唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

天が呼ぶ地が呼ぶ人が呼ぶ。

・『映画秘宝』11月号で『唐沢俊一検証本VOL.1』が紹介されました!


 昨日の深夜からタコシェの通販ショップで『唐沢俊一検証本』の受付ができなくなっているようです。完売しているとしたら連絡が来るはずなのでとりあえず様子見。


 「裏モノ日記」9月27日より「ホラリオン2」千秋楽の唐沢俊一の様子。

で、劇場で今日の特別リマスターバージョンシーン稽古。
『安屋』には櫻井ゆう子ちゃんが最初の、鬼に襲われるシーンの
女の子として。『フルスロットル』には、渡辺一哉がITTBの
スペンサー将軍、渡辺シヴヲが別府ちゃんのお父さんで、
そして私が緑色の全身タイツを着て、“宮崎県の変な生き物”。

いやー、そりゃ抵抗もありましたよ(笑)。
しかし、今回は毎度日記にも書いた通り、出演しているとは
言っても役がちょっと小さくて、欲求不満がたまっていたのだ。
それの解消のため、嬉々として演じた。
稽古場でハッシーはじめ、由美子ちゃん希依ちゃんなど女優陣
大爆笑。佐藤歩が写メ撮って“やば〜!”とひっくり返って笑っていた。

やがて私の出演。
「宮崎の変な生き物呼ぶよ」
と別府ちゃんが言い、“カモン”と言う言葉合図に飛び出して、
「クエーッ、クェックェッ」
と叫びながら、女の子たちに飛びつく。
場内騒然。爆笑が半分、引きつった笑いが半分(笑)。
さらにダメ押しで
「“鼻から牛乳”とか歌っていた人、なんて言ったっけ」
「嘉門……」
で再び登場。今度は別府ちゃんに飛びつこうとして蹴飛ばされ、
最後に退場する際、一声“パオーッ!”と鳴く。
誰だったかな、
「あのパオーは衝撃的すぎましたよ!」
と。客席では佐藤丸美さんは爆笑、乾きょんは引きつり派だった
らしい。

 で、これが宮崎の変な生き物。…まあ、頑張っていらっしゃるようで何より(全身タイツの着方が少し気になるが)。演劇なのか悪ふざけなのかよくわからないのは、自分が演劇に疎いせいなんだろうな、きっと。ただ、唐沢は「ホラリオン2」で酒を飲んでから舞台に上がったりしているからなあ。今まで唐沢にとって演劇とは仕事でやってるのか遊びでやってるのか判断がつかなかったけど、酒を飲んで仕事をするはずもないから(今井雄太郎は除く)遊びだと考えた方がいいのか。俺だって酒を飲んでからブログをつけたりしないよ(記事を書き上げてからチビチビ飲むのは好き)。
 ちなみに『ラジオライフ』11月号より唐沢俊一の近況。

9月は1か月間、下北沢小劇場『楽園』で怪談イベント『ホラリオン』をプロデュース。10月は銀座の映画館シネパトスと組んでトークイベント。11月には銀座三越でカルチャー講座をやります。今年終盤も休みナシ!

 忙しいのは結構なのだが、この人の本業が何なのか少し考えさせられる山本弘会長は最近まで原稿の執筆に忙しかったようだけど。それにしても、『トンデモ本の世界W』の執筆が会長にとって大きな負担になっているのが気にかかる(『W』の目次をチェックしてみたら執筆者として会長の名前がズラーッと並んでいた)。志水一夫植木不等式が抜けた分「と学会」にも新しい人材が必要なんだろうね。まあ、唐沢俊一に穴埋めを頼まなかった理由はなんとなくわかるけども。


 では本題。『熱写ボーイ』4月号に掲載された唐沢俊一『世界ヘンタイ人列伝』第1回上杉謙信―美少年好き戦国武将」を取り上げる。新連載1回目はどのような出来になっているのか。

 同性愛を変態の部類に入れては最近では抗議を受けるだろうが、キリスト教でもイスラム教でも、同性愛は長い間、死刑に該当する変態行為だった。

 まず、同性愛は現在では変態性欲に含まれるとは考えられていない。次に、イスラム圏で同性愛者を死刑に処している国(イランなど)が現在でもあることは確かだが、キリスト教国家で同性愛者を死刑に処していたのは中世から近世にかけてのことで、それに死刑以外の刑罰も科されていたようなので、唐沢の書き方は単純化しすぎである(この辺の事情はロバート・オールドリッチ編『同性愛の歴史』(東洋書林)に詳しく書かれている)。

