もう相撲についてしゃべるんじゃないぞ。わかったか?
『社会派くんがゆく!乱世編』P.304の唐沢の発言。
しょせん作られたヒーローは薄っぺらいよね。相撲が人気低迷したときに、若・貴で売ろうとして、さほど実力のない横綱を無理に兄弟愛とかいうストーリィで作ってしまって、数年後にその凄まじいシッペ返しをうけたことを忘れちゃいかん。
たしかに、若乃花は横綱として十分に力を発揮できたとは言えないだろう。しかし、22回の優勝回数(歴代4位)を誇る「平成の大横綱」と呼ばれた貴乃花を「さほど実力のない横綱」と呼ぶとは恐れ入るしかない。それに貴乃花の横綱昇進についてはだいぶ厳しく審査されていたように思う。だいたい、横綱をどうやって「作る」のか、唐沢に聞いてみたい。そんなに簡単に横綱が作れるなら、日本人を横綱にして、朝青龍や白鵬に対抗させて相撲人気を盛り上げることもできるだろうに。万が一、若貴が「作られたヒーロー」だったとしても、若貴人気に日本中が熱狂したことを考えると、唐沢は二人をプロとして評価すべきだろう。昨日の記事でも引用した通り、『乱世編』P.306でこのように言っているのだから。
いい試合を見せて客を興奮させて楽しませるのがプロなのにね。
いくら暴論がウリとされる『社会派くん』でも、わずか2ページで言ってることをコロコロ変えるなと言いたい。結局、引退後の騒動があったから、後知恵で二人を批判しているだけなんだろう。姑息極まりないやりかたである。
もっとも、唐沢の盗作事件があったときに自主規制を行ったうえ、いまだに唐沢の盗作について触れようともせず(村崎百郎は「絶対に載せる」とタンカを切っていたが、一体いつになるのか)、それどころか単行本『復活編』で盗作の被害者を誹謗中傷する唐沢の文章を載せた(その全文はこちら。ここで唐沢の言っていることがすべてウソッパチであることは被害者である漫棚通信さんが説明されている)『社会派くんがゆく!』らしいやりかたなのだが。
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唐沢俊一のネタの使い回し・その3
『雑学授業』P.84〜85
「証城寺の狸囃子」についてのトリビア(おぐりゆかのセリフは割愛)。
『証誠寺の狸ばやし』という童謡があるだろう。
(中略)
その歌のモデルになったのは証誠寺は(原文ママ)、正式には護念山証誠寺といって千葉県木更津市にあるお寺で……
(中略)
江戸時代初期の開設になる由緒正しいお寺なんだが、由来によればその昔、中秋の名月が美しいある夜、「証誠院のぺんぺこぺん、己等の友達ゃどんどこどん……」と不思議な歌が聞こえるのを聞いて眼をさました和尚が、不思議に思って庭をのぞいてみると、狸たちが腹づつみを打ちながら踊っていた。それを見た和尚もその中に入って、木魚を叩きながらお囃子くらべをした。
それからは夜ごとお囃子の競争をしていたのだが、ある日、ぴたりとその腹づつみが聞こえなくなり、どうしたのだろうと思って和尚が藪の中を探してみると、腹を叩き破った狸たちの息絶えた死骸が並んでいた……。
これを哀れんで和尚はねんごろに狸たちをとむらって、狸塚を建ててやったという。……これが今に残る『証誠寺の狸ばやし』の伝説なんだな。
証誠寺では毎年秋になると狸まつりが開かれ、本堂で狸の格好をした子供たちが狸ばやしを踊るそうだが、伝承に忠実ならこの子供たちも最後には腹を叩き破らないといけないわけだな。
『史上最強のムダ知識』P.125
「童謡『証誠寺のタヌキばやし』のモデルになったお寺は、千葉県にある」というトリビア。
千葉県木更津にある、護念山證誠寺。江戸時代初期に開設された、由緒正しい寺である。
この寺には、以下のような伝説がある。その昔、仲秋の名月が美しい夜、タヌキたちが腹づつみを打ちながら踊っているのを、寺の和尚が目撃した。楽しくなった和尚は中に入り、木魚を叩いてお囃子くらべをした。
以来、和尚とタヌキたちは夜ごとお囃子の競争をしたが、ある日、腹づつみが聞こえなくなった。和尚が藪の中をさがずと(原文ママ)、腹が割れたタヌキたちの死骸があった。和尚は、タヌキたちを哀れに思い、丁寧にとむらったという。
