唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

「へぇ」の中の懲りない面々。

タコシェ冬コミの新刊「唐沢俊一検証本VOL.4」の通販を受け付けています。また、既刊『唐沢俊一検証本VOL.1』『唐沢俊一検証本VOL.2』『トンデモない「昭和ニッポン怪人伝」の世界』『唐沢俊一検証本VOL.3』『唐沢俊一検証本VOL.0』も通販受付中です。タコシェの店頭でも販売しています。
・初めての方は「唐沢俊一まとめwiki」「唐沢俊一P&G博覧会」をごらんになることをおすすめします。
・1970年代後半に札幌でアニメ関係のサークルに入って活動されていた方、唐沢俊一に関連したイベントに興味のある方は下のメールアドレスまでご連絡をお願いします。

karasawagasepakuri@yahoo


 『クイック・ジャパン』の唐沢俊一インタビューに関連して、石黒直樹氏が次のような発言をしていた。

粘着アンチっていう人種は、相手が自殺でもしてこの世から消えでもしない限り許さない、何とも暗く貧しい心根の持ち主なんだろうなと、吉田豪氏の唐沢俊一氏インタビュー絡みの反響を見て思う。ここぞとばかりに得意気にバッシングTweetあげてる伊藤剛も含めて。

 もしかすると石黒さんは、伊藤さんが『エヴァ』騒動に関連してどのような目に遭ったかご存じないのではないでしょうか? 石黒さんだけでなく当時のことをご存知でない方は唐沢俊一検証本VOL.4』をぜひとも読んでいただきたいと思います(宣伝)。ネット上での発言を改竄されたり、トークライブでプライバシーを暴露されたり(しかも内容は虚偽)、仕事の妨害をされたことなどなどを考えると、伊藤さんがきわめて節度のある対応をされていることにすぐに気づくと思います。
 伊藤さんだけでなく、唐沢に盗用やパワハラで被害を受けた方はみなさん強い方ばかりです。自分が同じ目に遭っていたらどうなっていたか、耐えられる自信はありませんし、感情的になることなく余裕を持って検証していこう、といつも考えているのは、そういったみなさんがいらっしゃるからです(唐沢俊一という人の余裕のなさが嫌なせいもある)。
 あと、他のみなさんもおそらく同じこととは思いますし、正直こんなことをわざわざ書くのもどうかと思うのですが、自分は唐沢俊一に自殺してほしくありません。他人に迷惑をかけずにいい仕事をしてくれれば別に構いません(できれば伊藤さんや漫棚通信さんに謝罪してほしいですが)。どこかのメディアが唐沢を起用したとしても「ああ、ガセビアを言ってばかりいる上に盗用癖のある人を起用するなんて、リスクを度外視していてすごいなあ」と思うだけです。同様に唐沢俊一を支持する人がいたとしても「へえ、かなりの難事業にチャレンジするんだなあ」と思うだけで批判するつもりはありません(自分を批判してくるようなら当然反論しますけど)。万が一唐沢が自殺したとしても検証を最後までやりきることに変わりはありませんし、自殺したって何も問題は解決しないのでやめてほしいですね。
 『クイック・ジャパン』でのインタビューに関連して、石黒さんに限らずtwitter上で「アンチ唐沢」を批判されている方が何人かいらっしゃるようですが、みなさんはそもそも唐沢俊一のどこが問題になっているのかご存じなのでしょうか? 検証に問題があるのであれば具体的に指摘していただけると嬉しいです。それと今更言うほどのことでもありませんが、唐沢俊一を検証している人間は必ずしも一枚岩ではありません。現に『クイック・ジャパン』でのインタビューについて自分は十分に評価してますし(吉田豪さん、わざわざ名前を出してくださってどうもすみません)、検証の動機や目的もそれぞれ異なっているはずです。「粘着アンチ」という一言で片付けられるほど単純ではないのですよ。
 あ、そうそう。石黒さんは伊藤さんに会ってみたらいいと思いますよ。自分もいずれ唐沢俊一に直接会ってじっくり話をしてみたいものです。


 前置きが長くなったが本題。文藝春秋』2004年3月号の巻頭で唐沢俊一『“へぇ”の効用』というコラムを書いている。『トリビアの泉』のスーパーバイザーとして、番組が成功したのは雑学の面白さよりも「へぇ」ボタンに代表される「“受け”のスタイル」を開発したことだと主張している。

 酒の席などで、ろくに会話もしないで、ただ雑知識を連発する手合いというのは多い。本人は嬉々としているのだが、大抵は嫌われている。応対のしようがないからである。

 自己批判 いや、唐沢俊一が酒の席でどんな感じなのか知らないので憶測に過ぎないのだけれど。


 続いて唐沢はトリビアをいくつか披露している。

「サド侯爵ってのはマゾヒストだったんだよ」
モナリザのモナってのは“マドンナ”が縮まったものでね」
「京都の先斗町のポントは元はオランダ語で、英語で言うと“ポイント(先端)”って意味なんだよ、だから先斗って書くんだ」
「『サザエさん』のタラちゃんは原作では左利きって設定なんだよね」

 先斗町の由来については諸説あるので、そのうちのひとつを断定的に語っている時点でかなり危険である。そのうえ、諸説あるうちのひとつに、ポルトガル語の“ponto”(英語の“point”)から来ているという説があるのだ(京都タウンマップ)。“point”はオランダ語だと“punt”みたいだし。…せっかくの『文藝春秋』の巻頭コラムでガセを披露してしまうとはついていない。

