唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

唐沢俊一のネタの使い回し・その3

『雑学授業』P.84〜85
「証城寺の狸囃子」についてのトリビアおぐりゆかのセリフは割愛)。

『証誠寺の狸ばやし』という童謡があるだろう。
(中略)
その歌のモデルになったのは証誠寺は(原文ママ)、正式には護念山証誠寺といって千葉県木更津市にあるお寺で……
(中略)
江戸時代初期の開設になる由緒正しいお寺なんだが、由来によればその昔、中秋の名月が美しいある夜、「証誠院のぺんぺこぺん、己等の友達ゃどんどこどん……」と不思議な歌が聞こえるのを聞いて眼をさました和尚が、不思議に思って庭をのぞいてみると、狸たちが腹づつみを打ちながら踊っていた。それを見た和尚もその中に入って、木魚を叩きながらお囃子くらべをした。
それからは夜ごとお囃子の競争をしていたのだが、ある日、ぴたりとその腹づつみが聞こえなくなり、どうしたのだろうと思って和尚が藪の中を探してみると、腹を叩き破った狸たちの息絶えた死骸が並んでいた……。
これを哀れんで和尚はねんごろに狸たちをとむらって、狸塚を建ててやったという。……これが今に残る『証誠寺の狸ばやし』の伝説なんだな。
証誠寺では毎年秋になると狸まつりが開かれ、本堂で狸の格好をした子供たちが狸ばやしを踊るそうだが、伝承に忠実ならこの子供たちも最後には腹を叩き破らないといけないわけだな。

『史上最強のムダ知識』P.125
「童謡『証誠寺のタヌキばやし』のモデルになったお寺は、千葉県にある」というトリビア

千葉県木更津にある、護念山證誠寺。江戸時代初期に開設された、由緒正しい寺である。
この寺には、以下のような伝説がある。その昔、仲秋の名月が美しい夜、タヌキたちが腹づつみを打ちながら踊っているのを、寺の和尚が目撃した。楽しくなった和尚は中に入り、木魚を叩いてお囃子くらべをした。
以来、和尚とタヌキたちは夜ごとお囃子の競争をしたが、ある日、腹づつみが聞こえなくなった。和尚が藪の中をさがずと(原文ママ)、腹が割れたタヌキたちの死骸があった。和尚は、タヌキたちを哀れに思い、丁寧にとむらったという。
この伝説を元に、野口雨情・作詞、中山晋平・作曲で、1924年に発表したのが『証誠寺の狸囃子』である。
なお、歌の方では寺の名前が「証城寺」になっているのは、雨情が読んだ資料が、寺の名前を誤記していたため。

 まず、「腹づつみ」というのが落ち着かない。「腹鼓」は「はらつづみ」だろう。もっとも、最近では「はらづつみ」という読み方も一般化しているようだから(「広辞苑」にも載っている)、必ずしも間違いとは言い切れないが、テレビ東京系の番組『給与明細』で「雑学の神様」「伝説の雑学王」と呼ばれていた唐沢が平気でこんな言葉遣いをしているのは気になる
 もうひとつ落ち着かないのは、寺の名前が一定していないこと。「証城寺」「証誠寺」「證誠寺」、一体どれなのか。ハッキリさせておくと、寺の正式名称は「證誠寺」である。ただし、「證」の字は常用漢字に含まれていないため、「証誠寺」と書いても問題はない。そして、野口雨情が作詞した童謡のタイトルは『証城寺の狸囃子』である。
 唐沢がヘンなのは、『証城寺の狸囃子』が證誠寺の伝説を元にしているからと言って、『証誠寺の狸囃子』と童謡のタイトルまで勝手に変えてしまっているところだ。それに『ムダ知識』の最初で、寺の名前を「證誠寺」と書いておいて、童謡のタイトルを『証誠寺の狸囃子』としているのもおかしい(全体にわたって「狸囃子」「狸ばやし」「タヌキばやし」と書き方も定まっていないのもどうか)。唐沢が言っている「証城寺」が「証誠寺」の誤記であるという話はあくまでひとつの説にすぎないのであって、雨情が現実の「証誠寺」とは別物として「証城寺」を作り上げたという説もあるのだ。ついでに細かいことを言うと『雑学授業』の「不思議な歌が聞こえるのを聞いて」という文章はおかしい。もうひとつつけ加えると、寺を建てることは「開設」でなく「開山」とした方がいい。
なお、このことについては「トンデモない一行知識」も詳しく書いている。