唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

自堕落なせいで補陀落が何処にあるのかわからない。

唐沢俊一のトンデモ事件簿』(三才ブックス)P.101〜102より。

 鋸挽で殺された人物のうち、最も有名なのは(フィクションではあるが)、説経節の中のさんせう太夫(山椒太夫)であろう。森鷗外の『山椒太夫』では、最後に山椒太夫は国守となった厨子王の命令で奴隷を解放し、その善行のために農作も工芸もより盛んになって“(山椒太夫の)一族はいよいよ富み栄えた”という、勧善懲悪とはほど遠い結末を迎えるが、これは近代西欧文学を学んだ鷗外が因果応報的な話を古いものとして嫌ったからだろう。元話の説経節の中では、国守になった厨子王は当然、姉の安寿の復讐(安寿も鷗外の小説では入水自殺だが、説経節では裸に剥かれ、膝の皿に錐をもみ込まれるという拷問を受けた末に水責めで死んでしまう)に乗り出して山椒太夫を捕らえ、鋸挽の刑に処して、しかもその挽き役を山椒太夫の息子の三郎にやらせる。その残虐なシーンを、説経節はこう謡う。
「ひと引きひいては千僧供養、ふた引きひいては万僧供養、えいさらえいと引くほどに、百に余りて六つの時、首は前にぞ引き落とす」
 千僧供養とは、千人の僧に斎を施したりもてなすことで、これを行えば功徳となって極楽に行けるという信仰である。自分の親を鋸で挽き殺しながら三郎がこの文句を唱えることでもわかるように、公開処刑は単に悪人の命を奪うだけでなく、悪人の命と引き換えに、善男善女の魂を極楽へと導く儀式でもあったのである。
 たとえ戦争がなくとも、前近代社会において人々の生活は苦しいものだった。人々が願うのは、この苦しい現世を逃れて、極楽へ生まれ変わりたいということであり、平安時代以降盛んになった来迎信仰は、西方補陀落の浄土から、早く阿弥陀様に迎えに来てもらい旅立ちたい、という念から起こったものである。もちろん、極楽へはさまざまな罪に汚れた身では旅立てない。だから、罪人たちの処刑に託して、自分たちの罪や汚れを一身に引き受けて地獄へ持って行ってくれるよう、庶民は願ったのである。その際の死はできるだけ派手で残虐なものの方が、こちらの罪を救済してくれるパワーが生じる。残虐な公開処刑は確かに国主の恐怖政治の表れではあるが、それに庶民が託した希望もあったのである。

 補陀落南方に存在する観音菩薩のいる場所とされている。唐沢は「補陀落渡海」を知らないのだろうか?「来迎」とはまるで違うと思うのだが。それにしても、「極楽へ生まれ変わりたい」というのはどうなんだろう。
 それから、『さんせう太夫』で三郎が実の父親を鋸挽にしているのは、三郎が安寿を拷問で責め殺した張本人であるためで、鋸挽は三郎にとっても罰であったものと思われる。細かいことを言うと、鷗外の小説は『山椒大夫』なので「太夫」は誤り。
 余談になってしまうが、「ひと引きひいては千僧供養」「えいさらえい」というフレーズは『さんせう太夫』と同じ説経節の『小栗判官』でも登場する。ただし、『小栗判官』では、地獄から戻ってきた小栗判官の胸に「ひと引きひいては千僧供養」と書かれた札が下げられていて、人々は「えいさらえい」と掛け声をあげながら小栗判官が乗った車を曳いているのである。同じ「ひと引き」でも『さんせう太夫』と『小栗判官』では意味が異なるわけだ。
 それにしても、公開処刑が「悪人の命と引き換えに、善男善女の魂を極楽へと導く儀式」であったとする唐沢の理論は粗雑きわまりない。唐沢自身が「フィクションではあるが」と言っている『さんせう大夫』を根拠にしているのが理解できない。そういえば、チベットの拷問について文章を書いたときも。久生十蘭の小説『新西遊記』を根拠にしていたが(詳しくは「トンデモない一行知識の世界」を参照)、最低でも事実を根拠にして文章を書いて欲しいものである

唐沢俊一のトンデモ事件簿

唐沢俊一のトンデモ事件簿

山椒大夫・高瀬舟 他四編 (岩波文庫 緑 5-7)

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説経節―山椒太夫・小栗判官他 (東洋文庫 (243))

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久生十蘭 海難記 (日本幻想文学集成)

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