追討P&G唐沢俊一。
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休めねー、デイブ・メネーと言いつつやってみる。
唐沢俊一による井上ひさしの「追討」。
私の一生のうちの三分の一は、この人の才能に驚いてばかりだった。
『ひょっこりひょうたん島』のドン・ガバチョこそ人生で最初に
「こういう人になりたいものだ」
とあこがれた人物だった。
『長靴をはいた猫』を観たときは、こういう映画を自分は作りたいんだ、
と真面目に思った。
『ブンとフン』を読んだときは、小説は真面目でなくてはいけない、という
概念をぶち壊された。
『表裏源内蛙合戦』を読んだ(戯曲集で)ときには、舞台というものは
ここまで楽しいものなのか、と思った。
『ムーミン』の主題歌を聞いたときには、あそこまで単純な歌詞をあそこ
まで技巧的に使う、そのテクニックに舌をまいた。
『薮原検校』を観た(舞台で)ときには、ここまでどろどろとした人間の
怨念を笑いで表現することが可能なのか、と驚いた。井上ひさしの才能は本当に輝いていた。こういう人を天才と言うのだろう、
と素直に信じていた。あれ? と思い始めたのは『四捨五入殺人事件』くらいからだっただろうか。
面白いことは面白いのだが、あまりに露骨に農家を国の政策の被害者という
神聖な立場に置き、無謬に彼らの行なうことを正当化しているその姿勢に
首をかしげざるを得なかった。そのちょっと前あたりから、氏は如実に、また急速に
反戦反核、反体制の典型的知識人へと傾斜していっていた。反戦平和もいいだろうが、彼の説く平和理論はあまりに理想的に過ぎ、
また原理的に過ぎて、ツッコミを入れるというより先に論理が破綻しており、
こういうことに関して書くとき、この人は理性というものが働かなくなる
のではないか、とさえ思わせた。
北朝鮮への経済制裁にも真っ先かけて反対を唱えていた。かの国が農本主義
の国だからだろう。そして、そのあたりから、彼の書く作品は首をかしげざるを得ない
ものが多くなっていった。
平行して、彼の遅筆は加速され、書けないいらつきを家庭内暴力
で発散させるようになり、妻や娘たちにも背かれていった。
『圓生と志ん生』(原文ママ)は、満州に渡った昭和の落語の二大名人を主役に据える
という素晴らしいアイデアをさっぱり活かしていない凡作で、
しかも、新聞の批評に“落語の知識がない”とけなされたことをよほど腹に
据えかねたのか、単行本のあとがきに、それへの反論“のみ”を激語で書き
つけるという異常ささえ見せていた。僕の、あのあこがれの作家だった井上ひさしはどこに行ってしまったんだ、
とずっと思ってきた。好きだったから、ずっと読み続けてはいたけれど、
読み続けること自体が苦痛になってきていたのがこの十年の年月だった。4月9日死去、75際。
75という享年はいかにも若い。しかし、何か訃報を聞いて、
ホッとしてしまった、というのが正直なところなのが
悲しくてたまらない。井上ひさし関係の作品でベストを一作上げれば、必ずしも傑作では
ないけれど、甘くほろ苦い青春時代を描いた『青葉繁れる』を
あげたい。岡本喜八の映画化作品がまた、テンポよくこの作品をまとめて
映像化していて、佳作という言葉がにあう、素晴らしいものだった。冥福を祈る、とはクリスチャンである氏に使うのは適当でない言葉かも
しれないが、今はただ、あの世で政治や戦争のことは頭から洗い流し、
あの才知の冴え渡った初期脚本の輝きをまた取り戻して欲しい、と
切に祈るものである。
まず、最初に気づくのが『吉里吉里人』が挙がってないこと。あれは井上ひさしのファンでなくても読んでいる作品だと思うけどなあ。
第二に、『四捨五入殺人事件』をチェックしてみたが、確かに日本の農業がテーマとして大きく取り上げられているが、農業政策を批判するだけではなくそれなりに相対化されているように思えた。新潮文庫版P.184より。
藤川は反論を試みた。農民が被害者であることは百も承知であるが、藤川は〈一〇〇%わたしどもが被害者でござい〉という、いまこの国で大流行の論法には批判を持っているのである。
まあ、唐沢俊一は社会的な問題が大きく取り上げられていることが単純に気に食わなかったのだと思う。…っていうか、長年ファンだったという割りに『四捨五入殺人事件』で井上ひさしのいわゆる「反権力指向」に気づいたのはちょっと鈍いんじゃないか?と思う。自分は中学生のころに井上ひさしの作品をよく読んでいたけど、『偽原始人』『野球盲導犬チビの告白』とか2,3冊読んだあたりで気づいたけどなあ。
第三に、『円生と志ん生』の単行本(集英社)の「あとがきに代えて」という文章は、唐沢俊一が言うほど「異常」なものなのだろうか。以下全文を引用してみる。
