唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

唐沢俊一の小説「幽霊のいるぼくの部屋」について

 このブログは、唐沢俊一氏にまつわる様々な事柄について検証することを目的としている。主に氏の著作中のガセネタやパクリを指摘していくことになるはずだが、その他のちょっとした(まさにトリビアルな)ネタもいちいちとりあげていくようにしたい。

 さて、唐沢俊一は、近々『血で描く』という初の小説の単行本を出す運びになっているらしい。氏に小説が書けるものかどうか?という疑問が2ちゃんねるの唐沢スレなどでも話題になっている。そこで今回は、かつて氏が書いた短編小説から、氏の小説家としての実力の有無を考えてみる。

 『怪奇トリビア』(竹書房文庫)は、唐沢がまとめたカストリ雑誌に収録されたB級怪奇小説・マンガのアンソロジーだが、なぜか唐沢が書き下ろした「神経電気」「幽霊のいるぼくの部屋」という2つの小説も収録されている。
 このうち「神経電気」の方は、唐沢いわく実際の精神病患者の書いた文章を参考にして書いたものということなので、まあまあ読めるものに仕上がっている(もっとも、唐沢のことだから何か問題があるかもしれない)。
 問題は、もう一編の「幽霊のいるぼくの部屋」である。ストーリーは、主人公の「僕」の部屋に死んでしまった「彼女」の幽霊が居つくというものだが、この話、まったくもってヤマもオチもなく、ただただ「僕」と「彼女」がダベっているだけなのである。しかも、この「彼女」の言っていることがなんだかやたらと小難しいのである。以下「彼女」の冒頭のセリフを引用してみると、

「民族共同体といったものが失われた今、たとえガジェットであろうと、人は個別の物語を選びとって、はまりこんで、そしてそこから抜け出していく過程をプライヴェートに、しかもおそらくは無限に続けていかなければならない。それが安定した制度も、共通のビジョンもない今における一つの生き方なんだ、これは新しいタイプの成長儀礼なんだ、と私などは思うわけね」

 
 全編にわたってこんな具合にフーコーエリアス・カネッティについて語っているので、なんで幽霊が出てくる小説でこんなことを語ってるんだ?と困惑するしかない。一応、頭を活性化していないと幽霊でいられなくなってしまい消えてしまうので、難しいことを考えなくてはならないという理屈にはなっているんだが、小説としてはどうなんだろう。ちなみに、この後「僕」が「彼女」にツッコミを入れるのだが、

「……ねえ、その論旨って、頭を使っているんじゃなくて、ただ、本に書いてあることをなぞっているだけなんじゃないの」

…うーん、「彼女」よりも他にそのことを言うべき人がいるような気がするなあw

 個人的には「幽霊のいるぼくの部屋」は、小説としてダメだと思う。話の流れがまるでないうえに、「彼女」が語る小難しい理屈もストーリーになんら関係のないハッタリでしかないからだ。ただし、小説の評価はあくまで主観的なものなので、自分がダメだと思ったところが別の人には良いと思えるかもしれないので完全に否定はしない(実際、ネット上で「幽霊のいるぼくの部屋」をホメている人もいる)。
 だが、それにしても、唐沢俊一の小説家としての姿勢と才能についてはかなり疑問を持たざるを得ない。「幽霊のいるぼくの部屋」について唐沢自身が言うには、

この作品は、何か幽霊が出る話で、あまりこれまでになかった切り口は出来ないものだろうか、と考えて書いて、結局よくまとまらないままに放り出してしまったもの。復讐とかいうはっきりした目的のある幽霊を描くというのは楽だが、このように、なんで出てきたのだかよくわからない幽霊を使って、ストーリィらしいストーリィを組み立てるのはちょっと無理、というのがまあ、この小説を書いてよくわかったことである。

 まず、「よくまとまらないままに放り出してしまったもの」をアンソロジーに収めるなよと言いたい。他の作家(カストリ雑誌の作家とはいえ)に失礼だろう。それから、世の中には「なんで出てきたのだかよくわからない幽霊」が出てくる話は、それこそ山のようにあるのだが。というよりもはやベタの部類に入るといっていいのではないか。なのに、「ストーリィらしいストーリィを組み立てるのはちょっと無理」というのでは、小説を書くのに向いていないんじゃないの?と心配になる。

 そして、唐沢が雑学本でガセやミスをやらかしているのはもはや当たり前になっているので驚きもしないのだが、小説でもミスをやらかしていたのにはさすがに驚いた。「幽霊のいるぼくの部屋」での彼女の最期のシーンがそれ。

彼女が階段を上がっていったとき、発車まぎわの地下鉄に飛び乗ろうとした客が、上の方から猛スピードで駆け降りてきた。
普通の人ならよけようとするだろうが、彼女は、ここは昇り階段で、自分によける義務はない、と言うように、あえてそのまま上がっていき、追突されたのだった。

 えーと、彼女は階段を上っていて、駆け降りてきた客とぶつかったわけだよね。…なんで「追突された」の?普通、正面衝突するんじゃないの?唯一考えられるのは、彼女が後ろ向きに階段を上っていれば「追突された」可能性も有り得るけど、そんなヘンな人見たことない。本当になんでこんなミスをするんだろうか。編集や校正の人は何をしているんだろうか。

 以上のような次第で、唐沢の小説家としての資質には疑問を持たざるを得ないし、まもなく出るであろう唐沢の小説についても大いに不安である。トンデモ本をチェックするような気分で読めばいいのかも知れないが(かつて、トンデモ物件を観察する側だった唐沢だが、いまやトンデモとして観察される立場なのである)。[rakuten:book:11301333:detail]