唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

『村崎百郎の本』に唐沢俊一のインタビューが載っていた。

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 村崎百郎の追悼本である村崎百郎の本』アスペクト)が本日発売される。自分は昨日入手したのだが、村崎百郎の人となりを知ることができるとともに、90年代の「悪趣味」ブームがどのようなものだったかを知ることができる本だと思う。

 さて、この本の中で唐沢俊一「『社会派くんがゆく!』の十年」と題したインタビューを受けている(P.212〜241。聞き手はアスペクト編集部)。

 最初のうちの数年は、かなり特殊な連載だったと思うんですよね。村崎さんみたいな人と犯罪事件や社会情勢について語るというのは。それが最近は、かなり馴らされてきていたというか、はっきりいえば、マンネリ化していた。マンネリっていうのは別に悪いことじゃなくて、むしろマンネリになっている方が「見たいときに、いつでもそこにあるもの」という認識が根付くから、ある意味、マンネリ上等なところもあったんです。ただ、最近は、あまりに異常な事件が続くことが恒常化してしまっていたために、あっという間に日常に埋没してしまう、そういう意味でのマンネリ感が生じてしまっていたような気がするんです。(以下略)

 『社会派くんがゆく!』は実はかなり早い時期から「マンネリ化」していて、「この国はテポドンが落ちないとどうしようもない」「もういちど鎖国したほうがいい」などというボヤキは初期から出ている。ただ、最近ではかなり影響力も減っていたことは明らかで、2ちゃんねるでも「『社会派くん』ってまだやってたの?」というレスをよく見かけた。「燃料」にならないくらい「マンネリ化」が進行していたと言うべきか。

ちなみに、こないだ木原浩勝さんとトークショーをやった時、聞いていた人から「唐沢さん全日、木原さん新日ですね」って昭和プロレスに例えられたんだけど、『社会派くん』も全くそうで、僕が全日、村崎さんが新日という、区分けができていたと思うんですよね。

常にガチンコであるかのように見せかけてアングルを仕掛けてくる村崎さんに、僕がオールラウンドで全てを受け入れる体制で返していく。何となく自然にそんな組み方ができていった。

 唐沢俊一が馬場で村崎百郎が猪木、ということか。ちなみに、『村崎百郎の本』での京極夏彦のコメントによると、村崎百郎は高校時代空手部の主将だったとのことで、唐沢の「武道の達人」発言はそこから来ているのではないか。

この連載がある程度の支持を得て続けていられたっていうのは、この二〇〇〇年あたり以降、新聞の論説欄みたいな旧来のメディアが、少年犯罪などにまったく効力を持たなくなってしまったことにも原因があると思うんです。「貧困をなくせ」とか「子供の人権を守れ」とかのお題目が社会の不条理に対する措置として効果を上げていた時代っていうのはとっくに終わっていて、逆に「法律で守ってくれるんだから、未成年のうちに事件を起こした方がいい」みたいな、良識を逆手にとった犯罪が増えてきた。個人を守れ、子供を守れ、っていうメディアが良かれと思って言ってきたことが、逆説的に新たなタイプの犯罪を生むことになってしまったわけです。僕はこういう時代の変わり目に不思議に巡り合う運勢があって、「と学会」を結成したのもオウム事件の少し前のことで、あの事件が起こる前までは信仰の自由もオカルト的な好奇心もメディアでは良しとされていたはずなのに、あの事件で一気に問題が顕在化して、オカルティズム批判の需要が生まれた時に、「と学会」という存在があった。『社会派くん』も、子供を守れ、個人を守れ、というきれいごとの言説が無力化してきた時に、「そういうお仕着せって、逆に新たな犯罪の温床になっちゃってるんじゃないの?」という批判精神を打ち出す効果があったんです。(以下略)

 『社会派くん』が「旧来のメディア」に対するカウンターとして作用していたことは認めてもいい。長く続いたことで『社会派くん』もまた「旧来のメディア」になってしまった観もあるけれど。
 あと、「僕はこういう時代の変わり目に不思議に巡り合う運勢があって」じゃなくて、オタクにしろトンデモ本にしろ後からブームに乗ろうとしただけでしょう。「と学会」が「オカルティズム批判」の団体と言われると首を捻ってしまう。

 まして、対象になる事件に対してストレートに怒りや罵倒をぶつける村崎さんという人がいてくれたおかげで、僕はある程度、俯瞰した視点から、ちょっとひねくれた物の見方をすることができた。アプローチのやり方こそ真逆なれど、コンビネーションとしてはうまく行っていたんじゃないかと思います。ただ、僕みたいなひねくれた物の見方では、ネットなんかではまず受け入れてもらえないし、正確に受け取れない人は八割以上だと思います。僕は物書きのスタンスとして、やはりどこかにひねりを入れて自分の刻印を刻まないといけないと思うタチなんだけど、ストレートではない物言いというのは、容易には受け入れられなくなってきている。(以下略)

