略して「スカスカ」になってしまうのはマズいのでは。
昨日の記事で、唐沢俊一が浪人時代に『宇宙戦艦ヤマト』のファンクラブに参加していたことについて、あちこちで「『ヤマト』のブームは自分たちが起こした」と書いているが、それは大いに疑問であるということを書いた。『古本マニア雑学ノート』(ダイアモンド社)P.119〜120にはこのように記されている。
さきほども名前の出たアニメ「宇宙戦艦ヤマト」のブームは、実はここから火がついた、と言っていい。あの作品は、最初TV放映されたとき、視聴率がふるわず、放映期間を短縮されたものだった。ところが、その再放送の嘆願書が各地方のTV局に殺到し、後に日本中を席巻するヤマト・ブームを巻き起こしたのであるが、その、そもそもの発端はこの札幌のN書店の伝言板コーナーだったと言っていい。
「再放送の嘆願書が各地方のTV局に殺到」と書いてあるのだから、『ヤマト』のファンが各地で活動していたのはわかっているのに、どうしてそれらのファンよりも自分が先に活動していたと思うのだろう。唐沢が浪人をしていたのは1977年のことだが、『ヤマト』の本放送は1974年10月から75年3月までで、本放送の時点で既に熱心なファンが存在していて、その証拠に1975年の星雲賞を受賞しているのだ。くりかえしになるが、唐沢の活動が『ヤマト』のブームを起こしたという話には大いに疑問を持たざるを得ない。唐沢俊一にとっては良い思い出なのかもしれないが、だからと言って事実と反することを言ってはいけない。
ところで、『古本マニア雑学ノート』P.116〜118にはファンクラブの活動内容が詳しく書かれているので紹介してみる。
そんなこんなで高校時代は過ぎていった。大学は理系を受験したが、もともと数学は大の苦手だった上に、古書店めぐりばかりしていて勉強を全然していなかったから、受かるわけもなく、一年浪人するハメになった。
しかし、この浪人時代の一年は、その後の僕の人生を大きく変えた。それまで古書趣味のような、どちらかというと孤独な趣味に走り、友人もあまり多くなかった僕だったが、当時札幌の地下鉄の駅前にあったNという書店の伝言板に、SF・アニメ同好会の会員募集があり、そこに入会したのだ。「S・S」という会で、何やらナチスの親衛隊みたいな名称だが、これはアニメ「宇宙戦艦ヤマト」のエンディング・テーマ「真っ赤なスカーフ」(SCARLETSCARF)から取ったものだった。
ここで、僕のそれまでの古書趣味が大いに役立った。例えば、スペースオペラのことを語るにしても、当時、日本のスペオペの最大の紹介者だった野田昌宏氏の『宇宙の英雄たち』『宇宙船野郎』などという、基本的著作を読んでいる者は、同世代にはほとんどいなかった。これらはそのころすでに、出版社にも在庫がほとんどなくなっていた本だったのだ。ハヤカワSFシリーズも同様。これらを古書店で手に入れ、読んでいた僕は、新参者ではあったが、たちまちその同好会のリーダー格になった。それまで個人の趣味に過ぎなかった読書が、他人に対する力になったのだ。周りの人間や、両親にまで、“暗い”とか言われていた本への執着が、初めて、世間的な価値になることを知ったのである。当然のことながら、そこでの活動に大いにハマった。
毎日のように仲間とツルんで書店めぐり、映画館めぐりをし、同人誌を編集し、映画のフィルムを借り出してきて上映会を行い、もう、自分が予備校生であることなど忘れて、ファン活動に熱中した。こういうものに熱中する年齢だったのだろう。もちろん古書店通いも続けていたが、買うのはやはりSF一辺倒になりつつあった。僕の短くもない古書遍歴のうちで、おそらく唯一、本の収集の系統を定めていた時期だったのではないか、と思う。
古本好きの孤独な少年が仲間を見つけて活動に励んでいる様子がうかがえる文章である。伊藤剛さんが仰っていたように唐沢は高校時代友達がいなかったのかもしれない(伊藤さんの証言は8月28日の記事のコメント欄を参照)。個人的に面白かったのは、「もともと数学は大の苦手だった上に」というところ。数学が苦手ならガセビアで数字の間違いが多発するのも無理はないのかもしれない。
