唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

「唐沢俊一の処分および処分撤回問題」・その4。

唐沢俊一検証本Vol.1-盗用編-』
コミックマーケット76 3日目(8月16日/日曜日)
東2ホール M−05a「西理研」にて定価1000円で販売予定。
タコシェで8月下旬より委託予定。
※内容についてはプロフィール欄に詳しい説明があります。


 今回は藤倉珊氏による唐沢俊一の「処分」への反論を取り上げる。藤倉氏といえば最初に「トンデモ本」の概念を提唱した人なので、唐沢俊一に関連する事柄のほかは「と学会」に興味の無い自分は「ちゃんとした人なのだろう」となんとなく思い込んでいたのだが、これがどうも…。以下説明していく。

 藤倉氏は唐沢俊一の「処分」に反対する文章を次のように書き出している。

 昨日来の問題について、唐沢俊一氏によるご自身の会活動自粛意思表明とその公表方針の撤回、および山本会長が提案されている会としての対応の公表の不実施を求めます。

 比べてみてもらえばわかるが、これは植木不等式氏の反論の書き出しと同じである(詳しくは8月9日の記事を参照)。そして、藤倉氏は次のような言葉を付け加えている。

 (これは、まるまるコピーだけど、これも問題にされるのか?)

 されるわけがない。植木氏が訴えるとでも? 藤倉氏は「アンチ」の偏狭さを嗤うつもりでわざわざ植木氏の文章をコピーしたのだろうが、ご自身の本性をさらけだしているだけである。こんな幼稚なケンカの売り方をされても買う気にはなれないよ。書き出しからこれかあ。

 藤倉氏は「アンチ唐沢ブログ」について「常軌を逸した集団」と呼んでいる。「アンチ唐沢ブログ」の主宰者としてはどのように「常軌を逸し」ているのか説明してほしいところだが、残念ながら具体的な説明はない。はいはい「アンチ」は悪「アンチ」は悪。
 藤倉氏は町山智浩さんが「と学会」を批判していることに怒っている。

 (前略)この人、かつて「と学会」を掌中にしていたのに今、なんの影響力も示せないことに不満を持っているのではないか。なに今になって赤の他人のように批判しているのだろう。

 町山さんは「赤の他人」じゃないからこそ「と学会」を批判しているのだが。

……こんな男の妄言を出版し、物書きとして生活させてしまった編集者たちは社会的責任を取るべきじゃないの?

かくいうオイラもと学会の最初の単行本『トンデモ本の世界』を編集して、ベストセラーにしてしまった。

唐沢はその本には原稿を書いておらず、続編『〜の逆襲』に短い原稿を一本書いただけだが、その後、と学会の代表のような顔をして「トンデモ」を書名につけた本を乱発して生活していった。だから、このネズミ男がウソを撒き散らしている現状にオイラもちっとは責任を感じてるよ。

