岡田斗司夫検証blog4
・タコシェにて夏コミの新刊『唐沢俊一検証本VOL.3』、『唐沢俊一検証本VOL.0』通販受付中です。また、既刊『唐沢俊一検証本VOL.1』、『唐沢俊一検証本VOL.2』、『トンデモない「昭和ニッポン怪人伝」の世界』も通販受付中です。タコシェの店頭でも販売しています。
・初めての方は「唐沢俊一まとめwiki」、「唐沢俊一P&G博覧会」をごらんになることをおすすめします。
・1970年代後半に札幌でアニメ関係のサークルに入って活動されていた方、唐沢俊一に関連したイベントに興味のある方は下のメールアドレスまでご連絡をお願いします。
karasawagasepakuri@yahoo.co.jp
岡田斗司夫が『オタクはすでに死んでいる』(新潮新書)を書いたのは、『TVチャンピオン』の「アキバ王選手権」(2005年9月15日放送)に出演したことがきっかけだったことはよく知られている。「アキバ王選手権」に出演していたオタクたちが「普通の兄ちゃん」だったことに失望したというのである。『オタクはすでに死んでいる』P.16〜17より。
一人の青年は、ある声優さんのファンということでした。
「すごいファンです。ぼく、彼女のこと応援したいんです!」と彼は言います。
「そんなに応援したいんだったら、自分でイベントやったら?」と思わず彼に聞いていました。
「イベントに並ぶんじゃなくて、自分でイベント主催すれば声優さんとより近づけるんじゃないの? 声優って六万円くらいギャラを払えば来てくれるでしょう。グッズに払う金があれば、そっちに使えばいいじゃない。ファンが自分たちの力でやるイベントって必ず向こうにも喜んでもらえるよ。そのほうが応援になるじゃない」
私としては悪気もなく、思ったことを言っただけなのですが、言われた彼の方はといえば、もう固まってしまったわけです。そんなこと考えもしなかった、もしくはできるわけがない、というのが彼の気持ちだったのでしょう。彼はショックを受けたようです。
「そんなことしていいんですか?」
と聞いてきました。
実はこの反応に、私は私でショックを受けていました。「イベント主催という道もあるでしょうが、私は追っかけを選びたい。これは私の意思です」というのならば理解もできるのです。しかし、彼には自分でイベントを主催するという発想がなかった。「えっ、今のオタクはこれができないのか」と。これが最初に覚えた違和感だったのです。
大学の学園祭に声優が登場するのは珍しいことじゃないし、同人ソフトでプロの声優が起用されるのも珍しいことじゃない。オタクにもいろんな人がいるのだから、みんながみんなこの青年と同じだと考えるのはおかしいし、そもそも「追っかけ」より「イベント開催」を上位に置いていることはどうか?と考える必要もあるように思う。
P.18〜19より。
その場にいる別の声優ファンとも話してみました。その青年は「私は○×さんという声優の一番のファンであり続けたい」と言います。彼とはこんな会話をしました。
「そうか、じゃあ君が一番のファンだとして、何をするんだ」
「彼女の魅力を皆に伝えようと思います」
「偉い! それが一番のファンだ。じゃあそうやって彼女のファンが増えたらどうする?」
「その中で一番のファンになります」
「え? どうしてそうなるの? ファンが増えれば君以上に熱心な人も出てくるだろう。一〇〇人の中では一番でも、一万人の中では一番になれないよ。それでもあえてファンを増やそうというのがファンとしての生き様なんじゃないの?」
彼は黙ってしまいました。でも、ここで言ったのが私の本音です。
私の思うオタクは、「何かを『好き』という気持ちを抑えきれずに人に伝えてしまう人」でしたが、彼らにとっては「自分が楽しいのが大事」であるようでした。
この部分を読んでいる方が「え? どうしてそうなるの?」と思ってしまう。「一万人の中では一番になれない」って何の根拠があって言っているんだろう。はっきり言って、自分の考えを押し付けておいて、「本当のオタクとはこういうものだ」「今のオタクはこういうものだ」と勝手に断定しているにすぎない。
その後、岡田は「アキバ王選手権」の参加者たちの「お宝」が「お金で買える」ものであったことにショックを受ける。P.20より。
ちなみに候補者の中で、私が「あ、この人がいちばんいいな」と思ったのは、少なくとも同人誌を作っている人でした。
何が「いいな」だったかといえば、自分が本当に好きなものがあって、そのファンであるということを周りに知らせようとしているところ、その姿勢に共感できたからです。
ところが彼以外の人は、自分に好きなものがあっても、それを自分の中に溜め込むことしかできなくて、外に発散することをしない。だから声優のイベントを自分でやれば、と提案すると、「とんでもない」という反応になる。外に発散することは彼の想像外の行為だからです。
本当にこういう人が「アキバ王」でいいんだろうか?
