唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

余談の続き検証の終わり。

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karasawagasepakuri@yahoo.co.jp



 当ブログの主題はもちろん唐沢俊一にまつわる諸問題だが、唐沢問題以外の話題もたまに取り上げることがある。今回は以前取り上げた話題の続報をいくつか紹介することにする。



週刊新潮』6月13日号の書評コーナー「読書万巻」で、小谷野敦ウルトラマンがいた時代』(ベスト新書)(4月13日の記事を参照)が取り上げられていたのだが、少し奇妙な紹介文だった。同誌P.117より。

 特撮評論、70年代批評、そして回想エッセイが融合した異色の“ウルトラ本”である。著者は<「解釈」するのではなく、あの時代の雰囲気を表しつつ、ウルトラマンを論じる方法>を考えたと言う。名作「ウルトラセブン」と同時に、「帰ってきたウルトラマン」を評価する視点もユニークだ。
 本書の発表後、版元から年号や人名など17項目にわたる正誤表が発表になった。とはいえ、その完成度を非難するより、自らの知識を試す「間違い探し」に挑戦するのはどうだろう。「ウルトラ」ファンとしての乙な楽しみ方かもしれない。

 前段は普通に褒めているからいいとしても、問題は後段である。…これ、褒めてないよなあ。遠まわしに皮肉っているように読めてしまう。こんな書評ってアリなんだろうか。
 しかし、このやりくちがアリだとしたら、唐沢俊一の本も「間違い探し」をするのが「乙な楽しみ方」としておすすめできたかもしれないが、間違いさがしを目的にわざわざ本を買う人はあまりいないような気もするので、やはり良い勧め方ではないのだろう。



『創』7月号佐野眞一の盗用問題に関連した特集が組まれていた(3月15日の記事を参照)。『創』の篠田博之編集長は『佐野眞一さん「盗用」問題をめぐる経緯と背景』と題した文章の中で、佐野氏と猪瀬直樹の間にかつて確執があったことを長々と書き、猪瀬氏の行動に「政治性」を見て取っているようなのだが、猪瀬氏のツイートが佐野氏が疑惑を追及されるきっかけとなったのは確かだとしても、猪瀬氏自身が今回の疑惑を追及したわけではないので、そこにこだわる意味があるとは思えなかった。金銭や人間関係といった裏事情を頭に入れておくと話がわかりやすくなることはあるが(唐沢問題でもそのような事例はある)、裏事情だけですべて説明できるものでもなくて、裏に通じたせいで間違いを犯すこともあるのではないか。
 それから、同誌には『佐野眞一「盗用」問題とノンフィクションの現状』という座談会も掲載されているが、それに参加している元木昌彦がまたしても妙なことを言っている(5月23日の記事を参照)。同誌P.55より。

 問題は簡単なんです。引用したものはカッコに入れる。そのくらいのことはノンフィクションのイロハです。それを怠ったという点では、ノンフィクションライターとして責められてしかるべきだと思います。ただ、宝島社の『佐野眞一が殺したジャーナリズム』のような形で、ここは盗用だといって対照表を事細かに提示するとか、大宅壮一ノンフィクション賞受賞にまで疑問を呈するというやり方は、行き過ぎだと思います。
 佐野さんが本当にノンフィクションライターとしての資質を欠いているなら、それは大宅賞なんて取らせませんよ。それはやっぱり彼が優れたノンフィクションライターであるからなんです。
 一事をもって全部を否定するようなことをしても、ノンフィクション界全体のためにならない。


 対照表を作るのが行き過ぎ、という元木氏の話はまったくもって理解できない。自分も唐沢問題に関して比較対照表を何回か作ったことがあるけれど、それはそうした方がわかりやすいから、という理由しかない。コメント欄で依頼を受けて作ったこともあるから、読者の便宜を考えた行動でしかないのだが、何故それが非難されるのかわからない。
 あと、「大宅壮一ノンフィクション賞受賞にまで疑問を呈する」というのは、佐野氏の大宅賞受賞作である『旅する巨人』(文春文庫)の中にもよそから盗用した部分があるからで、ならば受賞に疑問を投げかけられても仕方ないだろう、と思う。それから、「一事をもって全部を否定する」というが、盗用癖があるという「一事」はライターとしての「全部」を否定されても当然のことではないだろうか。
 篠田編集長にしても元木氏にしても『ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム』(宝島社)の中で溝口敦に厳しく批判されているのに、反論にならない話しかできていないのが不思議である。唐沢俊一の件にも言えることだが、盗用癖のある人を擁護するのはかなりの難事業なのかもしれない。


 もっとも、『ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム』にも問題がないわけではなく、栗原裕一郎の優れた論考「他の執筆者への仁義にもとるから」という意味不明な理由でボツにしたのはいただけない(栗原氏の論考の中には唐沢俊一の名前も出てくる)。それでは佐野氏の疑惑を黙殺したり擁護したりする出版関係者と何ら変わりないではないか。残念な話である。



唐沢俊一関連の話題も一応取り上げておく。まずは「つぶやき日記」6月2日分より。

7時半下北沢。演劇祭第一次審査発表。橋沢ルナ座長、本多慎一郎さん、それに私の三人で討議。集客数、芝居の質でほぼ互角の五劇団のうち、どこを落とすか という、いささか気の重い話し合い。そうなってくると自分の持つ審査員票がその劇団の運命を決めることになる。私はあえて今回、死に票を投じた。

本来、票というものは活かして投じるものと思ってこれまでやってきたが、いろいろあって今回で審査員も降りることになりそうだし、自分の好みだけはしっかり出したい。私の今回のイチオシは『天然ポリエステル』、二オシが『芝居家だんす』、いずれも決勝進出ならず。残念。ことに『芝居家だんす』は商業演劇にして回れるほどの完成度とテーマ性を持っていた分、演劇祭ではよそに票をくわれた。惜しい。


 演劇に軸足を移したはずなのに「ルナティック演劇祭」の審査員を降りるのは何故なんだろ。11月公演がんばってください。



 もうひとつ、「日刊サイゾー」に「日本トンデモ本大賞2013」のレポートが掲載されているが(その1その2)、その最後にこのようなお知らせが。

※今夏、『タブーすぎるトンデモ本の世界』(と学会)が、サイゾーより出版されます。楽しみにお待ちください。


 また出版社が変わるのか。「タブーすぎるトンデモ本ってどんな本なんだろうね。



水野美紀、好きだなあ。



現実の続き夢の終わり デラックス版 [DVD]

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創 (つくる) 2013年 07月号 [雑誌]

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〈盗作〉の文学史

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