唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

みんなその気でいればいい?

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karasawagasepakuri@yahoo


伊藤剛さんのtwitterより。

そういえば、かつて唐沢俊一がぼくに説教じみたことを言うとき、「ライターとしてやっていくんなら、永瀬唯氏のようになってはいけない」と繰り返していたことを思い出した。反面教師として永瀬氏の名前をよく出していたが、15年が経ち、彼自身が「反面教師」になってしまった。

 どうしてそんなことを言っていたんだろうね。気になるのは唐沢俊一永瀬唯と『ザ・デイ・アフター・エヴァ』(水声社)で対談していること。この本は1998年3月に出ているのだが、唐沢と伊藤さんは1997年7月に絶縁しているので(詳しくは『検証本VOL.4』を参照)、唐沢は「ライター失格」と思っていた相手と対談していたことになる。親しい人物のことを陰でボロクソに言っていたわけだが、そーゆーことをしているといずれバレてしまうのでやめておいたほうがいいよ。なお、唐沢は『ザ・デイ・アフター・エヴァ』の対談で『エヴァ』という作品自体ではなく『エヴァ』ファンについて語っているが、あまり見るべきところはない。



 本題。唐沢が西崎義展の「追討」をしている。この「追討」については既に「トンデモない一行知識の世界2」で検証されているが、とにかく過去の発言と矛盾する点が多くて困ってしまう。

76年の晩春だったと記憶するが、札幌のヤマトファンたちに
会いたい、と突然連絡があったときのことは未だに昨日のことの
ように覚えている。会ったメンバーが四人だけ、全員いろんな
ファン団体のリーダーではあったが、かろうじて大学生だったのが
一人だけで、残りの私含めた三人が浪人生という情けない身分だった。
それでもちゃんとホテルの会議室をとってくれていたのがさすが、という感じ
だった(ホテルが書いた案内看板に“『宇宙戦艦大和』ファン御一行様”、
とあったのを何故か記憶している)。
「あいたかったよ」
という、岡田斗司夫の本に書いてある挨拶と握手は確かにされた!
「二千万振り込もう」
とは言われなかったが(笑)。

 唐沢俊一は1958年5月生まれなので1976年の晩春に浪人生だったはずがない。考えられるのは、

・「1976年の晩春」が正しく「浪人生」が誤り→この場合、西崎義展と会ったのは高校3年生の時。
・「浪人生」が正しく「1976年の晩春」が誤り→この場合、西崎義展と会ったのは1977年の晩春。

のいずれかであるが、唐沢俊一の過去の発言(2008年10月28日の記事を参照)と矛盾しないように考えると、後者の可能性が高い。
 もうひとつ気になるのは、西崎義展の方から「札幌のヤマトファンたちに会いたい」と連絡があったことで、これは唐沢の過去の発言とズレている。唐沢俊一志水一夫『トンデモ創世記』(扶桑社文庫)での発言。

で、一年間の浪人時代に札幌にプロデューサーの西崎義展さんを呼んだりした。まだ「宇宙戦艦ヤマト」の映画版を作る前ですね。

 はい、唐沢が自分で西崎プロデューサーを呼んだわけじゃありませんね。思わず話を膨らませてしまったようだ。さらに付け加えると、唐沢は「札幌での『ヤマト』の盛り上がりが凄かったから関係者が飛んできた」という主旨の発言を何度かしているが、『ヤマト』ファンの活動は全国各地で盛り上がっていたので、これも怪しいものである。

機を見るに敏なその手腕は、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の、
劇場用パンフを初版10万部印刷しろと配給の松竹に掛け合い、
松竹がパンフなんてものは寅さんでも2万部しか売れないと
拒否したのを恫喝的に談判し、結局4万部刷ったものが即日
完売して追加印刷することになり、結果80万部近くの売り上げに
なった、というエピソードにもよく表れているだろう。

この話は「裏モノ日記」2008年10月10日とカブっている、というかだいぶおかしなことになっている。

さらにヤマトの話。
西崎氏が『さらば宇宙戦艦ヤマト』のプログラムを100万部刷れ、
と言ったのに対し配給の東映
「日本の映画プログラムの売り上げ記録は松竹の寅さんシリーズ
の5万部である」
という数字をタテにとって拒否。
さんざやりとりがあった挙げ句、30万部刷ったプログラムが、
初日にもう品切れ。あわてて増刷に増刷を重ね、最終的には250万
部を売り切ったとか。

「あれで西崎さん、おかしくなっちゃったんだよねえ」
まあ、そりゃ万能感にとらわれて無理ないよなあ。
その他いろんな裏話聞くが、ヤバいので省略。

 最初の劇場版のときにパンフレットが80万部も売れていれば『さらば宇宙戦艦ヤマト』のときに揉めるはずがないよなあ。数字が全部違っているし、映画の配給も松竹になっている。何が何だか…。

だが、ヒットを出して、営業をかけずとも自作に買い手が寄ってくる
ようになると、今度は企画力が問題になる。
彼の企画力は復活篇で尽き、その後は陳腐な特攻話を延々パターン
を変えて繰り返すのみになった感があった。ドラッグに溺れたのは
自分のかつてのカリスマを取り戻そうというあがきだったの
だろうと思う。それから先はもう……ドラッグと銃刀法違反と
権利裁判とだけがこの人の話題のような気がしていた。

 『復活篇』というのは2009年公開の映画のことだよね。「その後」「それから先はもう……」って意味が通らないのでは。


 かつて持ちネタにしていた「『ヤマト』はわしが育てた」を最近やっていないところを見ると、唐沢は『ヤマト』について突っ込まれるのを気にしているのだと思う。だから、『ヤマト』のファン活動をしていた年代も早まっているのではないか。…しかし、自分の人生を変えた作品のプロデューサーに対してもいつも通り上から目線の「追討」なのはある意味流石だ。
 今回の追討を読んでいると、唐沢の記憶力の減退が気になって仕方なかった。健康に問題があるんじゃないかなあ。額田久徳さんの忠告すら聞かないのだから、自分が何を言っても聞きはしないと思うけど、唐沢の周囲の人はどうか気をつけてあげてほしい。


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