唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

盗癖のパクエリオン。

1万年と2000年前からパクってる。


 今回は『ラジオライフ』12月号に掲載された『唐沢俊一古今東西トンデモ事件簿』第49回「あなたの人生は前世のコピーか?」を取り上げる。なぜ、前世なのかというと。

今月のテーマは第1特集“コピー”にちなんで人の前世のお話。

だそうで。…それは「ちなんで」いるのかなあ。


※追記 正確にはこの回は第51回である。

 現代人の悪癖の1つに“自分探し”というものがあって、なぜか今、生きて働いて暮らしている自分に現実感が持てないらしく、いろいろと悩んだ挙げ句に「誰でもない、自分自身を見つけたい」などといって仕事を投げ出して旅に出たりする。旅に出れば自分を見つけられるという理屈もよく分からないが、もっと重症になると、スピリチュアルの先生などという人物に相談して「あなたの前世は中世のフランスにいた、花畑の管理人」などというわけの分からないことを言われて納得したり感動したりする。
 よく分からないのは、“誰でもない、かけがえのない自分自身”に出会いたいといっていたのが、前世がこれこれと教えられて満足することで、要するにそれは自分の人生がそのような過去世のコピーだ、ということになるのではないか、自分の人生がオリジナルなものでないといわれたみたいなもので、なぜそれで満足するのか、感動するのか、理屈に合わない気がして仕方ないのであるが、そもそも自分探しなんて行為自体が理屈に合わないものだから仕方ない。

 「自分探し」と前世が関係するのは「今の自分は本当の自分じゃない」「自分の中に特別な何かがあるのではないか?」という心情が関係しているのだと思う。唐沢俊一は今回のコラムで「芸能人の前世は何故偉人ばかりなのか?」という疑問を呈しているが、「前世で凄い人だったから現世でも凄いんだな」とならないと意味が無いわけだ。まあ、前世がアトランティスの戦士だったりする場合もあるのだけど。
 …しかし、これは10年以上前に浅羽通明が『前世を渇望する少女たち』(『天使の王国』に収録)で指摘していたことである。浅羽の文章にも取り上げられていることだが、「前世」をテーマにしたマンガが流行ったことがあって、みずき健『シークエンス』に影響を受けた少女が自殺したり、日渡早紀ぼくの地球を守って』の中で作者自らが「この話はフィクションだ」とわざわざ断らなければいけなくなる事態になったこともあるのだ。唐沢もオタクの第一人者とみなされていて、しかも「と学会」のメンバーなのだからこれくらいのことは知っているものだと思っていたが。岡田斗司夫はしばしば浅羽について言及しているが、唐沢は興味が無いのだろうか。


 この後、鳩山幸夫人が前世でトム・クルーズと会っていたという話(いまやあまりにも有名)が紹介され、「ワールドメイト」の公式サイトにある「有名人の前世」にツッコミを入れているが省略。
 そして、「ある霊能者のブログ」の内容を紹介している。

(前略)このブログではやはり芸能人の前世がずらりと歴史上の有名人揃いで、東国原知事マルクス・アントニヌス、石原慎太郎ギルガメシュビートたけしがシャルル1世、間寛平がマゼラン、小島よしおがチャップリン、古館伊知郎がチェ・ゲバラだそうだ。

 唐沢が例に出しているブログは「ナポレオンブログ〜覚醒した救世主「メシア」〜」である。どうして名前を伏せているのかはわからない。
 それはともかく、「マルクス・アントニヌス」というのはローマ帝国皇帝「マルクス・アウレリウス・アントニヌス」のことなのだが、マルクス・アウレリウスと呼ぶのが一般的である。そういえば、うちの父親に格闘家のマーカス・アウレリオ(『PRIDE武士道』で五味隆典を下したことで有名…なはず)の話をしていたら「五賢帝みたいな名前だな」と言われたことがあったな。
 
で、唐沢俊一はこのようなツッコミを入れている。

…おーっと、古館伊知郎は1954年生まれ、ゲバラは1967年没。やはり近代人はよほど注意しておかないとダウトが出る。

 実はこの前の文章で唐沢は、美輪明宏中居正広の前世はピカソであると言ったことについて、「中居くんが生まれたときにピカソはまだ生きていた」というツッコミをしていて、ここでも同じようなツッコミを入れたわけである。
 ところが、「ナポレオンブログ」の主宰者は古館伊知郎が生まれたときにゲバラがまだ生きていたことを知っていたのである。