オタクの中のオタクというのは、こういう人のことだったんだろうか?
「アキバ王選手権」に出ていたオタクが自分の考えるオタク像と違っていたからってそこまでショックを受けなくてもなあ。コミケに同人誌を作って参加している人がたくさんいるんだから、気にすることはないのに。
あと、気になるのは「イベントを開催する人」「何かを表現している人」がオタクとしては上位に立っているという考え方。まあ、岡田斗司夫がそう考えるのは自由だが…。ついでに書いておくと、「オタキング」のわりには余裕がないよね。「イベントをやりたいなら俺が事務所を紹介するよ?」くらい言ってあげればいいのに。
実は、岡田が『オタクはすでに死んでいる』を書いたきっかけはもうひとつあって、それは『真剣10代しゃべり場』の「“普通”って何?」の回(2006年1月13日放送)に出演したことなのだそうだ。P.22〜23より。
当初、K君の相談もしくは主張を聞いた私は、「自分はアニメファンで、みんなが偏見をもって変な目で見ているから、そんな目で見るのはやめてくれ!」みたいな話なのかなぁと思っていました。ところが、彼の話を聞いてみるとそうではありません。彼は周りに自分がアニメ、美少女アニメが好きであることを言っていないのです。彼の論理(?)はこんなものでした。
「俺は美少女アニメファンであることを隠して今日まできた。なぜ隠しているかといえば、きっと言えば、みんなに変な目で見られたり、いじられたりするに決まっている。だから言えないんだ」
わからないわけでもありませんが、いささか被害妄想めいた論理です。そして彼は、結論としてこんな主張を始めました。
「こういう世の中が悪い!」
「アニメを見るというようなことが、当たり前でもいいじゃないか!」
「アニメを見るというようなことで、人を差別しないでほしい!」
これに周りのみんなは驚いてしまったわけです。彼らの言い分はこうです。
「だって、おまえアニメ見るってみんなに言わなかったから、俺たち差別しようがないよ」
「今日初めて言って、差別しないでほしいって言われても、俺たちも困る」
どう考えても周りの意見が正しい。私も、そりゃそうだろうと思いました。
これは彼が口下手なのか、それとも周りのみんなのほうが落ち着いているのか、どっちかはわかりませんでしたが。ただし、このときも「オタクって最近、変なことになっちゃってるなぁ」と思ったわけです。
というわけで、岡田斗司夫は2つのテレビ番組出演をきっかけにオタクに対して違和感を持つようになったそうである。「アキバ王選手権」の参加者にしろK君にしろ、オタクのモデルケースとするには大いに違和感があるわけだけど。そういうやり方が許されるなら、『ぴあ』や「アニドウ」の会誌への唐沢俊一の投稿(「検証本」VOL.0を参照)を取り上げて「80年代のアニメファンはみんなこうだった!」とやるのも許されてしまうのではないだろうか。そんなことをされたら岡田だって嫌だろうに。要するにモデルの設定の仕方が恣意的なのであって、もっとたくさん若い人と話をしてみたら誤解しなくても済んだのではないか?と思う(自らすすんで誤解した疑いもあるが)。
この後のことは『オタクはすでに死んでいる』検証のときに取り上げることにするが、『フロン』(幻冬舎文庫)をパラパラめくっていたら、『朝まで生テレビ』に出演したことがきっかけでこの本が書かれた、とあったので笑ってしまった。またテレビ番組からか! 『フロン』P.14〜17より。
その「朝生」から、3年ほど前に出演依頼がきて、それから何回か出演しました。
そこで感じた違和感が、最初の「男性は天下国家しか語らない」問題です。
「朝生」は夜中から明け方まで続きます。番組が終了しても、テレビ局の地下レストランでビールを飲みながらまだ話の続きをするのです。
さっきまで対立していた出演者どうしが急に和気あいあいと、「イヤイヤ、まいりましたなぁ」などと話しながら、あいかわらず天下国家を語っています。
この宴会は、ずいぶん長々と続きます。最初は私も、仕事熱心な人たちだなぁ、と感心しました。
