唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

M.

 散歩しているときに、つい「山の魔王の宮殿にて」を口笛で吹いてしまうので、「俺はピーター・ローレに似ているからシャレにならないかなあ」と心配していたのだが、よくよく考えてみると自分より佐藤優の方が断然ピーター・ローレに似ていることに気がついて一安心。



 …なんだかよくわからないオープニングトークになってしまったが、前回に引き続き、唐沢俊一鶴岡法斎『ブンカザツロン』エンターブレイン)を取り上げる。今回は第1章の最後までと第2章の冒頭を紹介する。まずは『ブンカザツロン』P.50〜P.51の唐沢俊一の発言。

唐沢 いちばんの世間でのカン違いというのはね、オタクは世間からつまはじきにされて仕方なく団結した、という点なんです。まず、第一に、オタクという生き方は、世間的生き方と共存できないものではないんです。俺たち以前のプレ・オタク、たとえば森卓也とか石上三登志とか、池田憲章竹内博なんて人たちは、ちゃんと世間と折り合いつけながら、オタク的生き方を実践してきてたんですよ。私なんかもそのクチだな、どっちかというと。しかし、そういう好事家としての個人の趣味を超えた、オタク的価値革命を起こすためには、やはり“社会とある地点で断絶しないとダメ”というのが、無意識にみんなの脳裏にはあったと思う。坂本龍馬の脱藩と同じくなんていうとエラそうだけど、“旧来の価値社会の中に俺はいないよ”というアピールね。それは自分に対してのものでもあるけれど、やっぱりそれを自己内部で明言したかどうかで、プレ・オタク世代と第一世代のあきらかな差というのはあるんです。社会から意識的にドロップアウトするとかね、そういう自己内部での決意というのがあって、私はそれこそ数限りないオタクたちと接触していたけど、ある程度自分の内部でオタクというものを受け止めている意識のある人たちは、大抵、そういう自己認識に立った上であえてオタクという生き方を選択していたな。だから、オタクに好意的なものであっても、マンガとかテレビドラマとかでオタクをなにかこう非常にイノセントな、アニメが好きで好きで世間体は一切気にしないために結果として世間から眉をひそめられるという、そういう描き方はちょっと逆差別的な部分があると思う。あのスタイルとかファッションには、多分に世間との間に意識的に作っている障壁という部分があるんですね。

 「オタク的価値革命」ってなんだろう。そんな大事件が起こっていたとはまったく知らなかった。まあ、『ブンカザツロン』のプロフィール欄では「オタク第一世代」に属していることになっていた竹内博がここでは「プレ・オタク」になっているあたり実にいい加減なんだけど。それに、唐沢俊一にしろ岡田斗司夫にしろ「オタクに疎いメディアに対するオタク紹介業」をやっているわけで、それと同時に唐沢俊一を高く評価しているオタクの中には「『トリビアの泉』のスーパーバイザーをやっている唐沢先生」を評価している、つまり一般社会での評価をもとに判断を下している人もいるだろうから、唐沢が社会と断絶しているとはとても言えない。
 興味深いのは、この短い発言の中で、唐沢の口から「自己内部」「自分の内部」という言葉が合わせて3回も出ている点で、このことから「プレ・オタク」と「オタク第一世代」を分けるものがあるとすれば、それはアイデンティティの問題にほかならないことがよくわかる。ライフスタイルに関して言えば、「プレ・オタク」だろうと「第一世代」だろうと世間と折り合いをつけて生活している人はかなり多いだろうから、それは二つの世代を隔てる決定的な要素ではない。
 つまり、「オタクである自分とは何者なのか」という問題にこだわってしまうのが「オタク」なのである、という言い方もできるのではないか。そのひとつの解答として、「オタクは一般人を超えたエリートなのだ」という論法が導き出され、岡田斗司夫の「オタク=貴族階級」、唐沢の「オタク=反社会的存在」は、いずれも「オタク=エリート」と規定していることに実は変わりはなかったりする。唐沢俊一の検証を終えた後にやる予定の『オタクはすでに死んでいる』検証の大半はこの「オタク=エリート」説への疑問に費される予感もあるのだが、今のところは『ブンカザツロン』の検証を続ける。