古舘伊知郎さんとチェ・ゲバラも、生きている期間が
重なっている時期があり、結構同時に生誕する事は、
不思議な事ではなく、よくある事なのかもしれません。

さらにブログ内にはこのようなことも書かれている。

よくある質問で、前世と今世が重なってると言う方がいますが、魂は集合体であり、その一部がこの世に転生しているだけで、同時に2つ以上が転生する事もあります

 …うーむ、この発想は無かった。フィクションでもこういうアイディアが今まであったかどうか。要するに、単に「生きていた期間が重複している」と指摘しただけでは論破したことにならないのだ。唐沢俊一は相手が「トンデモ」だと思って甘く見て安易に突っ込んでしまったのだろうか。

 さっきの美輪発言では、草なぎ剛原文ママ)は前世ではアインシュタインだったそうだ。伝記によると、アインシュタインは靴下を履くのが大嫌いで、いつも裸足でいたという。恐らく、草なぎくんが赤坂の公園で全裸になるという騒ぎを引き起こしたのは、前世でのこのアインシュタインの性癖が、生まれ変わることで増幅され、靴下ばかりでなく、すべての衣服を脱ぎ去ってしまうという行為に発展したのだ…などと、いえばいえるのかもしれない。

 …ジョークだとしてもあまり面白くない。いささかまわりくどいのだ。よし! ここは俺もひとつやってみよう。


 さっきの美輪発言では、草磲剛は前世ではアインシュタインだったそうだ。アインシュタインといえば舌を出した写真が有名だが、草磲くんが赤坂の公園で下を出したのも、アインシュタインの生まれ変わりだからなのかもしれない。


 …えーと、俺のネタもいかがなものなのか。あまり自信がない。もっといいネタを思いついた方はコメントを投稿してください。お題は「もしも草磲剛の前世がアインシュタインだったら」「“からさわ”であいうえお作文」でも可。…大喜利


 そして、唐沢は一紀徹守『あなたには恐るべき悪霊が見えないのか』(現代書林)という1987年に出た本の内容を紹介しつつ批判している。勝田清孝の前世が明智光秀の部将で、この部将の怨念が勝田を凶行に駆り立てたという話と、1978年に警察官に暴行されて殺された女性は、前世での行動が原因で殺されたという話を批判したうえで、このように締めくくっている。

 自分の人生は1度きりの、自分の責任と運で成立しているものだ。前世の人生のコピーなどではない。前世ブームは、自助の努力と責任を否定する、亡国のブームであると私は思っている。1日も早く、みんな目を覚す(原文ママ)ことを期待してやまない。

 この文章を読んだ時はちょっとビックリした。良くも悪くも唐沢俊一という人はこの手の「お説教」をしない人だと思っていたので。実は今月の『フィギュア王』のコラムでも「お説教」っぽいところがあるので、最近何かあったのか少し気になる。
 犯罪の原因が加害者と被害者の前世にあるという説を批判すること、前世ブームに問題があると指摘することは妥当であろう。しかし、それなら、盗用もまた「自助の努力と責任を否定する」行為なのだが。他人が努力した成果にただ乗りしているわけだからね。それに唐沢も「『ヤマト』ブームは自分が起こした」とか「手塚治虫に罵倒された」などと過去を捏造している点では「前世があった」と主張している人とそんなに変わらないような気もする。唐沢俊一にも目を覚ましてほしいところだ。
 もうひとつ気になるのは、どうして1987年に出た本を今になって批判するのか?ということだ。前世をテーマにした本は今でもたくさん出ているので、何もわざわざ22年前の本を持ち出す必要があるのか?と思う。本気で前世ブームが問題だと思っているのなら批判すべき対象は他にもいるのではないだろうか。…それにしても、毎回ネタが微妙に古いんだよなあ。


 とりあえず、コラムのテーマを編集部に指定させるというのは無意味なので止めた方がいいと思う。「コピー」にちなんで「前世」がアリなら何だって書けるよ。


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ラジオライフ 2009年 12月号 [雑誌]

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