江戸時代、朝鮮から日本にやってきた通信使節が、通訳兼接待係だった儒者・雨森芳州(以下略)

 正しくは雨森芳洲(あめのもり・ほうしゅう)。サンズイを抜かしちゃいけない。「満洲」を「満州」と書いてはいけないと高島俊男が書いていたな。

 日本という国は、性的タブーがアジア諸国の中でも極めて少ない国であった。実際、日本に初めてキリスト教が入ってきたとき、宣教師たちが驚いたのは、非キリスト教国家なのにも関わらず、文化程度が非常に高いということであり、さらに、そんなに文化程度が高い国なのに、性に関してのみは無茶苦茶に乱れているということであった。殊に、戦国から江戸時代中期くらいまでの日本は、変態天国と呼んでもいいような国であったらしい。

 このように考える根拠として唐沢俊一はディエゴ・コリャード『懺悔録』(岩波文庫)を挙げている。

 岩波文庫に『懺悔録』という一冊がある。17世紀のスペインの宣教師ディエゴ・コリャードの記した本である。おかたい岩波文庫中の異色本のひとつで、徳川時代初期の日本のキリシタン宗徒たちの告解録であり、当時の日本口語の貴重な資料、またキリシタン伝道史における重要な記録、ではあるのだが、同時に、日本性生活史の貴重な資料でもある。当然のことながら、十戒の中の“姦淫するなかれ”に背いた信徒の懺悔が記されているためであり、この時代の百姓、下級武士などの性生活がいかに奔放なものであったかがわかる記録 になっているのだ。
 その部分に注目しながら読んでいくと、当時の日本人はみんな色キチガイの変態ではないか、とさえ思えてくるのである。
 ちょっと引用してみると、こんな具合。
「それがし、女房を持ちながら、近付き(妾)も持ちまらした。その妾も夫のある者でおじゃる。(中略)夫留守でござる時は、日を続けて細々犯しまらする」
「なり次第(思うままに)、その五体に手を掛け、口を吸い、抱き、恥(恥部)を探る等は思うままにしまらする」
「二・三度は後臀(アナル)から落しまらした(無理にいたしました)」
「その上、その女事(おなごこと。セックスのこと)をば思い出す度ごとに勇み悦びその名残惜しさで自らも淫が漏れ、手ずからも漏らしまらした(オナニーもいたしました)」
“……まらした”というのは当時の敬語用法だが、何かこの文脈の中ではいやらしく響くのがおかしい。
 他に女性の懺悔もあり、一生不犯の誓いを立てたが肉体がうずき、
「身をかき探り、あの方(陰部)に指をさし入れ、男と寝ておるふりを致いて、四・五・六度その淫楽を遂げ果たすように身を動き起しまらした」
 とオナニーにふけり、また結局男性と寝るのだが、妊娠を恐れ、
「味方から(自分の方から)、臀(バック)よりすれば身持ち(妊娠)になろう気遣いがないと勧めて、若道(男色)のようにそれと度々寝まらしてござる」
 当時はアナルセックスがかなり流行っていたと見える。この女性は遊女だったことがあるらしく、当時の避妊法(男性が射精した後すぐ小便をして、中をよく拭う)などもくわしく述べている。また、ある若い信者は完全な色情狂で、ホモの快楽もほしいままにし、かといっていい女に出会うとそれともせっせとセックスし、懺悔してしばらく性交から遠ざかると今度は悶々としてオナニーにはげみ、信者の男同士、
「互いに恥(性器)を持たせて、漏らし漏らする(かきあって射精しあう)ことも日ごとにある」
 というようなありさまで、そればかりか強姦はする、不倫はする、果ては
「けだものと三度、深い科(とが。罪悪)に落ちまらした。また、それも互いにあい契るを見て猜み(そねみ)まらする。これは十度でござった」
 などと言っている。いくら懺悔がキリシタンの重要なしきたりだからと言っても、ここまでつらりとして告白するというのは、もしキリスト教的なタブーの概念が入ってきさえしなければ、これらの行為を、この住民たちは全く悪いことと思わずに、ごくフツーに行っていたのではないか、と思わざるを得ない。この『懺悔録』の岩波文庫版の校訂・解説はキリシタン文献の権威である国語学者大塚光信氏だが、ここらの内容に関しては解説ではひとことも触れていない。あえて触れなかったのだろうが、これはどう考えても不自然としか言いようがない。まったく学者ってのは。