 「八割以上」の人が正確に受け取れない話をする方に問題があると思う。「理解されない俺カッコイイ」という考え方から早く卒業することをおすすめしたい。そもそも「ひねくれている」ことが問題なのではなく、話に間違いが多いのが問題なのであって。

 鬼畜ブーム初期のライターは、村崎さんにしろ僕にしろ、人が読んで顔をしかめるようなネタを書くのは、今の社会の矛盾や醜悪さをカリカチュアしたもの、あるいは拡大して見せたものがすなわちこれだ、目をそむけちゃいけないよというメッセージを伝えようとしてたんだけど、その後に出てきた若い人たちには、単にストレートにグロテスクなものにはしゃいでるだけ、というタイプが多かった。それじゃ一般に拒否されても当然です。それ以降、鬼畜ブーム、悪趣味ブームが急速に終息していったのも当然でした。(以下略)

 自分は「悪趣味」や「鬼畜」にあまりのれない人間なのだが、「メッセージを伝えようとしてた」のが「単にストレートにグロテスクなものにはしゃいでるだけ」より上等だとは思えない。むしろテーマをくっつけようとしているだけ胡散臭さを感じてしまう。そして、シャレのわかる人間とわからない人間はどの世代にもいるのであって、「若い人」をことさら批判する必要はないのではないか。唐沢俊一だってシャレがわかっているのかどうか。
 ちなみに同じ『村崎百郎の本』の中で、根本敬は「悪趣味」ブームに影響を受けた「若い人」に苦言を呈しながらも、『ホットドッグ・プレス』が「悪趣味」を特集した時(1996年8月25日号)にブームが終わったと思った、と語っている。結局、「悪趣味」が一般化してしまったのが最大の問題なのだろう。あらゆるブームに共通することではあるが、とりわけ「悪趣味」の場合は一般化してはいけないジャンルなのだろうし。

 よく言われたのが、「こいつら、口ではそう言っていても、全然鬼畜じゃないじゃん」ということなんだけど、別に反良識的なことをひたすら言ってりゃ鬼畜なのかっていうと、そんなことはないんですよ。「何とか頑張れば、世の中はよくなる」とか「人間は向上していく生き物だ」とか「世界は平和になる」とかいう希望、その手の希望を一片たりとも持っていない人間を指して「鬼畜」というんです。物事に対する建設的な解決策とか、進むべき場所、行き着く場所が絶対にあるという信念に対して、「そんなもん、ねえよ」とはっきり言える人間が鬼畜なんです。宗教上の教義や民族のアイデンティティは個人の命を犠牲にした上でないと成立しないし、社会の安定は個人の存在や自由をある程度犠牲にした上でないと成り立たない。それを理解し、その上で、無茶な理想を掲げている暇があったら、残酷な現実に直面しながらどうやって生きていけばいいのかを考える方が重要なんじゃないの、と“至極冷静”に考えて口にするのが「鬼畜」なんです。

 そういう「鬼畜」がビジネス本を書いたり「萌え特区」について語ったりするのもおかしなものだが。それに、前回書いたことにも関係するが、「残酷な現実に直面しながらどうやって生きていけばいいのか」と真剣に考えていたら盗用なんてやれるわけがない。理想をバカにしながら現実的になることもできないのは最悪なスタイルだと思う。

 本当に鬼畜なことだけをひたすら言うだけだったら、十年も続きませんからね。鬼畜の顔を被ってでしか言えない真実、というのもあるんです。村崎さんも自分では俺はキチガイだ鬼畜だとかいうけど、知り合って十四年の間、彼に異常性や狂気を感じたことは、僕は一度もないですよ。

変な話、狂気を打ち出そうとする村崎百郎のスタンス自体はとても理性的だったわけ。逆に、そういう回路を持たずに、普通の人とはちょっとズレたことをそのまんま口にしてしまう僕みたいな人間の方が、異常なんです。

 唐沢の自己分析は正しい。本当に「素」で語っちゃっているもんなあ。そのくせ突っ込まれると「あえてやっているんだ!」と開き直るし。
 ちなみに、『村崎百郎の本』の中で宇川直宏根本敬「『社会派くん』で話しているのは村崎百郎ではなく黒田一郎だ」と同じことを言っている。村崎もまた「素」だったのだろうか。


