唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

のけもの都市。

「のけもの死すべし」「美女とのけもの」「六本木のけもの会」



※注意!! この記事には大藪春彦の小説『野獣都市』と福田純監督の映画『野獣都市』のネタバレがあります。
 





 唐沢俊一「古い映画をみませんか」で1970年公開の映画『野獣都市』について書いている。
 幸いなことに自分もこの映画を観たことがある(記事を書くに当たって観直した)のだが、疑問を感じる部分がいくつかあるので指摘していきたい。

 『野獣都市』の原作は1962年に発表された大藪春彦の小説である。映画のストーリーも基本的には小説をなぞっているが(「実業家がかつての仲間に脅迫される」「曙製薬の工場跡地をめぐっての株の買い占め」)、映画では主人公の有間(黒沢年男/現・年雄)が石浜(三国連太郎)を慕っているという要素が付け加えられている。唐沢は映画の脚色について以下のように書いている。

案の定“ホモっぽい”という感想を述べていたブログがあった。確かにそう
見えて不思議はない。一方で失われた理想の父親像を主人公が三國に投影した、
と取るウィキペディア的な見方もあり、これも理にかなっている。原作では
主人公は、金のために主人まで利用し、その計画のために主人の娘を強姦し
自分の言いなりにする冷血漢になっている(大藪春彦の作品にはよくある
人物造形)。三國に愛情を感じるという設定は映画オリジナル
(脚本/石松愛弘)なのだ。

私はこの二人の関係を、戦前世代に対する70年代世代のあこがれととる。
まだ幼かった私の記憶の中ですら、60年代を良きにつけ悪しきにつけ盛り
上げてきた安保闘争の、事実上の敗北を目睫のことにして、70年という年の
若者たちの負っていた虚脱感というのは、今の若い人たちには想像もつかない
ほど大きかったのである(この喪失感はその年11月の三島由紀夫の割腹自殺
で右も左もいっしょくたにして総まとめされる)。


 まず、映画版では石浜の娘・美津子(高橋紀子)は有間をモーテルに誘って挑発したところ、逆に襲われてしまうので明らかに「強姦」である。一方、原作では石浜の娘・小夜子(映画版と名前が違っている)はもともと有間に好意を持っていて、石浜の留守に有間に迫られて拒みきれずに身体を許してしまう。…まあ、「強姦」と言えばそうなのかもしれない。有間は大明製薬の三男坊・信正の婚約者である小夜子を自分の言いなりにして大明製薬を操ることを企み、その後信正の2人の兄を殺害し、信正を後継者に仕立て上げるのであった。この辺は大藪春彦の小説らしい地道さ(だから、『餓狼の弾痕』がトンデモ化したのはなんとなく理解できる)で、作業ゲーならぬ作業小説のおもむきがある。
 ついでに書いておくと、原作では「大明製薬の下原社長」モデルが簡単にわかってしまったのだが、映画では「大東物産の市原社長」に変更されている。『アスタロッテのおもちゃ!』みたいなものですかね。大藪春彦が存命だったら小説の中で岩原都知事とか出てきたのかなあ。「オタク第一世代を標榜する空沢や丘田」が出てくる大藪っぽい話でもこっそり書いてみようか…。


 さて、映画版で有間が石浜を慕うという脚色がされた理由が気になるところだが、『東宝映画100発100中! 映画監督福田純』(ワイズ出版)に載っている福田監督のインタビューを読む限りでは、福田監督は三国連太郎ありきで『野獣都市』を作ろうとしていたことがうかがえる。原作では有間がカッコよく描かれている一方で石浜は情けない中年男でしかなく(大藪作品の特色である「俺TUEEE!」感がアリアリと出ている)、単純に考えても「三国連太郎にそういう役は振れないよな」と思うので、映画版の石浜が原作よりも頼れる存在になっているのは理解できる。もうひとつ言えば、1923年生まれの福田監督にとっては有間より石浜の方が感情移入しやすいということもあったのだろう。
 それと、「三島由紀夫の割腹自殺で右も左もいっしょくたにして総まとめされる」については2010年9月6日の記事も参照していただきたい。連合赤軍はどうなっているのか。