が、最後まで付き合っても、討論が意外な方向に発展するわけでも、結論が導かれるわけでもありません。おもしろくないので、次からは20〜30分で帰ることにしました。
帰るとき、つい「すみません。今日は娘の運動会ですので」とか「今日は一家そろってマンガ喫茶に行こうと約束してますので」とか、言わなくてもいい正直な理由を言ってしまいます。
「えっ、岡田くん、結婚してるの? 子どももいるんだ。へ〜、マイホームパパなんだぁ〜」
そのニュアンスの中には、何だか揶揄するような響きが感じられました。
日本の有識者、とくに「日本の未来、どうする、どうなる」なんて問いかけるような人間は、家庭など持っていなくて当然のようです。よしんば結婚していたとしても、妻や子どもを泣かせて一人前と考えているようなのです。
もちろん、はっきり面と向かって言われたわけではありません。
でもあのとき感じたのは、明らかに「家族を大事にする小心者なんか、仲間じゃない」という空気でした。
そう思うと、あの番組によく出演している有名な評論家の先生たちは、結婚していなかったり、離婚率が高いようにも思えてきます。
誤解してほしくないんですが、べつに私は「家庭を持っていない男が、一人前の顔で天下国家を語るな」と批判したいのではありません。
近頃は非婚率もあがってきています。人間の値打ちが結婚しているかどうかで決まる、とも思いません。
けれども、日本を代表する知識人みんながみんな「家庭なんかどうでもいい」と考えているとしたら、いくらなんでもヘンだと思うのです。
確かに、育児論や教育論を語る人もいますが、その場合も、一般論を語るだけです。出生率がどうの、専業主婦率がどうの、育児休暇がどうの、託児所のシステムがどうの……。政治や社会システムとしてしか、語らないのです。
その話のなかには、自分の家庭の話も、友だちや近所の家庭の話も、入っていません。興味がないから、入りようもないのかもしれません。
そのくせ「企業はこうあるべき」「日本の国はこうあるべき」「日本人もこれからは○○をやめ、××にするべきだ」と、滔々と語り倒します。
いつの間にか、私は知識人の先生たちを尊敬できなくなってしまいました。「家族と自分」という自身の足下がスカスカで不安なあまり、天下国家を語って、無理やりバランスをとろうとしているようにしか見えません。
この世界にいると、自分もいつの間にか、そんなカッコ悪いヤツになってしまいそうです。そう思うと、「朝生」で討論することすら、何だか虚しい気がしてきてしまい、出演もやめてしまいました。
岡田斗司夫という人物の面白さが滲み出ていて、非常に味わい深い文章である。『朝生』の打ち上げの馴れ合いムードについては、小林よしのりがだいぶ前に取り上げているので取り立てて新味はないけどね。
まず、最初に感じたのは、岡田は『朝まで生テレビ』に出て挫折感を味わったのだろう、ということである。自分は岡田が出演した『朝生』を見ていないのだが、本人としては上手く行かなかったという思いを抱いたのだろう、と思う。後に「ひとり夜話」を開催するようになったあたり、議論を自分でコントロールしたい人のようだから、田原総一朗に仕切られるのがイヤだったのかもしれない。
…とはいえ、出演者に「岡田くんはマイホームパパなんだ」と言われたことから、知識人を全否定するに至るのはどう考えてもおかしなことで、それこそ「被害妄想」としか言いようがなくて、『しゃべり場』のK君を笑えない。たった一言から「日本を代表する知識人みんながみんな「家庭なんかどうでもいい」と考えている」とまで言ってしまうのだから凄い。しかし、最近でも宮台真司と東浩紀が『父として考える』(生活人新書)という対談本を出していることから見ても、岡田の批判はおかしなものである(まあ、件の本で宮台がヘンなことを言っているのを見つけてしまったのだけど…)。宮台や東だって「マイホームパパ」なのだから、岡田も堂々としていたら良いのだ。「マイホームパパ」という言葉が「揶揄」として通用する、「揶揄」として受け止めてしまう心理というのは興味深いが、あまり突っ込むと人格批判になりかねないので自重しておこう。
