『日本霊異記』は唐沢俊一の領域ではなかった?
田中秀臣さんにトラックバックしていただきました。「と学会=利権集団」の話について「裏モノ日記」2008年7月31日に関連する記述があったことを思い出したので紹介しておく。
知人のブログに、誰だかがと学会のことを利権集団とののしっていた、
とあって大笑い。オタクアミーゴスのことも昔、そう言っていた
連中がいた。よほど金に縁のない人物なのであろう。
一方で、今年のトンデモ本大賞本の翻訳者の日記も
ちょっと前に見たが、よほどいい人なのか、すごく勘違いしているのか
大変に受賞を喜んでいて、その日記についたコメントも
「おめでとうございます、素晴らしいことですね!」
などの連続で、ちょっと読んだときは頭がクラクラした。
「下衆」としか思えない文章である。それにしても「トンデモ本大賞」をもらって喜んではいけないのだろうか。「と学会」は嫌がらせかバカにするつもりで賞を送っているということなのか?「ゴールデンラズベリー賞」の授賞式に出席したポール・ヴァーホーヴェンやハル・ベリーはエラいと思うのだが。
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唐沢俊一『薬局通』(ハヤカワ文庫)P.191
平安初期に起こった内乱に、薬子の変というのがある。藤原種継の娘の薬子が平城天皇の寵愛を受け、帝の譲位後、その後に天皇になった嵯峨天皇を廃位させて平城天皇の重祚をねらって起こした反乱であるが、この薬子という名前は、彼女が薬学に詳しかったところから呼ばれた名前であろうといわれている。その証拠に、乱が失敗したとき、薬子は毒薬をのんで自殺している。わが国における記録上の最初の毒物自殺者という名誉(?)を藤原薬子は有しているのである。
『日本霊異記』には長屋王が服毒自殺したという記述がある。以下『日本霊異記』中巻(ちくま学芸文庫)P.28〜29より。
親王、自ら念(おも)へらく「罪无(な)くして囚執(とら)わる。此れ決定(さだめ)て死ぬるならむ。他(ひと)に刑(う)ち殺されむよりは、自ら死なむに如かじ」とおもふ。即ち其の子孫(こうまご)に毒の薬を服(ぶく)せしめて、絞(くび)り死(ころ)し畢(を)はりて後に、親王、薬を服して自害せり。
簡単に訳すると「親王は『無実なのに捕らわれてしまう。きっと死刑になるだろうから、それなら自殺したほうがいい』と思って、子や孫に毒薬を飲ませ絞め殺した後に、自分も毒薬を飲んで自殺した」ということである。念のために書いておくと、長屋王が自殺したのは神亀六年(西暦729年)。藤原薬子が自殺したのは大同五年(西暦810年)。
※追記 gurenekoさんに『日本後紀』の中に伊予親王が服毒自殺した記述があるとのご教示を受けました。伊予親王が自殺したのは大同二年(西暦807年)。
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