唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

「唐沢俊一の処分および処分撤回問題」・その3。

唐沢俊一検証本Vol.1-盗用編-』
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※内容についてはプロフィール欄に詳しい説明があります。


 続き。今回は唐沢俊一への「処分」に対して、唐沢俊一の行為は「盗用」にあたらないから「処分」をする必要はない」とする反論のうち、植木不等式氏のものを取り上げ、ついでに氏の退会についても触れてみる。


 まず、植木氏の反論から取り上げる。植木氏ははじめにこのように述べている。

昨日来の問題について、唐沢俊一氏によるご自身の会活動自粛意思表明とその公表方針の撤回、および山本会長が提案されている会としての対応の公表の不実施を求めます。

 続けて、次のようなことを書いている。

 先般私は、岩波書店の雑誌『科学』の疑似科学特集に寄稿しました。原稿の枕に、対数の先覚者である欧州の数学者らが、世界の終末する日・時期の「予言」にのめりこんだことを紹介しました。
 私が最初のこの話を知ったのは、昭和30年代に、ある計算尺メーカーが出版社と協力刊行したと思われる、同メーカーの技術責任者が執筆した本です。執筆にあたり確度をチェックする時には、欧米のウェブサイトを中心とした複数の別ソースを参照しました。結果として、この話が実際の出来事として記載しているソースが複数あることを確認しました。
 原稿に書かれた内容は、データ的には上記図書に書かれていた内容の細部のリファイン・リライト以上のものではありません。そして私はその原稿に、これらの情報のソースをひとつひとつ明記はしていません。それは、ネイピアが対数の発見者とされている、と書く時にその出典を明記しないのと同じことです。

 また、原稿の中では、『宇宙人 恐怖の思考回路』の内容を、疑似科学的な特殊な合理性の一例として紹介しました。私はこの本の存在と意義を藤倉珊氏の例会発表、および氏が『トンデモ本の逆襲』で執筆された原稿によって知りました。しかし、原稿では、私は発見者である藤倉氏の業績に言及していません。

 私は盗用・パクリ野郎として指弾されるべきなのでしょうか。

 植木氏は自分も唐沢俊一と同じ事をやっていると言いたいようなのだが、問題は植木氏のいう「リファイン・リライト」の程度である。唐沢俊一「世界の三面記事・オモロイド」のエントリーを丸写しにしたうえで細部を手直ししただけで『ラジオライフ』の原稿をこしらえたわけだが、植木氏の「リファイン・リライト」が唐沢と同程度のものなら当然指弾されるべきだろう。具体的に文章を比較検討する必要があるのであって、「リファイン・リライト」は一切まかりならぬ、なんて話は誰もしていないのだ。それに藤倉氏の原稿を丸写しにしているのなら問題になるだろうが、藤倉氏の発表や原稿によって知った事実を文章にしただけでは問題にはならない。無理矢理自分の仕事を唐沢俊一と同レベルにしなくても、と思う。
 
 さらに、植木氏はこんなことも書いている。

(引用者註 唐沢俊一を)指弾する人々、また今回の唐沢氏の会自粛表明を「仕方がない」と容認される皆さんにも、これからネイピアの業績について書くときには「対数の概念の発見者と一般にいわれているネイピア」ではなく、「○○百科事典によれば対数の概念の発見者といわれるネイピア」といった出典を明記されること、そしてネイピアが1786年までに世界が終わると述べたことを私の寄稿した文で知った方がその話を表明・執筆する際には、私が『科学』に書いた原稿の書誌情報を合わせて記載することを要求します。

 私は、そんなことは要求しません。

 ジョン・ネイピアが対数を発見した、とされているのは一般に広く知られた事実なのだから出典を示す必要などない。植木氏が著作権についてどの程度理解しているのか疑わしくなってくる。まあ、個人的には「ネイピアが1786年までに世界が終わると述べた」話をする機会があれば、ご希望通り植木氏の名前を出すことにしたいけど。

 植木氏は「と学会」の活動が先行者の研究発表に多くを依拠していることを挙げて、唐沢俊一の行為を「処分」することは「と学会」の活動の根幹に関わることだと書いている。

 私たちは「正義」ではありません。流布する「正義」を笑い、正義を笑う事すらも嗤う、呪われた自由な存在者です。少なくとも私は皆神さんに誘われたと学会のこの自由を愛しています。

