唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

トラブル・エブリデイ。

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 かつて、唐沢俊一松沢呉一さんが論争をしたことは一部で有名だが(松沢さんが作成した論争のまとめを参照)、その発端となったのは『ガロ』1995年2月号で、雑誌の構成上、唐沢の連載が休載となった一方で松沢さんの連載がそのまま載ったことである。「…そんな事で?」と思われるかも知れないが、実際唐沢はこの件で『ガロ』編集部に抗議しているし(これは唐沢も認めている)、『ガロ』3月号の連載の中で松沢さんの連載が休止にならなかったのが「ゴネ得」であるかのような話をしている(そして、松沢さんがそれに抗議した)。また、他の雑誌でも唐沢が「自分より他のライターの方が扱いがいいのはおかしい!」と編集部に抗議をしたという話を自分も聞いたことがあるので、唐沢はそういった抗議をよくしていたのかもしれない。
 …実はこの論争には前段があり、唐沢俊一の連載が休載になった問題の『ガロ』2月号の「おたより」欄になぜか唐沢の投稿が載っていて、当時『ガロ』誌上で松沢さんと読者が意見のやりとりをしていたことについて苦言を呈しているのである。これは松沢さんが作成したまとめにも載っていないことで(ただし、松沢さんは『ガロ』4月号の連載の中で、唐沢が「おたより」欄に投稿したことに疑問を投げかけている)、誌上に連載を持っている人間が一般の読者と同じように投稿してくるのはいささか異様であると言わざるを得ない。…もしかすると、唐沢は休載の件の以前から松沢さんに対して何らかの不満を持っていて、それで自ら積極的にからんでいった可能性もあるかもしれない。当時の唐沢俊一と松沢さんと言えば、「古本」というジャンルがカブっていたわけだしね(2009年3月7日の記事を参照)。
 ちなみに、唐沢俊一『クイック・ジャパン』編集部にハガキを送ったところ、『クイック・ジャパン』Vol.2(1995年3月発売なのでちょうど同時期だ)の読者投稿欄に掲載され、それに唐沢が激怒したという話もあるのだが(詳しい事情は後日紹介します)、『ガロ』の読者投稿欄はよくて『QJ』はダメというのがよくわからない。


 さて、『ガロ』1995年2月号の「おたより」欄に掲載された投稿の中で、唐沢俊一は松沢さんに対してこのようなことを書いている。『ガロ』P.39より。

われわれはプロなんです。原稿料が出てなくても、商業誌に書いてんだから、プロなんです。プロがアマに噛みついてはいけません。プロレスラーが客のヤジに本気で怒ったりしちゃいけないのと同じです。

 おー、なんだかかっこいい。


 感心したところで、SFマガジン』1995年11月号掲載の唐沢俊一『とても変なまんが』第10回を見てみよう。『SFマガジン』P.92、P.94より。

 同人誌まがいの、読む気にもならない三文誌なのでまだ実物を見ていないが、僕の『まんがの逆襲』や『森由岐子の世界』を“大いなる蛇足”と決めつけているマンガ批評誌があるそうである。なんでも、神田森莉などを僕が“笑いものにしている”のが けしからん、と言っているらしい。
 およそマンガファンたるものであれば、作者の創作意図をキチンと理解し(神田森莉と言えど、読者をこわがらせようとして作品を描いているのだろうから)、それに沿った読解をしなければいけないという、恐れいった教条主義である。
 彼らはおしなべて、自分の位置を作家の下方においてテンとして恥じない。糟粕を舐める という言葉があるが、読者の仕事は作者の作り出した作品のカスを舐めることであり、評論家はそのカスを皿に盛って差し出すのが仕事、とでも心得ているようなところがある。
 これは実は非常に危険なことなのである。作者は常に作品の中に本心を語るわけではないからだ(これは創作経験のある者にならわかる筈である)。空虚なものの回りによってたかって、その本質を求めようとしている姿は、ハタから見ればコッケイ以外の何物でもない。 かつて、つげ義春の『ねじ式』で、単なる誤植の結果の「メメクラゲ」というネーミングに批評家たちが意味を求めようとやっきになった愚を、彼らがまた犯さなければいいと思うばかりだ。
 僕が行う作品の読み替えという作業は、読者を作者の思惑というカセから解放し、もっと作品に自由な読み方をしてみよう、という一種の思考実験なのである。エド・ウッドの怪奇映画に恐怖するのでな大笑いして楽しむすべを知っているSFマガジンの読者なら、このあたりの機微はわかってくれる筈だ。