だから責任取って、ウソとパクリの自称雑学王を信じてしまった哀れな読者のために、その目を開こうとしてしてるわけよ。

まったく、ムジャヒディーンに武器を送ってタリバンを育てちゃって後悔しているアメリカみたいな気分だね。

 自分のやったことに責任を取ろうとしているだけなのだ。「影響力」うんぬんって下衆の勘繰りじゃないの? 町山さんは今でも「と学会」の本を出したがっているのだろうか。

 さらに藤倉氏は町山さん

オイラはバカだが、バカであることを知っているし、公言もしている。自分が利口だと思って他人をバカにしまくるバカよりよっぽどマシだと思うよ。

という発言に対して、

 これは私に言わせれば「自分は間違いを書いてもいいが、唐沢が書くのは許せない」と言っているのと同じ。

とも書いているが、いや、町山さんは同じ日記のすぐ上にこのように発言しているんだけど。

もちろん、普通の人なら別にこんなこと知らなくてもかまわない。

 いや、タレントや物書きや学校の先生でも、この程度の間違いはするだろう。オイラもよくやる。

 しかし、博学だの物知りを自称して商売し、他人をやたらとバカ呼ばわりしている唐沢が、こんな間違いを偉そうに講釈垂れているのだから、みっともないことこの上ない。

 つまり、「間違えてばかりいるのに偉そうにして他人をバカにするな」ということだ。普通に読めばわかるのに、どうしてわざわざねじくれた読み方をするんだろう。

 次に藤倉氏は「私の記憶では唐沢さんは自分を権威と言ったことはないはず」、「「と学会」を批判する人間の多くは「批判するものは無謬でなければならない」という意味のことを言っている」と書いている。まず、唐沢俊一は立派な「権威」である。100冊以上本を出してテレビにも出演している人間が「権威」でなくて一体なんなのか。ふだんは「権威」を利用しておきながら、批判されると「唐沢は大した人間ではない」「「と学会」は趣味の集まり」などと態度を変えるのは卑怯でしかない。次に、一体誰が「批判するものは無謬でなければならない」と言っているのか。町山さんだってそんなことは言ってないじゃないか。唐沢俊一が批判されているのは、自分自身の数多くのガセとパクリをスルーし続けているからであって、唐沢が素直に間違いを認めていればここまで批判されることもなかったのだ。そして、「と学会」もそんな唐沢の態度をスルーしているから批判されているのだ。藤倉氏が「アンチ唐沢ブログ」を御覧になったのはいいとしても、ちっとも内容を理解できていないようだ。

 はっきり言うが、唐沢さんを含んで批判者が批判されるのはおかしなことではない。それに、またさらに反論があるのがよい姿だ。悪く言えば「批判の応酬」だが、「論争」というのは本来、批判の応酬そのものだと思う。問題があるとすれば、「批判の反論を許さない」というスタンスで、私は、と学会は批判の対象とした者の反論を許さないことは無かったと思う。すくなくとも私は覚えが無い。多くの場合、無視されている、あるいは恨みだけが残る。しかし、反論が帰ってくるのが一番、正しい姿だと思う。

 じゃあ、メーリングリストの中だけでなく「アンチ唐沢ブログ」にも堂々と反論すればいいのに。まるで「アンチ」が反論を許さない集団であるかのような言い草だが、そもそも反論自体がなくてこちらは困っていたのだ。文章の体をなしていない変なコメントならたくさんあったけど。

 その後で、藤倉氏は町山さんが

もう一度言うけど、山本弘さん、と学会たるものが、こんなトンデモ知ったかぶりをいつまでも飼っていることの倫理的正当性はどこにあるんでしょうか?

 他のグループならまだしも、と学会は他の出版物の間違いを指摘してきた団体であり、しかも、山本さんご自身も、他の本の間違いを指摘し続けているわけでしょう?

 ほんと、きちんと回答して欲しいもんですよ、山本さん。

と質問していることについて、「攻撃の矛先を唐沢から山本会長に変えることによって発言権を無くそうとするとは卑怯だ」と怒っている。
 …は? 山本会長を批判したらどうして唐沢の「発言権」が無くなるの? 山本会長ってそんな凄い権力者だったの? 唐沢の「処分」すらできなかったのに? 

 藤倉氏はよっぽど町山さんに怒っているようで、「ネットでの批判は間違いだらけだから無視して、ちゃんと本を買ってくれる読者を基準にして考えるべき。だけど、個人的に町山さんは無視できない」として、

 (前略)あの人、もう充分におかしいと思います。いや、昔から変だった。力(編集力というような意味。権力ではない。)はあったけど。その力は、たまたま私にとっていい方向に働いて、まあ恩はあるけど。本(最初の『トンデモ本の世界』)のときは、しばしば議論になりました。やはり議論は顔見てやるのが一番。ネットだけで町山さんと仕事になったら、企画が倒れていたのではないか?

