唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

太陽神に大用心。

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 今回は『熱写ボーイ』6月号に掲載された唐沢俊一『世界ヘンタイ人列伝』第3回「変態皇帝・ヘリオガバルスを取り上げる。
 …ヘリオガバルスがテーマだと知ったときは「まずいなあ」と思った。何故なら、ヘリオガバルスを論じた文章として澁澤龍彦デカダン少年皇帝』(『異端の肖像』所収)がよく知られているからだ。澁澤龍彦と比較されることは唐沢俊一としては一番避けたいのではないだろうか。ただし、やりようがないわけではない。『デカダン少年皇帝』は澁澤本人が解説で「晦渋」と評しているくらい読むのに骨が折れる文章なので、ヘリオガバルスの生涯をわかりやすく解説すればイケるのではないか?と考えたりした。…まあ、後々になってみるとこれはレベルの高すぎる心配だったとわかってしまうのだが。


 唐沢は冒頭で、Kinki kidsというのは“Kinky kids”という発音に聞こえるので、英語圏の人々には「変態少年」という意味に取られる、という話をしたあとで次のように続けている。

 ところで、“変態少年”という言葉には、ちょっと耳にしたときの違和感がある。まあそれだから印象的なのだが、それは“変態”という言葉が、“少年”という言葉と相反するもの、という常識がまだ残っているからなのであろう。昭和の後期くらいまでの時代には、変態というのは老人特有の性的嗜好とされていた。肉体が衰え、普通のセックスが不可能になった老人が、異常なシチュエーションの性的行為にふけることでその代償とするというのが変態というものの定義、とされてきた。ワカモノは、変態行為などにふけらなくとも、普通のセックスをしておれば、それで満足すると思われていたのだ。それに、若い世代は性的体験に乏しく、脳内に変態行為に走るだけの妄想の元となる知識に乏しいと思われていた。変態はエリート教養人にのみ許された特権であったのだ。
 しかし、昭和末期から平成にかけて、若い世代の間に、SMや露出等、変態とみなされる行為への嗜好が非常な勢いで広まっていった。情報化社会、映像化社会において、経験の少ない年代であっても、脳内の妄想だけで性的興奮を得ることが容易になってきたのである。21世紀の現在、SMや露出癖、同性愛などといった程度の行為はもはや“変態”と言っていいのかと思えるほどに普遍化している。これを、変態行為の悪平等化、ととらえる人が多いのも事実だ。

 「変態」が老人特有のものであるという常識が本当に存在していたのだろうか。「変態」という言葉が現在の意味で使われだしたのは大正時代に紹介されたクラフト=エビング『変態性欲心理』が切っ掛けだが、それ以降の「変態」研究でも、それが老人特有の現象とは考えられていないようなのだ。たとえば、田中香涯が編集していた『変態性欲』という雑誌の創刊号には「性的早熟と早夙性」という文章も収録されていて、「変態」が老人特有だと考えられていたとは考えにくい。それに知識がないと変態行為に及ばないというのは疑問である。自分では当然だと思っていたことが実は一般的には異常なことだったと気づくこともあるだろう。また、「変態行為の悪平等化」というよりは「変態の一般化」なのではないだろうか。『anan』の特集「ちょっと変態っぽいのが好き、こんな私はヘンですか?〜ソフトSM」というタイトルの対談が組まれたりするなど、「変態」をプラスに評価する見方も出てきているのだ。それから、「エッチ」という言葉は「変態」の頭文字から取られているという説が一般的である(性行為を意味する「エッチする」という言葉を編み出したのは自分であると明石家さんまはたびたび主張している)。「変態」は一般化されているといっていいだろう。まあ、それを「悪平等」ととらえる人がいるとは聞いたことがないが。「ヘンタイはすでに死んでいる」のだろうか(以上の文章を書くにあたって、菅野聡美『<変態>の時代』(講談社現代新書)を参考にした)。