 同書P.51〜P.52より。

唐沢 そのイニシエーションというのが本当にある程度、綱渡りみたいなもので、誤ると、命を落としてしまう。つまり、ひとつ間違うと、“俺たちは宮崎勤だ”という危険性を常に背中合わせで持っていたのが、われわれなんです。あれにはならないっていう自信はあったにしても、彼と自分は一歩も離れていないなっていう、その痛いほどの自覚があった。『トンデモ創世期2000』(原文ママ)でも話したけれども、あの『宮崎勤事件』があったときに、オタク時代以前のオタクの巣窟だった『アニドウ』って組織の代表である、なみきたかしに訊いたことがある。彼に、「あれどう思う」っていったら、「あれは俺だよ」と。「たまたま、俺は、人を殺していない、女の子を誘って殺してしたりしていない、というだけの違いで、数センチも離れていない」と言い切った。俺、ちょっと感動で涙が出そうになって。そこまで言い切れる、彼の痛みを共有できているっていうのもすごいなと思った。「僕はシンジくんなんだ」っていう『エヴァ』はまりは多いけどね、「俺は宮崎勤だ」と言い切れるオタクはどれだけいるか。


鶴岡 ですね。


唐沢 それに比べると、大塚英志なんかは浅いんですよ。最初は、オタクの罪を見つめるために彼を弁護する、なって言っていたものの、だんだん「あれは冤罪だ」とかさ、「無罪であることを信じるのみだ」とか言うようになっちゃった。そりゃ、薄いとか濃いとかいう問題はあっても、やはり宮崎はオタクですよ。良きにつけ悪しきにつけ、われわれの持っている闇の部分のっていうのをね(原文ママ)、ほとんど体現してるのよ。

 「オタク=エリート」論を弁護できるとすれば、宮崎勤の事件によって生じたオタクへのマイナスのイメージを払拭するためにそのような理論を作る必要があった、と言えるとは思うのだが、それはさておき。
 今回の記事を書くにあたって、宮崎勤の事件に関してあれこれ考えてみたものの、正直に言って、自分には宮崎の事件は他人事としか思えない。事件当時、中学生だった自分には宮崎が自分と同じとは感じられず、せいぜい同級生から「オタッキーな本なんか読んでるよ!」とからかわれるくらいの影響しか受けていない(「オタッキー」という言葉が学校で普通に話されるようになっていたわけだけど)。とはいえ、自分より少し年長である平野耕太は宮崎の事件の影響で嫌な思いをしたことをマンガで描いているし、オタクではない(「オタク的」ではあるのかも)小林よしのりも宮崎事件に衝撃を受けたことは『厳格に訊け!』の最終回を見ても明らかなので、世代的な問題なのかもしれないし、自分が鈍感なだけなのかもしれない。ただ、宮崎の事件自体、裁判が進むにつれ「多重人格」云々などと宮崎の個人的要素に問題が収斂されていった観があるので、自分の感覚がさほどズレているとも思えない、とは言っておきたい。


 さて、大塚英志の話である。大塚が宮崎の事件にどのように関わっていったかは、大塚自身が『「おたく」の精神史』(朝日文庫)などで詳しく書いているので、それらの本を参照しつつ簡単に説明していく。まず、大塚は宮崎の逮捕直後に次のような文章を書いている。『「おたく」の精神史』P.269より。

 TVに映し出された彼の部屋の本棚にはぼくがかつて編集した単行本の背表紙がちらりと見えた。ぼくが最初に編集者に編集者として足をふみ入れていた雑誌のバックナンバーも並んでいた。彼がぼくの読者であった以上、ぼくは彼を守ってやる。二六歳のおたく青年の主張を代弁したところで何の意味もないかもしれないが、彼の生きてきた不毛とぼくが生きてきた不毛がつながっているとわかった以上、そうする他にないではないか。

 大塚はこの後、『Mの世代』(太田出版)で中森明夫と対談したり(「オタク史」の基礎知識に属することだが、中森は大塚が編集を担当していた『漫画ブリッコ』で「おたく」を批判し、それがきっかけで大塚と論争している)、宮崎の裁判に証人として参加するなど、自らの言動に対してそれなりの責任を果たそうとしていたように見える。
 興味深いのは、『「おたく」の精神史』第21章「あの日のこと」などを読む限りでは、大塚自身が宮崎に関わったことを批判的に捉えていることで、『「おたく」の精神史』の別の章(P.296〜P.297)では