1970年バリバリの時代描写がこの映画には顕著(原作は1964年初版)
で、ゴーゴー喫茶は出てくるわ、グループサウンズ風の主題歌が冒頭とラスト、
おまけに映画の途中にまで流れるわで、現代の目からすれば失笑ものだろうが、
私はこれがないとこの映画の主題は伝わらないと思う。若者の歌がプロテスト・
ソングからフォーク、ニューミュージックなどインナースペースを歌うものへと
転換した時期である。自分たちが求めた理想の社会はついに到来しないことが
あきらかになり、行き場がなくなっていた若者は、いたずらな空虚感に
さいなまれ、生きる目的を求めてさまよっていた。

 先に書いた通り『野獣都市』の原作が発表されたのは1962年である。
 『野獣都市』の主題歌は、ザ・ブルーベル・シンガーズ『疎外者の子守唄』(作曲は『野獣都市』の音楽を担当した佐藤勝)。ザ・ブルーベル・シンガーズについては「知泉的雑記」を参照。『昭和ブルース』のオリジナルを歌っていた、と聞くと『疎外者の子守唄』についても納得できる(『疎外者の子守唄』の歌詞は騒音館伴・お色気国を参照)。
 …しかし、ひとつの映画だけで「こういう時代だった」と語るのはどうなのかなあ。GSでいえば、『野獣都市』と同じ1970年に公開された『野良猫ロック・マシンアニマル』の劇中でズー・ニー・ヴーが『ひとりの悲しみ』を歌うシーンがあるけど、あれも「いたずらな空虚感」のあらわれと言われればそうなのかもしれないが…。やはり『マシンアニマル』で使われている太田とも子(梶芽衣子実妹)『恋はまっさかさま』もそうなのか? なお、『ひとりの悲しみ』は尾崎紀世彦また逢う日まで』のオリジナルとして知られている。

『マシンアニマル』を観ると「『また逢う日まで』じゃん!」と思わず笑ってしまう。

 

そんな状況下で、戦前・戦中派は実に元気いっぱいである。戦時中、曙機関
というスパイ組織のボスだった三國連太郎は、麻薬取引の過去を知る戦友の
小松方正に脅されると、黒沢年男に彼を殺させ、ボートで湖に死骸を捨てる
とき、ピストルで顔面を頭部ごと破壊して、身元がわからないようにする。
見事に小松を撃ち殺したとはいえまだうぶな黒沢は、それを見て嘔吐するが、
これが彼の、殺し屋へのイニシエーションだったのだろう。

一方で三國を追い落とそうとする連中もまた、一筋縄ではいかない悪党ばかり
だ。清水将夫も北竜二も大滝秀治も、喪失感など薬にしたくも持ち合わせぬ
ようなずぶとい連中ばかりで、陰謀と金もうけ、つまりは生き抜くことに嬉々と
している。それだけ生命への執着もしつっこいのだが、一方の主人公・黒沢は、
腹を撃たれての死の逃避行の中で、
「やっと生きている実感がわいた」
とつぶやく始末である。根本のパワーが違うのだ。

その差は何か。三國と黒沢の対比で言うならば、“過去”を持っているかどうか、
によるだろう。後ろ暗いものであれ忘れたいものであれ、自分を突き動かす
ものは過去しかない。俺たちは戦友だったじゃないかという三國に小松方正
は、“お前は成功し、俺は失敗したんだ”と言う。三國は過去を現在につなげ、
小松は過去を失った。最初の殺人が小松であったということは、黒沢にとり
自分(過去のない男)を殺すことであったわけだ。黒沢は自分を殺し、過去
のある男・三國に“徹底的に賭けてみる”ことで、その生きてきた過去を共有
したかったのだろう。

つまるところ、この映画は戦中派同士の潰し合い・生存競争に巻き込まれた
シラケ70年代世代の抗争と敗北(まあ、敵も皆殺しにはするが)を描いた
作品、ということになるのではないか。それが映画の求めたところかどうか
は知らないが、そう見るのが最も矛盾なくこの作品を観賞できる。彼の死に
かぶさるあのグループサウンズ的主題歌は、70年世代への鎮魂歌なのだ。
今聞いてズレてると感じるのは、むしろ演出が正しかった証拠であると
言えよう。


