唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

「ガセ・パクーリ氏」ってひょうたん島に住んでそうだ。

『史上最強のムダ知識』P.237
ひょっこりひょうたん島は、少年たちの死後の物語である。」というトリビア

本作の原作者のひとり、井上ひさしが、後年、講演で開かした(原文ママ)事実である。
親も大人も存在しないユートピアである、ひょうたん島が、どうすれば成立しうるかという疑問に、井上と、共作者の山元護久が出した結論が、「ひょうたん島は、死んだ子供たちのたどり着いた世界」というものだった。
この設定は、原作者ふたりの秘密であり、作中では明言されていない。ただし劇中には、「御詠歌」(霊場で歌われる巡礼歌)や「四国霊場」などの、死を臭わせる小道具が折々に登場する。
なお同作にはもうひとつ、決して「親」が登場しない、という裏設定もある。この設定は井上、山元と番組ディレクター竹井の3人が親に頼れない少年期を過ごしたことが影響しているのだとか。井上らは、そうした、親や大人に絶望した子供たちの持つ明るさを、描きたかったのだという。

 必要があって全文引用してみた。さて、この文章にはヘンなところがある。どこかというと、「番組ディレクター竹井」という部分である。普通「竹井ディレクター」だろうし、唐突に登場するのもヘンである。調べてみると、「ひょっこりひょうたん島」のチーフディレクターは「武井博」氏である。こんな間違いをするときはきまってパクリをやらかしている。というわけでこのようなものを発見。

>>"ひょうたん島は、死後の世界だった"<<

ひょっこりひょうたん島」という番組は1964年から5年間NHKで放映された人形劇ですが、(実際に観たことはなくても)知ってる人は多いかと思います。
ひょうたん島のメンバー、サンデー先生、ドン・ガバチョ、博士、プリン、と観たことはなくても聞いたことのある名前ではないでしょうか。
作者井上ひさしが、故郷である山形県川西町で開かれた「ひょうたん島」を語り合う講座の席上で、井上はスタッフにも伝えていなかった衝撃的な事実の秘密を明かしたそうです。

その背景とは、こういうものです(読売新聞からの抜粋):
井上、共作者で78年になくなった山元護久、竹井ディレクターの3人とも、家庭の事情で親に頼れない少年時代を過ごした。
「大人たちに徹底的に絶望した」少年たちが、ユートピアとして考えた「ひょうたん島」は、「親も大人も存在しない、我々が新しい生き方を作って行かなくてはならない場所」になっていったという。
そして、そんな「どこでもない場所」の物語にリアリティーを持たせ、作者の2人が自分自身を納得させるために出した結論が、死者の物語という設定だった。
劇中に「御詠歌」や「四国霊場物語」を出したのはそのためだが、2人だけの秘密だった。

引用文中の読売新聞の記事とは、2000年9月30日の夕刊である。この記事では「武井博」と正しく書かれている。ということは、おそらく読売新聞の記事を不完全なかたちで引用した(「竹井」という誤植のほかにも、ディレクターの名前が唐突に登場する点が唐沢の文章と同じである)パクリ元から、よく考えもせずにパクってしまったということなのだろう(同じように誤植ごとパクったパターンに「おさえるつけ」事件がある)。それにしても、「番組ディレクター竹井」などというおかしな言い回しを編み出して、不完全な引用をさらに劣化させるあたり、唐沢のダメさ加減がよく現れているともいえる。
 ちなみに、武井ディレクターは現在横浜で牧師をされているそうだ。ちゃんと調べていれば、こういうおいしいネタも拾えたのに…。

復刻版 ひょっこりひょうたん島 海賊の巻+魔女リカの巻 DVD-BOX

復刻版 ひょっこりひょうたん島 海賊の巻+魔女リカの巻 DVD-BOX