唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

新・そんなに手塚治虫が嫌いなのか。

 「パチスロ必勝ガイドNEO」2008年3月号に掲載された『エンサイスロペディア』第10回で、唐沢俊一は『インディ・ジョーンズ』について取り上げている。

 パチスロをずっと打ち続けていて、それが夢に出てくることというのがないだろうか。夢の中で自分が玉になって、穴の中に落ちていったり、また玉に追いかけられたりしたことが、昔は筆者にもよくあった。聞いてみると、大抵のパチスロ・パチンコファンもそうであるらしい。
 だから、『インディ・ジョーンズ』シリーズの第一作、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』の、冒頭の、巨大な丸い岩に主人公が追われるシーンを見て、パチンコファンの友人たちと、“スピルバーグというのはパチンコにハマったことがあるんじゃないかね”と、笑ったものである。

 アメリカだったらピンボールの方がありそうだけどね。あと、例の岩がゴロゴロ転がってくるシーンは宇宙刑事ギャバン』でもやっていたんだけど(エンディングで毎回そのシーンが出てくる)、『ギャバン』を見たのかどうか定かでない唐沢俊一にはわからない話だろうか(『ギャバン』については3月31日の記事を参照)。

 そればかりじゃない。インディはヘビが嫌いだという設定だが、原住民の攻撃を避けて飛行機に飛び乗ると、その飛行機の中にヘビがぎっしりだったり、あるいは乗っている飛行機のエンジンが、一個ずつ止まっていって、やがて全部停止してしまったり、また、どこまでもつづくレールの上を、止まらないトロッコで疾走したり、このシリーズには、夢の中でよく出てきて、悲鳴をあげて目を覚ますような、そんな恐怖感覚がよく取り入れられている。

 「原住民の攻撃を避けて〜」は『レイダース』のことだが間違っている。インディが飛行機に飛び乗るとコックピットの中に大きなヘビが一匹いて、インディは悲鳴をあげるのである。

「おい デカいヘビがいるぞ」
「おれのペットのレジーだ」

ヘビはジャングルから入り込んだのではなく、パイロットのペットだったというわけである。…相変わらず説明がダメダメ。「ぎっしり」じゃないじゃん。また、『魔宮の伝説』のトロッコのシーンについては、このようなキャプションがついている。

ロッコのシーンは、宮崎駿のアニメ『未来少年コナン』からパクったのではないか、との指摘がある。スピルバーグも公式に否定していない。もちろん、スピルバーグならではの味付けもちゃんとあるのだが。

スピルバーグは『E.T.』のモトネタが『のび太の恐竜』だという説も公式に否定していないんだけどね(詳しくは2月4日の記事を参照)。

彼が天才監督として知られるようになった出世作『激突!』(1971)は、運転する車が、突然巨大なタンクローリーに襲われるという悪夢のようなストーリィだったし、その名を世界にとどろかせた『ジョーズ』(1975)も、突如、信じられないような巨大さのサメに襲われるという、不条理劇みたいな設定だった。スピルバーグをよく、“自分の夢を映画にする永遠の少年”といった表現で日本のマスコミは賞賛するが、その夢というのは悪夢なのではないか、と思ったりもするのである。

 『激突!』の原作はリチャード・マシスンの小説、『ジョーズ』の原作はピーター・ベンチリーの小説なのだから、『激突!』も『ジョーズ』もスピルバーグの悪夢というわけではないのでは?

 それはともかく、パチスロも、先の玉に追いかけられる夢でわかる通り、なかなか出ないときは悪夢みたいなものであり、スピルバーグ作品とパチスロの相性はこんなところで案外いいのではないか、と思わせる。
 われわれが、夢の中でハラハラするのは、何か“やらねばならないこと”が、夢の中では往々にしてうまくいかない場合が多いというためである。インディアナ・ジョーンズも、このシリーズの中では主人公のくせに失敗ばかりしている。
 たとえば、シリーズ最初のサスペンスである、アマゾンの遺跡の中で、インディが神像を、同じ重さの砂袋と取り換えるシーン。大抵の観客は、このシーンにハラハラしながらも、こういう映画の主人公なんだから、うまくやるだろう(007のように)と、心の底で思い込んでいる。ところが、インディは見事失敗してしまうんである。今回の台でも、同じシーンの演出がある。映画と同じく失敗するか、あるいは成功するか。ひょっとして成功する可能性があるだけに映画以上にハラハラする。逆に、トロッコの疾走シーンは、映画と違って失敗する可能性もあるわけで、なお、ハラハラである。

…『エンサイスロペディア』を何回か検証してみて思ったのだが、「この作品はパチスロに向いている」という説明を毎回入れなければいけないんだろうか?そんな説明を入れるくらいならもっと書くべきことがあると思うのだが。あと、若干補足しておくと『レイダース』のオープニングに登場する遺跡はペルーにある(「南アメリカ」としか字幕では出ない)。…「アマゾンの遺跡」というのはどうなんだろう?それから、スピルバーグは『インディ・ジョーンズ』シリーズを作るうえで『007』シリーズを意識していて、それはインディの父であるヘンリー・ジョーンズをショーン・コネリーが演じていることからも明白である(なお、ハリソン・フォードショーン・コネリーは12歳しか年が違わない)。…こんな具合に『インディ・ジョーンズ』シリーズについて書くのならいくらでもネタはあるんだから、「パチスロも『インディ』もどっちもハラハラするよね!」とか書く余裕は無いと思うのだけど…。