 さて、ここで重要な話題になる。

―その流れで伺いますが、二〇〇七年に、唐沢さんの盗用問題がありましたね。あの時は、連載で取り上げないのはフェアじゃないということで、あえて取り上げたんですが、村崎さんはあまり乗り気じゃなかった覚えがあります。


唐沢 でも、活字になると徹底したアングルかましてくる。面と向かって僕のことをボロクソ言いながら、返す刀で「俺の文章だったらいくらでも無断で盗んでいいよ」とか、ネットの騒ぎそのものを揶揄するようなことを言う村崎百郎のムチャクチャな態度は、常人には理解できなかったんじゃないでしょうか(笑)。鬼畜の態度としては、ああするしかないんでしょう。でも、なんだか、とても気を使わせてしまったような思いがしてなりません。あそこで村崎さんが連載を下りる気になってもよかったんでしょう。でも、彼はそうしなかった。


―正直なことを言わせていただければ、やはりあの騒動以降、この連載の空気が変わってしまった部分はあるかと思います。


唐沢 それは僕も感じています。村崎さんの発言が良識的になっていたのも、そこに原因のひとつがあるのかもしれません。ただ、あの時、ああいう、どこにも属さない立場から全方位でメッタ斬りにするような発言をするのは、村崎百郎にしかできない芸当だったと思うんです。

 盗用発覚時の対談については後日紹介することにしたいが、そこで徹底して突っ込めなかったのが何よりもいけなかったと思う。村崎百郎が連載をやめなかった理由は今となっては知ることはできないが、『社会派くん』はやはりあの時点で終わっておくべきであった。 なお、こんな註がついている。

※12 唐沢さんの盗用問題

二〇〇七年六月に幻冬舎新書として刊行された唐沢氏の著書『新・UFO入門』の一部に、ネットのブログ記事と酷似している箇所があるとして、問題になった騒動。このときのやりとりについては、『社会派くんがゆく! 復活編』を参照。

 なんともぬるい書き方だ。というか、「たまたまカブっただけ」とも読み取れてしまう。アスペクト編集部もなかなか卑劣ですね。

『社会派くん』はよく、「被害者を傷つけるようなことを平気で言う」って非難を浴びてきたけど、猟奇事件の被害者というのは大抵の場合、加害者よりは真っ当に社会生活が営めている人たちなんですよ。加害者の方は、社会的不適格者。どちらかというと僕らがシンパシーを抱くのは、後者の方なんですね。

 加害者にシンパシーを抱くのと被害者を中傷するのは別問題だろう。

よくブログの意見で目にしたのは「村崎は口は悪いが言っていることは真っ当で、本当にひどいことを言っているのは唐沢」という意見なんだけど(笑)、僕は村崎さんみたいに多重人格を作ることもなく思ったことをそのまんま言っていただけだから、自然とそうなるよね。村崎さんはやっぱり、あのマスクを被ることでようやく鬼畜になれる人だったんだと思う。

 「思ったことをそのまんま言っていた」のがマズいのだと唐沢はわかっているのかなあ。

 トリビアブームの頃、周りの人間から『社会派くん』について「唐沢さん、テレビにも頻繁に出るようになって、お茶の間のイメージもあるんだから、ああいう連載はもうやめた方がいいですよ」って言われたことがあるんだけど、僕自身は逆にこれを続けていかないと、自分自身がパンクすると思っていた。それは村崎さんの方も、「いつまでも鬼畜のイメージで、ああいう連載を続けるつもりなの」みたいなことは言われていたと思う。でもお互い、この業界で長くやってきていて、「サブカルチャー出身の村崎百郎」「サブカルチャー出身の唐沢俊一」でいられることの、最後の砦みたいなものだったんだよね、この連載は。だから多少キツくなってきても、続けてきた。僕自身は、テレビに出てコメンテーター的な仕事をするようになってからも常にどこか居心地の悪さを感じていて、それはやっぱりサブカルチャー作家でやってきた時代があまりにも長すぎたからなんです。だからこそ、この連載の場で毒づけることで息をつけていられた部分はあるし、村崎さんも昔の業界に近い地点で仕事ができる喜びがあったんじゃないかな。

 「ワシントン殺人事件」「HのあとにはIがある」みたいなことがあったんじゃテレビは居心地よくないだろうね。『社会派くん』が終わり「裏モノ日記」も休止して、唐沢俊一にとって息をつける場所がなくなっているのはお気の毒。

