死刑というより私刑?
死刑がない理想の国、などというのは天皇とその周辺貴族たちだけの、幻想の世界であったのだ。
しかも、死刑が正式に復活するのも貴族がらみである。保元の乱で崇徳上皇側についた源為義を殺すために、後白河天皇の懐刀であった藤原信西は、死刑の復活を説いた。これにより正式に死刑が復活したのである。捕らえられた為義を切ったのは後白河側についた息子の義朝であった。為義はその最期にあたり「父を切る子、子に切らるる父、切るも切らるるも、宿執の拙き事、恥ずべし恥ずべし、恨むべし恨むべし」という、すさまじい呪いの言葉を吐いている。
しかるに、そのわずか3年後の平治元(1159)年、今度は源義朝が後白河上皇に叛乱を起こし、信西を捕らえる。信西は自らが復活させた死刑制度によって斬首され、その首は京で西獄(西京にあった牢獄)の前の栴檀の樹にかけられた。信西はクラシカルな、樹にかけるかたちの獄門にかかったのである。
時代はこれから平家の独裁時代となり、そして源氏がまた復興しての鎌倉時代となる。鎌倉時代になると死刑は絞首が廃止されて斬首だけになり、何しろ荒っぽい武士の世の中であるから、罪人の首が飛ぶのは日常茶飯事で、ついに獄門は樹にかけるかたちでは間に合わなくなり、時代劇でおなじみの、台の上に釘に刺してさらすかたちになる。平治の乱は古い貴族の時代から、新しい武士の時代への移行のシンボリックな事件だといわれるが、それは貴族代表であった藤原信西の獄門のかたちにも表れている。首のさらされ方まで、彼は古い社会の代表だったのである。
保元の乱で死刑になったのは源為義だけではない。平忠正も甥の清盛に斬られている。忠正の処刑については『トンデモ事件簿』の他の文章で書いているのにどうして忘れるのかね。まあ、コピペしたせいなんだろうけど(詳しくは10月31日の記事を参照)。コピペばかりしてると知識は身につかないよ。
次に、信西が平治の乱で死刑になったというのは間違い。まず、信西の死については殺害されたという説と自害したという説がある(『平治物語』の信西の最期の場面はなかなか面白い)。仮に殺害されていたとしても、反乱の最中に敵軍に殺されたことを「死刑」というのはおかしい。それが通るのなら、二・二六事件で殺された政府の重臣たちも「死刑」になったことになってしまう。おそらく、死刑を復活させた張本人が死刑になった、と書いてウケを狙ったんだろうけどね。自分の作った手配写真の制度のおかげで捕まってしまった江藤新平から連想したんだろうか。
それから、鎌倉時代の死刑については、全国で同じように刑罰が実施されていたわけではないということにも注意しなければならないと思う。唐沢俊一は『トンデモ事件簿』で日本の死刑の歴史についていろいろ書いているけど、鎌倉・室町時代についてはほとんど何も書かれていないし、P.100ではこんなことも書かれている。
確かに戦国時代には、中国からの文化の伝承という影響もあり、刑罰は過酷化した。
戦国時代に「中国からの文化の伝承」の影響があったとすれば、勘合貿易で伝わってきたのか?もしかすると倭寇かもしれないが。にわかには信じがたい話だ。
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