 などという、こちらには役にも立たなければ興味もない知識を、ただただ聞かされる側になると、本当に往生する。“あ、そう。それで?”と、いかにも興味なさそうな返事をしてやればいいのだが、浮世の義理でそうもいかない場合もあるし、“ええーっ、そうだったの、知らなかったぁ!”などとわざとらしく驚くのもおかしい。せいぜいが、
「ふーん、よく知ってるねえ」
 と適当にお茶を濁す程度なのだが、そうなると相手は、もともと会話のセンスに欠ける連中なので、褒められたとカン違いし、さらにとっておきの(と、自分が思っている)知識も披露しにかかる。
「じゃあこれ知ってる? “第三者”というのは中国語で“不倫相手”って意味なんだ!」
 ……どう返事をしろというのだ。

 やっぱり自己批判なのかなあ。しかし、雑学を聞かされるのはそんなに嫌なものなのだろうか。自分はわりと好きなほうだと思うけど、世の中には雑学を聞かされるのが嫌いな人が実は結構多くて、唐沢俊一も拒否されたことがあるのかもしれない。相手のリアクションがウスいのに苛立ってシモネタに移行するあたり妙にリアルだ。
 でも、どうなんだろうな。自分は雑学をひけらかす癖はないのだけど、話していて別に嫌がられたことはないし、ごくたまに「物知りなんですね」と言われて恥ずかしい思いをすることもあるから(いや、自分は本当にものを知らないので…)、唐沢の言ってることがいまひとつわからない。話し方にもよるのかも、と思ったけど、自分は口下手だしなあ。そういえば、こないだクイズ番組を観ながら無意識に答えをつぶやいていたら、一緒に住んでいる女の子に「なんでも知ってるね!」と言われたので、「何でもは知らないよ、知っていることだけ」と返してみた。狙っていたわけじゃないけど、まさかリアルでできるとは。もちろん向こうはノーリアクションだったけど、気にしない気にしない。


 ここまでは「自虐ネタ」ととらえることもできたのだが(唐沢俊一はあまり自虐をしない人だが)、この後で唐沢は妙なことを言い出す。

 こういうときに、右手を上下させながら、“へぇ〜”と、少し語尾の上がった、聞きようによっては小馬鹿にしているような声を上げる。あまり面白くないときには、
「うーん、それ、四へぇ」
 と言い捨てればいい。会話における雑学披露というのは、相手の知らないような些末な知識を持ち出すことで、その席において相手より上位の立場を無理矢理確保するという、心理的マウンティング(猿山の猿などが、相手との力関係を確認する行動)技術である。ところが、この“へぇ”を使えば、それに何の苦労もなく切り返し、その知識に点数をつけて批評することで、逆に相手より上の位置につくことが可能となるのである。

 まさか酒の席でのウンチク話にそんな意味があったとは。…っていうか、この文章を読む限り、唐沢俊一には雑学を披露する時に「相手より上位に立とうとする」という意図が少なからずあるってことだよね。逆に言えば、相手が雑学を披露したりウケを取ったりしたら「上位を取られた」と思うということか。…そんな面倒なことを考えながら酒を飲んだりごはんを食べたりしたくないけどなあ。もっと楽しくやればいいのに。それに、そもそも雑学の披露が会話での上下関係の取り合いにどの程度有効なのかも気になる。たとえば、(学歴・職業・資産などの)ステータス自慢をひっくりかえす程度の力はあるのだろうか。

 聞くところによると、コンピューター関係の学会で、研究発表のとき、聴衆に“へぇボタン”を配って、発表の評価をさせるところが出てきたそうだ。学会の発表のような一方通行だった場所にも、これで聴き手の意志表明が可能となる。いくら偉い先生でも、発表の技術を向上させなくては恥をかくことになる。学会も面白い場所になるだろう。ひょっとすると、この“へぇ”の発明は、日本人のコミュニケーションの形を変えていくのではないか。最近、そんな風にすら思えてきている。

 「へぇボタン」が取り入れられた学会というのは『WISS2003』のこと。でも、普通の学会でも質疑応答の時間ってあるんじゃないの? 「日本トンデモ本大賞」でも質疑応答の時間を設けてくれればなあ。あの会場で唐沢の盗用について聞くのはわりと勇気が要りそうけれど。
 そういえば、「へぇ」と言って手を上下させるアクション、あれを最近すっかり見かけなくなった。トリビアの泉』がブームのときには知り合いがやっているのを見かけたこともあるし、今でもバラエティ番組でたまにパロディらしきものを見ることはあるけど。…まあ、いずれにしても、「へぇ」を考えたのは唐沢俊一ではなくて『トリビアの泉』のスタッフなんだけど(このことは唐沢もコラムの中で認めている)。今にして思えば、あの番組のスタッフは本当に優秀だった。スーパーバイザーに関してはあえてノーコメントで。


 とにかく「雑学で相手より上位に立つ」という発想にビックリした。ディベートとかじゃなくて普段の会話でもそういうことを考えているとは。自分は相手と同じ立場で話をしたいけどなあ。


塀の中の懲りない面々 (新風舎文庫)

塀の中の懲りない面々 (新風舎文庫)

1/1へぇボタン

1/1へぇボタン