と書いている。どうしてそんなに町山さんとネットが憎いんだろう。あと、「やはり議論は顔見てやるのが一番」というのは唐沢俊一にも言っておいてください。「アンチ唐沢ブログ」の中の人だって直接本人に話に聞きに行ったりするんですよ。それに、ネットには批判者以外の人々もたくさんいるのだから、そういう人たちの眼も気にするべきだろう。

 そして、藤倉氏は『ラジオライフ』2008年11月号での唐沢俊一の盗用についても論じている。

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20081006/1223263244

 には「コピー」とされている部分の全体とコピー元とされている部分が見れますが、前者は後者の役半分(原文ママ)の分量で、これは「要約」というべきものでしょう。
 しかも、コラム全体のなかでの役割が見えないので、不適切なものかの判断もつきません。私としてはあまり信用できません。

 …実はそれまでも、藤倉氏のフワフワした書き方が気になっていた。「覚えがある」「と思う」とあるばかりで具体例を示さないのだ。「と学会」の人ならもっと証拠を示してくれないと…と思っていたのだが、上の文章を読んで確信した。「この人に検証は出来ない」と。
 …いや、自分のブログを読んで「信用できない」と思うのは自由である。だが、「信用できない」のなら現物にあたるべきだろう。「コラム全体のなかでの役割が見えない」のなら『ラジオライフ』を買って『唐沢俊一古今東西トンデモ事件簿』を読めばいいだけの話だ。どうしてたったそれだけの手間もかけないで「信用できません」と結論を出しているんだ? それに唐沢俊一が「世界の三面記事・オモロイド」を「要約」していたとしてもやはり著作権を侵害していることに変わりは無い(翻案権が問題になってくる)。どうやら藤倉氏も著作権の知識が…。


 この藤倉氏の意見に対して山本会長が反論している。山本会長は「町山さんの態度には怒りを覚えている」と言いながらも、町山さんの

もう一度言うけど、山本弘さん、と学会たるものが、こんなトンデモ知ったかぶりをいつまでも飼っていることの倫理的正当性はどこにあるんでしょうか?

 他のグループならまだしも、と学会は他の出版物の間違いを指摘してきた団体であり、しかも、山本さんご自身も、他の本の間違いを指摘し続けているわけでしょう?

 ほんと、きちんと回答して欲しいもんですよ、山本さん。

という批判について「この点に関しては町山さんの主張は正しい」と認めている。そのうえで、「「アンチ」の指摘の中にも正しいものはあるから、無視せずに訂正していくことが大事だ」としている。

 確かに人間は誰でも間違いを犯します。僕らの書く本に間違いがいくつもあるのは、しかたのないことです。重要なのは、間違いを認め、訂正することです。

 いくら批判されても、訂正もせず、まともに反論もせず、沈黙を決めこんでいるのでは、と学会は副島先生と五十歩百歩なんじゃないですか?
 少なくとも僕は、唐沢氏の問題について沈黙を守っていた自分を、深く恥じています。

 …こんな風に会長のカッコいい発言ばかり取り上げているから、唐沢俊一スレッド@2ちゃんねる一般書籍板で「メーリングリストの内容をkensyouhanに漏らしたのは山本会長本人」説が流れるんだろうなあw でも、まあ本当に会長は頑張っていると思う。というより、会長は普通のことをしているだけなのに他の人がダメすぎなんだろうけど。…それにしても、山本会長はいまだに「唐沢氏の問題について沈黙を守って」いるわけだから、自分自身を「深く恥じ」たままでいるのだろうか。そして、唐沢俊一がおのれを「深く恥じ」ることはないのだろうか。


 その後、山本会長と藤倉氏は何度か意見のやりとりをする。藤倉氏から「ネットだけを見ていて視野狭窄になっている」と言われた会長は「むしろネットの方がコピペに対する認識はゆるい」としたうえでこのように述べている。

 あなたが、もの書きとしてのモラルについてどう思っておられるか知りません。しかし、少なくとも僕の中では、「他人の文章をコピペして原稿料をもらう」というのは容認しがたい行為です。

 たとえば今回の事件、唐沢さんじゃなく、と学会と関係のない別のライターがやっていたとしたら、と想像してみてください。
 僕らはその人物に対して憤慨し、あるいは笑い者にし、あるいは声高に糾弾するんじゃないですかね? 
 