しかし、やはりというか、唐沢は『ヤマト』という作品自体はそれほど好きではないということもわかる。唐沢が活動に熱心になったのは、何かの作品が好きだからというわけではなく、同年代の友達が知らない知識を披露することで集団の中でイニシアチブを取れたからなのだろう。そして、だからこそ、唐沢はいまどきのオタクを嫌っているのだと思う。第一に、「この作品について語るなら、あの作品を見ていなきゃ話にならない」という唐沢の(同好会でスペースオペラについて語ったような)やりかたは、今現在ではあまり有効ではない。キャラクターを目当てに作品を見ているファンにしてみれば、別にそんなことには興味がないのである。唐沢や岡田斗司夫はそのようなファンを批判するが、作品の見方は人それぞれなのだから、批判したってしょうのないことだろう。唐沢だって「萌え」は昔からあったと以前書いていたではないか。第二に、今では昔のマニアックなネタでも簡単に調べられてしまうので、唐沢が同好会でやったようなひけらかしはできなくなっている。それどころか、唐沢が語っていたネタの間違いまでバレてしまうようになっているのだ(これはオタク関係のネタだけでなく雑学についても言えることだが)。オタクが変化したというよりは、過去の作品の復刻やネットの普及によって唐沢のやりかたが通用しなくなったと言った方がいい(だからなのか、唐沢は最近ネットを批判してばかりいるのだが)。
そして、もうひとつ付け加えるなら、唐沢は「プロデュース」についてよく語っているが、唐沢が好きなのは「プロデュース」ではなく「同好会」なのだと思う。札幌の同好会で初めて自分の知識が役に立った経験が忘れられないのだろう。誤解して欲しくないのだが、自分は唐沢が「同好会」をやってることをバカにするつもりはない。夏コミで自ら売り子をやっている唐沢を見て思わず感心してしまったのくらいなのだから(夏コミの模様は8月17日の記事を参照)。コミケに参加したり(もちろん冬コミにも参加するんだろうし)劇団と仕事をすることもどんどんやればいいと思う。ただ、そういうことを「プロデュース」というのはちょっと違うような気がするのだが。
※追記 「zipper」のインタビューで唐沢は
高校2年のころアニメの『宇宙戦艦ヤマト』が放送されたんですが、初期で打ち切られてしまった。だけどすごく面白かったから、「『ヤマト』をブームにしよう!」と思ったんですよ。北海道の片隅で。
と語っている。ただし、『ヤマト』の本放送は唐沢が高校1年のときなのだが。唐沢の発言からは、高校2年のときから『ヤマト』のファンクラブを始めたかのように読める。そうなると、『古本マニア雑学ノート』か「zipper」のインタビューか、どちらかはウソということになる。
唐沢は志水一夫との共著である『トンデモ創世記2000』(扶桑社文庫)の中で、『ペリー・ローダン』『スター・ウォーズ』のファンクラブ作りに失敗した後で『ヤマト』のファンクラブを作ったことを語っている。『スター・ウォーズ』の全米公開は1977年だから、唐沢が高校2年のときにはファンクラブを作れるはずがない。したがって、「zipper」のインタビューがウソということになる。まあ、好意的に解釈するなら、「高校2年のときにファンになって、浪人時代にファンクラブを結成した」ということになるが、熱心なファンなのに2年間何もしなかったのはおかしいだろう。つまり、唐沢は浪人時代にファンクラブをやっていたとしたらブームを起こせるはずがないということに気づいて、高校のときから活動していたという話にしようと考えたのだが、かえってツジツマが合わなくなってしまったというマヌケな話なのである。それとも、自分の過去を記憶しておくのも病的に苦手なんだろうか。あと、『ペリー・ローダン』と『スター・ウォーズ』のファンクラブを作ろうとしているところをみると、題材はなんでもいいから仲間と活動したいという気持ちが見えてしまう(なお、『ペリー・ローダン』ファンクラブについては「SFマガジン」に広告を出したと唐沢は発言しているが、当時の「SFマガジン」にそのような広告は見当たらないという)。やっぱり『ヤマト』はそんなに好きじゃないってことか。
なお、追記にあたって、唐沢俊一スレッド@2ちゃんねる一般書籍板の書き込みを参考にさせていただきました。ありがとうございます。
341 名前:無名草子さん 投稿日:2008/09/02(火) 18:34:02
またしても「宇宙戦艦ヤマト」を自慢のネタにしていますが、
自分語りの書「トンデモ創世記2000」の中ではこんな事を語っています
ヤマトに高校3年の時に出逢ったが(今回のインタビューでは2年にシフト)ヤマトの事
を語る相手がいなかった。その時、札幌のマニアックな書店「リーブルなにわ」にマニア
向けのサークル伝言板があったという事を喋った後(P32)
>その中に「『宇宙戦艦ヤマト』のファンクラブを作りませんか?」って、
>わずか一行、目立たなくあったんですよ。すぐに連絡して参加しましたよ。
唐沢俊一は今回のインタビューでは自らサークルを作ったような感じになっていますが、
参加しただけなんですよね。と学会にしても後乗りなのに現在は「創始メンバー」みたい
な顔をしていますけど。
この「リーブルなにわ」の上にあるのが「ヤマトのレコードが異常に売れるレコード店」