禁演落語とは、正確には、別の言い方をすれば、情報量をうんと多くして説明すると、<昭和十六年、折りからの戦時色にふさわしくない演題は遠慮した方がいいと考えた落語関係者たちが、浅草本法寺に「はなし塚」なるものを建て、そこへ葬るという形をとった五十三種の演目をいう。うち三十一種が廓ばなしだった。当局側も、「時局に合わせようというのはまことに殊勝な心がけである。国家としても、その五十三種の演目が高座にかからぬように目を光らせていることにしよう」と、取り締まることになった。>となるだろう。
けれども、舞台でこんなことをくどくど説明しているわけには行かない。説明している間、舞台に流れるその芝居特有の劇的空間が止まってしまうからだ。そこで、そのことを口にする登場人物の性格や立場で、<これはやってはいけませんと、お上が決めた落語が五十三、ある。>と情報を削り、劇的空間の流れを保持しようとする。これが戯曲の文体なのだ。
この禁演五十三種のなかに、『子別れ』という名作がある。これも情報量を多くすると、<『子別れ』は上、中、下の三部に分かれていて、禁演と決められたのは女郎買いを扱った上の部である。>となるが、こんなことを芝居の中で説明していたのでは、時間が止まり、それまで築き上げてきた文体のリズムが狂う。そこで、<『子別れ』も、その五十三種のうちの一つ>と短くする。情報を削るのが劇作家の大事な仕事なのである。
ところが、新聞記事の文体と戯曲の文体の区別もできずに、「作者は『子別れ』が上中下に分かれていることも知らずに書いている。その一事から見ても、この芝居はだめだ」と評した新聞劇評があった。冗談は止したまえ。そんなことも知らずに落語の芝居が、志ん生を主人公にした戯曲が書けるものか。演劇を知らずに劇評を手がけるという恐ろしいことが幅を利かしているのは、ばかばかしいことである。
「あとがきに代えて」という文章を反論のためだけに書いているのは確かだし、井上ひさしの怒りも伝わってくる。しかし、その一方で、この反論がきわめて明瞭かつ丁寧に書かれたものであることを無視してはいけない。誰にでも理解できるように「情報量をうんと多くして説明して」いるということは、井上ひさしの言い分に同調するか否かは別として認めなくてはならないだろう。少なくとも、よそのブログで長々とコメントしたにもかかわらず、結局自分が大学を卒業したかどうかもまともに説明できない唐沢俊一に井上ひさしを批判する資格はない(4月9日の記事を参照)。
もうひとつ気になるのは、唐沢俊一はどうして『円生と志ん生』が凡作だと決め付けているのだろう。「裏モノ日記」を見る限り、舞台を観にいった様子も原作を読んだ様子もないのだけれど。ちなみに、唐沢俊一版『円生と志ん生』を紹介しとこう。「裏モノ日記」2006年12月9日より。
『シルバー假面』の話になって、
「続編が出来ればいいなあ」
という話から、中野監督、続編は満州を舞台にして川島芳子を出そう、でもただ出すだけじゃ面白くない、という話になり、やはりここは『仮面ライダーX』風に怪人にしちゃうべきだろう、という話になる。
「大体、李香蘭なんて名前からして怪人ぽい」
「いいですね、“ムカデリコウラン”!」
で大笑い。
「あのころの満州には円生と志ん生がいた筈だからこれも怪人にしちゃおう」
「森繁久彌もいましたねえ」
「他の怪人が先に死ぬと“神様は残酷だ!”と嘆く」
などとワイワイ。
舞台化希望。
この件に関しては「トンデモない一行知識の世界」と藤岡真さんのブログを参照。過去の「追討」との矛盾や「追討」のパターンが見えてくるのが興味深い。
…個人的には、子供の頃に楽しませてもらった人に対しては、大人になった後でも悪口を言ったりする気になれないので、唐沢俊一の考え方がよく理解できない。大槻ケンヂが、バンドの「追っかけ」の女の子はそのバンドを嫌いになるきっかけをいつも探している、と昔書いていたが、唐沢俊一の心理もそれと似ているのかもしれない。いずれにせよ「昔は才能はあったけど晩年は不幸だった」という「追討」が多発するのは、故人に問題があったのではなく、唐沢俊一の方に問題があるのだと思う。唐沢俊一だってそんな風に「追討」されたくないだろうに。
余談だが、『ブンとフン』には一通の匿名の投書によって盗作が発覚し、作家生命を絶たれた山形東作という「天才小説家」が出てくる。誰かさんのことを連想するが、山形東作は東京大学在学中でルックスがいい(リチャード・バートンより上品でスティーブ・マックイーンより野性的)というからやっぱり違うのかもしれない。
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