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今柊二『かながわ定食紀行』(神奈川新聞社)の巻末で、著者の今柊二と唐沢俊一としりあがり寿が鼎談を行っているのだが、その中で唐沢が次のような発言をしている。同書P.186より。
北海道生まれで東京で育った僕には主食と主食の組み合わせだと思うけど、大阪ではうどんとご飯は一緒で普通。(以下略)
…唐沢俊一は高校まで北海道で過ごして、大学に入るため上京したわけだけど、それで「東京で育った」と言えるのかどうか。なお、同書の巻末にある唐沢のプロフィールには「十年間、横浜・紅葉坂で寄席をプロデュース」とあった。
自分は出版の事情には疎いのだが、雑誌に著者のプロフィールが載る場合、必ずしも著者が自ら書くわけではなく、編集部の方で書いておく場合もあるのではないか?と思う。だから、『彷書月刊』での唐沢俊一の肩書には妙なものが多いのは、担当編集者の責任なのではないかと思っている。以下紹介していく。
まず、1991年2月号には「脚本家・漫画原作者」とある。「漫画原作者」は唐沢商会での活動があるからいいとして…「脚本家」? 一体どこでどんな脚本を書いていたのか。まあ、最近では「あぁルナティックシアター」でお芝居の脚本を書いているから、今だったら「脚本家」を名乗ってもさほど違和感はない、のかなあ。
その後、1991年8月号と1992年1月号では「作家・マンガ原作者」なのだが、1995年1月号と1995年8月号では「文芸評論家」になっている。…うーむ、これもイメージに合わないなあ。どのような「文芸」を評論していたんだろ。この後間が開いて、2000年6月号での肩書は「カット漫画評論家」。…「カット漫画」って何? 2000年11月号と2001年4月号では「漫画評論家」になっている。
さて、『彷書月刊』1992年1月号に唐沢俊一は『心に風が吹いていた』という文章を寄稿していて、これは「裏モノ日記」2009年5月27日の中に出てくる「『20才の時の愛読書』という原稿」のことである。興味深い文章なので、以下全文を紹介する。
おまえは二十歳のころ、どんな本を読んでいたかと訊かれると気が滅入る。
当時、阿佐谷の四畳半の下宿の近くに共産党の事務所を兼ねている汚ねえ古本屋があって(今でもあるが)、ここで春陽堂の『明治大正文学全集』を端本で買って、末廣鐵腸の『雪中梅』や黒岩涙香の『巌窟王』などを読んだ記憶があるし、ちょっと足をのばすと出久根達郎氏の芳雅堂書店があり、ここでみつけた山上伊太郎の無声映画脚本集などを大学の講義にも出ず読みふけったりしていた。
要するにいま現在の社会からできるだけ離れたもの離れたものと選って読んでいたので、「……やはり小説は明治大正くらいまでだネ。昭和も戦後になっちゃア、安手で読んじゃいられネーヤ」などと人にはいばっていたが、ナニ実のところ、現実というものに面と向かうのが不安で不安で仕方なかっただけのことである。
なにが一体そんなに不安だったのか。
《……ひょっとして、オレは天才じゃないのかもしれない……》
笑ってはいけない。当時の僕にとって、これは何ともセツにしてジツなる問題であった。
実際、本物の天才たちは二十歳くらいでつぎつぎ華やかにデビューしていくのである。新感覚の、優しさの世代の、子宮文学の、という文字が文芸欄の見出しに載るたびに新聞かた目をそらし、彼らと逆の方へ、逆の方へと這いズッて逃げ回っていた。
だから、そのころの僕にとって正義の味方は週刊文春の『ブックエンド』欄だった。ここで“風”と名乗る書評子が若手作家をケチョンケチョンにけなしてくれているときが唯一心安らぐときであった。“風”なしでは僕の二十代は真っ暗ではなかったかと思う。
『風の書評』の題名で本になったのは少しあとだったがむさぼるように読んだし、風の正体が百目鬼恭三郎だと知ったときには国会図書館まで行って、著作すべてに目を通し、彼と筒井康隆が論争したと聞けば一も二もなくそっちをヒイキした。“風”こそ、二十代の僕のカルチャー・ヒーローだったのである。
……その後自分が天才でないことにも慣れ、僕はズウズウしく物書きになった。チラホラ小説の注文などがくるようになったころ、百目鬼氏の訃報に接した。ご冥福を祈りたい。
もし、僕の書いたものが彼の目にとまっていたら、などというオソロシイことは出来るだけ考えないようにしている。
これは名文だと思う。実際、坪内祐三も『古本マニア雑学ノート』(幻冬舎文庫)の解説でこの文章を褒めていて、自らも唐沢と同じように百目鬼恭三郎の書評を愛読していたことを書いている(坪内によると「風」の正体を『噂の真相』で暴露したのは猪瀬直樹だという)。
世間で偉いと思われている大物作家や批評家たちが酷評されているのを見ると溜飲が下がった。
のだという(P.316)。毒舌や「○○を斬る!」という文章がもてはやされるのが、なんとなくわかる気がする。
『心に風が吹いていた』がなぜ名文なのかというと、唐沢俊一が珍しく自分自身のみっともない部分をさらけ出しているからである。虚勢を張っていたこと、同世代の「天才」に嫉妬していたこと、そして、「天才」を酷評する批評家を「正義の味方」だと思っていたこと…、どこをとってもみっともない。しかし、それを率直に告白するのは勇気の要ることだし、唐沢が己の恥ずかしい部分を飾らずにさらけ出すことはその後ほとんどない、と言っていい。イッセー尾形の前説を失敗した件を告白したこともあるが(2009年2月18日の記事を参照)、『心に風が吹いていた』と比べると若干余計な飾りがある。坪内祐三も『心に風が吹いていた』は「普段の唐沢氏のトーンとはちょっと異なる」と書いているくらいで(P.314〜P.315)、そういった意味で貴重な文章だと言える。…やはり、唐沢俊一には自伝なり私小説なり書いてほしいものだ。1992年1月の時点で「小説の注文」が来ているというのも気になる。
ところで、唐沢の言う「本物の天才」は栗本薫のほか、誰を指しているのだろう。「新感覚」「優しさの世代」「子宮文学」というと…。
惜しいと思うのは、現実逃避のために読んでいた明治大正の文学や山上伊太郎の脚本をもっと生かせなかったのか?ということだ。「アニドウ」で観ていた海外アニメでもいいのだが(海外アニメも現実逃避のためだったのか?)、何かしらの専門家になっておく道もあったのではないだろうか。現実としては、唐沢俊一は良くも悪くも専門家にはならなかったわけで、今更“if”を論じても仕方のないことではあるけども。
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