 続いて、校長先生などの地位のある人間が性的な犯罪をする理由について、唐沢は次のように説明している。

 実は、これも変態行為の一形態なのだ。自分の社会的地位が危うくなる、という不安感を打ち消すために、脳内にフェニルエチルアミン(脳内麻薬)が分泌されるのである。この不安による麻薬分泌を、性的興奮によるもの、と脳がカン違いするのである(感覚の錯誤)という。
 そう考えると、正当なセックスでない、いわゆる変態行為は、まだまだ、エリートの老人の方にその特権が与えられているだろう。その行為がバレることで失うものが大きい人であればあるほど、快楽が大きいのだから。

 唐沢俊一が盗用しているときも脳内でフェニルエチルアミンが分泌されているのだろうか。まあ、地位のある人間の中にも「変態」と呼ばれる性的嗜好の人が一定数いるだけ、という解釈も出来そうだけど。…それにしても、唐沢の理屈だと興奮する為に出世を目指す「変態」の人もいそうなのだが。「課長になったから今までの2倍興奮する!」とかそんな感じで。


 で、ローマ帝国の皇帝だったヘリオガバルスこそが最も「不安による麻薬分泌」をしていたのではないか?という話になって、本題になるわけである。…しかし、それだと「変態行為は老人特有の性的嗜好」という話は一体どうなってしまうのか。ヘリオガバルスは即位したとき14歳だったんだから。


 唐沢俊一は今回のヘリオガバルスの話を書くに当たって「folklore」というサイトに全面的に依拠している。ただし、コピペしているわけではなく、全体的に文章を書き直しているので、唐沢なりに注意しているのかも知れない。…注意するくらいなら一から自分で文章を書けばいいのに。
 とはいえ、文章を書き直すといっても限度があって、やっぱりよく似た箇所が存在する。まずは唐沢の文章。

彼は金と紫の色の服装を着込んで装身具で身を飾り、王冠には宝石をちりばめ、白粉、頬紅、アイシャドーを塗りたくって女性になった。

「folklore」より。

彼が纏っていた司祭服は、足下まで届く長袖の金糸だけで織った布、紫貝で染めた絹の服で、ネックレスや腕輪等の装身具、頭には宝石のちりばめられた宝冠をかぶって、顔は白粉、ほお紅、アイシャドーで厚化粧していました。

 「白粉、頬(ほお)紅、アイシャドー」はそのまま。だから、いくら気をつけてやったところでわかっちゃうんだって。

 もうひとつ。唐沢の文章より。

 男とこういう関係になる間に、女性とのセックスにもせっせとはげんだが、女性の選び方にも独特のやり方があって、人妻としかつきあわなかった。そして、彼女らとセックスをしている最中に、その夫を呼んで、寝室に招きいれ、妻のセックスを見せつかた。怒った夫によく殴られたり殺されかけたりしたが、そういう風に暴力をふるわれることを何よりも喜び、目の回りにアザを作っては嬉しそうにしていた。

 この皇帝のことを記録したカウシス・ディオによると、この少年皇帝はこういうことをして世間に“ふしだらである”“変態である”と陰口をたたかれることを自ら望んでいたようである。悪口を言われるとゾクゾクする性格だったのだろう。

「folklore」より。

「この「女」が夫としたのは、カリア人奴隷のヒエロクレスだった。以前はフリギュア王ゴルディオスに寵愛され、王に戦車の操縦を教えた男だ。〜その他にも何人かの男が皇帝から優遇され幅を利かせていた。彼らは反乱の際に皇帝に味方した者と、そして皇帝と肉体関係を持った者たちだった。皇帝は「ふしだらである」という評判が立つことを自ら望んでいた。だからこそ、もっともみだらな女たちの真似までしたのかもしれない。しかも、しばしば浮気の現場を平気で「夫」の目に触れさせた。そのため、激怒した「夫」にひどくなぐられ、よく目の回りに黒いあざをこしらえていた」(カウシス・ディオ)