 関係各位には再考をお願い致します。
 推移をみて私も出処進退を考えます。

 「正義」とかそんな大層な話ではないんだけどなあ。別に自分のことを「正義」だなんて思ってないし。唐沢が文章を発表するうえで必要なことができていないことを指摘しているだけであってね。まあ、唐沢俊一の盗用をネタにすることもできない「呪われた自由な存在者」って一体なんなのか、と思うばかりだ。『社会派くんがゆく!』とも共通するけど、中途半端な偽悪って本当にカッコ悪いな。
 もうひとつ、上記の文章で注目すべきなのは「出処進退」の文字があること。植木氏は既にこの段階で退会について考えていたらしい。


 さらに、植木氏は別のメールで「世界の三面記事・オモロイド」も著作権を侵害していると指摘している。しかし、指摘するに当たって、コムライン事件判決東京地裁平成6年2月18日)を例として挙げているのがヘンである。コムライン事件判決は、新聞記事を無断で要約したうえで英訳して提供していたことが著作権侵害にあたる、と判断されたものだが、これは「オモロイド」とはケースが違うだろう。「オモロイド」複数のソースを参照したうえで記事を作成しているのであって単なる要約ではないのだ。植木氏は「オモロイド」について「無知ほど強いものはない」などと失礼なことを書いているが、朝日新聞社社員が著作権についてこの程度の認識でいる方が問題だろう。

 一方、植木氏の反論に対して山本弘会長も真っ向から反論している。

 オモロイドのやってることが著作権法違反なら、もっと露骨にコピペをやっている唐沢氏はもっと罪が重いじゃないですか?

 オモロイドの作者は、海外の複数のソースを翻訳し、情報を自分なりにまとめあげた。
 彼は「自分の文章」を書いたんです。

 それに対して作家・唐沢俊一は、自分では翻訳せず、オモロイドの文章をコピペして加工し、wiki原文ママ)の情報をちょっと付け足しただけで済ませた。
 唐沢氏は「唐沢俊一の文章になっている」と主張していますが、僕にはそうは見えません。だって、オモロイドの文章の原形が残っているんだから。
 僕は同じ文章を生業とする者として、それが許せないと言ってるんです。違法かどうかじゃなく。

 お見事!
 生兵法判例を持ち出している植木氏に比べて、あくまで作家の視点から語っているところもいい。さらに唐沢俊一を「処分」すれば、著作物に対してツッコミを入れる「と学会」の活動そのものが問題視されかねない」という植木氏の主張に対しても会長は「今、誰かそんなの問題にしているひとがいるんですか?」と切り返している。植木氏のこの主張って、『新・UFO入門』事件の時に

これを認めると、今後、単純な引用ミスをおかしただけの同業者が、これを前例として相手に過大な謝罪を要求されるという事態を招きかねない。

とか言ってた唐沢俊一みたいだな。問題点を無駄に拡大させて一般化しようという。唐沢俊一をスルーしているせいで「と学会」の活動が問題視されているのだから、植木氏の言っていることは完全に真逆である。
 …しかし、ここまでわかっているのに会長が「処分」を全うできなかったことには考えさせられる。ほぼ孤立無援だったから仕方ないのかもしれないが…。まあ、それ以上に不思議なのは、会長にここまで言われているのに自粛を撤回した唐沢俊一の方なんだけど。


 その後、植木氏はメーリングリスト上で「と学会」からの退会を表明する。

 本来ならば、次年度会費の未納入=自然退会というかたちを採るべき処ですが、今般の一連の動向に伴って行われる予定の会としての決定に会員として参与賛同しているとの誤解を避けるため、通例とは異なるかたちでの表明をさせていただきます。

とあるから、唐沢俊一の「処分」に不満があったのだろう。メーリングリストのメンバーは植木氏を必死に引き止めようとしているのだが、植木氏の決意は固かったらしく結局退会してしまったようである。…この流れを見ていると、もしかすると、メンバーのみなさんが唐沢俊一の「処分」に反対したのは、単純に変化を嫌っただけなのかもしれないなあ、と思ってしまう。尊敬している唐沢俊一植木不等式といつまでも活動したかっただけなのかも。そういうピュアな会員さんからすれば「アンチ」は悪魔みたいな存在なんだろうなあ。盗用を発見してしまってスマンかった。


 次回は藤倉珊氏の反論を取り上げる。唐沢俊一検証blog」町山智浩さんにお怒りのご様子である。

スピリチュアルワールド見聞記

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