじゃ?『慰めの報酬』で主な舞台となるのは南米(ボリビア)なのだが。…あ、そういえばピーター・セラーズウディ・アレンが出た方の『カジノ・ロワイヤル』に全然触れてないな。

…『007』にしても『男はつらいよ』にしても、まともに分析しようとすればかなりやり甲斐のある映画である。『007』は現実の世界情勢に対応して変化を繰り返しているのが興味深いし(たとえば、『慰めの報酬』は作品のテーマにエコロジーが関係している)、『男はつらいよ』もシリーズを通して見ると徐々に変化している(よく言われることだが、初期の寅さんは「怖い人」だった)。「観光映画」とか言うよりもっと他に書くべきことはあると思うのだが。


…思いのほか映画に詳しくないなあ、という印象。あと、日本の旅行の事情もちょっと。知識が無いのに無理矢理こじつけているから余計に悲惨なことになっている。…あと5章。ようやく折り返した。

※追記 一部記述を修正しました。

※追記2 「唐沢ファンだった医者」さんのご指摘に基づいて「1997(平成7)年」を「1997(平成9年)年(原文ママ)」に訂正しました。
 なお、同様の引用ミスが『トンデモない「昭和ニッポン怪人伝」の世界』P.50にもあるので、再版できるのであれば訂正しておきます。

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