 注目すべきは「カウシス・ディオ」で、正しくは「カシウス・ディオ」(Cassius Dio )である。両者共に同じ間違いをしているわけだ。「folklore」に掲載されている文章はクリス・スカー『ローマ皇帝歴代誌』(創元社)が元になっているのだが、こちらではちゃんと正しい表記になっている。…唐沢は原典にあたらずにサイトだけを見ちゃったんだろうなあ(ただし、サイトには参考文献が明記されていない)。『ローマ皇帝歴代誌』には他にもヘリオガバルスが神殿で少年を虐殺し、ライオンと猿と蛇を閉じ込めた所へ人間の性器を放り込むなどといった奇妙な儀式をしていた話も載っているから、読めばよかったのに。あと、ヘリオガバルスが殴られた「夫」というのは、「人妻の夫」ではなくヒエロクレスのことなのでは?


 たったひとつのサイトだけをモトネタにしている時点でかなりマズいのだが、それだけでなく、唐沢の文章には間違いが散見される。

 ヘリオガバルスとはあだ名であって、ローマの太陽神の名前。

 ヘリオガバルスシリアの太陽神の名前。ローマの太陽神はソル。…ヘリオガバルスの所業については、彼がシリア出身であることも大いに関係しているのだが、唐沢はその点を見事にスルーしてしまっているのだ。

 神と自分が一体化したのだから、何も怖いものはない。まずはヘリオガバルス神殿の巫女と肉体関係を持ち、結婚するという暴挙に出た。当時、神殿に使える(原文ママ)巫女は処女であることが絶対条件であり、肉体関係を男と持った巫女は石投げの刑に処せられるのが掟だったが、ヘリオガバルス皇帝は平然とこれを無視した。

 男と肉体関係を持った巫女は生きたまま穴に埋められる決まりになっていたという。ネタ元の「folklore」でもこの点はちゃんと書かれているんだけどなあ。なお、塩野七生は、ヘリオガバルスが巫女と結婚したことについて、彼が生まれ育ったシリアの神殿の巫女が巡礼者相手に売春していたことから、ローマの巫女も同じようなものだと考えたのではないか、と分析している(余談だが、塩野七生が『ローマ人の物語』の中でヘリオガバルスの乱行についてそっけない記述をするに留めているのはなかなか興味深い)。

 SとMという気質を比べると、Mの気質の方がずっと支配欲、権力欲が強いという。SMプレイがうまく行くのは、M役のリードいかんにかかっているといわれるのはそのためだ。ヘリオガバルスはそんな、典型的な“支配的マゾヒズム”であった。

 女王様にムチで打たれている人が「支配」したがっているのだろうか。第三者から見ていると「支配」されているようにしか見えないけどなあ。

 彼の乱脈に、さすがに祖母のマエサも孫の廃位を決意する。反乱軍に追われたヘリオガバルスは、便所に逃げ込むがそこで殺され、首を刎ねられた。享年、わずかに18歳。
 この変態皇帝にしてこの最期、というのは何か天網恢恢という気がすることも確かである。しかし、彼は先に言ったように、真性のMであった。そういう男にとり、便所で無残に殺され、ローマ皇帝一の変態男、として歴史に名を残すのは、最高の快楽だったのではないか。そう思えてならない。

 ヘリオガバルスの最期についてはいくつかの説があって、便所で殺されたというのはひとつの説に過ぎないということは澁澤龍彦も『デカダン少年皇帝』の中で書いている。その一方で澁澤は、ヘリオガバルスの遺体がテヴェレ川に投げ込まれたことは確かである、としている。ゴールド・エクスペリエンス・レクイエムにボコボコにされたディアボロが落ちた川がテヴェレ川ですね。ローマ帝国の犯罪者はテヴェレ川に投げ込まれる決まりになっていたそうで、つまり、ヘリオガバルスは皇帝でありながら最後は犯罪者として扱われたことになる。唐沢俊一も事実がどうかわからない「便所死亡説」にこだわるより、そっちを重視すればよかったと思うのだが。


 …どうも、澁澤龍彦と比較してどうなのか?という問題ではなかったような。

異端の肖像 (河出文庫)

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〈変態〉の時代 講談社現代新書

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ローマ皇帝歴代誌

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ローマ人の物語 (12) 迷走する帝国

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