続・そんなに手塚治虫が嫌いなのか。
『裏モノ日記』2月9日より。
本日、手塚治虫の命日。
確か20年前のあの日は、K子と鬼怒川温泉だったかに旅行に行った
帰りの日で、小田急(当時参宮橋に住んでいた)の新宿駅の売店の
新聞の見出しでその死を知った。同じ日に、三年前三井物産マニラ支店長で
ゲリラに誘拐された若王子信行氏が死去し、多くの新聞ではそちらの
扱いの方が大きかった記憶がある。手塚氏が育てた日本マンガが
日本を代表する文化として大手マスコミに認められるには、
もう少々の時間が必要だった。
「記憶がある」そうだが、では当時の状況について確かめてみよう。
手塚治虫が亡くなったのは1989年2月9日午前10時50分である。したがって、各新聞社は夕刊で第一報を報じている。各社の報道を比較してみる(カッコ内は若王子信行の訃報)。
朝日:9日夕刊1面ハシラ9段組み (なし)
社会面トップ記事「鉄腕アトム 永遠に」
(手塚の記事の下に3段組み)
10日朝刊コラム『天声人語』
社説「鉄腕アトムのメッセージ」 (なし)
毎日:9日夕刊1面中段7段組み (5段組み)
社会面トップ記事「鉄腕アトムは永遠」
(14面ハシラ)
10日朝刊コラム『余録』
社会面「手塚さん、雑誌社次々追悼号の準備に」
(若王子さん「弱音吐かぬ闘病生活」)
読売:9日夕刊1面中段6段組み (なし)
社会面トップ記事「夢と愛と正義と」 (手塚の記事の横に7段)
14面識者談話
10日朝刊コラム『編集手帳』
社会面「故手塚さん2歳年上を自称」 (なし)
日経:9日夕刊社会面トップ記事「少年に夢残し」
(手塚の記事の下に3段)
…というわけで、手塚治虫の訃報を新聞各社は1面と社会面のトップ記事で大きく取り上げていたのだから、唐沢俊一の文章は間違っている。若王子信行の死が手塚より大きく扱われているのは、唯一「毎日新聞」2月10日朝刊社会面だけである。
…最近涙もろくなっているせいか、当時の新聞を調べながら「手塚さんはちゃんと認められていたじゃないか」と胸がいっぱいになってしまった。なんでそんなウソをつくんだろう。だいたい手塚が1987年に「朝日賞」を受賞していることからも、「大手マスコミに認められ」ているのは明らかなのだ。まさか、まだ「ガンダム論争」のことを根に持ってるのか。手塚は唐沢なんか相手にしていないんだって(詳しくは2008年11月23日の記事を参照)。
まあ、ホロリとさせられるだけでなく、杉浦幸雄が手塚のことを「漫画界の中興の祖」と評していたので思わず笑ってしまったり、幼女連続殺人事件の記事が大きく扱われているのを見て「そういう時期だったのか」と思ったりした(宮崎勤が逮捕されるのは1989年7月。手塚の死の5ヵ月後である)。
ともあれ、唐沢俊一には手塚治虫について二度と語ってほしくない、というのが正直な心境である。あと、日記といえども記憶だけを頼りに書くのもやめてほしい。頼りにできるような記憶力があれば、あんなにガセを量産してないよ。
なお、この件に関しては「トンデモない一行知識の世界2」も参照されたい。
※追記 駅の売店には「早版」の新聞が並ぶので、「早版」では若王子信行の訃報の扱いの方が大きかった可能性がある。しかし、それだけを根拠にして「手塚氏が育てた日本マンガが日本を代表する文化として大手マスコミに認められるには、もう少々の時間が必要だった」と考えるのはやはり誤りである。