唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

彼女は尾行されtail。

 唐沢俊一初の長編小説『血で描く』(メディアファクトリー)については、8月22日の記事8月31日の記事で取り上げたが、唐沢俊一に文章を盗用された被害者である漫棚通信さんも『血で描く』の感想を書いていたので、大変興味深く読ませていただいた。

いちばん奇妙なのは登場人物の行動です。

 ヒロインは尾行されているような気がして、「わざと人通りの少ない通りを抜けようと」して、誘拐されてしまう。

 ここは『血で描く』が発売された直後から突っ込まれていたところだ。自分が最初に読んでみたときは、そのくだりは冗談とも本気ともつかなかったのでスルーしてしまったのだが、もう一度読んでみることにした。『血で描く』P.109〜110より。

 いつ、このようなことをされたかの記憶は、たまかにはない。
 警察から電話があったから、自分の代わりに行って、あの本を受け取ってきてほしい、と新に頼まれたのだった。あんな本、二度と見るのは嫌だったが、これで、芦名先生にあの本を渡して処分してさえもらえば、自分たちは危険な思いをもう、しなくても済む。そう思って、急いで病院から警察に向かった。
 最初から、奇妙な感覚があった。
 誰かがつけてきている。理由はわからないがそう感じて、何度も急に振り返ってみたが、誰も、そのような怪しい人の影はなかった。
 人通りの多い道だから、そう感じるのだろうか。そう思ってたまかは、脇道にそれ、わざと人通りの少ない通りを抜けようとした。それでも、尾行者がいるという感覚は続いた。振り向いても、姿は見えない。耳をすませても、足音は聞こえない。しかし、誰かがいる。確かに。
 すでに、周囲は薄暗くなりかけていた。高架下の、薄暗い道を足早に通り抜けようとしたとき、目の前に、何かが落ちているのを見かけた。
 近づいてみると、それは、一冊の本だということがわかった。
「?」
 立ち止まって、表紙をのぞきこんで、たまかは驚いて、小さく声をあげた。それは、これから彼女が受け取りにいくはずの、『血で描く』だった。
「やだ、……これ!」
 拾い上げようとしゃがんだとき、たまかは、はっきりと、彼女の後ろに、誰かが立っていることに気がついた。
「誰……!」
 振り向くより先に、何かずっしりと重いものが後頭部に降りおろされ、たまかの意識は冥いところへと飛んだ。

 補足しておくと、「たまか」はヒロインの名前で、「新」は『血で描く』の主人公で「たまか」の恋人である。
 早速ツッコミを入れる前に、引用していてあらためて思ったが、文章がヒドい。「もう、しなくても済む」ってそんなところで区切るか?「薄暗い」をくりかえしているのもちょっと。そのくせ「冥い」と気取って書いているのがイタい。実にイライラさせられる文章である。
 で、たまかの行動についてである。自分は尾行をされたことはないし(たぶん)、尾行をされていると感じたこともないが、もしそのように感じたとしたら、まず走るか早足になると思う。本当は尾行をされていないとしても、尾行をされていると感じること自体がかなり異常なのだから、一刻も早く安全な場所まで行きたいと思うはずなのだ。たまかのように「わざと人通りの少ない通りを抜けよう」とすることは、余計に心細くなるのでやらないと思うし、わざわざ尾行の有無を確かめようとはしないような気がする。もし尾行の有無を確かめるのであれば、どこかに身を潜めて尾行している人間がいるかどうかを探すと思う。やっぱり「わざと人通りの少ない通りを抜けよう」とはしないはずだ。たまかの行動は不自然だと言わざるを得ない
 それから、読み返していて気づいたのだが、たまかを尾行している人間はたまかが脇道にそれることがどうしてわかったのだろう?『血で描く』をたまかの行き先に置いていたということは、たまかの行動を前もって予測していたことになる。不自然な行動をとるヒロインと、その不自然な行動を予測する尾行者。御都合主義以外の何物でもない。ついでに、たまかは『血で描く』のことを気味悪がっているのに、見つけてすぐに「拾い上げよう」としているのもどうかと思う。
…まあ、こういう不自然なところにツッコミを入れるのも安っぽい「B級ホラー」の楽しみ方だと言えるのかも知れないが、「B級ホラー」の良いところというのは、「くだらないことを全力でやっている」ところにあると思うので(たまにまったくの「天然ボケ」もあるけど)、『血で描く』はそれにあてはまらないと思う。唐沢俊一の文章は読みづらいうえにユーモアがないので(そもそも唐沢俊一という人にはユーモアのセンスは無いのだが)、残念ながら小説として楽しめないのである。
 しかし、唐沢俊一はどの程度本気で『血で描く』を書いていたのか疑問に感じてしまう。どうも、「こういう小説を書きたい!」というモチベーションよりもウケ狙いに走ったような気がしてならないのである。小説の中で登場する「血で描く」というマンガの設定の甘さ(「トンデモない一行知識の世界」でも突っ込まれている)、時代考証の杜撰さからも本気だったとは思えないし。「貸本に詳しい唐沢俊一が貸本を題材に小説を書いた」「小説とマンガが一緒になった珍しい構成」というウリが先行して書かれた小説なんじゃないか?と思ってしまった。作品の中身だけで勝負するのは不安だったんじゃないか?とも思ってしまったりして。次回作は本当に書きたいものを書いて欲しいところだ。
 余談だが、Amazonのuniという人の『血で描く』のレビューが褒めているようで実は褒めていなくて面白いのでおすすめ。

血で描く (幽BOOKS)

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