九〇年代に『エヴァンゲリオン』のブームが起きて若手の評論家たちがそれをベースに新しい時代の価値観を作ろうとしていた時、僕ら八〇年代サブカルを通過した人間は過去の事例を持ち出して、変なレッテル貼りで矮小化させようとしてしまったきらいがある。『社会派くん』の中でも、僕も村崎さんも『エヴァ』に対する評価は高くないですよね。それは、ブームは起こるとそれに無条件で群がっていく連中が嫌いだったというのもあるんだけど、それとは別に、作品は作品として評価しなきゃいけなかったんじゃないかという思いもあるんです。あれは我々、八〇年代サブカル世代の感覚から事故的に超越した作品が出て来てしまったということなんだから。それを無理に時代の流れに位置づけようとするんじゃなくて、あれは時代から突出した「事件」として捉えるべきだったんじゃないかと、今にして思うんです。

 唐沢俊一の『エヴァ』批判が奇妙なのは、作品ではなくファンを批判していることだ。「作品は作品として評価しなきゃいけなかったんじゃないか」と思っているのなら、きっちり批評すればいいだけの話あって、ファンを批判する必要なんてないのに(そして『エヴァ』の批評も大して良くない)。「八〇年代サブカル世代」でも竹熊健太郎さんは『エヴァ』を高く評価しているから、『エヴァ』を受け止められなかったのは唐沢俊一個人の問題でしょう。『エヴァ』以前に『ガンダム』も理解できないわけだし。
 なお、村崎百郎は『ぼくの命を救ってくれなかったエヴァへ』(三一書房)に寄稿していて、編著者である切通理作さんが『村崎百郎の本』にそのときの思い出を書いている。


 再び唐沢のインタビューに戻る。

 僕らの世代は何かにつけて、一九八九年の宮崎勤事件を起点に考えてしまう世代なんです。あれでオタクという人種が世間に敵視されて、だからそれ以降世間に名が出るたびに、その立場をまず正当化しなくてはという思い、「特殊なものじゃないんだ」と世間に説明しなくてはという義務感、そうしないと駆逐されてしまうという恐怖心があった。だから何か新しい作品が生まれても、あまり喧伝するのはよくない、普通のこととして、世間が気がついていないうちに蔓延させるという戦法で行こうとしていた。そうじゃなくて、本当に新しいものが出てきたときは、それに見合った新しいリアクションの仕方があったんじゃないかと……そんなことを考えると僕も本当の意味での鬼畜になりきれなかった部分はあるかと思います。

 それが『エヴァ』を批判してた理由なのか? まるで理解できないなあ。ブームになった作品を持ち上げた方がずっと簡単にオタクのイメージを上げることができると思うのだけど。
 加えて、オタクのイメージを良くしたい、と思っている割りにはオタクへの偏見を一般人に植えつけるような文章をしばしば書いているのも解せない(『検証本』VOL.3を参照)。

 『社会派くん』という連載自体、あのままの状態で続けていたら敗北だったんですよ。もう一歩先の、違うステージに立たなければいけなかったんです。社会が変貌してきたことによって、今まで猟奇だ猟奇だと言っていたようなタイプの事件が、猟奇でも何でもない、日常の「よくある事件」になりつつあるというのは、もはや異常事態なんです。だから、少なくとも事件の取り上げ方、論じ方を変えなければいけなかったんだけど、それは場を改めてやるべきことだったと思う。『社会派くんがゆく!』というタイトルは実はそういう意味も込められていて、初期の頃から単に猟奇事件をネタに面白くおかしく語っているように見えて、実はその背景にある社会そのものを語っていたんですよ。猟奇事件そのものは「異常だ」と言ってしまえば、そこでおしまいなんです。一般のマスコミと僕らが違っていたのはそこで、確固たる社会通念、常識を大前提として、そこに照らし合わせて「こんな事件は二度と起きてはならないことですね」なんていうのは、ただの思考停止なんです。いま起きている事件は、そういう社会通念や常識が壊れて、世の中全体がおかしくなっているからこそ、起きてしまっているわけで、モラルや常識で簡単に切り捨てられるものではない。だったら、これからは狂っている社会そのものを問題にしないといけない。十年かかって、やっとそれが見えてきたところだったと思うんですね。じゃあどうしたらこれから我々は生きていけばいいのか、どうしたら「誰でもよかった」なんて言う奴の凶刃にかからずに生きていけるのか、それを語るためには、村崎百郎唐沢俊一も、今までのキャラクターを変えて論じないといけなかったんです。その「変えなきゃいけないね」という言葉がお互いの口から出ようとした寸前に、その機会が永遠に断ち切られてしまった。それが悔しいんです。

