唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

類は友を呼ぶ?唐沢俊一と佐野眞一

 盗作事件を起こし、カタチだけ頭を下げた後、自らの著作の中で被害者を貶めているにも関わらず、唐沢俊一は現在朝日新聞の書評委員をつとめている(一説に拠ると唐沢の友人である木元俊宏氏の手引きらしい。木元氏は別名植木不等式として知られている「と学会」メンバー)。本来「朝日ともあろうものが」と憤るべきなのだろうが、唐沢特有の「本題に入るまでやたら長い」「テーマと関係の無い自分語りをする」書評を愉しめることも確かなのだ(ちなみに、唐沢は「週刊現代」でマンガ批評を連載しているが、「読まずに批評しているんじゃないか?」と疑惑が持たれるほど的外れなことを言っている。詳細はまとめwikiにて)。2008年6月15日の書評では、「アフリカという国」なる珍言を編み出して、唐沢ウォッチャーを喜ばせたことも記憶に新しい(この詳細はトンデモない一行知識にて)。

 さて、最新の2008年7月13日の書評では、佐野眞一甘粕正彦―乱心の荒野』を取り上げている。

どんなささいな証言であっても、という思いで日本全国を回る著者の情熱には頭が下がるが、しかし、その熱い思いを傾けてなお、読後に隔靴掻痒(かっかそうよう)の感が残るのは否めない。著者は大杉殺害の真犯人としてある人物の名を最後に特定するが、これを最終真実として納得するかどうかは読者の間でも意見の分かれるところであろう。

 だが、歴史の真実はテレビのキャッチコピーのように安易に“その決定的証拠が今、目の前に”出てくるものではない。われわれは、岸信介森繁久弥赤川次郎の父親まで登場する甘粕人脈の多彩さに目を見張りつつ、真の姿を何重ものベールの向こうに隠した甘粕と、そのベールをはがそうと苦闘する著者の、その格闘を見守るしかない。しかし読み進むうちに、そのいらだちがやがて、大きな知的興奮に変化してくるのを感じとれるはずである。

 要するに「読みづらかった」「わかりにくかった」というわけか。読んでいて「いらだち」を感じるような本を手に取ろうという気にはなれないような気が。

試食は見本の最も甘いところを差し出すのでなくては意味を持たない。

朝日新聞書評委員就任の挨拶では言っていたんだが。このような書評では佐野眞一もやや気の毒である。

 だが、実は佐野眞一も盗作をしたのではないかという疑惑を持たれている。以下は2ちゃんねる佐野眞一スレッドからの転載。

370 :無名草子さん:2008/07/13(日) 06:57:14
「故郷の潮の満ち干(ひ)きする渚の、
おどろくほど緻密な観察と鮮明な記憶、
まのあたりに見ているような平明な描写力。
読んでいてふいに胸えぐられる感じになるのは、
今はこの列島の海岸線すべてから、
氏の書き残されたような渚が消え去ったことに思い至るからである」
石牟礼道子「山川の召命」『ちくま日本文学全集 53 宮本常一』1993年、461頁)

「潮の満ち引きまで感じられる渚の写真を眺めながら、
ふいに胸えぐられるような思いに駆られるのは、
かつて宮本がカメラにおさめたような渚が、
日本の海岸線からことごとく消えてしまったことに思いいたるからであろう」
佐野眞一宮本常一の写真に読む失われた昭和』平凡社、2004年、6頁)

さらにはこのような指摘も(おそらくは『旅する巨人 宮本常一渋沢敬三』のことだろう)。

私の尊敬する先生が仰ったことだ。


佐野眞一は酷い。自分の好きなように話を作って書いている。
行ってもいないところも、行ったように作っている。」そうだ。



実際、会ってもいない人が佐野の本の中ではまことしやかに
書かれているという。


ある大学の大学院生が、宮本常一先生の歩いた道を辿って廻って
いるという。
そして、その地で宮本先生の思い出を伺って廻っているという。
そして、彼は「その人たちが、佐野眞一は来ていないし会って
いない」と言う言質をとっているというのだ。
しかし、佐野の本では、佐野に答えたように書かれているらしい。
つまり、机の上の操作で、今までの本での内容をいかにも自分が
取材したように見たように聞いたように書いているのだろう。