この伝説を元に、野口雨情・作詞、中山晋平・作曲で、1924年に発表したのが『証誠寺の狸囃子』である。
なお、歌の方では寺の名前が「証城寺」になっているのは、雨情が読んだ資料が、寺の名前を誤記していたため。
まず、「腹づつみ」というのが落ち着かない。「腹鼓」は「はらつづみ」だろう。もっとも、最近では「はらづつみ」という読み方も一般化しているようだから(「広辞苑」にも載っている)、必ずしも間違いとは言い切れないが、テレビ東京系の番組『給与明細』で「雑学の神様」「伝説の雑学王」と呼ばれていた唐沢が平気でこんな言葉遣いをしているのは気になる。
もうひとつ落ち着かないのは、寺の名前が一定していないこと。「証城寺」「証誠寺」「證誠寺」、一体どれなのか。ハッキリさせておくと、寺の正式名称は「證誠寺」である。ただし、「證」の字は常用漢字に含まれていないため、「証誠寺」と書いても問題はない。そして、野口雨情が作詞した童謡のタイトルは『証城寺の狸囃子』である。
唐沢がヘンなのは、『証城寺の狸囃子』が證誠寺の伝説を元にしているからと言って、『証誠寺の狸囃子』と童謡のタイトルまで勝手に変えてしまっているところだ。それに『ムダ知識』の最初で、寺の名前を「證誠寺」と書いておいて、童謡のタイトルを『証誠寺の狸囃子』としているのもおかしい(全体にわたって「狸囃子」「狸ばやし」「タヌキばやし」と書き方も定まっていないのもどうか)。唐沢が言っている「証城寺」が「証誠寺」の誤記であるという話はあくまでひとつの説にすぎないのであって、雨情が現実の「証誠寺」とは別物として「証城寺」を作り上げたという説もあるのだ。ついでに細かいことを言うと『雑学授業』の「不思議な歌が聞こえるのを聞いて」という文章はおかしい。もうひとつつけ加えると、寺を建てることは「開設」でなく「開山」とした方がいい。
なお、このことについては「トンデモない一行知識」も詳しく書いている。
その男は、唐沢俊一というペテン師的な評論家だった。が、当時の彼は、『トリビアの泉』のスーパーバイザーとして評判が高く(以下略)。
『史上最強のムダ知識』P.195
「バッハ、ヘンデルは共に失明しているが、目の手術を執刀した医師は同一人物。」というトリビア。
その男は、ジョン・テイラーという、ペテン師的な渡り医者だった。が、当時の彼は、法皇庁(原文ママ)、皇帝公認の称号を得た医師と評判が高く、光学教授の称号も持っていた。
とはいえ、プロイセンのフリードリヒ大王は彼を国外追放し、イギリスのサミュエル・ジャクソンは彼を「ずうずうしさが無能を圧倒した例」と評価しているから、腕前は、推して知るべしである。
が、当時はマスコミがなかったために、彼の評価は広まらず、バッハは脳卒中後の視力の低下を治療してもらい、ヘンデルは緑内障を治療してもらった。どちらも治癒せず、バッハは手術の4ヵ月後に、盲目のまま死亡した。ヘンデルは、8年間生き延びたが、やはり盲目のままだった。
ちなみに、バッハの視力の低下の原因は、食いすぎによる糖尿病である。
これもパクリである。パクリ元はこちら。どうやら作家さんらしい。唐沢が挙げているエピソードはほぼ出てくる。自前なのはバッハの糖尿病の話くらい。だが、前の方で「脳卒中後の視力の低下」と書いているから、一体何がバッハの視力低下の原因なのかわからなくなる。つまりは余計なことを書いたわけである。問題の記事の更新日は1997年9月23日。ただし、この記事には参考文献が明記されているので(どこかの誰かさんとは違うね)、唐沢もそれを読んだ可能性が無いとは言えない。まあ、仮にそうだったとしても、パクリ元が本であるかネットであるかの違いに過ぎないわけで、パクリの事実は動かないんだが。しかし、パクリ元の記事の方が唐沢の文章よりずっと面白いのが情けない。 ちなみに、唐沢は「法皇庁」と書いているが、正しくは「教皇庁」。安岡先生にも突っ込まれていたが、キリスト教について本当に無知なのね。
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