…さて、今回の記事は実はここからが本題である。

 『失われたアーク』が公開されたときに、“面白いが心に残らない”と批評した人がいる。なんと、あの手塚治虫である(雑誌『キネマ旬報』にて)。アクション映画として、これほどハラハラドキドキの連続する(そして、監督もそれだけをねらっている)作品を手塚治虫ともあろう人が悪く言うのは意外だが、手塚先生はたぶん、悪夢をあまり見ない人だったのではないか。なにしろ、睡眠時間を削ってマンガを描いていたので有名な人だ。
 そして、手塚先生は当然、パチスロなどにお手を染めはしなかったろう。そんな時間などなかったほど忙しい人だったから。夢をよく見て、パチスロのようなゲームのファンなら、この作品にハマらないはずはないと思うのである。

…いやはや、まさかパチスロ雑誌でまで手塚治虫にケチをつけるとは。読者もポカーンとするしかないだろう。「夢をよく見て」以下の文章はわけがわからないし(というより、いちいち指摘しないが今回の文章はヒドい)。…さて、このブログをずっと読まれてきた方なら、唐沢俊一手塚治虫について語るときは決して信用してはいけない、ということをよくご存知のはずだが(信用していいときがあるのかどうか)、今回も手塚治虫の『レイダース』評に直接あたってみることにする。『観たり撮ったり映したり』(キネマ旬報社)P.308〜309より全文引用する。

 「レイダース」は、よくも悪くもスピルバーグの映画になっている。たとえその原案がルーカスの頭の中で生まれ、ローレンス・キャスダンとの共同脚本であるにせよ、これはスピルバーグ作品の集大成であり、ある限界を示したものともいえる。同時にスピルバーグが先輩の誰と誰をお手本にして映画を学んだかを如実に示してくれる映画でもある。というのは、これだけあらゆる映画の見せ場をこまぎれにつなげてくれると、その一つ一つのシーンの原点がどこにあるのかが自然と見えてきてしまうからである。
 で、ぼくは今更ながらスピルバーグ黒澤明映画による影響の大きさに驚かされたのだった。ハリウッドの監督の系譜を見ると、かつてのハリウッド色濃いアクション・シーンの構図からカメラワーク、カットバックに至るまで、現在の三、四十代監督のそれとは別世界のような断絶があり、そのモチベーションとして「七人の侍」から「用心棒」などにいたる黒澤映画の強烈な手法を考えないわけにはいかないのだ。「風とライオン」のようなエピゴーネンは別として、何人かの有能な若手監督は黒澤技法の忠実な踏襲をしている。それはたとえばあるシークエンスにエネルギッシュな効果を出すため、オーバーなまでに小道具や音や光や動きを強めることだ。それがなにげないつなぎの場面であっても、驚くほど緊迫感をみなぎらせる。「レイダース」にはあった、あった。『スリルの集中射撃』と評されている見せ場の半分ぐらいは、見せ場としてさほどでもない部分なのに、このオーバーな効果によって観客を酔わせたわけだ。
 さて、この映画で一番成功しているのは本筋とは関係のないプロローグのアマゾンのシーンである。この不気味なグロテスクな宝探しのエピソードの工夫には、たしかに度肝をぬかされる。しかし正直いって、ぼくを酔わせたのはそこまでだった。ぼくはこのムードがラストまで続くかと期待したが、映画は別の方向へ行ってしまった。それはそれでおもしろいのだが、なんとしても、先に述べたように、どこかの映画の見せ場の連続であって、完全なオリジナリティは感じられなかった。そういう意味ではこれは「1941」と同列のアクション・パロディ集と見ることもできるだろう。しかしそういったルーティンを積み重ねるだけで、新しい思いつきにやや不足する所が、見終わった壮快さの陰に今一つといったあっけなさを含んでいる。
 ただそのどん欲(原文ママ)なまでのプロ精神には頭が下がり、我が大手四社の製作陣になぜこの気迫が欠けているのか腹が立つ。どうせまたこの手の二番煎じをつくるのに汲々とするだろうが、所詮失敗は免れまいと思う。

…いや、とんでもないね。どうしてこの批評が「面白いが心に残らない」ってなるんだ?手塚治虫は全然そんなことを書いてないし、『レイダース』を評価しつつも批判もするという、かなりしっかりした批評を書いているというのに(最後の方で「それにひきかえ日本の映画界は…」と怒っているのが可笑しい)。文章を読めていないのか、手塚を貶めようとしているのか。手塚の批評は『キネマ旬報』1981年11月下旬号に掲載された、つまりガンダム論争」の直後だったわけで、その影響もあるのだろうか。もうひとつ気になるのは、手塚先生も『レイダース』のオープニングについて「アマゾンのシーン」と書いているけど、だから唐沢俊一も「アマゾンの遺跡」って書いたのだろうか?

 それにしても…。唐沢俊一手塚治虫について書くときに、必ず皮肉ったり貶したりしなければ気が済まないんだろうか?「マンガの神様にケンカ売っている俺カッコいい」ってことか?「ガンダム論争」から何も変わってないんだね。怒るより可哀想と思えてきた。

 なお、唐沢の手塚治虫へのイチャモン(批判ではない)については、以下の記事を参照。

「続・そんなに手塚治虫が嫌いなのか。」
「1981年の「祭り」/その行動はない。」
「そんなに手塚治虫が嫌いなのか。」

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激突! (ハヤカワ文庫 NV 37)

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観たり撮ったり映したり

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