異世界はシャワーとともに。
※今回はいつもと一人称を変えているが単に気分の問題なのであまり気にしなくてもいい。
ゆうべ発作的にマンションの窓から飛び降りようとしたくらいの急性鬱に襲われ、これはいかんと買い置きの霜降り肉(たって1000円くらいのものだが)を焼いて梅ニンニク醤油で食ってしばらくしたら回復。肉の精神安定作用(アナンダマイド由来)は凄いな。鬱には肉。特に脂身の多い牛肉。覚えておこう。
肉を食べて鬱が収まるのなら結構なことだし、自殺の名所にはステーキ屋を開くといいかもしれない。ちなみに「本当の鬱なら料理もできない」と指摘されたらしく、唐沢氏は気圧の変化による急性の鬱であったと釈明している(Twitter)。まあ、「鬱って楽なんですよね」と過去に発言してるしなあ、この人(過去記事)。
しかし、昨年末にそれ以上に注目を集めたのが山本弘氏である。氏は平鳥コウ『JKハルは異世界で娼婦になった』(早川書房)について「わざわざ異世界にする必要がない」と批判しているのだが(詳しくはTogetterを参照)、中でも論議の的になったのがこのツイートである。
コトが終わった後、「シャワーを浴びて」という文章に、思わず突っ伏して笑った。あるのかよ、異世界にシャワーが!?
つまり、シャワーというのは実は高度なテクノロジーがなければ成り立たないものなので安易に出したのが許せないということらしいのだが、これをきっかけにファンタジーにおける異世界の設定はどうあるべきか、といった議論にまで膨らんでいったようである。
さて、ぼくもせっかくなので『JKハル』を読んでみたのだが、正直に言わせてもらえば山本氏が何故シャワーをそこまで気にするのかよくわからなかった。そもそも『JKハル』がきっちり設定を練り上げたような小説でないことは、ハル自身が転生した先の異世界を「オタクくさいソシャゲみたいな世界」とかなりいい加減に説明していることでもわかるし、読者も「オタクくさいソシャゲみたいな世界」の物語として読めばいいだけの話である。そういうお話は山本氏の好みではないのだろうが、だからといってそのようなお話が存在してはいけないわけではないのは言うまでもないことだ。それに『JKハル』で初めてシャワーが登場するシーン(P.38)の直前にハルは自分を買った男に実にひどい仕打ちを受けていて、「あれの後でシャワーを気にする?」と唖然としてしまった。目の付け所がシャープすぎてついていけない。
ぼく個人としては、『JKハル』は今流行りの異世界転生ものの背後に隠された薄暗い欲望を衝いたお話として大変興味深く読ませてもらった。少なくともシャワーとか缶蹴りとかで切り捨ててしまうのはもったいない話であるのは間違いないとだけ言っておこう。
ところで、何故ぼくがこの件に興味を持ったのかと言えば、山本氏のシャワーへのツッコミを見て「酸欠くん」を思い出したからである。「酸欠くん」というのは唐沢なをき『まんが極道』(エンターブレイン)第4巻に収録されたエピソードで、この際あらためてその内容について説明する必要もあると思ったのだが、実はある小説の中で「酸欠くん」が詳しく取り上げられているので、説明に代えて少し長くなるが引用してみる。
「(前略)僕が一番好きなんはやっぱりこの四巻に入ってる「酸欠くん」っていう話なんです。“酸欠になる”っていうのが口癖の奴。こいつマンガ家志望なんですけど、プロの下で十年もアシスタントやってるのにプロになれへんのです。何でかというと、変にリアリティにこだわりよるんですよ。マンガはリアルやないとあかんと信じ切ってる。たとえば火事のシーンで、主人公にヒロインを助けるために飛び込ませようとはしない。火事の現場では酸欠になる! 飛び込んだら死んでしまう! リアルじゃない! って主張するんです。
こいつ、ファンタジーもののマンガを描いてる先生の下でアシスタントやってるんですけど、そのマンガの中に、ドラゴンが洞窟で火を吐くシーンがあるんですよね。それを見て怒るんです。酸欠になるだろう酸欠に! って。いや、ドラゴンがいることはどうでもええんか!」