 作者至上主義では、こういう楽しい作品を発掘してくることはほとんど不可能なのである。わかったか、『漫○の手帳』!(原文ママ

 メチャメチャ噛みついてるじゃん! 漫画の手帖は同人誌なのに。9ヶ月でそこまで態度を変えなくても。



 じゃあ、『漫画の手帖』でどんなひどいことを言われているかと見てみると…。『漫画の手帖』Vol.39、P.47より。

 唐沢俊一による『森由岐子の世界』でも読めるが、「大いなる蛇足以外の何物でもない」ので、あまりお勧めしない。

 たったこれだけ。あまりにも過剰反応なので、安中さんならずとも「えーっ…」と言いたくなる。いくらなんでもハートが弱すぎやしないか。


 唐沢俊一が過剰反応をした理由は2つ考えられる。ひとつめは「縄張りを荒らされたと感じた」から。『漫画の手帖』の問題の文章は神田森莉特集の中で出てくるのだが、実は当時の唐沢俊一神田森莉をプッシュしていて、『とても変なまんが』でも神田森莉を取り上げている。「俺の」神田森莉を取り上げやがって、とでも思ったのではないか。まあ、松沢さんや東浩紀氏のケースと似たようなものだろう。
 もうひとつの理由として考えられるのは「痛いところをつかれた」から。『漫画の手帖』Vol.39にはこのような文章も載っている。P.48より。

 ホラーマンガを怖がるために読んでいる本来あるべき読者はいいとして、サービス精神の旺盛なホラーに笑いを求めて優越を感じるハスな読者も多いだろう。だいたいそういう事を喜ぶのは、興味の薄い人か、経験の浅い人か、それがオシゴト(さえない仕事)の人がほとんどだと思う。

 なるほど、「笑う」ために昔のホラーや特撮を見る人は時々いる。唐沢俊一「読み替え」と言っているが、それは素直に作品を楽しむことの妨げになっているのかもしれない。ついでに、山本弘会長の発言も紹介しておこう。『史上最強のオタク座談会 封印』(音楽専科社)P.284〜P.285より。

 でもねぇ、これは歳とればわかるんだけども、ホントに好きな人は、自分の好きなアニメのことでも悪口言えるんだよ。ホントに昔の特撮、どんなにひどかったか(笑)。

 特撮を愛するんだったら、糸が見えていても愛さなくっちゃいけない。ホントにアニメファンだったらば、徹底的に自分の好きな作品でも「あそこは違う」と言えなくっちゃおかしい。宮崎(引用者註 駿)さんが好きだったら、宮崎さんの欠点まで全部知ったうえで好きになるのが正しい。

「好きだからけなせる」理論、とでも呼ぼうか。「作品から一定の距離を取って楽しもうとしている」点において唐沢俊一と山本会長は共通しているように思う。ただ、いくら作品に対する愛があると言われても、唐沢俊一(&ソルボンヌK子)の貸本漫画へのツッコミが面白くなるかと言われると…、うーん。それに、「お前はあのアニメをバカにしている!」と抗議されたときに「ホントに好きな人は自分の好きなアニメのことでも悪口を言える」と言うのは反論として弱いのではないか。いくら動機が正しかったとしても表現の中に不用意な部分があってはいけないわけで。唐沢俊一が『漫画の手帖』に長々と反論してしまったのは、貸本マンガをネタに笑いを取ることに後ろめたさを感じていたせいではないか?というのは深読みのしすぎだろうか。
 一応フォローしておくと、山本会長は「若いファンは好きなアニメのことをけなされたら怒るのが正常」という風にも言っている(『封印』のまえがきより)。「若いファン」と「年配のファン」の感性が混在しているのが山本会長の面白さなのかもしれない、とふと思った。


 話がややズレたが、もうひとつ、唐沢俊一が『漫画の手帖』に「痛いところをつかれた」部分があって、『漫画の手帖』Vol.39では唐沢以前に森由岐子を紹介していた先達が多くいたことに触れているのだ。だから、森由岐子というのは、貸本マンガにおいてはさほど目新しいネタではなかった、ということは頭に入れておく必要があるだろうし、唐沢にとってそれがあまり面白い話ではなかったことは想像に難くない(詳しい話は夏コミの同人誌で説明します)。


 唐沢俊一に『SFマガジン』で長文で批判されたことに対して、『漫画の手帖』Vol.40にこれまた長文の反論が載っているが(唐沢俊一まとめwikiに全文が載っています)、これが実に見事なもので、15年前唐沢俊一の問題点を見抜いていた人がいたことに驚かされる。「マイナー文化での流行を後追い」して高みに立とうとする芸風は一貫しているからなあ。「M氏」って松沢さんのことだろうか。…いや、ホント、過剰反応しなきゃよかったし、「プロがアマに噛みついてはいけません」って自分で言っていたのにね。なお、唐沢が『漫画の手帖』を批判した回は単行本版『とても変なまんが』(早川書房)には収録されていない。


 『ガロ』『クイック・ジャパン』『SFマガジン』など、過去の事件を横断的に取り上げてみたが、昔からトラブルが多かった人なのだな、と実感させられる。最近では周囲の人間だけが盛り上がって唐沢本人は蚊帳の外に置かれる展開が多いような気もするが、それはいいことなのかどうなのか。


風呂よ 濱田さん

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