そもそもぼくは本当は逃げ出したかったのであり、ただいきがかり上、引けなくなっていただけの話だ。

とまで書いている。
 これらの大塚の文章が、事件を正しく解釈しているかどうかは検討の余地があるだろうし、厳しい見方をすれば言い訳をしているだけだとも考えられる。ただ、大塚が宮崎勤に「深く」関わったのは間違いのないことで、「あの日のこと」が迫力に満ちた文章になっているのも「深く」関わったがためなのではないか(文庫版で解説を担当している中塚圭骸も「あの日のこと」を褒めている)。
 だから、唐沢俊一が大塚を「浅い」と呼ぶのは大いに疑問である。なみきたかしの言葉と大塚のそれにさほど違いがあるとも思えないし。かつて大塚は岡田斗司夫に対して「一体いつ「おたく」を弁護したのか?」などと厳しく批判していたが(オタクウィークリー参照)、唐沢についても同じことが言えるのではないか。自分も唐沢俊一がいつ「オタクの罪」を背負ったのか気になる。さらに言えば、唐沢は宮崎事件の時には唐沢商会の原作者としてしか活動していなくて、ライターとして独り立ちするのは事件の翌年の1990年になってからである(しかもオタク関連の仕事に携わるのはデビューしてかなり時間が経ってから)。大塚とはあまりに立場が違いすぎる。
 もうひとつ、唐沢は大塚が「浅い」というが、ならば岡田斗司夫もまた「浅い」のではないか。大塚は岡田の広めた「オタク」からは宮崎勤の問題がスルーされているなどと言って、「オタク」ではなく「おたく」の表記を使っているわけなのだけど。
 なお、以下は余談だが、大塚と東浩紀の対談集『リアルのゆくえ』(講談社現代新書)で、秋葉原連続殺傷事件について「自分で語らねば」と気負う東(まるで宮崎事件の時の大塚のようだ)に対して、大塚はあくまで冷静に振舞っていて、加藤智大をかなり突き放して見ている。その冷静さが宮崎勤に関与した反省に拠るものなのか、単純な世代の違いに拠るものなのか、少し気になる。

 あと、いちいち書くことでもないのかもしれないが、唐沢によると、なみきたかしは「自分と宮崎の違いは人を殺していないだけ」と言っていたらしいが、その差はとてつもなく大きい。犯罪者が出るたびに「自分と同じだ」と考えてしまう人は結構いるようだが(「宮崎と同じ」「酒鬼薔薇と同じ」「宅間と同じ」「加藤と同じ」…etc)、いやいや、全然違うから!と言いたい。マスコミが煽るのもよくないんだろうけど。


 大塚英志は「おたく」として宮崎勤を擁護したのだが、逆にオタクが宮崎を批判することもあって、「あいつはオタクとして間違っている」「あいつは濃いオタクじゃない」という批判があったようだ。現に『ブンカザツロン』第1章の終盤では鶴岡氏が宮崎のビデオの録り方を批判し、「『ゲゲゲの鬼太郎』と『電人ザボーガー』を一緒に録るな」とツッコミを入れている。そして、続く第2章の「序」でも唐沢俊一が宮崎のオタクとしての不徹底ぶりを批判している。『ブンカザツロン』P.64より。

 あえて言ってしまうが、やはりあの宮崎勤事件はホラービデオの見過ぎのせいなのではないだろうか。
 ホラーマニアとしてそういうことを言ってはいけない、というような空気があの事件以来、業界人に蔓延しているが、じゃあ、それ以外のどんな理由がいちばん、あの事件の理由づけとして説得力があるか。やれ多重人格とか幼少期のトラウマとかいろんな説があるが、オッカムのカミソリ(単純な理由がある場合、それ以上に複雑な理論を立てるべきではない、という自然科学における考え方)の原理に従えば、一般に最も認知されやすい理由がホラービデオの見過ぎ、なんではないか。

 一橋文哉『宮崎勤事件』(新潮文庫)によると、宮崎が所持していた5793本のビデオのうち、スプラッター映画は「ロリコン物」のビデオと合わせて83本だったという。仮に83本のビデオ全てがホラー映画だったとしてもコレクション全体の1割にも満たないのだ。これで「ホラービデオの見過ぎ」と断定するのは無理がある。また、宮崎自身、鑑定人からの質問で、ホラービデオから影響を受けたことを否定しているという。ちなみに、宮崎はビデオテープを買う金に困り、テープを万引きしているが、唐沢俊一は宮崎も「オタク界のヒーロー」として称揚すべきなのでは?(詳しくは5月29日の記事を参照)