それから、知識人が「一般論」しか語らない、というのは、自分自身の話をしたところで、「それはあなたの個人的な話にすぎないんじゃないですか?」と反論されてしまうので、「一般論」に昇華させないと語りようがないのだと思う。私的な話と一般論は明確に区別できるものでもないのではないか。もっとハッキリ言ってしまえば、知識人と岡田が「一般論」をした場合、「教養」のない岡田にとって相当分が悪いのではないだろうか?
そして、個人的に一番気になったのは、「自身の足下がスカスカで不安なあまり、天下国家を語って、無理やりバランスをとろうとしている」という批判が岡田斗司夫自身にはねかえってくることだ。秋葉原について語ったのも、「教養」について語ったのも、いずれもおかしなおかしな話だった。岡田は「天下国家」の代わりに「今のオタク」について語って「無理やりバランスをとろうとしている」のではないか。岡田斗司夫は「カッコ悪いヤツ」になっていはしないか? …まあ、テレビに出るたびに本を書く法則は面白いと思うけれど。
ひとまず岡田斗司夫検証はこのへんにしておきたい。『オタクはすでに死んでいる』については唐沢俊一検証とはアプローチを変えてやってみたいという思いもあるので、ある程度時間がかかることをご了承していただきたい。…でも、『フロン』もとてもヘンな本なんだよなあ。これも検証すべきかどうか。
おまけ。『フロン』文庫版には倉田真由美の解説が載っているのだが、締めくくりにこのようにある。P.286より。
もしも将来、私が何かの気の迷いで再婚しそうになったら、誰かこの本をそっと、手渡してね。きっと目を覚ますと思うから。
くらたまが叶井俊太郎と再婚したところを見ると、誰も『フロン』を手渡さなかったようだ。
- 作者: 岡田斗司夫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/04/15
- メディア: 新書
- 購入: 17人 クリック: 634回
- この商品を含むブログ (170件) を見る
- 作者: テレビ東京番組制作スタッフ
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2002/03
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 15回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
- 作者: 「しゃべり場」の人たち
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2001/03
- メディア: 単行本
- クリック: 80回
- この商品を含むブログ (6件) を見る
フロン―結婚生活・19の絶対法則 (幻冬舎文庫 お 26-1)
- 作者: 岡田斗司夫
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2007/02/01
- メディア: 文庫
- 購入: 8人 クリック: 356回
- この商品を含むブログ (28件) を見る
- 作者: 東浩紀,宮台真司
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2010/07/08
- メディア: 新書
- 購入: 8人 クリック: 276回
- この商品を含むブログ (76件) を見る
- 作者: 倉田真由美
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2010/04/28
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 29回
- この商品を含むブログ (1件) を見る