待て、しかして希望せよ。
唐沢俊一・村崎百郎『社会派くんがゆく!怒涛編』(アスペクト)P.392
そろそろ今回のこの本のまとめが見えてきた気がする。要するに、戦後の日本が、ひたすらそれを求めて突っ走り、また、その成果をある程度出してきた“平和”が続き、国民の暮らしが総体的に豊かになり、昔とは比べ物にならない情報や知識を国民が自由に選択できるようになり、個人の人権と自由が何よりも尊重されるようになった時代(つまり現代)というのが、いい時代とは決して呼べないということである。いつ戦争があるか分からず、おしなべて国民が貧しく、個人の選択肢が限られており、個人より上位の価値観があった時代の方が、人々は心落ち着いて暮らすことができていたのである。もちろん、医学や福祉の進歩や充実の恩恵を山ほど受けているものの、対比してみて、今の時代というのは、それの代償として幸福を享受するのに値する時代か?という疑問を持たない人はおるまい。過去の時代にあって現代にないものは何か。ただひとつ、“希望”である。希望だけあれば、人間は心豊かに生きていける動物なのだ。
読者諸君。今こそ革命を。平和と、豊かさと、グローバリズムと自由こそわれわれの敵だ。戦火にまみれる権利を取り戻そう。貧乏になることを認めよと迫ろう。情報なんかそんなにいらないと叫ぼう。不自由の楽しさを手に入れよう。そこで初めて、われわれは、希望というものを手に入れられるのである。
前段が村上龍『希望の国のエクソダス』の「この国には何でもある。本当にいろんなものがあります。だが希望だけが無い」、後段がオルダス・ハックスリー『すばらしい新世界』の「私は不幸になる権利を求めているんです」という言葉をそれぞれ思い出させる。まあ、こんな無意味極まりないアジテーションと比べちゃ悪いけど。特に『すばらしい新世界』はディストピアものの古典だし。唐沢も当然読んでるよね?
「いつ戦争があるか分からず、おしなべて国民が貧しく、個人の選択肢が限られており、個人より上位の価値観があった時代」というのはおそらく昭和二十年代のことだろう。唐沢は『社会派くんがゆく!』最新号でも次のようなことを言っている。
唐沢 今、仕事で昭和二十年代文化の資料をいろいろ見ているんだけど、こういう国民全員が貧しかった時代が、本当にいい時代だったなって実感できるんだよ。みんなが明日に向かって希望の目を開いて頑張っているし、全員が似たような貧乏だから、他人を妬むということもない(笑)。
…ちょうど今日発売された『週刊文春』12月25日号に掲載されている小林信彦『本音を申せば』第536回には次のようなことが書かれている。
映画の影響などで、昭和三十三年という年が美化されているのもおかしい、と今のぼくは思っている。
当時、失業して、池袋の西の下宿にいたせいもあり、生活は暗かった。<高度成長の前の純朴で善意の人々がいる世界>というのもウソだ。津野海太郎氏は「おかしな時代」という本で<過去の美化はいやだ>と強調しているが、<東京タワーの出来た時代>の美化は、貧しかった時代だけに、いっそう気味が悪い。
当時を知っている人にとっては過去を美化されるのは気持ち悪くてしょうがないのだろう。昭和三十三年(唐沢俊一の生まれた年でもある)当時の小林信彦は失業していて、とてもじゃないが「心落ち着いて暮らすこと」など出来てはいないのだ。「個人より上位の価値観があった時代の方が、人々は心落ち着いて暮らすことができていたのである」なんてどうしてそんなウソをつくんだろう。それに戦前・戦中だって「個人より上位の価値観があった時代」になるわけだけど、とても「人々は心落ち着いて暮らすことができていた」とは思えない。ウソまでついて現代の日本を否定する理由がわからない。
あと、「希望」っていったい何なのか。小林信彦は前出の『本音を申せば』の中で昭和三十三年当時について次のように書いている。
ぼくの希望は、池袋駅西口にあるウナギ屋に入って、ビールとウナ丼をもらうことだった。
この程度の希望なら現代に暮らしている自分にだってある。というよりは、むしろこの程度のささやかな希望があるからこそ人間は生きてゆけるのだと思うし、そのことは昭和三十三年でも現代でも変わりがないのではないか。別に自分からわざわざ不自由にならなくても、人間は自然と身の回りに希望を見出せるはずなのだ。太宰治『葉』の冒頭部分を引用してみる。
死のうと思っていた。
今年の正月、よそから着物一反もらった。 お年玉としてである。
着物の布地は麻であった。 鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。
これは夏に着る着物であろう。 夏まで生きていようと思った。
夏服をもらっただけでも人間は生きていこうと思えるのである。自分だってマンガやアニメや格闘技が見たいから生きているところはあるし…、生まれてすみません。唐沢俊一の書き方だと、昔の人間は途方もなく大きな「希望」を持って生活していたかのようだが、本当にそういうことが羨ましいのだろうか。正直自分には少々気味が悪いのだが。
それから、平和な世の中で暮らしている人間が「戦火にまみれる権利を取り戻そう」などというのは醜悪でしかない。特にアフガニスタンで殺害された伊藤和也さんを貶めていた唐沢俊一がそういうことを言うなと言いたい(詳しくは8月30日と9月12日の記事を参照)。「不自由の楽しさを手に入れよう」と他人に言う前にまず自分から不自由な環境に身を置いてはどうだろうか。「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」とオタクならすぐに考えるはずなんだけどね。「間違っていたのは俺じゃない!世界の方だ」の方が唐沢俊一には合ってるけど。
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