唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

夢を見る人。

タコシェにて夏コミの新刊『唐沢俊一検証本VOL.3』『唐沢俊一検証本VOL.0』通販受付中です。また、既刊『唐沢俊一検証本VOL.1』『唐沢俊一検証本VOL.2』『トンデモない「昭和ニッポン怪人伝」の世界』も通販受付中です。タコシェの店頭でも販売しています。
・初めての方は「唐沢俊一まとめwiki」「唐沢俊一P&G博覧会」をごらんになることをおすすめします。
・1970年代後半に札幌でアニメ関係のサークルに入って活動されていた方、唐沢俊一に関連したイベントに興味のある方は下のメールアドレスまでご連絡をお願いします。

karasawagasepakuri@yahoo.co.jp


 今週の『週刊アスキー』掲載の唐沢なをき電脳なをさん』では、唐沢なをきが『宇宙戦艦ヤマト』に対して抱いている複雑な思いが吐露されていて面白かった。「うちの兄貴が『ヤマト』のブームを起こしたんですよ」とは残念ながら言っていなかったが。なお、巻末のコラムでは岡田斗司夫が『ヤマト』本放送時に父親にビデオデッキを買わせようと苦心する話をしていた。


 今回は、唐沢俊一村崎百郎『社会派くんがゆく! 復活編』アスペクト)からいろいろネタを紹介していく。『復活編』は「『新・UFO入門』事件顛末記」が掲載されたことで悪名高い。


 まず、プロフィールにこのような記述が。

1958年札幌生まれ。作家・カルト物件評論家。「と学会」中心メンバー。フジテレビ『トリビアの泉』スーパーバイザー。おなじみの雑学ネタからB級映画、貸本マンガ、薬学、トンデモ落語に猟奇犯罪史と、昭和カルチャーのディープな世界を平成の世に復活させる一連の活動で、世間を唖然とさせている。TBS『ピンポン!』などで、お茶の間にも健全な毒を振りまきながら、ラジオパーソナリティや俳優、果ては落語家としても活躍。著書に『泣ける猟奇』(ミリオン出版)、『新・UFO入門』(幻冬舎新書)、『オタク論!』(岡田斗司夫との共著、創出版)、『博覧強記の仕事術(仮題)』(小社、2008年春刊行予定)など。

 前半のやたら威勢のいい自己紹介についてはみなさんにツッコミをおまかせすることにして、気になるのは『博覧強記の仕事術』だ。「2008年春刊行予定」とあるが、実際に出たのは2009年6月。…なるほど、仕事が遅いというのは本当なんだ。去年、年末進行で出すはずだった本も来年あたり出るかも。それと、盗用が問題になった『新・UFO入門』を著書リストに加えているのがいかにも恥知らずで、そりゃあ、「『新・UFO入門』事件顛末記」を載せるわけだ、と思わず納得してしまう。


 次に「あとがき」から。P.394より。

 この連載を始めたばかりの頃、私は「日本はこのままではダメになる」と信じていた。実際に、連載ネタに一度も困ることがないくらい、猟奇・鬼畜・外道・畜生な事件がこう毎月連続して起こるなど、日本という国のタガはどっか外れてしまっている。このままアノミー小室直樹の受け売り用語)状態に突き進んでいけば、国家は衰亡、社会は崩壊、国民は四散、といった最悪の状況になるのではないか、とさえ憂いていた。

 …「アノミー」について小室直樹の本を読んで覚えたのは構わないのだが、初めてアノミーの概念が用いられたデュルケーム『自殺論』を読んでいないのかなあ? 社会学を勉強している人間なら真っ先に読むはずの本なのだが。わざわざ小室直樹を経由させる必要があるとも思えないし、ハッタリをかますにしても小室直樹よりはデュルケームの名前を出した方がずっと有効だと思う。


 『復活編』の中で、唐沢俊一渋谷区短大生切断遺体事件について、『夢を捨てよ、世間に出よう』というコラムを書いている。「夢を持つ」ということは決していいことばかりではない、という内容で、皮肉でなしになかなか面白い文章なのだが、唐沢ウォッチャーとして興味深いのは唐沢本人の経験談が語られていることだ。P.54〜55より。