こういうのを、レポルタージュとは言わないし、ノンフィクション
とも言わない。
小説?、フィクション?
いや、世間では、これを「盗作、無断引用」という。

 つまり、今回の書評は「盗作した作家が盗作した作家の作品を批評した」という、なかなか面白い構図になっているのだ(佐野はともかく唐沢は作家じゃないだろと突っ込まれそうだが)。佐野の盗作疑惑を追及することは、唐沢が毎日毎日提供するネタを追いかけるのに忙しい当ブログの役目ではないが、興味のある人は『甘粕正彦―乱心の荒野』やその他の佐野の著書をチェックしてみたらいいと思う。唐沢よりも全然大物だからやりがいはあるんじゃないかなw

甘粕正彦 乱心の曠野

甘粕正彦 乱心の曠野

「ガセ・パクーリ氏」ってひょうたん島に住んでそうだ。

『史上最強のムダ知識』P.237
ひょっこりひょうたん島は、少年たちの死後の物語である。」というトリビア

本作の原作者のひとり、井上ひさしが、後年、講演で開かした(原文ママ)事実である。
親も大人も存在しないユートピアである、ひょうたん島が、どうすれば成立しうるかという疑問に、井上と、共作者の山元護久が出した結論が、「ひょうたん島は、死んだ子供たちのたどり着いた世界」というものだった。
この設定は、原作者ふたりの秘密であり、作中では明言されていない。ただし劇中には、「御詠歌」(霊場で歌われる巡礼歌)や「四国霊場」などの、死を臭わせる小道具が折々に登場する。
なお同作にはもうひとつ、決して「親」が登場しない、という裏設定もある。この設定は井上、山元と番組ディレクター竹井の3人が親に頼れない少年期を過ごしたことが影響しているのだとか。井上らは、そうした、親や大人に絶望した子供たちの持つ明るさを、描きたかったのだという。

 必要があって全文引用してみた。さて、この文章にはヘンなところがある。どこかというと、「番組ディレクター竹井」という部分である。普通「竹井ディレクター」だろうし、唐突に登場するのもヘンである。調べてみると、「ひょっこりひょうたん島」のチーフディレクターは「武井博」氏である。こんな間違いをするときはきまってパクリをやらかしている。というわけでこのようなものを発見。

>>"ひょうたん島は、死後の世界だった"<<

ひょっこりひょうたん島」という番組は1964年から5年間NHKで放映された人形劇ですが、(実際に観たことはなくても)知ってる人は多いかと思います。
ひょうたん島のメンバー、サンデー先生、ドン・ガバチョ、博士、プリン、と観たことはなくても聞いたことのある名前ではないでしょうか。
作者井上ひさしが、故郷である山形県川西町で開かれた「ひょうたん島」を語り合う講座の席上で、井上はスタッフにも伝えていなかった衝撃的な事実の秘密を明かしたそうです。

その背景とは、こういうものです(読売新聞からの抜粋):
井上、共作者で78年になくなった山元護久、竹井ディレクターの3人とも、家庭の事情で親に頼れない少年時代を過ごした。
「大人たちに徹底的に絶望した」少年たちが、ユートピアとして考えた「ひょうたん島」は、「親も大人も存在しない、我々が新しい生き方を作って行かなくてはならない場所」になっていったという。
そして、そんな「どこでもない場所」の物語にリアリティーを持たせ、作者の2人が自分自身を納得させるために出した結論が、死者の物語という設定だった。
劇中に「御詠歌」や「四国霊場物語」を出したのはそのためだが、2人だけの秘密だった。

引用文中の読売新聞の記事とは、2000年9月30日の夕刊である。この記事では「武井博」と正しく書かれている。ということは、おそらく読売新聞の記事を不完全なかたちで引用した(「竹井」という誤植のほかにも、ディレクターの名前が唐突に登場する点が唐沢の文章と同じである)パクリ元から、よく考えもせずにパクってしまったということなのだろう(同じように誤植ごとパクったパターンに「おさえるつけ」事件がある)。それにしても、「番組ディレクター竹井」などというおかしな言い回しを編み出して、不完全な引用をさらに劣化させるあたり、唐沢のダメさ加減がよく現れているともいえる。
 ちなみに、武井ディレクターは現在横浜で牧師をされているそうだ。ちゃんと調べていれば、こういうおいしいネタも拾えたのに…。

復刻版 ひょっこりひょうたん島 海賊の巻+魔女リカの巻 DVD-BOX

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