ああ、分かります! そういう人よくいますよ。マンガだけじゃなく、アニメでも映画でも、少しでも科学的に間違ったところがあったら嘲笑したり、作品を全否定しちゃう人。
でもねえ、“科学的に間違ってる”なんてことを言い出したら、SFは全滅ですよ。タイムスリップも超光速宇宙船も反重力も超能力も巨大ロボットも日本沈没も、科学的にはありえないんですから。ありえないと理解したうえで楽しまないと。
あっ、もしかしたら、武人くんみたいなノンフィクション至上主義者に最も必要なのはそれかも。ありえないことをありえないと知ったうえで受け入れる姿勢。確かに事実にこだわることは大切でしょう。でも、荒唐無稽な物語でも、現実にありえなくても、人を感動させたり、生きる力を与えてくれることがあるんですよ。
私はそれを知っています。
上の文章は、山本弘『君の知らない方程式』(東京創元社)P.94〜95から引いたものである。これと山本氏の『JKハル』への批判を比べてみると、小説とTwitterの違いがあるとはいえ、すごく複雑な気分になる。いったい誰が「酸欠くん」なのか。
ここで「酸欠くん」に話を戻す。「酸欠くん」の内容は山本氏の小説にある通りだが、「酸欠くん」で一番大事なのは「ドラゴンが火を吐くと酸欠になる!」と騒ぎ立てる滑稽さではなくて、そこまで酸欠にこだわっているにもかかわらず、酸欠以外の事柄ではリアリティのかけらもまるでない幻想を疑うことなく受け入れてしまう都合のよさ、ある点にはすごく厳しいのに別のある点にはすごく甘い、そんなダブルスタンダードを茶化しているところにあると思う。かつて山本氏も参加していた「オタク座談会」で岡田斗司夫氏が「お前、〇〇は許せないのにどうして××は許せるの?」と語っていたのと同じ話である。「酸欠くん」には実在のモデルがいるらしいが(過去記事)、単なる奇人変人の紹介にとどまっていないのは、さすが唐沢なをきと言うべきであろう。…ああ、またギミノリに会いたいような、会いたくないような。
上で引用した『君の知らない方程式』は「BISビブリオバトル部シリーズ」の第4作である。ぼくは前もって『君の知らない方程式』を読んでいたわけではなくて、「山本さんは前に確か「酸欠くん」に言及していたはずだ」とうろおぼえのまま調べていてたまたま行き当たったのにすぎないのだが、いい機会なのでシリーズ全作を読んでみた。『翼を持つ少女』『幽霊なんて怖くない』『世界が終わる前に』『君の知らない方程式』、以上4作品が東京創元社から現在刊行されている(『翼を持つ少女』『幽霊なんて怖くない』は文庫版もあるが、今回はすべて単行本に拠る)。
最初に断っておくと、ぼくはこのシリーズは正直あまり好みではない。『去年はいい年になるだろう』(PHP文庫)は面白く読んだので(感想)、単にSF要素の有無が影響しているのかもしれないが、読んでいて首を捻る箇所がいくつかあったせいかもしれない。『翼を持つ少女』で差別主義的な他校の生徒をビブリオバトルで論破するくだりなどは「山本さんらしいなあ」と笑ってしまったのだが、『君の知らない方程式』におけるある問題の解決方法には「口にするだけなら簡単だけど実際にやるとしたら大変だぜ?」としかアラフォーのおっさんには思えなかった。伏見つかさ『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(電撃文庫)がその問題の解決のヒントになっているのだが、その解釈がぼくとは全然違っていたのもよくなかったのかも。ただ、第5作に続くようだから、そこで納得できるオチがつくのかもしれない。あと、『幽霊なんて怖くない』のあとがきにもひっかかった。P.291より。
当然、戦争に関するイメージが歪んでいる人もよくいます。太平洋戦争を美化したり、もういっぺん戦争をしたいと思っている人は、若い世代だけじゃなく、僕より上の世代にもいます。
「もういっぺん戦争をしたい」っていったいどこと戦う気なんだろうか。そもそもそんな人がどこにいるのだろうか。まあ、そういう人が本当にいるとしても、逆に「外国が攻めてきたら降参すればいい」という著名人が何人かいるようだから、それでプラマイゼロになったりしてね。海水に砂糖を足しても真水になりはしないが。