 自分をバカの例にとるのもナンであるが、私がそういう“夢”の犠牲者であった。親が薬屋で、自分も地道にその道に進んでいれば四海波静か、何の問題もなかったものを、たまたま、文章書きになりたいという夢を抱いてしまったが故に、二十代前半の時期を、まず“地獄というのはこういうことか”という状況で過ごさねばならなかった。この犯人とは違って薬大には一応籍を置けたのだから、クスリを売ってもそこそこの才能はあったといまでも思うのだが、“夢”ジャンキーだった私は、文章にこそオレの生きる道はある、と信じて、一切そんな勉強はせず、同人誌を作ったり、演劇の方に走ったりして、両親とぶつかり、親戚からはアホウ扱いされ、人生の貴重な時間を無駄にしつくした。よく「でも結局文章書きになれたのだから夢をかなえたことになるんじゃないの?」などと言われるが、そんな甘いものではない。時間が経つにつれて、自分に、そんな才能がないことは明らかになっていく。悪いことに、その“現実”から目をそらせていられるほど私は“弱く”なかった。ならば、せめて夢を抱いたまま死のうと、同じく夢アーパーな女と心中を企てて突発的に大阪へ逃げたこともある。このときは旅先でその女と大ゲンカして結局、死ぬこともできず、お好み焼きを食って帰ってきたが、薬学の勉強を強制されたことの恩恵で、自死ができるクスリに関しては詳しくなったから、いろいろ手を回して入手したその薬品を常に手元に置き、いつでも死ねる準備はそれからも怠りなくしていた。その頃の自分の写真はほとんど手元に残っていない。いま見ても死相というか狂気の相が表れていて、見るだにゾッとするのである。「青春をもう一度やりなおしたい」とか言う奴がいるが、私に関して言えば死んでも御免こうむりたいというのが正直な気持ちだ。私が実際に物書きになるのはその後、“夢”は捨てたものの真面目に勉強もしなかったツケで薬屋にもなれず、さてこの先どうしたものか、とあぐねていたところで、“商売”として文章書きを選択してからだ。夢を捨てた後の文章書きだったから、仕事さえあって金が入れば何の文句も言わず、アダルトビデオ紹介記事であろうと鬼畜雑誌系のコラムであろうとハイハイと引き受けた。地道にそういう仕事をこなしていたおかげで、ある程度そういう知識もたまり、業界に名前も売れ、村崎百郎なんて友人もでき、なんとかかんとか、現在まで口を糊することができている。私が文章書きになれたのは“夢”を持ち続けていたからではない。“夢”を捨てて、生き延びる方法を真剣に考えたからなのである。“夢”の麻薬性の怖さは身をもって知っている。

 改行されてなくて読みにくいのは原文通り。文章書きとしての才能がないとか、真面目に勉強しなかったから薬屋になれなかったとか、唐沢にしては珍しく赤裸々に自らのことを語っていて迫力がある文章である。ただ、「女と心中を企てて突発的に大阪へ逃げた」とか自死ができるクスリ」を常に手元に置いていたなど、にわかに信じがたい話もある。薬科大学はそんなおそろしいところなのか?
 しかしながら、唐沢俊一は決して「夢」を捨てたわけではなく、「夢」があったからこそ盗用などしてしまったのだと思う。ライターとして「生き延びる方法」を真剣に考えていたのなら、盗用などというリスキーな方法をとるはずがないのだ。結局、自己評価と実際の能力の差を埋めるという「夢」をかなえるために、盗用という手段に出たのではないか?
 もうひとつ気になるのは、唐沢俊一が20代の頃に文章書きになるためにどのような努力をしたのかわからないこと。まさか『ぴあ』やアニドウの会誌に投稿していたらデビューできると考えていたわけでもないだろうし。


 P.56より。

 知り合いにも、根拠のない夢に生きている奴は大勢いる。たいてい、夢によって自分のアイデンティティを保っている奴らは視野が狭い。おまけにかんしゃくを起こしやすい。何か言われるとすぐキレて怒鳴る。忠告はすべて“自分のテンションを下げる”と称して悪口ととられる。敵味方ですべてを分けたがる。狭い世界の中でお山の大将になることで、自分のプライドを保とうとする。プライドが高いくせに、自分のそのプライドをくすぐってくれる相手に対しては嫌になるくらい卑屈になる。……うーん、なんだか“大勢”ではなく“ほとんど”と言いたくなってきたではないか。かくも“夢”が現代人の心をむしばんでいることに、私は唖然たらざるを得ない。

 ものすごいブーメラン。 
額田久徳さんが心配して連絡をとった時にキレたのは一体どこのどなたなのか。これ以外にも、唐沢俊一に「忠告」したところ、逆ギレされたりスルーされたりした話も聞いている。まあ、「敵味方ですべてを分けたがる」「狭い世界の中でお山の大将になる」というあたりは唐沢俊一だけでなく唐沢と関係のあるあの人やこの人のことも連想してしまうのだが(あえて名前は出さない)。


 『復活編』本文へのツッコミはまたやるつもり。


オリジナル・ラブはかなり好きなのに、まだネタにしたことがなかった。

夢を見る人

夢を見る人

RAINBOW RACE

RAINBOW RACE

電脳なをさん ver.1.0 (電撃コミックス EX)

電脳なをさん ver.1.0 (電撃コミックス EX)

社会派くんがゆく 復活編

社会派くんがゆく 復活編

日本国民に告ぐ―誇りなき国家は、滅亡する

日本国民に告ぐ―誇りなき国家は、滅亡する

自殺論 (中公文庫)

自殺論 (中公文庫)