唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

『オタク論!』を読むのにひとくろんする。

 「創」11月号に掲載された唐沢俊一岡田斗司夫の対談『オタク論!』第11回「日本貴族奴隷党に二票(後)」は、前篇と同じくよくわからない内容であった(前篇については8月10日の記事を参照)。まずはこの発言から。

岡田 収入のある人のところには厳選された情報が集まるようになっていて、収入が低い人のところには情報じゃなくて、言い方は悪いですが、「刺激的なデマ」というか、善悪というフィルターの付いた「解釈」だけが集まるようになっている。
 つまり、情報化社会っていうのは、誰もにメガバイト級の大量の情報を与えるんだけれども、経済的に成功している層には確度の高い情報が集まり、困窮している人には確度が低い情報が集まる。「メガ級」という総量だけが変わらない。この意味がまだはっきりみんなわかっていない。
唐沢 ところがそれが、確度の低い情報の方を喜ぶ人たちというのがいるんだよねえ。大きく言えばアポロが月に行ってないとか、小さいところだと、と学会がマスコミを支配する利権集団だとかいうね(爆笑)。そんなことが根も葉もない情報だということはちょっと調べればわかるんだけど、程度の低い人たちにとってはそういう低確度の情報の方がうれしいんですね。理解しやすいから。

 まず、岡田斗司夫の言っていることがさっぱりわからない。どうして収入によって集まってくる情報の質が変わるんだ?情報というのは正しいものからまったくのガセまでいろいろあって、それをどのようにふるいわけていくかは個人の性質によるとしか言えないと思うのだが。個人の努力によって情報を選別していくことは十分可能なのであって、収入なんて関係ないだろう。当ブログの中の人も収入をもっと多くすれば、唐沢俊一についてよりレベルの高い検証ができるのだろうか?それに収入のある人が「刺激的なデマ」を好んだりデマに踊らされることも当然あるだろうし。
 次に唐沢俊一の発言だが…、この人は一体何を言ってるんだろうか。「確度の低い情報の方を喜ぶ人」というのはあなたのことだろう。なんといっても『トンデモ一行知識の世界』(ちくま文庫)P.33でこのように書いているくらいだ。

しかし、間違いを間違いだからといって無下に排斥するのは人間の文化を貧しいものにしてしまう。事実、などというのは世界中の人間のうちの数パーセントが知っていればいいことではないか?

唐沢俊一自身が「確度の低い情報の方を喜ぶ人」なのであって、唐沢が「確度の低い情報」をたくさん垂れ流しておきながら今までやってこられたのは、「確度の低い情報の方を喜ぶ人」たちのおかげだというのに、一体何を言っているのか。大体「と学会がマスコミを支配する利権集団」って誰が言っているんだ。田中秀臣さんの話を曲解しているんじゃないのか?

そういつた重要なメッセージも読みとれないで、ただの口当たりのいい文化相対論で結ぶとは、まるで規制緩和に「文化」を振りまわして抵抗する集団と同じですね。本当にいまやと学会もただの利権集団的発想になりさがったんですなあ。

唐沢俊一の度重なる盗用やガセビアを見てみぬふりをするあたりも「利権集団」っぽいよね。唐沢のようにきちんと文章を読めない人間によって「確度の低い情報」が撒き散らされていくということがよくわかる。(爆笑)したいのはこっちの方だよ
 次は唐沢のこの発言。

唐沢 市民社会という言葉は非情に(原文ママ)平等主義で理想主義のように聞こえる響きのよさを持っているんだけど、マルクスが指摘するように、ブルジョワ階層による支配社会なんですよね。そして、市民という集団は感情に流されるままで、意思決定の手段を持っていない。ここで誰かリーダーシップをとれる人間が右といえば右、左といえば左にわっとなだれこむ。ネット社会(これ以降は携帯での情報も含めてネット情報と表現しますが)の様子を観て感じたのは、なるほどネット言論というものの主体性のなさはまさに市民社会だな、と。情報ブルジョワの意のままに右顧左眄、というよりは右往左往しているのがネット言論界の市民たちというものですよ。

 「意のままに」ときたら普通は「操られる」か「動かされる」と続く。「右顧左眄」や「右往左往」させてどうするんだ。「情報ブルジョワ」っていうのは一体何者なのか。それに「ネット言論」と「市民社会」を同一視しているのも安易すぎる。

岡田 その「市民」というものの成立はフランス革命以後で、都市の外は関係ないんだ、都市に住んでいる市民の権利の囲い込みから始まったものですよね。(後略)

 「都市に住んでいる市民の権利の囲い込み」というのは、ギリシャのポリスや古代ローマにおける市民権の方なのでは。

…まあ、こんな具合に唐沢・岡田の二人は、市民社会はもうどうしようもなくてこれからは貴族社会になる可能性が高いという話をしているのであった。どうして市民社会がダメなのかよくわからないし、どうして貴族社会になるのかもよくわからないのだが。そもそも市民社会についてちゃんとわかっているのか疑問である。しかし、二人とも万が一貴族社会になったとしても、自分たちは貴族の側につけると思い込んでいるのが不思議。唐沢・岡田両人のネットをやっている人間や低所得者に対する差別意識がチラチラ見えるかのようで気持ちの悪い話だったと言わざるを得ない。

創 (つくる) 2008年 11月号 [雑誌]

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トンデモ一行知識の世界 (ちくま文庫)

トンデモ一行知識の世界 (ちくま文庫)