 この辺りは唐沢俊一「若者嫌い」と「大人贔屓」がよく出ている。唐沢は何故か有間を貶め彼の周囲の悪党を持ち上げているが、映画の中で有間はそれなりにふてぶてしいところも見せている。石浜が岩野(小松方正)と取引した際に岩野に同行してきた花谷組の殺し屋・権田(石橋雅史)が威嚇射撃をすると、即座に反撃して岩野たちを倒している。その後、花谷組が石浜を脅迫してくると「面白くなってきましたね」と石浜に呟いているのだ。…どうも有間の評価が低すぎるように思う。細かいことだけど、有間と石浜が岩野たちの死体を捨てたのは湖ではなく夢の島でロケをしているんだからわかりそうなものだけど。
 有間に対して「戦前・戦中派」が元気かというとそうでもなくて、石浜は「娘は所詮他人だ」と言っていたのに結局自分の身を犠牲にして娘を助けているし、花谷(大滝秀治)は有間にあっさりつかまって市原(清水雅夫)に助けを求めている始末だ。あと、『野獣都市』で目立っているのは花谷組の幹部・丹羽を演じた青木義朗なのだが、何故この人をスルーするかな。『野獣都市』と同じ1970年公開の『反逆のメロディー』の刑事役も印象的。ちなみに、大藪春彦つながりで言えば、青木は1980年公開の『野獣死すべし』の冒頭で伊達邦彦(松田優作)に殺害される警部補を演じている。うちの父親が「仲代達矢の方がずっと良かった!」と怒っていたのを思い出す(仲代は1959年版『野獣死すべし』で伊達邦彦を演じている)。リップ・ヴァン・ウィンクルの話をしたのがマズかったのか。朝倉哲也は木星には何時に着くんだ?」と言ったりしないのか(それでも『蘇える金狼』は途中までは大藪春彦らしさがよく出ていると思う。悪の組織みたいな重役会議岸田森の怪演など楽しい場面が盛りだくさんだし)。
 …脱線がひどくなってきたので話を戻すが、1970年公開の映画で「70年世代への鎮魂歌」をやられてもなあ、と思う。70年代は始まったばかりなのに。いずれにしても「若者嫌い」「大人贔屓」のせいで妙な感じになっていることは否めない。


 個人的な考えでは、『野獣都市』はアメリカン・ニューシネマの影響も受けているように思う。ともに銃で撃たれた有間と紀子がカーチェイスの末にキスをしたままラストを迎えるというのはいかにもだ。また、唐沢は何故か書いていないのだが、有間が事件の黒幕である金森(北竜二)を射殺するシーンで突然画面がモノクロになり、金森の血しぶきだけが赤く色がついている(加えてスローモーションがかかっている)、という独特の演出がされているのだ。…似たような映画が他にもあったような気もするけど、どうなんだろ。



 『雁の寺』の時にも思ったことだが、「古い映画をみませんか」で取り上げられた映画を「じゃあ、観てみようか」と実際に観てみると、唐沢俊一の感想にだいぶ違和感をおぼえてしまう。自分の場合は『野獣都市』を過去に観ていたので尚更だった。メジャーなネタを扱うと引き出しの少なさがバレてしまうから、なるべくレアな作品を扱うのが吉であるように思う。ただ、そうなると「古い映画をみませんか」というタイトルに偽りあり、ともなりかねないのがつらいところだ。
 以下は憶測だが、『野獣都市』は先月銀座シネパトスで上映されたので、唐沢はそれを観たのかもしれない。そう考えると『週刊新潮』でのコメントとも辻褄が合う。…しかし、映画館が営業しているなら、そこまで心配しなくてもいいのでは?と思うのだが。

 …あ、チャンネルNECO『爆破3秒前』をやるから観ようっと。原作は『破壊指令№1』だ。


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