 ドン・キホーテは中世の騎士道物語の読み過ぎで自分も騎士である、という妄想に取り憑かれた。ウィリアム・ブルテンに、密室殺人小説にハマりすぎた故に、自分でその可能性を試してみたくなった男の話『ジョン・ディクスン・カーを読んだ男』というのがある。いずれの作品の設定も、読者の共感を得るのは、人々が、そういうことは実際にあり得る、と認識しているからである。明日のジョー(原文ママ)にあこがれてボクサーになった辰吉の話が美談で、ホラーにあこがれて殺人を犯した宮崎の話があり得ない話であるワケがない。ただし、言いたい。そういうことは決してよきオタクの道ではないということだ。道徳は関係ない。岡田斗司夫が『オタク学入門』で言っているではないか。オタクとは作品の裏を読み、周辺諸事情を読み、その成立過程を読み取る能力を持つ者のことである、と。単にホラー映画の影響を受けて殺人衝動に走るなどという単純思考こそ、『エヴァンゲリオン』にハマって自己内省に走る単純思考と同じく、最もオタク、すなわち映像作品の高度受容者の道から遠いものだろう。

 くりかえしになるが、宮崎勤がホラー映画の影響を受けていたという話がきわめて疑わしいので、唐沢の文章は根本から成立していない。…っていうか、どさくさにまぎれて『エヴァ』にハマった人を批判しているなあ。唐沢俊一の場合、「作品の裏」「周辺諸事情」「成立過程」に興味はあっても、作品本体に興味がないのが問題だと思う。「よきオタク」どころか、一歩間違えば「半可通」だ。アマチュア時代から『ザンボット3』のファンに対して「富野という人間に心を乗っ取られてはいけない」と注意していたらしいから(2010年5月28日の記事を参照)、「ハマったら負けだと思っている」という考えの持ち主なのだろうか。時々何かにハマるくらいが楽しい人生を送れるんじゃないかなあ。

 宮崎勤は、オタクの道を踏み外した未熟者である。あの事件があったとき、ディープオタクからは、「一本のテープに複数作品を録画するな」「三倍速で録画しちゃいけない」「昔彼が書いたというアニメ雑誌への投書には、基本的な誤りが多すぎる」などという指摘があった。当時は、こういうサマツな事項にばかり目が行くことがオタクのどうしようもなさだ、というような言われ方をしていたようだが、私はむしろ、これらの指摘は本質をついていたのではないか、と思う。どんなものでも形から入らねば奥義に達することが出来ない、というなら、宮崎勤は、こういう指摘を親身に受け止めて、立派なオタクとなるために精進すべきであった。 
 そうすれば、実際の殺人なんてアホらしくて犯す気にもならなかったろうに。

「昔彼が書いたというアニメ雑誌への投書には、基本的な誤りが多すぎる」 
 
…一体誰のことを言ってるんだろ(詳しくは『唐沢俊一検証本VOL.0』を参照)。
 前出『宮崎勤事件』によると、宮崎は知識の薄さや態度の大きさから他のオタクからも嫌われていたらしいのだが(やはり誰かさんを連想してしまう)、『宮崎勤事件』に掲載されている宮崎勤が自ら選んだコレクションベスト10を見ると、確かにウスい、というか、彼がオタクとして勉強していない、訓練を受けていないことを感じる。宮崎が「オタクの道を踏み外した未熟者」なのだ、と言われればそうなのかもしれないし、そもそも「オタクの道」に足を踏み入れていないのではないか?と思う(個人的には、宮崎はオタク以外の根深い問題を抱えていたような気もしていて、それは唐沢検証とも一応つながりがある話なので機会があれば論じてみたい)。
 「宮崎勤はオタクとして未熟である/宮崎勤は本当のオタクではない」というのは「オタク」の中ではそれなりに説得力を持っている理屈ではある。『ブンカザツロン』の中で鶴岡氏も宮崎のビデオの録り方を批判していることは上の方でも書いている。しかし、この理屈はオタク以外の人に対してはあまり説得力を持たないことも確かだろう。普通の人にとっては濃かろうと薄かろうと正しかろうと間違ってようとオタクはオタクで何の違いがあるのかわからないのだ。…っていうか、その理屈って結局「自分は宮崎とは違う」って言っているのと同じような気もするのだけど。
 そう考えると、「オタク=エリート」論は、少なくともオタク以外の人にも届く理屈ではあるので、それなりに強固なものであることをあらためて実感させられる。


 他人事としか思えないはずの宮崎勤の話だったが、取り掛かってみると面白くなって、かなり長々と書いてしまった。唐沢俊一の上から目線&的の外しっぷり以外は楽しめた。ホラー映画好きとしては少し不愉快でしたよ。


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