 藤倉さんをはじめてとして(原文ママ)、多くの人が唐沢さんを容認しているのは、それこそ、と学会の中しか見ていない「視野狭窄状態」なんじゃないですか?

 …いや、だから本当に山本会長と俺は裏でつながったりしてないからね! 俺はメールでガッツリ怒られたんだって! コミケで献本しに行くべきかどうかメッチャ悩んでいるんだって! …あんまりやりすぎるとかえって疑われるからやめよう。
 ・・・それにしても、ここまで言っておきながら、どうして何もなかったことになっちゃったんだろう。会長の発言の真っ当さがかえって悲しい。そして、会長の発言に知らん振りを決め込む唐沢俊一や他の会員たちは別の意味で悲しい。


 藤倉氏は反論を繰り返していくうちに結構大変なことを言い出してしまっている。

 私は昔、横田順彌さんの『日本SFこてん古典』の文章を組み替え、ネタを入れ替えて同人出版『日本SFごでん誤伝』を書いた人間です。当時、ネットなど無かったので自分で打ち込みましたが、もしネットに『日本SFこてん古典』がアップされていたら、それをコピーして使ったでしょう。
 まあ当時、自分でもそれが世間、および横田さんから許される行為か自信が無かったのを覚えています。町山さんも、それは承知のはずですが肯定してましたし(笑)。

 …藤倉氏も植木不等式氏も大変友情に篤い人だと思う。だって、自分自身の仕事を唐沢俊一の盗用と同レベルにまで下げてくれているのだから。しかし、『日本SFごでん誤伝』と盗用を同レベルにしてしまうのかー。「と学会」ファンの心境やいかに。藤倉氏は『日本SFごでん誤伝』の前書きで次のように書いている。

本書は、横田順彌先生の『日本SFこてん古典』と共に読まれますと、さらに楽しむことができます。
また、SFマガジン掲載時の『日本SFこてん古典』と共に読まれますと、さらにさらに楽しむことができます。楽しめなかったときは、諦めましょう。

つまり、『日本SFごでん誤伝』は『日本SFこてん古典』のパロディなのである。パロディと盗用を一緒にされても。それにさりげなく町山さんもグルにしようとしているしなあ。どうしてそんなに町山さんが憎いんだろう。
 藤倉氏にはもうひとつ植木氏と共通点があって、それは「個別の問題を具体的に検討しようとしない」ところである。他人の文章に多くを拠っていたとしても、ただちに盗用になるわけではないのはわかりきったことではないか。「と学会」のメンバーなら検証しようよ。「と学会」の活動が他人の研究発表に依拠する必要があるのなら、盗用については尚更厳しい態度で臨む必要があるはずなのに、どうして唐沢を擁護するんだろう。
 …ここでひとつ疑惑が生じてしまったので書いておく。多くの会員達が唐沢俊一の盗用についてスルーしつつ「処分」に反対しているのに対し、藤倉珊植木不等式志水一夫といった「と学会」の古参メンバーは「唐沢俊一の行為を処分すると「と学会」の活動に影響が出る」として「処分」に反対しているのだ。…まあ、古参メンバーでも皆神龍太郎は「ヒラ会員に格下げしよう」と妥協案を出したり「唐沢さんとはずっと仲良くやってきたんだから!」とかどうでもいい弁護をしているんだけど。どうしてメンバーによって違いが出るのだろうか? …もしかすると「と学会」の活動の初期には盗用とまではいかなくても著作権的にかなりきわどいことをやっていたから、古参メンバーは唐沢の行為を擁護するのだろうか?と思ってしまった。…これも検証すべきかどうか。


 最終回では「処分および処分撤回問題」の結末を説明したうえで総括する。

※追記 一部追記しました。


日本SFこてん古典 (1) (集英社文庫)

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