それから、『翼を持つ少女』P.121〜122には個人的にビックリさせられた。
「(前略)あと、そういう同人誌は著作権法には触れないんですか?」
「はい、それも微妙な問題です。特撮ものに限らず、二次創作同人誌というのは、基本的にすべて著作権的にはアウトです。
(中略)
ただ、日本では著作権法は親告罪なんで、著作権者が訴えない限り合法なんです。(後略)」
ということなので、著作権侵害を訴えても利益にならない、同人誌を黙認してくれている著作権者の広い心に感謝しよう、と言っているのだが、これ前に指摘したなあ(過去記事)。
これも『翼を持つ少女』から。P.392より。
「あまり薄い連中とつるんでも楽しくないからな。どうせなら濃い話がしたい。そう、たとえば……」先生はちょっと考えてから言った。「小金井」
「はい」
「『仮面ライダー響鬼』は全何話だ?」
ミーナは一瞬、ぐっと詰まったように見えた。だが、自信に満ちた声で力強く答えた。
「全二九話です!」
「いい答えだ」先生はにやりと笑った。(後略)
これは少し解説が必要かな。『仮面ライダー響鬼』は第29話でプロデューサーが交替して、以降の話は大幅な路線変更がなされている(いつもの「平成ライダー」に戻っただけとも言える)。それまでの話を支持していたファンが路線変更に反発して、山本氏もそんなファンの一人だったのだ。
…ただ、これって「薄い」「濃い」という話じゃなくて、ただ単に料簡が狭いだけの話だよなあ。もしも教え子が「斬鬼さんの最期には感動しました!」とか言ってきたら、この先生はどうするんだろ。いずれにせよ教育者の料簡が狭いのは困るが、同僚に異世界のシャワーの原理が分からなくて怒っている先生もいたりして。
最後に話を山本氏の『JKハル』批判に戻す。氏のシャワーに関するツイートに関してはTogetterでも多くの批判が寄せられているし、異世界の作り込みが甘く粗かったとしてもそれだけで作品自体を否定する理由にはならないことは既に指摘した。山本氏が『JKハル』を批判する嫌う理由は他にあって、シャワーやら設定やらは実は本当の理由ではないのではないか、ぼくにはそう感じられてならない。もしくは、嫌いが先にあって、理由は後付けになっているとか。
『JKハル』の作風が合わない人は当然いるだろう。陰惨なセックス描写が多く登場し、女をモノとしてしか考えない男も数多く登場する。異世界転生もののファンとしては居心地のいいお話ではない。そして、ヒロインであるハルが合わない人も当然いるだろう。なにしろ転生前は10人以上の男とセックスした経験があって過去には援助交際もしている女の子だ。山本氏の「ビブリオバトル部シリーズ」ならヒロインをいじめる側で出てきそうだ。そして、転生した後も生き抜くために娼婦をしながらも男の馬鹿さ加減を冷静に見定めている。不遇に甘んじたただただかわいそうな犠牲者というわけでもない。ぼくにはそんな彼女がなかなか面白かったのだが、もちろん嫌いだという人もいるだろう。それはしかたのないことだ。山本氏は「『JKハル』がエロだから批判しているわけではない」と何故かキレ気味でツイートしていたが、エロにも合うものとそうでないものがあって、『JKハル』のあけすけなエロ描写は山本氏には合わなかったのではないか。「こんな女の子は嫌いだ」「こんな暗い話は嫌いだ」と素直に言っちゃえばいいと思うが、もちろんこれはぼくの邪推でしかないし、外れていたら謝るしかない。もしかしたら山本氏らしい高邁な理想と熱い正義感に基づく批判である可能性もあるし、きっとそうなのだろう。うん。
ともあれ、山本氏にはこれからも時々キレてほしいものである。「この人、どうしてそんなことでキレてるの?」とキョトンとさせられるの、結構好きなので。
※ おばちゃんさんのご指摘に基づき記事を訂正しました。
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