しかし、そもそもおかしいのが前述の本では「ヤマト関連のレコードがとにかくこの店で
売れるという事で」と書いているんですが、打ち切りになった人気の無いハズの番組なの
に、なぜ「関連レコード」が出ているんだろう?という事です。つまり、必死にレコード
を買っていた時はすでにヤマトは注目され、劇中で使われた音楽などをまとめたレコード
が発売されていたんですよ。
1976年12月:アルバム「交響組曲宇宙戦艦ヤマト」
その前に、TV版で使われた劇中音楽をまとめたアルバムは発売されている。
わざわざ交響組曲に編曲したものが発売されるというのは、アニメ界だけでなく、かなり大事件だった。
342 名前:無名草子さん 投稿日:2008/09/02(火) 18:35:26
今回のインタビューでは「高校2年ころ」と成っていますが、以前は高校3年の時だった。
高校2年だと1975〜1976年、高校3年だと1976〜1977年で事情がかなり変わってきます。
「トンデモ創世記2000」ではこんな事も語っています(P21)
>忘れもしない、七七年頃だから大学一年の頃、札幌で「宇宙戦艦ヤマト」の
>ファンクラブを運営していたんですよ。その前に高校生の頃「スター・ウォ
>ーズ」のファンクラブを作ろうとしたんですよ。まだ日本に「スター・ウォ
>ーズ」が来る前に、ファンクラブを作って日本で最初の公認を取ろうとした
>んですよ。実は、「ペリー・ローダン」で取っているんですよ、公認を。
>会員があんまり活動してくれなかったので終わったんだけど。「SFマガジン」
>に広告出して、ドイツの「ペリー・ローダン」の出版元まで許可を取って、
>一応、僕は事務局長をやってたんです。で、「ペリー・ローダン」は地味だ
>から、これからは「スター・ウォーズ」で公認を取ろうとしたら、大阪の方
>かどこかで先に取られちゃったんだよね。その「スター・ウォーズ」ファン
>クラブで作った会誌をジョージ・ルーカスのところに送ったら、「勝手に作
>るな、五百万円払え」って言われてた。あーとかった、最初に津倉無くって
>という(笑)。
>そういう活動が忙しくて、わざと一浪したんですよ。ファンクラブ作って一
>年で僕等が卒業してしまうと、札幌の活動は壊滅状態になるということで。
>"わざと"というと恰好いいけど、それにかまけて大学受験の勉強をしなかっ
>たんですよね。で、一年間の浪人時代に札幌にプロデューサーの西崎義展さ
>んを呼んだりした。まだ「宇宙戦艦ヤマト」の映画版を作る前ですね。
スター・ウォーズの日本公開は1978年、唐沢が浪人している時で、アメリカで公開され
たことで雑誌「スターログ」などで特集が組まれたのは1977年。唐沢が高校3年でヤマ
トを知ったのと同じ頃。
343 名前:無名草子さん[] 投稿日:2008/09/02(火) 18:36:32
唐沢の歴史の中では
・ペリーローダンのファンクラブ
・スターウォーズのファンクラブを作ろうとしたふぁ一番が取れずに断念。
・宇宙戦艦ヤマトのファンクラブ
という順番となってる。唐沢はこれまで何度も「高校三年の時にヤマトと出会い」と語っていたが、今回は「高
校二年」に時間をシフトしている。これは高校3年ではファンクラブの作成が1976年
以降になってしまうという事。
実はヤマトのファンクラブは1976年の段階で日本各地に出来ていた。
そのファンクラブの動きが活発になり日本各地で再放送運動が行われ(1975年に神戸
で女子大サークルが始めたのが最初だとも言われている)、それを受けてヤマトに関す
るビジネスが動き始める。
1976年12月:アルバム「交響組曲宇宙戦艦ヤマト」
1976年12月:西崎義展の「オールナイトニッポン」異例の4時間スペシャル
1977年6月号:雑誌「月刊OUT」表紙に大々的にヤマトを使った特集号
1977年8月6日「宇宙戦艦ヤマト」映画版1作目が封切り
1977年8月:ムック「ロマンアルバム宇宙戦艦ヤマト」異例の大ヒット
もう、どう考えても1976年にヤマトを知り、誰ぞが書いた「ファンクラブを作りません
か?」に参加したって、日本各地のファンクラブの盛り上がりに参加していただけって
事でしょ?
それを高校2年、1975年スタートに変えるとかなり印象が変わってくる。
唐沢くん勉強したね。
でも1975年スタートだと、「スター・ウォーズ」のファンクラブを断念して、という話
がおかしくなるんだよね。
さらに「ペリー・ローダン」の公認ファンクラブは高校一年の頃?
というか、ペリー・ローダンに関しては日本事務局とかがシッカリしているので、ヘタに
そんなデマを言うと、公式に突っ込まれる危惧があるんだよね。
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