ふけんこう仮面。
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karasawagasepakuri@yahoo
『小説宝石』2006年6月号掲載のシリーズ企画『不健康脱出作戦』第33回に唐沢俊一が登場していたので、今回はこれを紹介する。タイトルは「健康だけどわがままな体」。取材の模様は「裏モノ日記」2006年3月24日で確認できる。
インタビュー内容は健康法。
「こういう雑誌には悪いけど、睡眠時間の確保のためには〆切があろうとなんだろうと時間が来たら寝る、徹夜仕事は一切しないのが精神と肉体のストレスをためない第一の健康法」
と語って苦笑される。他にもいろいろと話して、
「4回ぶんくらいのネタを貰った」
とライターさん、喜ぶ。
本当にリップサービスに弱いな。…とはいえ、このインタビューは本当にネタの宝庫なので、自分も発見した時は大喜びしてしまったんだけどね。では早速紹介しよう。
僕は物書きですが、生活はサラリーマンのようですね。8時半には起きて朝食を食べ、雑用をこなした後、11時から3時くらいまで原稿を書く。週刊誌3本に月刊誌7本、ラジオのレギュラーにテレビも出るから、寝る間もないだろうと言われますが、ギュッと集中して仕事をやり、7〜8時間は寝ています。
まず、この冒頭から凄い。だって、2011年1月現在の唐沢俊一の連載は月刊誌1本と年2回刊行の雑誌1本なんだもの。わずか4年半で状況が変われば変わるものだ。…出版不況って怖いなあ。
お酒は毎晩、焼酎ボトル半分が定量で、それ以上は無茶飲みしない。だから肝臓も問題なし。慢性の肩こりと目の疲れは職業病としてありますが、マメにマッサージに行き、目のサプリメントで対処する。僕は子供の頃、足の手術をしているし、元は丈夫じゃないんです。それが幸いして、いつも体の微調整をやっている。元気な人は無理を重ねて、ある日バッタリとなるでしょ。仕事もそうで、短期間にガーッと大きな仕事をすると長続きしない。少しずつ蓄積していくほうが実は結果が出る。妻にはもっと稼げばと言われますが、酒が飲めて古本が買えて、好きな仕事ができればいいと思ってます。
『新刊ニュース』での酒井順子との対談で「僕はとことんまで飲んじゃう」と言っているし、「裏モノ日記」には「ベロベロになった」という記述がよくあるので、案外「無茶飲み」しているんじゃないか?とも思うのだが。2009年6月13日の記事の藤岡真さんのコメントも転載しておこう。
藤岡真 2009/06/14 08:16
昨日、唐沢と親しい某氏と話しました。糖尿病からくる心臓疾病での入院だそうです。某氏はその前日、演劇関係のことで会っていたので、急な入院に驚いていました。そして、その日の暴飲振りにも驚いたとか。
…そう!
2009年に突然入院したのは「ある日バッタリ」じゃないか。結果的に健康管理は上手く行ってなかったと言わざるを得ない。もちろん今は気をつけているんだろうけど。
僕は学生時代から書く仕事を始めたんですが、いろいろあって仕事がなくなり、実家のある札幌に帰った時期があるんです。病院でカルテをパソコンに打ち込む作業をしながら、勤め人というのは効率よく稼げるものだと思いました。でも、精神的に辛かった。
唐沢は「学生時代から書く仕事を始めた」とよく言っていて、プロフィールでもそのように記述されていることがあるが、そのたびに「一体何をやっていたんだろうか」と疑問に感じる。客観的に証明できる資料が全然ないからなあ。
一人黙々と作業して、たまに話すのはデータを持ってくる看護師さんだけ。さらに、挫折して都落ちしたという気持ちもあった。その鬱屈は、体をいじめるという方向に出ましたね。一日マグロ缶一個で過ごすダイエットをしたり。ジムで体を鍛えてみたり。結局、楽に稼げなくても、この仕事の方がいいから戻ってきた。
『奇人怪人偏愛記』(楽工社)P.44では次のように書かれている。
その部屋にダンベル、エキスパンダー、グリップなどを運び入れ、空き時間を作ってはせっせと鍛錬にはげんでいた。食事は一日サバ缶一個(これは高タンパクで、下手なプロテインよりずっと筋肉を作るのに効果的である。第一安い)、後はヨーグルト。
数ヶ月そういった生活を続けた結果、腹筋に段々がつき、肩が膨張してきて、といった肉体的な変化の他に、精神的な変化がぐんと出てきたことに自分でも驚いた。
『小説宝石』では、体を鍛えていたのが仕事部屋でなくジムになっていて、さらに毎日食べていたのがサバ缶でなくマグロ缶になっている。毎日シーチキンを食べていたのだろうか。
ライターとして27歳の再出発は遅かったけど、業界の底辺みたいな下積みをしながら、次第にやりたい仕事をできるように持っていきました。
えーと、唐沢俊一は1958年生まれだから、27歳ということは1985年に再出発したことになる。…しかし、唐沢俊一は1984年7月に出たアニドウの会誌に世田谷区から投稿している(2009年12月18日の記事を参照)から「だったらいつ都落ちしてたんだ?」という話になるし、別のところでは「イッセー尾形の舞台の前説を失敗して都落ちした」と語っているのだが、問題の舞台は1986年11月に行われている。…時空が歪みまくっていて何が何やら分からない。
補足しておくと、唐沢俊一が1988年から唐沢商会のマンガの原作を担当しているのは確認できるから、一応それがデビューということになるのだと思う。ただし、藤岡真さんも指摘しているが、『近未来馬鹿』(青林工藝舎)の唐沢なをきのあとがきマンガを見る限り、当初唐沢俊一は札幌に住んでいたようだ。そして、唐沢俊一がプロのライターとして単独で活動するようになったのはもっと後のことだ(初の単行本『ようこそ、カラサワ薬局へ』は1990年に出ている)。
唐沢がやった「業界の底辺みたいな下積み」として思い浮かぶのは、『編集会議』のインタビューで語っていた「AVの新作キャプション書き」だろうか。もっとも、『編集会議』のインタビューではプロデビューは28歳の時になっている。本当に話すたびに事実関係がおかしくなっている。
いまは書くことも話すことも、好きな仕事だから楽しくていくらでもやれる。でも、嫌な仕事だと、体調が悪くなって1行も書けないんです。僕は自分をわがままではないと思っていましたが、精神的には相手に合わせられても、体が裏切る。健康だけどわがままな体なんだと、この年になってわかってきましたね。
「すべて気圧のせい」ってことですか。体調が悪くても頑張って仕事をしている人はたくさんいる…、と言うより、体調が万全の人の方が少ないのでは。編集者もこういうライターには仕事を頼めないよねえ。自分がわがままなだけなのに、責任を転嫁されている唐沢俊一の体に思わず同情してしまった。体ではなく心の問題だよ。
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