 上の文章は「裏モノ日記」2003年12月1日の文章に若干加筆したものである。…新連載1回目から使いまわしかあ。それにしても、確かに『懺悔録』の内容はなかなか凄いものだが、それをもって当時の日本が「変態天国」だったとするのはどうかと思う。

 ともあれ、日本(原文ママ)がセックスに対し、急速にストイックなまでに“ワンパターン”な国民になっていくのは江戸時代になって日本人の身長が極端に矮小化していったのと何か関係があるかもしれない。そしてまた、文化的に海外との交流が制限されたことも。戦国時代の武将たちは、戦を通じて全国さまざまな人間たちと交流し、好奇心も強かった。変態は好奇心が強くないとなれない、極めて人間的な性癖なのだ。

 枕絵とかを見ても江戸時代の日本人がセックスに対してストイックとかワンパターンとか思えないけどなあ。男色だって風習としてわりと長いこと残っていたわけだし。江戸時代に入ると日本人の身長が低くなったのは確かなようだが「極端に」とまで言えるのかどうか。「極端な矮小化」というとセーム・シュルト山本“KID”徳郁並みの身長になる感じだけどね。あと、変態が好奇心を発揮するのは自分の興味のある分野についてだけなのではないか。…思わず「私が博覧強記なのは、“私の好きな分野において”である」というのを連想してしまったけど。


 この後ようやく上杉謙信の話になる。本題に入るまでが長いなあ。

 天地人』の主人公、直江兼続上杉謙信と同性愛関係(稚児)になっていた、というのは、戦国時代マニアには、常識のように知られていることである。なにしろ、
 ……とはいえ、これが文献的に証明されているかというと、確かなものはないらしい。

 …はいー?
 「なにしろ、」の後がスッポリ抜け落ちている。そこが抜けてたら兼続と謙信が同性愛の関係だったと考えられる理由がさっぱりわからないじゃないか。…これはもう、東京三世社の編集者は唐沢の原稿をチェックしていないとしか思えない「ロバート・ケネディ大統領」も有り得ないミスだが、今回は文章が成立していないのだからさらにひどい。原稿を読まないで直接印刷所に持っていってるんじゃないか?
 で、上杉謙信が同性愛者だったという話をしているのだが、実際のところ、謙信が同性愛者だったとする史料は見つかっていないらしい。そうなると、唐沢はどういう根拠で謙信が同性愛者だったと考えているか気になるところだが、唐沢いわく、謙信の周囲には兼続をはじめとして、上杉景虎、中条景泰、河田長親といった美少年がたくさんいたことを自説の根拠にしているのだ。

実証的な歴史家は、謙信に男色家であった明らかな証拠はない、と否定するが、ここまで周囲に美少年あがりの武将たちをはべらせていた状況を見れば、そうとしか考えられないのも事実。 

 …妄想がひどくないか? イケメン俳優がたくさん出ているドラマを見せたら大変なことになりそうだ。唐沢俊一腐女子のことをバカにしてはいけないね。

あまり男色説を否定するというのも、ホモを変態としか見られない、現代人の偏見ではないだろうか。

 いや、根拠が無いから男色説を採らないだけの話であって、同性愛について偏見を持っているとかそんなことは関係ない。…っていうか、唐沢はコラムの冒頭で「同性愛を変態の部類に入れては最近では抗議を受けるだろうが」と書いているけど、同性愛に対して偏見があれば誰も抗議なんてしないだろう。矛盾してるって。


 とりあえず、文章が抜け落ちていたのはショック。なるほど、初回がこれなら「ロバート・ケネディ大統領」とやらかしたのも全然不思議じゃないや。

 次回も『世界ヘンタイ人列伝』をやりますが、やっぱり大変なことになってます。


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