 もう既に敗北してたのでは?と身も蓋もないことを思ってしまう。『社会派くん』が時評として10年近く続いたのは偉業ではあるものの、逆に言えば「鬼畜」をそれだけ長く同じスタイルで続けていることはおかしなことなのだ。前の方で「マンネリ化」を肯定的に語っていたのに、今度は変えようとしていた、と語っているのもおかしいけれど。
 …それにしても、この部分を読んで本当にガッカリしてしまった。だって、「世の中全体がおかしくなっている」と煽るのは「旧来のメディア」のやりくちそのものではないか。自分は『社会派くん』をずっと読んできて、「世の中はずっと昔からおかしかった」「猟奇事件は日常のありふれた事件でもある」ということを学んできたつもりだから、『社会派くん』の語り手が「世の中全体がおかしくなっている」などと言っているのをただただ残念に思う。
 

 もう少し時間があれば、解決に至る口火を切ることを、僕らはできたかもしれない。でも、それは、この『社会派くん』の枠内で行うことではなかったような気がする。形を変えてやらなきゃいけなかった。そのことは村崎さんも僕もわかっていたことなんです。狂った世の中そのものに向き合わないといけないことがわかっていながら、結局、その狂った世の中そのものの体現者みたいな奴に打ち止めにされてしまった。この『社会派くんがゆく!』という連載の枠内だけの話として言わせてもらえれば、作ったような幕切れです。……欲を言えば、二人とも殺された方がもっと見事な幕切れになったかもしれないけれど、贅沢は言いません。

 いや、そんな威勢のいいことを言うんだったら、夏コミで自分と逢ってくれればよかったのに(8月12日の記事を参照)。「鬼畜」ぶらないで身のまわりには気をつけて欲しい。

 いろいろとインタビューも受けて、サブカルチャーそのものに対する処刑宣告みたいな事件なんだから、もうこの世界みたいな事件なんだから、もうこの世界から足を洗って創作の世界に向かうべきなのかな、みたいなことは言っていたんですよね。でも、二ヶ月ほどたって、「ここで撤退していいのか」という思いの方が強くなってきた。現実に村崎百郎を継ぐ人間なんていないわけだし、僕だって継ぐつもりはないですよ。でも、ここで撤退したら、それこそただの敗北なんです。少なくとも次の社会のケーススタディになるもの、「狂った世の中がどうやったらまともになるのか」を提示していく場所を作っていかなければならない。それは、今の社会を前提にするのではなくて、まったく新しい形の社会像を提示して、それを基に今の世の中の事件を語っていくような内容になるでしょう。『社会派くん』みたいに盲撃ちで月々の事件を取り上げていくだけじゃなくて、そういう事件が起きてしまう社会の構造そのものを浮き彫りにして、でへ、どうしたらそういう事件が起きないような世の中になるのか、そのモデルケースまで提示しないといけないと思うんですね。実際にそういう次のステージの社会の人々を向かわせるのは、僕なんかよりもっと若い人がやってくれると思うんだけど、とりあえずその足場を、土台を作らないといけない。それをやっておかないと、それこそ今度、僕が刺されたりした時に、誰も継ぐ人がいなくなるわけですよ。これは早急にやっておくべきことなんじゃないかと、この数日考えるようになりました。

 「さようなら山崎邦正みたいになっている。「俊ちゃんはやめへんで〜!」というか。時にはやめる勇気も必要だと思うけど。「創作の世界」に向かわないということは、小説第二作はないのだろうか。
 しかし、「狂った世の中がどうやったらまともになるのか」というのを考えないのが「鬼畜」だと唐沢は前の方で言ってるのになあ。ちゃんと前後を考えてから話をしようよ。いつもは若い人をバカにしているのに、自分が時評を続けたいがために後継者の育成をぶち上げるのはいかがなものかと思う。札幌のアニソン・サークルの土台作りのためにわざと浪人した(本人談)のとまったく同じ理屈なのは感心しなくもない。
 
 
 以上である。「やっぱり唐沢は物を考えないでしゃべっていたんだなあ」としみじみ思ってしまった。終盤になって一気にボロが出ているのも凄かった。それに比べると、村崎百郎は「演じていた」だけでも偉いと思う。唐沢のインタビューはともかく、『村崎百郎の本』はいい本なので、「悪趣味」「鬼畜」に興味のある人は手にとって見るといいよ。
 なお、冬コミで出す本で、これまでの『社会派くんがゆく!』について総括する予定です。

※ 追記しました。

村崎百郎の本

村崎百郎の本

ぼくの命を救ってくれなかったエヴァへ

ぼくの命を救ってくれなかったエヴァへ